講堂に入った所で、紅葉を見張っていた服部とあずさは自分の仕事をするために持ち場に戻っていった。このままとんずらしようかと紅葉は考えたが、あとであの二人から小言の嵐を見舞われそうだと思い大人しくしていることにして、ちらほら空いてる席に腰をおろしていた。
「主席って
始まるまで少し時間があるようで適当にぼーっと天井を眺めている紅葉の耳に、隣の雑談が入ってくる。
「確か七宝くんでしょ」
「そうそう、
「なんか意外だよね」
確かに、と紅葉は思い出す。
彼の代は中条あずさが主席で、一年上も女子生徒が主席。一年下も聞いたところによると女子が主席だったらしく、少なくても三年ぶりの男子主席になる。その主席が入学式にやることと言えば答辞になる。
「くくく」
不意に笑いがこぼれる。彼が思い出したのは自分の代に行われたあずさの答辞。何が笑えたかと言うと、一言で言えば『酷かった』である。言葉を噛む、手順を間違える、涙目になる、動かなくなるなど、いくら緊張を理由にしても厳しいものだった。彼女が自分たちのトップで大丈夫か?なんて一科、二科生関係なく思ったに違いない。
そのあずさが今や生徒会長である。
紅葉はそのことを初めて聞いた時、何度も耳を疑った。全身を弄られた後遺症で耳もおかしくなったか、などと思いもした。しかし、苦笑いで肯定する服部達がいたので信じるしかなく、服部達がいなかったら彼は、自分の目で見るまで信じなかっただろう。
「泉美、さっきのナンパ男の事知ってるの?」
色々と思い出していたら、前の席に座った女子の会話が聞こえてきた。入学式に似合わない単語が聞こえたため興味を惹かれる。紅葉はそちらに聴覚を集中していた。
「ええ。……もしかして香澄ちゃん、本当に知らないんですか?」
後ろから聞いているため女子二人の表情はわからないが、片方の女子の声色には呆れを感じられた。その会話にいるナンパ男というのは有名人らしい。紅葉は学校の状況を服部達から色々と聞いてはいたが、有名なナンパ男がいるとは聞いていなかった。新入生か?などと思っていると
「お名前は司波達也先輩。去年は二科生でしたが、今年から魔法工学科に転科された方です」
ナンパ男の名前が出てきた瞬間、思わず吹きかけた。
司波達也という名前は、彼が服部達からよく聞いた名前だったからだ。二科生であるにも関わらず風紀委員になって活躍したり、九校戦でエンジニアとして各競技で選手を入賞に導いただけでなく、新人戦モノリス・コードで優勝したり、全国高校生魔法学論文コンペティションの発表メンバーに選ばれたりと、話を聞けば聞くほど本当に二科生か?と思える人物だった。
そんな男がナンパ男とは思えない紅葉は、彼女の勘違いなんだろうなと思えてきていた。
「嘘……それじゃ、担当した選手はお互いに負けただけで、事実上無敗だったってこと?」
「ええ」
紅葉が司波達也の情報を思い出している間も、二人の女子生徒の会話は続いている。もうナンパ男の正体がわかったことで興味がなくなった彼はこれ以上聞くのは失礼だなと聞くのを止めようとした。しかし、彼女たちから別の言葉が出たことにより再び二人の会話に耳が傾く。
「クラウドボールではお姉さまのサポートも務められていましたよ。香澄ちゃん、本当に気がつきませんでした?」
『クラウドボール』で、『お姉さま』。しかも『司波達也がサポートした』ときたことで、目の前に座っている女子生徒が誰なのか、紅葉にはわかってしまった。
クラウドボールというのは九校戦の一競技の事。
お姉さまなのだから女子選手。
司波達也がサポートしたというのは、七草真由美だったと服部達から聞いていた。
その情報をまとめると、クラウドボールで司波達也が七草真由美をサポートした、となる。さらにお姉さまと言ったのだから、この女子生徒二人は七草真由美の妹。
「(こいつら、七草の双子か!?)」
七草の双子とは、
「(さわらぬ神になんとやらだな)」
これ以上、七草の双子の会話を盗み聞いてたら罰がくだりそうだと思った紅葉は、彼女たちの会話をシャットアウトして、あとはおとなしく入学式の開始を待つことにした。
二年前の入学式とは違い、ハラハラする事なく入学式は終了。これで帰ってもいいはずなのだが紅葉は講堂入口で待たされていた。彼の隣には風紀委員の腕章をつけたイケメンが立っている。
紅葉が帰るつもりで講堂を出ようとしたら、背後から肩を掴まれたのだ。振り返ると、そのイケメンがニッコリと笑っていた。
「沢木……先輩」
服部達同様に、イケメンは紅葉の知らない相手ではなかった。
沢木碧。女みたいな名前だが正真正銘の男である。碧と呼ぶと極悪なパンチが的確に急所へ飛んでくるのでオススメしない。
紅葉が沢木の名前を口にすると、なぜか彼は笑い顔から訝しむ顔に変わっていた。
「どうかしました?」
「いや、
「はい、そうです」
紅葉が敬語で返答すると、彼の顔はますます訝しんでいく。
「なんで敬語なんだ?」
沢木は紅葉が自分と同い年だから敬語の必要はないだろうと思っていた。しかし、紅葉にはそうはいかない理由がある。彼は沢木に身を引き寄せ小声で告げた。
「先輩は三年、俺は一年。意味わかりますよね?」
紅葉だって、敬語なしで話したいとは思っている。しかしこうも周りに他の一年生がいては砕けた調子では話せない。
「それはそうだが」
沢木としても彼の言っている意味はわかっている。しかし納得はしていない顔。
この後輩云々は入院中に服部達にも同じ事を言っており、その際も沢木と同じ反応だった。だから、紅葉はまったく同じ事を告げる。自分は決めた事を変えるつもりはないと。
「こっちは変えるつもりないので慣れてください、先輩」
「……仕方がない。慣れるとしよう、後輩」
はぁとため息をついて沢木は諦めることにしたようだ。
そんな沢木を見ながらうんうん、と頷きながら『しかしなぁ』と紅葉は考える。彼にとってこの敬語云々のくだりは、知っている三年に会う度起きるのが目に見えていて面倒だった。だから、どこかでまとめて伝えられないものかと思いながら、ふと疑問が浮かぶ。
「そう言えば、先輩はなんで俺を捕まえたんです?」
そう、沢木が自分を捕まえている理由がわからなかった。登校初日から風紀委員に捕まるような悪い事をした記憶はない。
「お前を捕まえた理由か? それは会長からお前が帰りそうだったら捕まえるようにと言われていたからだ」
「どういうことです?」
会長というのは生徒会長のこと。現生徒会長はあずさである。そのあずさからの指示で彼は捕まったらしく余計にわからなくなった。
「この後の事を聞いてないのか?」
「何かあるんですか?」
「聞いていないなら、楽しみにしていればいい。なに、悪いことじゃないさ」
どうやら何かあるらしいが、紅葉にはまったく検討がつかず、逆に不信感が増していく。
「ここに居れば迎えがくるはずだ。帰ろうとしても無駄だぞ。校門には服部が控えているからな」
「マジですカー」
それは絶対に逃げられないなと、深いため息が出る。その反応が良かったのか、沢木が笑っていた。
「なんです?」
「いや、なんでもない。俺は中を片付けてくる。大人しく待っていろよ」
「……了解です。いってらっしゃいませ」
言葉に不満成分を乗せて嫌みったらしく言うが、沢木は気にした様子もなく講堂の中へと去っていった。沢木がいなくなったことで、小さく息吐いてから空を仰ぐ。
「何が待ってるんだろうな」
誰に問いかけるでもなく、呟いた言葉は清々しく青い空に消えていった。