二〇九六年四月二十日金曜日。
パターンは二つ。
一つは時間ギリギリに起きて、猛ダッシュをするはめになる。もう一つは……
朝、七時五分。
いつものように目覚まし時計を無視して寝続ける紅葉に近づく影。影は爆睡している紅葉を見てため息一つついた後、両手で掛け布団をつかむ。そして、引っ剥がすと同時に露わになった彼の体に蹴りを一発くらわせた。
「ぐげっ?!」
「いい加減起きる! 朝ご飯、私が食べるよ!」
紅葉の部屋は畳部屋である。敷き布団の上でうっすらと目を開ける。自分を蹴った相手を見やるが、見なくても彼の中では誰なのかはわかっていた。
「姉貴、帰って、たのか」
「おはよ、朝ご飯ホントに食べるよ」
「止めてくれ。朝のエネルギー源がなくなるのは辛い」
紅葉はすっきりとは言えないが、しっかりと目が覚めている。彼女は蹴り慣れているため、どこをどの程度の力で蹴れば紅葉がすぐに目を覚ますかを熟知していた。
「だったら、早く居間に来る」
「はいはい、わかりましたよ」
双葉が部屋を出て行くのを見送ったあと、のそりと布団から起き上がり身支度を始めた。
「はよ、母さん」
「おはよう、紅葉」
居間に来ると母親の
「私はもう出るわ。戸締まりよろしくね」
「いってら~」
出て行く春奈を見送りながら、紅葉は用意されていた朝食の前に座り、テレビを付ける。流れるニュースを見ながら玉子焼に醤油をかけた。ニュースからは反魔法師報道が流れている。内心今日もかと思いながら味噌汁に口をつけた。
「最近、この手のニュース多いよね」
すでに朝食を済ませている双葉は、緑茶を片手に紅葉の対面に座りながら話かける。
ニュースでは『軍用魔法師の実態』と題され著名人がコメントを出し合っていた。
「昨日は優遇される魔法士官だったな。結局、言ってる事は同じだったけど」
今流れているのは、魔法師を利用する国防軍を非難する内容。昨日の内容は魔法師が依怙贔屓されていることを非難するものと両極端に分かれているが、どちらも魔法師と国防軍を結びつけて非難している点で共通していた。
「同じ事を言ってるのに、なんで論調が違うのかしら?」
「情報ソースの違いじゃねーの? 知らんけど」
その言葉はあながち間違いではないのだが、真相を知る機会は紅葉にはなかった。
「つーか、連日同じ内容で聞き飽きるわ。別のニュースはないのか」
そう言って次々とチャンネルを回していくが、どこも似たような内容だったので最終的にテレビの電源を落として、朝食を食べることに集中した。
双葉はまったりとしながら緑茶を飲み終え、時計を確認したあと「よし」と立ち上がる。
「さてと、私はそろそろ出るね。紅葉、遅刻しちゃダメだよ」
近くに置いてあったボストンバッグを肩にかけ、紅葉に手を振る。
「あいよ。いってら~」
それを味噌汁をすすりながら、振り返して見送ると、「行儀悪い!」と指摘を飛ばして出かけていった。
姉によって蹴り起こされた為、時間に余裕をもって家を出ることができた紅葉は、イヤホンをして好きな音楽を聞きながら学校までの道を歩く。紅葉の家は第一高校から徒歩30分圏内の距離にある。だから、遅刻しそうになっても交通機関の影響を受けずに猛ダッシュすれば間に合えるのだ。
第一高校に近づいていくと、ちらほら第一高校の制服を着た生徒を見かけてくるが、紅葉の知り合いには中々会わない。理由としては、キャビネットを利用している生徒が多く、駅は紅葉の家とは真逆に位置している。その為、知り合いと会うのは決まって校門前になっていた。
「阿僧祇ぃ」
そして、本日の知り合い第一号は七宝琢磨だった。
七宝は紅葉を見るや否や、憎らしい睨みを利かせてくる。しかし、紅葉はイヤホンをして音楽を聞いているのを理由に、気づかないフリをして通り過ぎていく。後ろから「おい!」とか「無視するな」とか言われているが、音楽の音量を上げさらに歩く速度を早めてさっさと教室へかけ入った。
「たく、朝っぱらから運悪いな」
教室につくと自分の席にドカッと座り込む。七宝とは、登校時間が同じ時があるのか中々な遭遇率になっていた。その度に紅葉は無視し続けているため、七宝の紅葉に対する苛立ちは相当なものになっている。
「財布でもすられたか?」
まだ、何の授業も始まっていないのにすでに疲れ切っている紅葉に近づくのは、龍善だった。
龍善の席は紅葉の二つ後ろなので、紅葉が来ればすぐにわかる。
「ああ、お前にすられた。今すぐ三倍にして返せ」
姿を見なくても、声で龍善とわかっていた紅葉は顔を上げる事なく、冗談を言い返す。その頭にポクっと軽い衝撃が入った。
「払えるか」
顔を上げると、頭に龍善の手刀が当てられていた。
「けちん坊め。よう、龍善」
「誰がケチだ。おはよーさん、紅葉」
この一連の冗談の流れが紅葉と龍善の朝の挨拶になっていた。ただ、これは時間に余裕があるときのみで、普通に挨拶を交わす場合もあれば、簡素に終わる場合もある。
その様子を少し離れた席から見ていたのは泉美だった。紅葉が教室に入ってくるなり疲れた様子が見えたので目を向けたのだが、龍善とやり取りしているのを見て、内心大丈夫そうですねと思いながら、目の前にいる友人の言葉に意識を向き直した。
つつがなく授業は進行し、放課後。
生徒会室で紅葉は泉美とほのかと一緒に深雪から生徒会業務の指導を受けていた。上座近くではあずさ、五十里、達也がなにやら話し込んでいる。
「それで、実験の許可はおりたんですか?」
「(実験?)」
声を潜める事なくあずさが達也に問いかけていたので、その会話は紅葉に聞こえていた。
「条件付きですが、承認になりました」
「(条件付きの実験? なんだそりゃ?)」
気になる単語が続いた為、紅葉の意識は生徒会業務説明からあずさ達の会話に向いていた。説明していた深雪は紅葉の意識が離れたことに気付きながらも、この説明はもうすぐ中断するとわかっていたので、特に指摘はしなかった。
「当たり前のことですが、先生の監督が付きます。それが条件ですね」
「(先生の監督が条件の実験。達也主導で中条と五十里がサポートか? 何するつもりだ)」
紅葉は、まだ話し合っているのがあずさと五十里だけなら、三年生の実験の話だと思えた。しかし、実験の許可を取る、主導で説明しているのが達也だった為、ただの実験ではない、しかも何かしらの意図がある実験を計画していると予想した。
そんな事を予想していると、来訪者を告げるチャイムが鳴った。
「
モニターを確認した深雪が誰なのか答える。
素早く立ち上がったのは泉美だ。少しもきびきびしているようには見えないが、一年生らしく上級生が対応する前にドアへ向かい廿楽教師を出迎えた。
廿楽が来たことで生徒会の活動は一時中断となった。生徒会役員全員が会議用テーブルに着いている。いつもは生徒会長が座る席に廿楽が腰を下ろし、生徒会室はミーティングルームに変わっていた。
「実験の手順は拝見しました。面白いアプローチだと思います」
給仕されたお茶で喉を湿らせて、廿楽は第一声を放った。
「それで司波君。役割分担はどのように考えているのですか?」
廿楽の問いに達也は迷うことなく説明を始めた。
「まず、ガンマ線フィルターは光井さんにお願いしようと思います」
「私ですか!?」
いきなり指名されて、ほのかが素っ頓狂な声を上げた。この時点で、ミーティングの詳細を知らないのは、紅葉、泉美、ほのかだったので無理もない。
しかし、紅葉は別の事で頭に疑問符が浮かんでいた。
「(ガンマ線フィルター?)」
ガンマ線フィルターとは、ガンマ線を散乱させて熱エネルギーを取り出し可視光線に変換する魔法だ。
そんな魔法を使う実験とはなんなのかと頭を巡らすが答えは浮かばなかった。紅葉が頭で考えている間、話は進み達也は次々と役割の指名を行っていく。
「クーロン力制御は五十里先輩にお願いします」
こちらは既に話がついていたのか、五十里は無言で頷いた。
「中性子バリアは一年生に心当たりがありますので、彼女にお願いしようと思っています」
達也のこのセリフに、紅葉には心当たりはなかったので泉美は知っているかと思い、対面にいる彼女を見る。その視線に気付いた泉美は心当たりはないと軽く首を横に振っていた。
「一年生に? 大丈夫なのですか」
廿楽も不安を禁じ得なかったのだろう。思わず、という感じで口を挿む。
「ええ。対物理防壁魔法に掛けては天性の才能を持っている子です」
「(そんな子いたか?)」
紅葉は記憶を引っ張り出そうとしたが、まだ入学して二週間程度しか経っていない。クラスメイトでさえ、魔法特性を把握していないのだから知らないのも無理はないなと思い至った。
「誰なのでしょう」
「名前は
一応と、紅葉は泉美を見るが先ほどと同様に首を横に振っていた。
「そうですか」
達也の説明を聞いた廿楽は安心した顔で前のめりになっていた姿勢を戻した。廿楽の態度の変化があっさりしすぎていて紅葉は疑問に思った。たぶん、達也と深雪の従妹だから安心したのだろう、と紅葉は解釈した。
「第四態相転移は誰に頼むかまだ決めていません。そして要となる重力制御は妹に任せようと思います」
こちらも五十里同様、既に話が決まっていたのか深雪は座ったまま小さく一礼した。
「妥当な人選だと思います」
廿楽が納得顔で頷く。
こうして達也の役割分担の説明が終わって、まだ決まっていない第四態相転移を誰にするかという話し合いが始まった。
その中で紅葉は自分が指名されることはないとわかっていたので、別の事を考えていた。
「(ガンマ線フィルター、クーロン力制御、中性子バリア、第四態相転移、それに重力制御。なんだ、核融合炉でも作る気か?)」
説明にあがった魔法の組み合わせで考えられる実験を片っ端から考えていく。仮にどれか正解であっても、それらを実行する意図が理解できなかった。
これ以上は頭がパンクすると思った紅葉は、思考を現実に戻すと、第四態相転移の担当者が決まったのか、壁面の大型スクリーンに実験のモデル図が映し出されていた。
「廿楽先生、実験の詳細を知らない人もいますので確認の意味でも一通り説明しておきたいと思うのですが」
それを待っていましたと、紅葉は達也の説明に耳を傾ける。そして、その説明を聞けば聞くほど、やれるのかと疑問に思ったが達也は最後にこう締めくくった。
「……このメンバーが協力し合いチームとして機能したなら、三大難問の一つと言われているこの実験を間違いなく成功させることができる。俺はそう確信しています」
こうして実験がスタートした。
恒星炉、難しすぎ。