二〇九六年四月十九日木曜日、昼。
新入部員勧誘週間最終日でもあるこの日。放課後を迎える前に、一つの小さな面倒事が紅葉のもとにやってきた。
四時間目が終わり、昼休みだと生徒達が動き出す中、紅葉は学食にするか購買でパンにするか悩んでいた。一昨日は放課後に向けて体力を確保する為に学食でがっつり食べていたが、大して忙しく無かった為その体力がかなり余ってしまった。そして昨日は、一昨日のように体力を余らしたくなかったので、購買でパンを買って少なめにしたのだが、激務にあい枯渇した。このように選択肢がかみ合わず大変な目に(自業自得)あっていたので、今日の選択は慎重になっていた。
「紅葉、学食行かないか?」
そこにクラスメイトの
新入部員勧誘週間初日に七宝と衝突していた風紀委員で、その仲裁に入ったのが紅葉だった。その後クラスメイトということもあり、お互いの事を名前で呼ぶようになっていた。
「学食か。そうだな、バランス良く定食にでもしておくかな」
パン二個では心許なく、炭水化物×炭水化物では重い。ならバランスのとれた定食をとった。
「そんじゃ行くか」
「ああ」
席から立ち上がり、龍善と共に教室を出る。学食に向かって、二人は並び歩く。
この二人は一年生の中でもとにかく目立つ。紅葉は身長が高く大人びた雰囲気を放っていて、男子からは怖そうだけどかっこいいと思われ、女子からは目を惹く存在だった。龍善はつるりとした坊主頭の為、男子女子両方から好奇の目が向けられていた。
だから彼女は二人を簡単に見つける事ができた。
見つけた後、駆け足で二人に近づき、その片方である紅葉の背中をロックオンする。
「あーそうっぎ!」
「あだっ?!」
そして、七草香澄は背中を思いっきりバチンと叩いた。
「香澄、てめえ何しやがる!」
紅葉がすぐに香澄だと気づいたのは、背中を叩いた後、紅葉の横を通り過ぎて前に立っていたからだった。
「あの時のお返しに決まってるじゃん」
あの時のお返しとは、七宝と一緒に鉄板を頭に叩きつけられた事を言っている。
「なら、今のでチャラって事でいいな?」
叩かれた背中をさすりながら、姿勢を正す。
すでに紅葉は謝罪の意味を込めてジュースを奢っていたが、香澄はそれでは許さないB定食を奢れと要求していた。紅葉はその事を忘れていなかったが、自分から奢りに行く気がなかった為、ずっとスルーしていた。そしてそのまま忘れてくれと願っていた。
そこに今の攻撃である。香澄本人がお返しと言った事で、B定食を奢らなくて済むと思ったがそうではなかったようだ。
「なに言ってんの? 今から奢ってもらうんだよ」
きっぱりはっきりそう言い切った。
「うげ、マジか」
「紅葉、なんの話だ?」
香澄の登場から一気に置いてきぼりをくらっていた龍善が、気を取り直して状況把握に動き出した。
「あー、簡単に言うとな、香澄に脅されて「ちがーう!」ちっ」
事の経緯を正直に言ってしまうと80%程自分が悪いと思われてしまうのがわかっていたので、捏造しようとしたら即否定が入ってしまい舌打ちする。
「籠坂、騙されるな! そいつはボクの頭を鉄板で叩いたんだよ」
ちなみに香澄と龍善は同じ風紀委員なのでお互い面識がある。
「お前、いくらなんでもそれは」
場面を想像したのか、龍善の顔が痛そうに歪んでいた。
「いや、こいつが七宝とトラブってたから、それを止める為に仕方がなくな」
香澄の説明だけでは100%自分が悪いように聞こえたので、それに至った原因(20%の部分)を言い返した。
「そうだとしても、女の子の頭に鉄板はダメだろ。それはお前が悪い。だから、七草に奢ってやれ」
しかし、龍善は紅葉の味方にはならず、香澄側についていた。
思わぬ援護射撃に香澄が勢いづく。
「そうだそうだ!」
そして思わぬ裏切りに形勢が一気に傾き、これ以上時間を使うと食べる時間がなくなると思った紅葉は敗北を認めるしかなかった。
「ちくしょう。わーったよ、奢りゃいいんだろ」
「よしっ」
香澄は紅葉の敗北宣言を聞いて、グッと拳を握り肘を引いたガッツポーズをしていた。
こうして小さな面倒事は紅葉の敗北で幕を閉じた。
放課後。
二日目に大乱闘が起きたグラウンドの外縁を見て回る。グラウンドでは三つの部活がしっかりとルールを守って演習を行っていた。
「なあ、いずみん」
気の抜けた声で、呼んだことのないあだ名で呼びかけると、すぐに返ってきた。
『次、それで呼びましたら怒りますよ』
すでに怒気が多分に含まれた状態で。
「もう、怒ってるじゃねーか。まあいいや。泉美、暇だから帰って『怒られたいのですか?』うん、なんでもない」
より怒り成分が加わった声で返されては前言撤回するしかない。
「とはいえ、最終日は平和だな。昨日が嘘のようだ」
昨日はあちらへこちらへと駆け回って問題の対処にあたり、体力が枯渇したというのに今日はまだ走る事さえしていなかった。
『昨日の最後に深雪先輩が対応にあたられましたから、今日はその影響ではないでしょうか?』
「あー、なんだっけ? 深雪先輩の魔法が炸裂したんだっけか」
紅葉はあっちこっちと駆け回ってっていた為、見る事はなかったが、とある部活間の問題が中々鎮火しなかったことを受け、深雪が対応にあたって強制的に鎮めた一幕があった。
「視覚的恐怖を体験して、その情報が回りに回って今日問題を起こすのは誰もがマズイと思い、穏やかになったと。納得だな」
実際に紅葉は見ていないが、人伝に聞いていて場を想像しただけで身震いをしていた。リアルタイムで見た人達の恐怖は計り知れないだろう。
「見れなかったのは残念だな」
『深雪先輩の魔法ですか?』
「ああ」
紅葉は服部達から当時一年生(現二年生)の何人かがすごいという話を聞かされていた。その筆頭が司波深雪だった。
一年生でありながら氷炎地獄やニブルヘイムを使ったと聞いた時は、ピシッと1分は固まった記憶がある。
さすがに、部活間の問題で氷炎地獄などを使う事はないと思うが、深雪の魔法は直に見ておきたかった。
「まあ、近いうちに見られるか」
『どうして見られるとわかるのですか?』
「どうしてって、九校戦があるじゃねーか」
この勧誘週間が終われば、次のイベント全国魔法科高校親善魔法競技大会、通称九校戦が行われる。
『確かに。では、またあの美しい深雪先輩が見られるのですね』
泉美は去年の九校戦で活躍した深雪を思い出したのか、トリップ状態に入った。
「おーい、泉美ー? ダメだこりゃ、当分戻ってこないな」
当分、泉美のサポートが機能しなくなったが、今日の空気ではこのまま何もないまま終わるだろうなと思いながら、紅葉は巡回に戻っていった。
その後、紅葉の予想通り、特に問題が起こる事はないまま、新入部員勧誘週間は終了した。