ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第八話

「さて、なにを食べようか」 

 

 午前中に簡単な事務作業をやり終えた綾霧は、遅めの昼食を取るべく一人で街へと繰り出していた。

 いつもはコンビニやスーパーで弁当を買うなど、比較的簡単に済ませることも多いのだが、気分転換も含めて外で食事しようと少し遠出してきたというわけである。

 

「……」 

 

 気分転換――ここ数日、彼の頭を悩ませているのは“新しいアイドルをスカウトして来て欲しい”という社長の言葉だ。

 その間、通常業務をこなしながらも彼なりに探してはいたのだが、やはりそう簡単に見つかるものではない。楓という逸材が普段から近くにいるので、無駄に求めるハードルが上がっているのも関係しているのかもしれないが。

 

「パンにするか、ご飯にするか。いや麺類って手もあるな」 

 

 その楓だが、今日は休日なので朝からこちらには来ていない。

 ここ最近はなにをするにも彼女と一緒だったので、隣に楓がいないという光景に少し違和感を感じてしまう。メニューに悩みながらも、ふと自身の隣に目線をやってしまうのは、その影響の現れだろう。

 

「もう少し歩いてみるか」

 

 入る店を物色しながら辺りを歩くのが思いほか心地良かったので、結局彼はすぐに決めることはせずに散策を続けることにした。

 幸いそれほど空腹を感じてはいなかったので、このまま件のアイドル探しに行くのもアリかもしれないと歩みを進めていく。

  

 ――どういった人物をスカウトするべきか。

 

 それを考えるに当たって、真っ先に彼の頭の中に浮かんできたのは、以前楓と一緒に訪れた居酒屋で出迎えてくれた安部菜々という名前の店員のことだった。

 長時間会話したというわけではないし、なにか特別なことがあったわけでもない。それでもその安部菜々という名前の少女? のことはかなり強烈に綾霧の脳裏に刻まれてしまっていた。

 端的に言うと惹かれるものがあるのだ。

 彼女をアイドルとしてプロデュースするのは面白いかもしれないと、かなり本気で思っている。ただ楓と一緒に仕事をすると想定した場合、あまり噛み合わないのではないかとの懸念もあった。

 見た目的に楓よりも年下だろうし、身長も随分と小柄だ。やはり二人目をスカウトするとしても、楓に負担のかからない――言ってしまえば“合う”相手のほうが良いと考えていた。

 例えば二人でユニットを組むという可能性もあるのだ。

 優先順位としての一番はどこまで行っても楓なのである。

 

「……」

 

 もちろん、実際に彼女をスカウトしたとして、楓と相性がバッチリ合うという可能性もある。あくまで現時点の情報と直感ではそうじゃないかと思っているだけなのだ。

 どちらにしても、相手方の事情もあるし、おいそれと決めれる事項ではないのは確かだった。

 

「あれ? こんなところに本屋があったんだ」

 

 そんなことを考えながら歩いていた彼の前に、一軒のブックショップが現れた。目新しい外装や雰囲気から、ここ最近オープンした店なのだろうと当たりを付ける。

 

「ちょっと入ってみるか」

 

 興味本位で自動ドアを潜る綾霧。そんな彼を“いらっしゃいませ”と店員が明るい声で迎えた。

 まず彼の目に入ってきたのは、所狭しと並べられている新刊の数々だった。種類も多く、品揃えは豊富だ。開放的に作られた店内は通路の幅は広く、本に囲まれても圧迫感のようなものは感じない。

 随分と流行っているのだろう。店内には幾人もの客の姿があり、雰囲気も良い。

 彼は取りあえず、入り口付近に作られていた特設コーナーへと足を向けてみた。そこは最近発売した人気作品が集められた箇所で、いわゆる店の看板的な役割を果たしているコーナーだった。

 陳列された作品の中には、彼でも名前を知ってる有名な作品も少なくない。その中から彼は、残り一冊だけとなっていた本に手を伸ばす。

 作品に興味があったというよりも、残り一冊という状況が目を引いただけなのだが、運が悪いことにそこで誰かと“かち合って”しまった。

 ちょうど綾霧が本を手に取ったタイミングで、横から現れた誰かの手も本を掴み取ってしまい――状況的に二人で一つの本を手に取っているという珍妙な場面が作られてしまったのである。

 

「あ……すみません」

 

 蚊の鳴くような小さな声は綾霧の右手から。

 そこにいたのは、ストールを肩から羽織った黒髪の少女。彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべたまま、彼に目線だけをくれていた。

 

「いえ、こちらこそ。申し訳ない」

「あ……」 

 

 少女が手を引いてしまう前に、綾霧から本を手放す。これで必然的に本は黒髪の少女の手に残った。

 

「あの……これ……」

 

 タイミング的に綾霧のほうが少しだけ早く本を手に取っていたので、どうしていいのかわからず本と彼とを交互に見つめる少女。そんな彼女に向かって、綾霧が自分は辞退するという意味の言葉を返した。

 

「ちょっと手に取ってみただけなので、良かったらあなたがどうぞ」

「え? でも……いいん……ですか?」

「もちろん構いませんよ。――って別に俺の本じゃないですけどね。あはは」

「……ありがとう、ございます」

 

 安堵したように表情を軟化させて、少女が両手で本を手に取った。それから視線を本の表紙へと落とし込む。

 

「……この本、とても人気のある作品で、何処も売り切れてしまっていたので……探していたんです」

「それなら尚更あなたが持ったほうが良い。俺が買っても置物になるだけですから」

「置物……あまり……本は読まれないのですか?」

「昔は結構読んだんですけど、今は色々忙しくて読書に割く時間が減っちゃって」

「そうなのですか。いつか……ゆっくりと読書できる環境が……整うと良いですね」

 

 大切そうに本を抱いたまま会話する少女を見て、とても雰囲気のある娘だなと綾霧は思った。もし本の中から“読書が好きな少女”を切り取り、この場に顕現させたら目の前の娘になるのではないか。そう思える程に本屋という場にマッチしている。

 その中でも特に彼の目を引いたのは彼女の瞳の綺麗さだった。

 まるで何処までも見通せる透明度を誇る湖のように、青く、青く澄んでいる。彼女の瞳を覗き込むだけで、純真無垢という言葉が自然と脳裏を過ぎるほどだ。 

 

「あの……なにか私の顔についていますでしょうか。じっと見つめられると、その……」

 

 綾霧に見られているのに気付いたのだろう。少女が伏目がちに俯いて視線を逸らす。その段になって綾霧は、初対面の相手に対して少々不躾だったなと反省する。

 

「ごめんなさい。別に他意があって見ていたわけじゃなくて、その――」

「ああ、もしかしてこのヘアバンドを見られていたのでしょうか。大きい……ですからね」

 

 綾霧の言葉を勘違いしたのか、少女が自身の頭に付けている白いヘアバンドに手を添えた。確かに少女の言う通り、大きめのヘアバンドは強く一目を引くだろう。

 但しこの少女に限って言えば、身に纏う雰囲気や容姿のほうが一目を引く要因としては勝ってしまっているのだが。

 

「似合ってますよ、そのヘアバンド。お時間を取らせてしまってすみませんでした」

「いえ…………こちらこそ。それでは、失礼致します」

 

 綾霧に軽く会釈をしてから少女がその場を去っていく……と思いきや、一歩進んだ場所で彼を振り返ると

 

「あの、鷺沢文香と申します。今日は、ありがとうございました」

 

 名乗るのが彼女なりの精一杯のお礼の気持ち。そう言わんばかりに、文香と名乗った少女は彼に向かってペコリと頭を下げてから、本をレジへと持って行った。

 彼女が本屋を出てから、綾霧も遅れてそこを出て行く。元々興味本位で中に入っただけなので、物色する気になれなかったのだ。それから彼は、近くにあったカフェでランチを取ってから事務所へと戻って行った。

 

 

 

「ただいま」

 

 最寄り駅から徒歩十分。比較的最近に建てられたマンションで綾霧は一人暮らしをしていた。

 内装は1Kでバストイレは別々になっている。都内であるためそれなりの家賃は取られていたが、半分は事務所が持ってくれているので彼の給料でも問題なく払えていた。

 

「って言っても、誰もいないけど」

 

 昼食後も普通に働いてからの定時上がり。帰宅途中のコンビニで買った弁当を袋に入った状態のままテーブルに置いてから、彼は壁際に設置してある冷蔵庫に歩み寄った。

 扉を開いて中からお茶を取り出し、中身をコップに注ぎ込む。そしてそれを一気に飲み干してから大きく息を吐いた。

 

「……鷺沢文香、ちゃんか。綺麗な子だったな」

 

 昼に本屋で出会った少女を思い浮かべ、独りごちる。

 とても印象深い相手だったので、プロデューサーとしてもう少し積極的に行動するべきだったか――名刺くらい渡せば良かったかも――と心の中で反省した。

 連絡先の知らない相手を見つけ出すことはもはや不可能に近い。もう一度出会えれば何らかの行動は起こせそうだが。そう思いながら空になったコップにもう一度お茶を注いでテーブルへと持って行く。

 

「ま、取りあえず飯でも食って落ち着くか」

 

 ご飯を食べて、お風呂に入って。そうすれば少しくらい考えも纏まるだろう。そう思った矢先、彼のスマホが軽快な着信音を鳴らしてきた。

 慌ててスマホを取り出し、相手の名前を確認する。

 ディスプレイには社長の名前が表示されていた。

 

「もしもし、綾霧です」

『おぉ今日も一日お疲れさま! もう家に着いた頃合?』

「さっき帰ってきたところですよって、なんで知ってるんです?」

『事務所に連絡して聞いたから。まあそんなことはどうでもいいんだけど。実は綾霧に報告があって連絡したんだ』

「報告、ですか?」

『そそ』 

 

 社長の口調は軽いが、適当なことでわざわざ連絡してきたりはしないだろう。そう思って綾霧がぎゅっと身を引き締める。

 

「聞きましょう」 

『えっとね、飛び入りでオーディションした子を一人採用したから。その報告』

「………………は? いや、今、なんて――」

『だからアイドルを一人採用したの。明日アンタと顔を合わせるけど、一応先に言っておこうと思って』

「――っ」

 

 社長の言葉を受けて、文字通り完全に絶句してしまう綾霧。

 様々な思いが胸中を駆け巡るが、言葉として全く出て来ないのだ。

 

『んっふっふ。聞いて驚け。なんと元地方局のアナウンサーだってさっ! 担当はもちろんアンタにしてもらうから』

「……今日出掛けてたのって、もしかしてそれ関係だったりします?」

『うん当たり。相手の強い要望があってねぇ。でも楓ちゃんに負けないくらいの逸材だよ! 方向性はちょっと違うけど』

「…………取りあえず色々と言いたいことはありますけど、今は置いておきましょう。じゃあ俺が今やってるアイドルをスカウトするって話は終わりってことですか?」

『なんで?』

「なんでって、え?」

『それとこれとは話が別だからね。アンタの眼鏡にかなうと思った子がいたらスカウトして来て欲しい。それは今後も変わらない』

 

 断言するように強く言い放ち、社長が綾霧の反論を事前に防いでしまう。

 

『詳しくは明日事務所で会ってから話そう。――ああっと、新アイドルの名前は川島瑞樹ちゃん。楓ちゃんより年上だからそのあたりうまくやってね。じゃあ!』

 

 その言葉を最後にして社長が通話を切った。

 なんだか台風みたいな電話だったな。そう思いながら切れたスマホを見つめる綾霧。だが気持ちが落ち着く前に再びスマホが着信音を奏で出した。

 何か言い忘れたことでもあったのか。そう思って彼は相手の名前を確認せずに電話に出て――

 

『こんばんは。高垣です』

「か、楓さんっ!?」

『はい。楓ですけれど。プロデューサー、今ってお電話大丈夫ですか?』

 

 思わぬ相手の登場に、素っ頓狂な声で応答してしまった。

 

「だ、大丈夫です、大丈夫です。ちょっとさっきまで社長と電話してて」

『ああ、それで』

 

 楓の納得したような声音がスマホを通して聞こえてくる。それで整理がついたのか、彼女が本題に入ってきた。

  

『あのプロデューサー。もう今日の夕飯は食べちゃいましたか?』

「いえ、まだですよ。これから食べようかなって思ってて」

『用意しちゃってます?』

「全然。欠片も用意してません」

『ああ良かった。ならこれから私と飲みにいきませんか? 誘っても……いいんですよね?』

「も、もちろん」 

 

 以前楓に飲みに行きたい時は遠慮なく誘ってくれと伝えていたが、まさか本当に誘われるとは思っていなかった。社交辞令では無かったが、もし次があるとしてもそれはまた自分から誘うことになるだろうと。 

 

「いいですよ高垣さん。飲みに行きましょう! それで行く場所とか決まってるんですか?」 

『えっと、今から○○の駅前まで出てこられますか? 私の行きつけがあるんですけど』

 

 楓に言われた駅名を瞬時に脳内に転写し、逆算して到着時刻を割り出す。このあたりはプロデューサーとして色々やってきた際に身についた技能の一つだ。 

 

「そうですね。たぶん一時間以内には行けると思います」

『なら駅を出てすぐ前がロータリーになってますから、その付近で待ってます。到着したら私に電話してください』

「わかりました。なるべく早く行きますから」

『はい。待ってますね』

 

 楓との通話を切るや否や、綾霧は買ってきたコンビニ弁当を冷蔵庫に放り込むと、いそいそと出発の準備を始めたのだった。

 

 

 


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