ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第六話

『すごい美人だったよな!』

『なんでも元モデルさんらしいぜ。ちょっと面白い人だったし、俺ファンになっちゃったかも』

『この後ライブあるらしいじゃん。見てこうぜ』

 

 楓のアイドルとしての初仕事である握手会は、盛況と言って良い状況で幕を閉じた。大人数が押しかけてくるといったことは無かったものの、ファンの列が途切れて彼女が暇になるなんて事態にはならなかった。

 それはきっと楓の人を惹きつける力もさることながら、大作ゲームの発売日が重なった等の外的要因もあったのだろう。

 身も蓋もない言い方をすれば運が良かった部分もある。

 それでも握手会を経た上で楓に興味を持ってくれる人が出てくれるのは、彼女本人にアイドルとしての魅力があったればこそだ。

 

「お疲れ様でした綾霧さん。いやぁ良い子見つけたみたいですね。高垣楓さん――評判上々でしたよ」

「ありがとうございます。こちらのスタッフさんの手際が良くて、スムーズに事が運んだおかげです」 

 

 現場の責任者と綾霧が、主役が去った後の会場を前にして肩を並べていた。大きな混乱もなく、つつがなくイベントを終えることができたおかげか、綾霧がほっとした表情を浮かべている。

 初仕事――表舞台に立ったのは楓だが、プロデューサーである彼もまた緊張していたのだ。

 

「いやいや。初仕事と聞いていたんですが、堂々としたもんでしたよ。記念品、もう少し用意したほうが良かったかもしれませんねぇ」

「そう言って頂けると高垣も喜ぶと思います」

「その調子でこの後のライブもお願いしますね。三十分後、私も楽しみにしてますんで」

 

 お世辞込みだと考えても、相手方の反応が良いと気分が乗ってくるもので、自然と彼にも笑顔がこぼれてくる。だが会話にも出ていたが、この後にライブという大仕事が控えているので、気分を引き締めるべく表情を刷新する。

 

「それは、もう。では高垣の様子を見て参りますので、この場は失礼します」

「はい。控え室はバックヤードに入って右手にあります……って知ってますよね。プロデューサーなら。ははは」

 

 じゃあ私も失礼します。そう相手が付け加えて踵を返した。

 

「よし、俺も気合入れるかっ」

 

 裏方には裏方のやるべきことがある。

 綾霧は心の中で拳を握りこみながら、楓がいるであろう控え室を目指して歩き出した。

 

 

 道中を移動しながら綾霧が腕時計で時刻を確認している。

 脳内で逆算して、恐らく楓のステージ衣装への着替えは終わっていて、今は控え室で待機しているだろうと当たりをつけた。それと平行し、まず彼女に会ったらどう声を掛けるべきかも考える。

 まずは労い、褒めるべきか。それとも衣装に関しての感想を言うべきだろうか。

 実は楓がステージ衣装を身に纏った姿を見るのは初めてになるので、そういう意味でも楽しみにしていたのだ。とはいっても辿り着くまでに時間がかかるわけもなく、考えが纏まる前に控え室に到着してしまった。

 

「……」

 

 その場で軽く佇まいを直してから、扉をノックする。すると中から楓ではない女性の声で応答があった。 

 

「はい、どうぞ。開いてますよ」

 

 予想とは違う反応が返ってきたことに驚いたが、深呼吸することで気分を落ち着ける。それからゆっくりと扉を押し開いた。

 室内にいた人物は二人。

 一人は緑色のステージ衣装を身に纏い、壁際の椅子に座っている楓。もう一人は彼女の隣に立っている妙齢の女性だった。返事をしてくれたのはその彼女のほうだったのだろう。

 楓への接し方を見るに、スタイリストさんなんじゃないかと綾霧は予想する。

 

「あぁ良かった。あなたが彼女のプロデューサーさんだよね?」

「はい。高垣の担当の綾霧ですが――」

「実は彼女、初ライブに向けてすっごく緊張しちゃってるみたいでさ。ちょちょいと解してあげてよ」

 

 こちらに向かって歩きながら、スタイリストさんが綾霧に向かって笑顔をくれる。そして扉口に立ったままの彼の元まで歩み寄ると、すれ違いざまに肩を軽くぽんっと叩いた。

 

「後は頼んだからね、男の子。――じゃあ楓さん、ライブ楽しみにしてるから!」

 

 バトンタッチとばかりに、スタイリストさんが軽く挨拶をした後で室内を出ていく。多分彼が訪れるまで、楓の会話相手になってくれていたのだろう。

 閉じられた扉を横目にしながら、綾霧は心の中で彼女に感謝した。

 きっと単純な“場数”という面では、楓や綾霧よりもスタイリストさんのほうが経験豊富だろうが、そんな彼女が彼に任せるべきと判断するくらい楓は緊張している様子だった。

 

「お疲れ様です、高垣さん。握手会とても良かったですよ。ファンの方も喜んでいたと思います」

「ありがとうございます。無我夢中でやっていたら、いつの間にか終わっていました」

 

 身体の向きを変えながら、楓がぎこちない笑顔で彼に答える。疲れているというより、精神が張り詰めているのだろう。

 

「私、ちゃんと笑顔でできていましたか?」

「はい。笑えてましたよ。最初はちょっと覚束ない感じでしたけど、それもすぐに消えて」 

「良かった。きっとプロデューサーに頂いたアドバイスのおかげですね。楽しかったことを思い浮かべてみたらって。……ふふ、なんだか良く効くお薬みたいでした」

「高垣さんの実力ですよ。ライブも、頑張りましょう」

「はい……と言いたいのですが、駄目みたいです。緊張、しちゃって……」

 

 そう言った楓が、自身の右手首を左手でぎゅっと握り込んだ。

 

「手が、震えるんです。ステージに立っている自分を想像したら、怖くて……。壇上では一人ですし」

「高垣さん……」

「駄目、ですね、私。頑張らなきゃって。失敗したらいけないって。大切なステージなんだって思えば思うほど、身体が竦んでしまって……」

 

 きゅっと唇を噛みながら、楓が俯いてしまった。それに合わせ、彼女の頭に飾られている大きなリボンが一緒に揺れた。

 プレッシャーを感じている――なにしろ人生での初のライブだ。緊張するなというほうが無理な話である。しかも楓は人見知りの傾向もある為に尚更だろう。

 

「――」

 

 ここで楓の担当プロデューサーである彼は何をすべきなのか。

 彼女の緊張を解し、気持ち良くステージに立ってもらう。それは大前提として分かっている。だが方法が判然としないのだ。

 褒めて、宥めて、励まして。叱咤激励なら幾らでも思いつくことができる。室内に入った時から目を奪われてしまっていた楓のステージ衣装に対する感想を、今こそ口にするべきかもしれない。

 だけど、それだけじゃ足りない気がした。

 楓の立場に立った時に、言葉だけじゃ伝わらない気がしたのだ。

 

「高垣さん。少し、歩きませんか?」

「え? 歩く……んですか?」

「ええ。ちょっとそこまで。気分転換になるかもしれませんから」

 

 結局彼は悩んだ末に、飾らない思いを彼女に伝えられたらと、楓を外へと誘ったのだった。

 

 

「あの、プロデューサー? 何処に、行くんですか? 時間が……」

「いいから着いて来てください。すぐそこですから」

 

 室外へと楓を連れ出した綾霧は、有無を言わせない勢いでずんずんと進んでいく。こういった場合、多少強引にでも行動に移したほうが良いと思ったからだ。

 そして彼の“すぐそこ”の言葉通り、程なく目的地へと到着する。

 そこは特設ステージへと続く舞台袖だった。

 薄暗いその通路は、ライブ前だということもあり幾人ものスタッフが行き来している。その場に立った綾霧が、楓にステージのほうを見るように促した。

 

「あ……」

 

 ――“特別な豪華なステージ”ではなく“特別に設えられたステージ”。

 急ごしらえのそれは質素で収容人数も少なく、バリケードも簡素なものだ。けれど、既に幾人かの人がその場に待機している姿が見て取れた。

 

「見えますか、高垣さん。みんな、あなたのファンですよ。皆さん、あなたの登場を待っているんです」

「私の、ファン……?」

「切欠は興味本位かもしれません。それでもあなたの歌を聴くためにこの場に集まっているんです」

 

 楓の言葉を綾霧が力強く肯定する。

 

「先ほど高垣さんはステージでは一人だと言いましたけど、目の前にはファンがいます。アイドルってファンと共に歩むものだと、俺は思うんです」

 

 偉そうに言える立場じゃないのは分かっている。それでもプロデューサーとしての矜持は持っているつもりだ。

 実は綾霧自身も酷く緊張していて――しかし楓のそれが比じゃないことくらいは理解できている。

 だからこそ、拙い言葉でも伝えたくて。彼女の手助けをしたくてここに連れてきたのだ。

 

「一人だったら心細い。よく分かります。でも目の前にいる人はみんな高垣さんの味方なんです。スタッフさんだって――会場の設営に携わってくれた人や裏方さんだっています」

「……」

「初めてのライブです。失敗したっていいじゃないですか。後で俺がフォローしますよ。振り付けだって最小限でいい。想いを込めて歌ってください」

「想いを、込めて――」

「はい。それに俺も、純粋にあなたの歌を聴いてみたいって思ってますから。ライブ、楽しみにしてるんです」

「本当……ですか、プロデューサー?」

「嘘なんか言いませんよ。だって俺、あなたのファン第一号ですからね!」

 

 モデル高垣楓のファンは以前からいただろう。もしかしたらこの会場にも来てくれているかもしれない。けれどアイドルとしての楓のファン第一号の座だけは譲れない。

 それは彼女を見出した自分だけの特権であると彼は思っている。

 

「アイドル高垣楓のライブを、俺達に見せてください」 

「……ありがとうございます、プロデューサー。なんだか少し気持ちが落ち着いたような気がします」

「お役に立てたなら何よりです」

 

 楓が安心するようにと、柔らかい笑みを浮かべる綾霧。

 だがその効果を確かめる前に、一言だけ付け加えるべく彼が楓の名を呼んだ。

 

「……あと、そうだ高垣さん」

「はい?」

「えっと、ここって少しだけライトがくライト思いませんか?」

「え? あ、はい。そうですね。ちょっと薄暗い……かも」

「ですから――――あなたが輝かないと。ね?」

「っ!?」

 

 その言葉を受けた瞬間、楓の全身に稲妻に打たれたような衝撃が走った。

 トクン、と心臓の跳ねる音がする。

 

「……」 

 

 ぎゅっと胸の前で両の掌を握り込んで、唇を真一文字に結ぶ彼女。

 表情は硬いが、彼女なりの決意は固まった様子だ。

 

「――ステージ衣装、とても似合ってます。さあ、行きましょう」

「はい!」 

 

 差し出された彼の手を、楓がそっと握り込む。

 今度こそ彼女の身体の震えは、止まっていた。

 

 

 

 一度控え室に戻ってから準備を整えて、楓がステージへと昇る。

 豪華な照明もなく、飾りつけもない。簡素な特設ステージ。観客の姿もまばらで、とても満員といえる状態ではなかった。それでも彼女にとって少なくない人の前でのライブである。

 

「あの……」

 

 軽く一言だけ喋ってみる。するとマイクを通して拡大された音が響き渡り、楓に軽い衝撃を与えた。それに動揺したわけではないだろうが、彼女はチラっと舞台袖にいるプロデューサーに目線を走らせる。

 それを見た綾霧が、力強く頷いて返した。

 

「今日は来てくださってありがとうございます」

 

 視線を観客へと戻し、楓がライブ前の挨拶を始めた。

 未だ緊張感は強く彼女の全身を支配している。けれど身体は動くし、言葉も話せる。

 前を見て歌うことが出来る。

 

「実は、本日が私のデビューライブになります。初めてのことで、失敗するかもしれません。ですが精一杯、頑張って歌いますから――」

 

 唾液を飲み込み、彼女なりの間を作る。

 ともすれば挫けそうになる心を、目の前にいる観客の姿を、ファン一人一人の姿を追っていくことで奮い立たせていく。

 

「楽しんでいってください」

 

 彼女のその言葉を皮切りにして、伴奏が流れ始めた。しかしそのアイドルらしからぬイントロの響きに、会場がざわつき始める。

 けれど、それも、一瞬のこと。

 彼女が歌い始めると同時に全ての音が会場から消えた。

 いや、曲の伴奏と楓の歌声以外の音が消えたのだ。

 

「――」

 

 朗々と響く歌声に魅入られていく。

 会場にいる誰もが、壇上の歌姫の姿に視線を釘付けにされた。

 緩やかに舞うような所作。緑色の衣装は光を受けて輝き、更に楓の姿を観客に強く印象付ける役目を果たす。

 ――暇だったからちょっと聴いていこうか。

 ――美人だったしどんな歌を謳うんだろう。

 ――なんかイベントやってるみたいだし覗いて行くか。

 そんな興味本位で訪れていた人でさえ、心奪われる。

 

 ――“こいかぜ”――

 楓のために作られた彼女だけの曲。その流れゆく旋律に人々が酔う。

 

『――踏み出す力下さい』

 

 それは五分強という短い時間の出来事だった。

 曲が終わって最初に訪れたのは沈黙。小さく、小さく、楓の呼吸する音だけが辺りに響く。そんな静寂を誰かの最初の拍手が打ち破って――続けて会場中から拍手の渦が巻き起こった。

 歓声が上がる中で、両手を突き上げる人の姿も見える。

 観客全体の人数が少ない為、大歓声とまではいかないが、誰の顔にも笑顔が浮かび、このライブが成功だったことを壇上の楓に伝えてくれていた。

 

「あ、ありがとうございました!」

 

 深く頭を下げてファンに礼を返す楓。それから彼女は、舞台袖にいる綾霧の元へと駆けて行く。

 

「プロデューサーっ!」

「素晴らしいライブでした、高垣さん!」

「わたし……わたしっ……」

 

 胸の奥から込み上げてくるものがあるのか、楓がしゃくりあげながら必死に何かを伝えようとする。けれどうまく言葉が続かない。そのことが凄くもどかしく感じるのに、それも相手に伝えられない。

 ジレンマ。 

 

「あれ? 嬉しいのに……涙が……」

 

 楓の目尻にうっすらと涙が浮かび上がっていて、彼女がそれを指で拭っている。張り詰めていた緊張の糸が切れて、塞き止めていたものが溢れ出したのだ。

 その仕草は普段の大人びた彼女よりも、随分と幼く見えて――

 

「こんなの変、ですよね。私――」 

「全然、変じゃありません。……変じゃ、ないですよ」 

 

 むしろ可愛いと思ったが、それを口にすることは出来なかった。

 楓ほどではないが、綾霧もライブが成功したことに興奮していたのだ。

 

「高垣さん。一度、控え室に戻りましょうか。話は落ち着いてから」

「……はい」

「あのぅ、お取り込み中のところすみません。ファンの方が出来れば一緒に写真を撮って欲しいと申し出てきているのですが……どうしましょう?」

「わっ!?」 

 

 文字通り取り込み中のところに、スタッフの一人が申し訳なさそうな感じで声をかけてきた。

 それを受けて顔を見合わせる綾霧と楓。

 

「やはり断わったほうがいいですかね?」

「ええっと、何人くらいファンの方いらっしゃいます?」

「十人ちょっとくらいですね。集合写真でもいいから記念に一緒に撮りたいと言われまして」   

 

 目で隣にいる楓に合図をし、彼女からの了承を得て綾霧が頷く。

 

「いいですよ。俺が撮りましょう。さあ楓さん。もう一度ステージへ」

 

 残っていた十人と少しのファンと楓との集合写真。

 ステージ上から撮ったそれは、きっといつまでも彼等、彼女等の心に残り続けることだろう。

 

  


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