ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第五話

「握手会、ですか?」

「そうそう握手会。記念すべき楓ちゃんの初仕事だよ。やったね!」

 

 手狭な応接室の中に楓と綾霧、そして社長の三人が集まっていた。構図的には楓と綾霧が並んで座っていて、対面に社長が陣取っているという按配である。

 その社長がテーブルの上に置いてあるお菓子入れの中から煎餅を一つ掴み取ると、そのまま豪快にバリッっと噛み砕いた。

 

「綾霧が取ってきた仕事だよ。雑用時代のコネが効いたっていうか、ま、詳しくは彼に訊いてくれ」

「高垣さん。ソフマッ○という量販店でのイベントになります。来場されたお客様に記念品をお渡しして、それと同時に握手をする。向こうのスタッフが誘導、整理を手伝ってくれますので難しくはないと思いますが」

 

 社長の後を受けて、綾霧が簡単に当日の流れを説明していく。それを聞いた楓の表情が、嬉しいような困ったような複雑なものへと変化した。

 

「初仕事……それ自体はとても嬉しいのですが、果たして私にうまくできるでしょうか?」

「なに言ってんの楓ちゃん。握手会なんて簡単なもんだよ。――笑顔で、相手の目を見て、握手。ね、簡単でしょ?」

「……はい」 

「でも懸命さってのは相手に直に伝わるからね。簡単だからって手を抜いちゃ駄目だよ」

「それは、もちろん」

「ま、心配ならちょっとやってみれば? リハーサルみたいな感じで」

「練習、ですね。良いかもしれません」 

 

 社長の提案を受けた楓が、小声で呟きながら頭の中で当日のシミュレーションを開始する。

 

「えっと……お客さんが来てくれたら、お辞儀。それから握手。再度一礼して、さようなら」

 

 反芻するように楓は幾度かシミュレートを繰り返し、その最後でぐっと拳を握って気合を入れ直す。その後で彼女は身体の向きを隣に座っている綾霧の方向へと向けた。

 

「ではプロデューサー。お願いします」

「……えっと、なにをですか?」

「ですから、握手会。やはり相手がいたほうがより練習になると思いますし」

「あ、はい。俺がお客さん役でってことですね。……じゃあ、よろしくお願いします」

「はい。よろしくお願いしま――――ぁ」

 

 お互い向きあってさあ練習開始……だったはずが、何故かそのタイミングで二人して同時にお辞儀してしまったせいで、綾霧と楓の頭が見事にゴツンとぶつかってしまった。

 

「……痛っ。って、ごめんなさい高垣さん。大丈夫ですか?」

「え、ええ。大丈夫です。少し目がチカチカしますけど」

「あのさぁ綾霧。アンタまで緊張してどうすんのさ。主役は楓ちゃん。アンタはお客さん役だよ」

「わかってますけど、つい……」  

 

 ――すみません。そう言ってばつが悪そうにおでこを摩る彼の姿を見て、幾分楓の緊張も解れたようだ。

 

「ふふっ。プロデューサーも緊張してるんですね。なんだかそう思ったら少し気が楽になりました」

「……面目ない」

「いえ、私だけじゃないんだって。――じゃあ改めて、よろしくお願いします、プロデューサー」

「はい。今度はしっかりやりますから」

 

 再び向き合って練習開始。

 挨拶をして、手を差し出して、握手。その時思ったより強くぎゅっと握られたことに彼が動揺したが、表面上はミスすることなく握手会としての一連の動作をつつがなく終えることができた。

 

「意外と簡単……ですね。はい。私でもできそうな気がします」

「それは良かった」

「ありがとうございます、プロデューサー。ただ、あの……念のため、もう一度お願いできますか?」

「もちろん、構いませんよ」

 

 そう言って初々しい姿で握手を交わす二人の姿を、社長がニヤニヤと楽しそうに目を細めて眺めていた。

 ちょうどそのタイミングで、パーティーションの隙間から応接室の様子を窺っている人物がいることに彼女が気付いた。ここの事務員さんである。

 恐らく中の会話が切りよく終わるタイミングを見計らっていたのだろう。

 

「あの社長。346プロダクションの千川様がお見えになられてますが。どうしましょう?」

「あー、もうそんな時間か。わかった。すぐ行くからちひろちゃんにそう伝えといてくれる?」

「はぁい、畏まりました」

 

 返事をした事務員さんが去って行くのと同時に、社長がすっくと席を立つ。

 

「というわけで、アタシこれから出掛けなきゃだから、楓ちゃんのこと頼んだよ綾霧」

「はい。任せてください。ですけど346プロダクションってあの業界大手の346ですか?」

「そう“あの美城”だよ。まぁアタシの古巣だからね。色々とあんのよ」

 

 業界の中でも老舗である346プロダクションが新規にアイドル部門を立ち上げるといった話は、綾霧でなくても聞いていたし、業界の中では色々と噂になっていた。

 憶測が憶測を呼び、詳細は五里霧中といった風情ではあるが。

 

「たぶん帰りは遅くなるから定時に上がっていいからね。じゃあ行ってくる」

 

 そう言って相手の返事を待たずに社長が応接室を出て行った。後に残された二人は、突然の事態に思考が追いついていないのか、二人して顔を見合わせてしまう。

 

「……あの、プロデューサー。これからどうしましょうか」

「うーん、そうですね。今日はレッスンの予定もありませんし……どうしましょう」

「プロデューサーはお仕事あるんですよね?」

「まあ小さい事務所ですから、色々と雑務はありますけど」

「なら私、手伝います」

「え?」

「駄目、ですか?」

「いえいえ、全然駄目じゃありません。個人的にはウェルカムですよ! ですが――」

「あ、そうそう。やることないなら一つ頼まれて欲しいことがあるんだけど」

「わぁっ!?」 

 

 去ってったと思った社長がパーティションの隙間から顔だけひょっこりと出して声を掛けてきた。身長が低いので覗き見しているようなスタイルである。

 

「……いきなり顔だけ出さないでください社長。驚くじゃないですか」

「あのな綾霧。女の子に向かってその言い方は感心しないぞ。仮にもプロデューサーなんだからさ」

「仮にじゃなくて正真正銘のプロデューサーですよ。……まだ実績はありませんけど。で、頼みたいことってなんですか?」

 

 思わず社長に対し、もう女の子って歳じゃないでしょうと突っ込みそうになったが、なんとか寸前で踏みとどまった。

 女性に対して年齢の話題は禁句である。絶対に。

 

「○○にある総合百貨店まで行って受け取って来て欲しいものがあるんだけどさ。まあ、いわゆるお使いかなぁ?」

「はい、いいですよ。何を受け取ってくればいいんですか?」

 

 綾霧の問い掛けを受けて、社長がニヤリと口端を上げる。

 それから得意満面な表情を晒しながら

 

「――なにって、楓ちゃんのステージ衣装だよ」

 

 彼女はこう言って締め括った。

 

 

 

 そういう訳で綾霧と楓の二人は、連れ立って都内某所にある総合百貨店の前まで来ていた。

 さすがに総合と名前が付くだけあって、地上十三階立ての敷地にありとあらゆる店や品物が詰め込まれていて、見て回るだけでも一日以上を余裕で費やしてしまうほどである。

 もちろん服飾関係のフロアもあり、二人はそこを目指して歩いていた。

 

「わぁ、平日なのに凄い人の数ですね。私、人込みって苦手で、少し圧倒されちゃいそうです」

「これでも少ないほうだと思いますよ。休日なんてちょっとしたお祭り状態ですから」

「お祭り状態……やっぱり東京って凄いですね。今でこそ慣れましたけど、こっちに来た当初は人の多さにビックリしちゃって」

「そういえば高垣さん、確か関西の出身でしたね」

「はい、和歌山県民ですよぉ」

 

 プロデューサーである彼はもちろん楓のプロフィールを把握していたが、こういったことを直に話すのは初めてだった。

 

「みかんがとっても美味しいんです。甘くて、爽やかで。あとは梅干しですね」

「へえ。みかんは聞いたことありますけど、梅干しも名産なんですか?」

「和歌山はですね、梅の生産量がなんと日本一なんですっ。紀州の梅干しとか知りませんか、プロデューサー?」

 

 まるで自分のことのように誇らしげに楓が胸を張る。梅干しに何かしらの思い入れがあるのだろう。 

 

「あー、言われてみれば聞いたことあるような。ただ梅干しとかあんまり食べる習慣がなくって」

「あら。お嫌いですか、梅干し?」

「普通に食べれますけど、好んで食べないというか。買ってまでは……」

「なら今度プロデューサー用に家からひと壷持ってきますね」

「えっと……ひと壷、ですか?」

 

 自分の聞き間違いかと思って綾霧が楓にそのままの文章で聞き返した。

 しかし彼女は自信満々にそれを肯定する。

 

「はい。まとまった時間がある時などにこっそり家で作ってるんです。梅干しだから酸っぱいですけど、疲れた時なんか身体に良いですし、お酒にも合いますよ」

「ということは、もしかして高垣さんの手作りですか?」

「ふふっ。紀州からの奇襲……なんて。私の作ったもので良ければ、是非召し上がってください、プロデューサー」

 

 彼女の晴れかかな表情が、本当に好きなもののことを語ってるんだと、彼に対して雄弁に教えてくれていた。

 楓の内面を少しだけ知れたこと。

 それがなんだかとても嬉しくて。

 自然と彼の表情も晴れやかなものに変化していった。

 

 そんなやり取りをしつつフロアを歩いていると、二人の目の前に四列式のエスカレーターが現れた。二列は上へ、もう二列は下へという構造で、それぞれ二階と地下へと通じている。

 エレベーターも各所に備え付けられているが、目的地が二階なのでここを通り道に選んだわけだ。

 

「そうだ高垣さん。衣装を受け取りに行く前に軽くなにか食べていきますか?」

「食べにって、お食事ですか?」

「ええ。折角ここまで来たんだからなにか甘いものでも。荷物を受け取ってからだと嵩張りますし」

 

 そう言った綾霧の視線が、地下へ通じるエスカレーターへと向けられる。

 ご多分に洩れずここの地下フロアも面積全てが食料品売り場となっていた。

 いわゆるデパ地下である。各種惣菜や弁当、そして洋菓子から和菓子まで。季節によってイベントも行われており、誰が行っても楽しめる作りになってた。

 当然そのことは楓も知っていて

 

「デパ地下ですか? いえ、デパ地下ですね」

「上階にレストランフロアもありますけど、やっぱりここはデパ地下でしょう。ストロベリーフェアとかやってるみたいですよ」

「へぇ、いちごパスタなんてものもあるんですね。どんな味がするのかしら」

 

 近くに張ってあったポスターを見て、二人がしきりに頷いている。  

 

「味は……ちょっと想像つきませんけど、それ以外にも色々ありますし、見て周りませんか? あ、お酒はダメですよ高垣さん」

「……わかってますぅ」

 

 各種食品を扱っているのだから、当然お酒を扱う店もある。時期によってはイベントでの試飲会もあるだろう。念のため釘を刺した形だが、思いのほか楓の反応が可愛くて、彼の心が揺らぎそうになってしまった。

 

「あ、着信……」 

 

 ちょうどそのタイミングで綾霧のスマホから軽快な音が鳴り出した。

 響く音から仕事関係だと察した彼は、すぐさまスマホを取り出し電話に出る。その際に確認した相手方の名前は“楓の握手会”に関係する人物だった。

 

「はい綾霧です。その節はお世話になり……え? はい、はい。大丈夫です」

 

 気心の知れたというほどではないが、殊更畏まってしまう相手でもない。そういう事情がある為か、相手は挨拶もそこそにいきなり本題に入ってきた。

 

「……」 

 

 スマホで会話しながらチラっと隣にいる楓の様子を窺う彼。

 今まさに話している内容が彼女に関する事柄だったため、どうしても目線が楓を捉えてしまうのだ。

 

「それはアイドルですから、もちろん可能です」

 

 アイドルという語句を強調しながらも、彼は自身の鼓動が高鳴っていくのを顕著に感じていた。

 近くに立っている楓に、その音が聞こえるんじゃないかってくらい熱くなってしまっているのも感じていた。

 

「――はい。是非、お願いします。ありがとうございました」

 

 結局五分程度の間電話していただろうか。最後に綾霧は事務所からまた折り返し電話する旨を告げてから通話を切った。

 

「……」

「あのプロデューサー?」

「…………」  

「どうしたんですか? もしかしてなにかあったとか?」

 

 明らかに電話する前と後で彼の態度が変わってしまったので、楓が不安になって尋ねてくる。 

 別に電話で嫌なことを告げられたわけではない。それどころか嬉しい部類の出来事なのだが、単純に彼の心の整理が追いついていなかった為、返事が遅れたのだ。

 彼は大きく深呼吸してから、改めて楓のほうへと向き直り、真剣な表情でこう答えた。

 

「――喜んでください、高垣さん。例の握手会の後にもうひとつだけ仕事が増えることになりました」

「え? お仕事が増えたんですか?」

「はい。先方から特設ステージを用意するので、一曲だけですが歌って欲しいと」

「っ!?」

 

 観客を前にして、歌って、踊ってこそのアイドル。

 

「ライブです、高垣さん! ステージに立てますよっ!」

 

 

 


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