ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第四話

「なにに乾杯しましょうか、プロデューサー?」

「そりゃやっぱり高垣さんのこれからのアイドル生活の成功を祈ってってことで」

「うーん、嬉しいですけれど私だけでは少し寂しい気がします。ここはプロデューサーも含めちゃいましょう」

「俺も、ですか?」

「はい。二人のこれからの活動がより良いものでありますように。だってアイドルとプロデューサーは揃って同じ道を歩くんですよね?」

 

 にこやかな笑顔を浮かべながら楓がそう宣言する。

 居酒屋に入ってからの彼女は、傍目から見てもわかるほど上機嫌になっていた。それは案内されて席に着いてからより顕著になっていて、表情も明るくなっている。

 普段は落ち着いた雰囲気を醸し出している楓だが、ここでは少しそのタガが外れてしまうようだ。

 

「さあさあ、グラス持ってくださいプロデューサー。乾杯しますよ」

「じゃあ、これからの二人の成功を祈って」

「はい。成功を祈って」 

『――乾杯っ』

 

 空中でグラス同士がぶつかり、カチンと甲高い音を奏でる。その勢いそのままに二人はグラスを口元に寄せて、中身を煽っていった。

 

「ふぅ。美味しい」

 

 何処の居酒屋にでも置いてあるサワーを、楓は美味しそうに一気に半分ほど飲み干してしまった。対する綾霧は少し口を付けたといった程度で留めている。

 そんな姿を披露する彼女を見て、彼は率直に思ったことをぶつけてみた。

 

「高垣さんって結構飲めるほうなんですか?」

「お酒ですか? さぁ人並み程度には飲めるとは思いますけれど。プロデューサーはどうなんです?」

「俺も人並み程度には。社会人になってから付き合いでよく連れまわされたりしましたから」

「へぇ。じゃあ私と同じくらいですね。ふふっ」

 

 楓の言う人並みと綾霧の言う人並みの間には、とても大きな隔たりがあることを彼は後々自身の身を以って知ることになるのだが、今は詳細は割愛することにしよう。

 

「私、居酒屋って好きなんです。落ち着くって言うんですか? なんかこう雰囲気が凄くマッチしてて居心地が良い感じで」

「へえ、ちょっと意外ですね。高垣さんのイメージなら居酒屋よりもショットバーとかのが似合いそうな気がしますけど」

「あ、もちろんバーも好きです。お酒を頂けるところなら大抵。でも、そんなに似合ってないかしら、居酒屋と私って」

「比べれば、の話ですけどね。それにほら、高垣さんって大人っぽいから」

「あら、私、中身は結構子供っぽいんですよ?」

 

 そう言ってクスクスと楽しげに目を細める彼女の姿は、確かに普段より幾分幼く見えた。愛嬌が増す分、美人寄りから可愛い寄りにシフトするという感じだろうか。

 

「高垣さん、居酒屋が好きってことは結構飲みに行ったりするんですか?」

「結構……というか頻繁に? まあ相手がいないので一人でですけれど」

「一人でですか?」

「今日みたいに夕食を兼ねてという日も多いんです。だから居酒屋に来ることが多くて。家に帰ってもどうせ一人ですから」

 

 モデル時代の楓はそのことについて特に何かを感じたりはしなかった。働いて、時々美味しいお酒を頂いて。そういう日々に不満は無かったのだ。しかしアイドルとして転身したあたりから、少しだけそれを寂しいと思うようにもなっていた。

 そういうニュアンスが言葉の中に現れていたのか、気持ち楓の声のトーンが下がってしまっている。 

  

「慣れてしまった、という部分もありますけれど、ちょっとだけ寂しく感じる時もあります。だから今日みたいに誰かと差し向かいでお酒を飲むのって新鮮で」 

「なら……高垣さんさえ良かったら、今度から俺を誘ってください。空いてる時なら何時でも付き合いますから」

「……え? 誘ってもいいんですか?」

「もちろん。飯は誰かと一緒に食ったほうが美味いし、お酒もそれは同じでしょう。まあ、いわゆる飲み友達的なやつですか?」

「飲み、友達……」

 

 最初に訪れたのは軽い驚き。次いで心が跳ねるような嬉しさ。それからほっとしたような安心感が楓を包み込む。

 彼女ははにかみながら両手の指だけを合わせたポーズを作ると

 

「じゃあプロデューサーは私にできた初めての飲み友達ですね」

 

 そう言って楽しそうに目を輝かせていた。

 

 

 そんなこんなで会話を続けていたら、始めに頼んでいた料理が続々とテーブルに届き始めた。

 から揚げや焼き鳥、フライ物といった定番商品から、サラダやお刺身、果ては揚げだし豆腐に枝豆、たこわさなどがテーブルに所狭しと並べられてくる。

 主に前半部分が綾霧、後半部分が楓の注文した品だ。ほっけのひらきやご飯物なんかも頼んでいたが、調理に時間がかかるものは後々運ばれてくるのだろう。

 

「すいません。こちらの銘柄を冷やでください。プロデューサーは……」

 

 早々に一杯目を空にした楓が、料理が運ばれてきたタイミングで二杯目を注文している。といってもサワーやカクテルではなく日本酒だったが。

 彼女が頼んでいた料理の傾向から、二杯目からは日本酒にするつもりだったのだろう。その一連の流れの中で、楓が目線を綾霧に投げかけ“注文どうしますか?”と促している。

 それを受けて慌てて彼が杯を空けた。

 

「じゃあ俺はカシスオレンジをお願いします」

「はい、承りましたぁ。すぐにお持ちしますから、少々お待ちくださいね」

 

 席まで案内してくれた“アベ”という店員が、さわやかな笑顔で注文を受けてくれる。

 明るくハキハキした喋り方はとても好印象で、ネームプレートに記載された“永遠の17歳”というキャッチフレーズと共に彼の印象に強く刻まれた。

 もし先に楓と出会っていなかったら、彼女をアイドルとしてプロデュースしたいと思ったかもしれない。

 それくらい特徴的な少女? だったから。

 

 ――それから程なくして、各自の元に二杯目が運ばれてきた。

 綾霧はカクテル、楓は日本酒だ。また日本酒はグラスではなく、お銚子にお猪口というスタイルである。 

 楓は早速お猪口に日本酒を注ぐと、クイっと一気に中身を煽った。

 

「やっぱり一口目は身体に染み渡りますね」 

「高垣さんって日本酒が飲めるんですね。凄いなぁ」

「凄くはないと思いますけれど……」  

「俺はほとんど日本酒が飲めなくて。よく頼んだりするんですか?」

「ええ。――私の身体は日本酒でできている。そう言っても過言じゃないくらいに」

「……え? マジですか?」

 

 予想外の楓の返しに思わず素で返事してしまう綾霧。それが面白かったのか、楓は手をひらひらさせながら

 

「冗談ですよ、プロデューサー。普段はお猪口にちょこっと飲むくらいで留めてますから」

 

 と軽くギャグを交えながら返してきた。

 一体何処までが冗談なんだろう。そう思いながら綾霧はテーブルに並べられた料理に箸を伸ばしていく。

 

「お、このから揚げ結構うまい。なんていうか味付けがしっかりしてる」

「あら本当。濃すぎず薄すぎずって感じで美味しいですね。それに柔らかくて食べやすい」

「こっちの焼き鳥もうまいですよ」

「良いお肉を使ってるのかしら。このシーザーサラダもレタスがシャキっとしてて瑞々しいですし、この店、当たりだったかもしれません」  

 

 初めて入った店が“当たり”だというのはちょっと嬉しい要素である。

 

「はぁ、このたこわさもぷりぷりしてて良い食感です」

「高垣さんって見た目に反して意外に渋い趣味してますね。普通頼みませんよたこわさびなんて」

「これが日本酒に合うんです。プロデューサーもお一つ如何ですか?」

「じゃあちょっとだけ……」

 

 二人して並べられた料理を突きあい、感想を言い合う。

 アレが美味しい、これがうまい。メニューを見ながらこれを頼んだら良かったかなとか、こういうやり取りは一人で飲みにきていたら出来ない類のもので、楓には新鮮だった。

 そうこうしているうちに二杯目が空いて次のお酒へ、そして更に食が進んでいく。

 これぞ居酒屋の醍醐味。

 

「……ほっけ、ほっけ。…………ほっとけ。……うーん、ホットケーキ?」

「ホットケーキ? 高垣さん、デザート頼むんですか?」

「いえ、頼みませんけど」

「え?」 

 

 ぽつりと楓が呟いた意味不明の言葉も、酒の席なら笑い話へと変化する。

 

「どうしてかしら。今日は一段とお酒が美味しく感じます。折角ですし違う銘柄も試してみようかな」

「違う銘柄ですか。……ワインとか?」

「いえ別の日本酒を頂こうかと思って…………ワインもいいですね」

 

 メニューを見つめる楓の視線が、日本酒ゾーンから洋酒、ワインを取り扱っているページへと移る。その鋭さはもはや獲物を見つけた猛禽類に等しい。

 

「目移りしちゃいますけど、まずは日本酒を堪能してから、ですね」

「まあ店は逃げませんから、また今度という手もあります」

「今度、ですか」

 

 何か思うことがあるのか、楓が手を止めて少しだけ考え込む。だが視線が綾霧のグラスに注がれた段階でその瞑想は終わりを告げた。

 

「プロデューサーはあまり進んでませんね。それまだ三杯目じゃないですか?」

「……四杯目です」

「あら失礼。ですが焼酎だけにしょっちゅう頼まないと駄目です。なんなら私が代わりに選んであげましょうか?」

「まだ中身残ってますから。というかもしかして高垣さん、酔ってます?」

「いえ、酔ってませんよ」

「本当に?」

「酔ってません」

 

 酔っ払った人の“酔ってません”ほど当てにならないものはない。そのことを彼はよく知っている。

 

「そういえばプロデューサー。今日私のことを名前で呼んだの覚えてます?」

「名前って苗字じゃなくて下の名前で呼んだんですか? 俺が?」

「はい。楓さんって」

「……それ高垣さんの気のせいじゃないですか?」

「いいえ、はっきりと覚えてます。プロデューサーは私のことを楓さんって呼びました」

「……」

 

 なんだろう。高垣さんの様子が少しおかしい。そう綾霧が思い始めた時――

 

「もう一度呼んでみてくれませんかプロデューサー。楓さんって。あ、呼び捨てでも私は構いませんよ?」

「……あの」

「言わないと罰としてそこにある枝豆を“あーん”しちゃいますからね」

「それ罰じゃなくてご褒美――」

「あーん」

「って、俺が食べさせるほうですかっ!?」

 

 彼の反応が可笑しかったのか、楓がクスクスと楽しそうに笑い声を上げている。

 

「ほら、観念してくださいプロデューサー。呼んだって何も減りませんから」

「……わかりました。呼びます、呼びますからそっと日本酒を差し出すのはやめてください」

 

 言えないなら飲ませてやるとばかりに差し出されたお猪口を、彼がやんわりと彼女に返す。

 

「えーと……か、楓さん」 

「はい、なんですか?」

「……なんですかって、高垣さんが呼べって言ったから」

「えー、用もないのに名前で呼んだんですか? プロデューサーってそういう人だったんですね。それにほらまた高垣って」

「なんで名前縛り!?」

「私が楽しいから?」 

「やっぱり酔ってるでしょう!?」

「いいえ、酔ってません」

 

 ――うわ! この人、めっちゃ絡み酒だっ!

 

 そう思いつつも、楓になら絡まれても嫌じゃないというか全然OKと考えてしまうあたり、自分も相当酔ってるなと綾霧が猛省する。

 一応護衛を仰せつかった身として、ある程度抑えながら飲まねばならなかったのだが、ついつい楽しくて杯を重ねてしまっていたのだ。

 きっとそれは彼女も同じで――

 

「ふふっ。何だか今日は一段と楽しいですねぇプロデューサー」

 

 輝くような楓の笑顔は、彼の目にとても眩しく映ったのだった。

 

 

 


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