「温泉行こう、温泉っ! あるんでしょプロデューサー」
期待に満ちた目を綾霧に向けながら、心が跳ねるような勢いで身体を小刻みに揺らしている。
現在部屋の中には、遅れて到着した綾霧と楓、そして菜々の姿もあり、合宿を行うメンバー全員が顔を揃えていた。といっても実際にレッスンを開始するのは明日からなので、後は夕食を食べて身体を休めるくらいの予定しかない。
それならばと、心がご飯の前にお風呂に入ろうと皆に提案したところだ。
「ねえったらねえ! 温泉、あるんだよね!?」
「えっと、確か温泉を引いた大浴場があったかと。露天風呂もありますけど、こちらは改装中とのことで現在使用できないみたいですね」
「ええぇ~、残念。入りたかったな、露天風呂」
「でも大浴場も綺麗で広くて、素晴らしいところみたいですよ。俺も資料で見ただけなんですけど」
気落ちした心を励ますように、綾霧が一言付け加える。それを聞いた彼女が、なにか閃いたとばかりに目を瞬いた。
「そうだ! ねえプロデューサー。もしかしたら、そこって混浴だったりしない?」
「え?」
「んふふ。もし混浴だったらぁ、はぁとたちと一緒に入る? 入ってみる?」
軽くしなを作るような仕草を添えて、心が可愛くウインクしてみせた。
「いや、それは……さすがに駄目ですって」
「なんで? 嫌なの?」
「……嫌とかそういう問題じゃなくて。俺は、ほら、プロデューサーだから……」
「ん? それ関係ある? 混浴なら男女一緒に入れるでしょ?」
「そうですけど、仮に混浴だったとしても一緒に入るなんて選択肢は選べないっていうか」
「選択肢っていうと“はぁとたちと一緒に温泉に入る?”はい、いいえ、みたいな?」
「それなら“いいえ”を選びます」
「はぁとたちと一緒に温泉に入る? はい? いいえ?」
「ですからいいえを――」
「はぁとたちと一緒に温泉に入るプロデューサー? はい? いいえ?」
「なんで質問がループしてるんですかっ!?」
「むうー。そうやって即答されるとちょっとプライドが傷つくぞ。はぁとってそんなに魅力ない?」
「魅力があるとかないとかじゃなくてですね――」
「答えて☆」
「……佐藤さんにはアイドルとしての魅力がありますよ。プロデューサーとしてそれは断言できます」
「うれしー☆ じゃあはぁとたちと一緒に温泉に――」
「それはもういいですから!」
心の押しの強さに気圧されたように綾霧が後ずさる。そんな彼ににじり寄りながら壁際まで綾霧を追い詰めていくはぁと。だが突然表情を破顔させると、バンバンと勢いよく彼の肩を叩きだした。
「んもう。冗談だってばプロデューサー☆ 真っ赤になっちゃって。可愛いー」
「え? 冗談?」
「そだぞー☆ 本気にすんな☆ っていうか一緒に入りたかった? ま、本当に混浴なら考えてもいいけど、他のみんながどう言うかなー」
話しの流れを受けて、綾霧と心の視線が他の皆へと移っていく。別に了承する意思があるのか聞きたかったというわけじゃないが、彼女に釣られて目線が動いたのだ。
そんな彼の袖口を、控えめにくいくいと引っ張る者が現れた。振り返るとちょっと真面目な顔付きで佇む女性が一人。
楓である。
「あの、プロデューサー。駄目ですよ?」
「もちろん! わかってますっ。大丈夫ですから」
「……心さんの押しの強さに負けちゃ駄目ですからね?」
「心配しないでください。意思は強いほうだと……思います」
「プロデューサー」
「信じてください、楓さん」
楓に対して必死に釈明する綾霧の姿を、心は少し不思議そうな眼差しで見つめていた。
そして、ところ変わって大浴場。
「はぁ~、生き返りますねぇ。やっぱり大きい湯船って身体の芯から癒される感じがしますよ」
湯船の中に肩まで浸かった菜々が、手足をぐ~と伸ばしながら、実に幸せそうな溜息をついている。
「まさに極楽ですねぇ~」
まったりと目尻を下げた菜々が、お湯を両手で掬って自身の顔をバシャバシャと洗う。
彼女の住んでいるアパートはかなり古いもので、備え付けのお風呂も“バランス釜”と呼ばれる特殊なものなのだ。それ故に、こういう広いお風呂に来た時は、心底リラックスして餅のように溶けてしまうのだろう。
そんな菜々の様子を見た他の面子が、クスクスと楽しそうに頬を緩ませる。
「でも本当に良いところね。想像してたよりもずっと広くて綺麗だし」
菜々の隣で腰を下ろしている瑞樹が、感想を洩らしながらあたりに視線を飛ばしていた。
彼女の言った通り、大浴場という名に恥じないくらいゆったりとした空間が広がっていて、浸かっている湯船もちょっとしたプールくらいの大きさがあった。その他にも内部の様相や調度品の類も凝っていて、落ち着いた雰囲気の中で入浴が出来る使用になっている。
ただ夕方という時間帯の関係なのか、瑞樹たち以外に利用している人の姿はほとんどなくて、半ば貸しきり状態になっていた。
「うんうん。瑞樹ちゃんの言う通り。ここを用意してくれたプロデューサー君に感謝しないとねっ!」
瑞樹の対面にいた早苗が嬉しそうな表情を浮かべながら片目を瞑っている。
ちなみに湯船の一角に円を描くようにみんなが集まっていて、立ち位置的には、菜々、瑞樹、楓。そして対面に心、美優、早苗という順番になっていた。
「はぁ~。どっこいしょ。でも見事に全員オーバー25ばかり集まっちゃったねぇ」
肩に手を置いて首を巡らせながら、心がひとりごちる。その言葉を隣にいる美優が拾った。
「あの、心さん。菜々ちゃんは17歳なので、全員じゃないんじゃ……?」
「ああパイセンはいいの、パイセンは。そこはあんまり気にしちゃ駄目だぞ☆」
「はぁ……」
「まあ、ぶっちゃけちゃうと、そのオーバー25っていうのはアイドルにとって結構瀬戸際な年齢なわけよ、美優ちゃん」
「瀬戸際ですか……」
「そだぞー☆ あくまで世間の認識って話しだけど」
「……弊社にはわりと沢山いらっしゃる年齢層な気がしますけれど……」
「あはは。まあうちはちょっと特殊だからね。そのおかげでこうしてユニットも組めたわけだし、プラスに考えましょ、プラスに」
早苗が二人の会話に割って入るかたちでフォローを入れた。彼女の言った通り、大人なアイドルというコンセプトですんなりと人数が集まってしまうのは、346プロダクションくらいのものだろう。
「そうね。こうやって集めてくれたプロデューサー君の期待にも応えたいし、大人なアイドルの魅力ってやつを存分に見せてやりましょう」
「ナナは17歳ですけど、精一杯アダルトな雰囲気を出せるように頑張っちゃいますから!」
瑞樹と菜々が話の流れを締めて和やかな雰囲気を作り出す。その後で美優が、思いついたとばかりに話題を変えてきた。
「そういえばもうすぐ大型連休ですけど、みなさんは実家に帰ったりするんですか?」
「あー、実家、実家ねぇ。そういえば最近帰ってないわね。忙しいっていうのもあるんだけど」
「確か川島さんは関西の出身でしたよね? 楓さんも……?」
「ええ。私は和歌山ですね。少し前に里帰りしましたから、今回はこっちにいようと思いますけど」
「あら。そうなんですね」
「ふふっ。そういう美優さんは帰るんですか? 実家、北のほうでしたよね?」
「東北……岩手県です。ここからだと遠いというのもありますけど、ここ数年は家でのんびり過ごすことが多いですね。帰ると色々言われるので……」
「色々、ですか?」
美優の言った語句の意味を掴みかねるのか、楓がきょとんとした表情を晒している。対して心は同意するとばかりにうんうんと力強く頷いていた。
「わかるわ~美優ちゃん。親もそうだけど親戚から必ずといっていいほど聞かれるもんね」
「ええ……心さんもですか?」
「もう定型句になってんぞ的な☆」
二人は顔を見合わせつつ、はぁ~と深い溜息をつきながら言葉を重ねた。
『そろそろ結婚は?』
深く重みのある響き。そんな心と美優の言葉を聞いて、楓がそういうことかと得心する。縁談話なんかが好きな人は、どこにでもいるものだ。
「それ、あるある話の筆頭ね。でもほらあたしたちはアイドルだから。結婚できませんーって返せるだけマシじゃない?」
「早苗さんも身に覚えがあるんですか?」
「もうね、アイドルになる前から散々言われてたわよぉ。まあそういう心配がないのは、この中だと楓ちゃんくらいじゃない?」
「え?」
早苗の言葉を聞いた心と美優が驚いたように目を瞬いた。完全に不意打ちを喰らったという感じである。その二人が疑問を口にする前に、瑞樹が楓に質問を投げかけた。
「ねえ楓ちゃん。そういう話って出てるの?」
「結婚ですか?」
「そそ。付き合い始めてから結構経つじゃない? どうなのかなって思って」
「具体的にはまだ。そういうニュアンスを含んだことを聞いたりはしてますけど」
「そうなんだ。この間二人で里帰りしてたからてっきり、ね」
「あれは私が無理を言ってついてきて貰ったんです。どうしても一緒に行っておきたい場所があったから」
瑞樹と楓の会話が気になって仕方ないのか、心と美優がずいずいと二人に近寄っていく。
「じゃあさ、正式に申し込まれたらどうするの?」
早苗が横から会話に加わってくる。それに対して楓は迷わず即答した。
「もちろん、お受けします。両親も彼を気に入ってくれたみたいで、電話で急かされたりしてますよ。ふふっ」
耳そばだてるという言葉があるが、心と美優の二人は話の内容に聞き耳を立てているうちに、少しづつ身体が動いていて、気づいたら楓の目の前までやってきていた。
そのことに彼女が少し驚く。
「あの、二人とも、どうかしました?」
「どうかしたもなにも、楓ちゃんて付き合ってる人いたんだ!?」
「楓さん、付き合ってる人いたんですか?」
またしても心と美優の言葉が重なった。
今の話しの流れで気になることはひとつだろうから不思議はないのだが、質問を受けたほうからすれば少したじろいでしまう。
「え、ええ。……言ってませんでしたっけ?」
「そんな爆弾発言、初耳だぞ☆」
「まったくの初耳です……」
もはや毒を喰らわば皿までの精神か、ここまできたら気になることは聞いてしまえと、心が質問攻めの体勢に入った。
「ねえねえどんな人? どんな人? 楓ちゃんが付き合う人なんだからやっぱりプロスポーツ選手とか若社長とか? それとも財閥の御曹司だったりして?」
「いえ、そんな感じでは……普通の人ですよ?」
「普通!? 本当に~?」
にわかには信じられないと心が目を見開く。
「じゃあ週刊誌的に言うと、一般男性みたいな?」
「……心さんの言う一般男性がどのあたりを指しているのかわかりませんけど、本当に普通の人ですよ。ただ私にとっては掛け替えのない大切な……とても素敵な人です」
「わあー! 楓ちゃんにそこまで言わせるんだ!? その相手にめっちゃ興味出てきたぞ☆」
湯船に浸かっている影響もあるだろうが、楓が照れたように頬を桜色に染める。そこに手を添えて佇む仕草は、とても艶があって色っぽかった。
「じゃあさ聞くけど、聞いちゃうけど、ぶっちゃけ外見は? イケメン? 誰かに似てるとかある?」
「……私は格好良いと思います。でも誰かに似てるかと言われるとちょっと……」
「あの、楓さん。そのお相手さんって身長は高いんですか?」
ここに来て、聞き手に回っていた美優も口を挟んできた。彼女も楓の相手に興味があるのだろう。
「……身長。私と同じくらいですね。気持ち彼のほうが高いかなっていう感じで……」
「どういう経緯でお知り合いになったんですか?」
「えっと、お仕事を通じて――かしら」
正確には綾霧と楓は彼女がアイドルになる前に出会っている(モデル時代の楓を綾霧がスカウトした)のだが、そのあたりを説明すると長くなるので割愛したのだ。
「お仕事! やっぱり番組のディレクターとか? 競演した映画俳優とか?」
「いえ、ですから普通の……」
「告白って楓ちゃんからしたの? 付き合ってどれくらい経つの?」
「あの、心さん……」
「おちえて☆」
ぐいぐいと二人に詰め寄られて、楓が湯船の端まで追い詰められる。聞かれて答えるのは悪い気はしないのだが、二人同時だとさすがに言葉に詰まる場面も出てくる。
楓は追い詰められながらもチラっと視線を走らせて、近くにあった窓に映っている自身の表情を盗み見た。
紅く上気した頬に濡れた瞳。
それならばと楓は立ちあがって、湯船から出ることにした。
「あの、私、少しのぼせてしまったみたいで……先に上がりますね」
「あーん、楓ちゃん」
出口に向かって歩く楓を二人の視線が追う。
「……逃げられてしまいましたね」
ぽつりと呟いた美優の言葉が静かに響き渡った。