ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第三十三話

「あ、すみません。そちらの、えっと……」

 

 綾霧が近くにいた一人の女の子を呼び止めた。その声を聞いて、青いフード付きのジャンパーを羽織ったその子が振り返る。

 

「はい、なにかご用ですか?」

 

 ジャンパーの背中にはSTAFFの文字が刺繍されていて、彼女が今日のイベントの関係者であることがわかる。恐らく臨時のアルバイトで来てくれた子なのだろう。見覚えはないが、とても元気に働いていたので目についたのだ。

 

「あ、島村です。島村卯月」

 

 綾霧が自分のネームプレートで名前を確認しようとしていたのに気付いて、彼女が先に名前を名乗った。こういう些細な気遣いが、相手とのコミュニケーションを円滑に進める要因になったりする。実際綾霧も、話しやすい子だという印象を持った。

 

「ああ、島村さん。実は一つ頼みたいことがあって。今、動けそうですか?」

「はい、大丈夫です。なんでも言ってください」

「じゃあこの荷物を千川ちひろという方まで届けてもらえますか? 裏口近くの部屋がスタッフの詰め所になっていますから、そちらまでお願いします」

「はい。千川ちひろさんに届ければ良いんですね? あの、もし部屋にいらっしゃらなかった場合はどうすれば良いですか?」

「その時はスタッフの誰かに事情を話して、それを預かってもらってください。綾霧からだと言えば伝わりますので」

「承知しました。……よいしょっと」

 

 綾霧から少し大きめの箱を受け取った彼女が、落とさないようにしっかりと両腕で抱え込む。だが思ったより重量を感じなかったので、少し拍子抜けしたように目を瞬いた。

 

「結構軽いんですね。もっとずっしりとくるかと思って身構えちゃいました」

「重くはないですけど、大切なものなので落とさないようにお願いします。割れちゃうと大変だから」

「割れる……? 今日のライブに使うアイテムかなにかですか?」

「いえ、そういうものではないんですが……」

 

 中身に興味があるのか、卯月が視線を腕の中の箱に落としている。それを見た綾霧は、別に隠す理由もないので箱の中身を卯月に教えることにした。

 

「その中に入っているのは、ガラスの靴ですよ」

「ガラスの靴……?」

「ええ。今日はシンデレラガールの発表が行われる日ですから、受賞したアイドルに担当プロデューサーから送ってもらおうかと。まあ一種のサプライズですね」

「……」

 

 なにか思うことがあるのか、卯月がさっきとは違う熱の篭った視線を箱に注いでいた。ガラスの靴というワードか、あるいはシンデレラガールという言葉に惹かれるものがあったのかもしれない。

 そう思った綾霧は、もう少しだけこの話題を続けてみることにした。

 

「島村さん。シンデレラガールに興味があるんですか?」

「えっと、興味というか、実は私、アイドルになるのが夢なんです。それで養成所に通っていて、だから憧れみたいな気持ちはあるんですけど」

「そっか。島村さんはアイドル志望なんですね」

「はい。でも……まだ思うような結果が出せてなくて。オーディションとか受けてるんですけど、中々……。だから私もいつか輝く舞台に立ちたいなって」

 

 アイドルブームが世を席巻している昨今、アイドルになりたいと夢見る女の子はかなりの人数に上っていた。その中でオーディションを受けて合格しアイドルになるのは、やはり簡単なことではない。

 相応の実力はあっても、事務所の求める方向性と違うために落とされる。そういうこともあるかもしれない。綾霧の目の前にいる島村卯月も、そういう大勢の女の子の中の一人ということになるのだろう。

  

「あの、島村さん。実はうちで――346プロダクションで、今までにない全く新しいプロジェクトを立ち上げようという話があるんですが」

「新しいプロジェクト、ですか?」

「はい。俺が担当するわけじゃないから、詳しくは話せないんですけど、多方面で活躍できるアイドルを一箇所に集めてみようじゃないか、みたいな企画で。近々そのオーディションが行われるんですよ」 

 

 アイドルを目指す大勢の女の子の中の一人。だけど綾霧は卯月の中になにか可能性のようなものを感じ取っていた。

 初めて楓と出会った時のような運命的なものではなかったし、文香を見た時のような直感に訴えかけるようなものでもない。それでも卯月にはアイドルに必要な大切ななにかを内に秘めているんじゃないか。

 そう思ったのだ。

 プロデューサーとして、今までに色々なアイドルと接してきた経験が活きたのかもしれない。だから彼女にこの話を伝えたのだ。

 

「結構な人数を募集するみたいなので、チャンスがあるかもしれません」

「憧れの……アイドルに……なれるかもしれない?」

「島村さん次第ですが。良かったらそのオーディションを受けてみませんか? 近々ホームページに詳細が載ると思いますのでチェックしてみてください」

「……はい、はい! ありがとうございます!」

 

 卯月の受け答えを見て、綾霧は受ける気があると判断し、激励の言葉を投げかけた。 

 

「頑張ってください、オーディション」

「はい! 島村卯月、がんばります!」

 

 見た者が元気を分けてもらえるような溌剌な笑顔を浮かべながら、卯月が張りのある声で答える。

 

「じゃあ、これ運んできますね」

「お願いします。気を付けて」

「はい!」 

 

 小さくちょこんと頭を下げてから、卯月が小走りに駆け出して行く。そんな彼女の姿を眺めながら、綾霧は彼女がオーディションに合格できることを祈っていた。

 

「さて、そろそろか」

 

 腕時計で時刻を確認してから、綾霧も目的地に向かって歩き出した。

 向かう先は舞台袖。

 もうすぐオープニング曲の演奏が始まるはずだ。

 

 

「円陣、組んでみましょうか」

 

 純白のドレスに身を包んだ九人のアイドルたちが舞台袖で出番を待っていた。輝くティアラを頭に。胸元と腰周りに綺麗な花の飾りを添えて佇む様は、正に舞踏会に望むお姫さまそのものである。

 彼女たちはこれから大勢の観客の前に出て、歌い、舞い、踊るのだ。その前に気合を入れるためか、楓が皆にそう提案した。

 

「いいですね、円陣! 大賛成です! 今日のライブを成功させる景気付けになると思いますし!」

 

 楓の提案を受けて、即座に茜が呼応する。その後を美嘉が引き継いだ。

 

「だね。ま、アタシたちが先陣を切るっていうかトップバッターじゃん? 勢いってのは大事だと思うし、やってみよっか」

 

 そう言って美嘉がさっと右手を前に差し出した。それを合図にして全員が円を組みながら手を突き出す。後は誰かの掛け声を受けて、一斉に手を上げるだけだ。

 当然言い出しっぺでセンターでもある楓に、全員の視線が集中した。しかし楓は、一度口を開きかけたものの、ぴたっと身体の動きを止めてしまう。

 号令をかける役割なのは理解していたが、自分たちを呼称する適当なネーミングがないことに気付いたのだ。即席のユニットでもあるので仕方ないのだが、じゃあ代わりにどんな口上を述べるべきなのかを即興で考えなければならない。

 そんな雰囲気を読み取ったのか、愛梨が助け舟を出してきた。

 

「えっとぉ、シンデレラガールズ、なんてのはどうですかぁ?」

「シンデレラガールズ、ですか?」

「はぁい。私たちが歌う曲のタイトルもお願い!シンデレラですし、今日シンデレラガールの発表もありますし。なにかと縁があるなぁって思って」

「それ、い、いいと思います!」

 

 愛梨の提案に最初に賛同したのは小日向美穂。彼女はやや興奮気味にその理由を語りだす。

 

「私、緊張しいだし、おっちょこちょいだし、そんな自分がこんな舞台に立たせてもらえるなんて、未だに夢みたいだなって思ってて……」

 

 喋りだした美穂にみんなの意識が集中する。その重圧を受けて更にしどろもどろになってしまった美穂だが、彼女なりの精一杯の言葉で思いを伝えていった。

 

「えっと、なにが言いたいかというとですね、そんな私がこうやって立派……かどうかわかんないけど、アイドルをやれているのって、プロデューサーさんに出会って、魔法をかけてもらえたからだと思うんです。それって童話のなかのシンデレラみたいだなって感じてて、だから」

「うふふ。そういう感覚、なんだかわかるような気がします。だってまゆも、とびきりの魔法をかけてもらいましたから。運命の出会いがあったあの日、プロデューサーさんに」

 

 まゆの言葉に誰しも思い当たることがあるのか、なにかしらの反応を見せる。中でも幸子は胸を張りながら、自身満々に肯定の意見を述べた。

 

「フフーン! 運命の出会いに魔法、そしてシンデレラですか。どちらもカワイイボクにぴったりな響きですねぇ」

「じゃあ……それで、いこう。……シンデレラガールズ。きっと他のみんなも……気に入ってくれると、思う……よ」

 

 最後に流れの後押ししたのは白坂小梅。彼女の言葉には短いながらも説得力があった。きっと芯の強いアイドルだと周りに認識されているからだろう。

 

「うん。それじゃあ、楓ちゃん。お願いね」

 

 最後に瑞樹が決を出す。それを受けて楓が大きく頷いた。

 

「はい。では、いきます。――――シンデレラガールズ、ファイッ!」

『――オーッ!!』

 

 掛け声と共に一斉に手を上げるアイドルたち。誰もが笑顔で、それでいて気合が漲った素晴らしい表情を浮かべていた。

 

 

 

『えー、オープニング曲が終わったら、入れ替わるかたちで片桐さんが入ってください。曲目はCan't Stop!!。次いで十時さんのアップルパイプリンセス、城ヶ崎さんのTOKIMEKIエスカレートと連続で行きます』

 

 大歓声に包まれる会場の熱気に負けないくらい、舞台裏も忙しなく動く大勢の人でごった返していた。

 メインで指示を出す人もいれば、出番を待つアイドルの衣装をチェックをする人もいる。そんな中でインカムを使って連絡を取り合い、各所の連携を密にしていく作業も平行して行われていた。

 

『パッション属性のアイドルが続きますので、段取り間違えないように。特に十時さん、城ヶ崎さんは戻ってすぐに出番ですからフォローお願いします。流れの最後に全員でのOrangeSapphireで締めますので、まずはそこまで頑張りましょう!』

 

 確認作業を繰り返して、問題や間違いが起きないように万全を期していく。

 そんな大勢のスタッフの中に混じって、早苗と綾霧の姿もあった。特に早苗はすぐに自身の出番が来るので、衣装を纏った準備万端の体勢で臨んでいた。

 

「うう~。ハートは強いほうだと思ってたけど、さっすがに緊張してきたわ。どうしようプロデューサー君?」

「実質ソロ曲の一番手ですからね。遠慮なくはっちゃけちゃってください」

「もう。更に緊張を煽ってどうするのよ」

「片桐さんなら大丈夫だっていう信頼の現れですから」

「信頼って、そんな風に言われたら、頑張るしかないじゃないの」

 

 早苗が期待してた励ましと少し違うんだけどなぁという感じで鼻を鳴らした。

 

「でもまあ、希望していた衣装も用意してもらったし、やるしかないわよね」

 

 そう言った早苗が、首元と腰に手を当てて、少しセクシーなポーズを取ってみせた。着ている衣装がミニスカポリス風なので実に様になっている。加えて彼女はスタイル抜群なので、破壊力も申し分ない。

 

「どう? プロデューサー君? 似合ってる? 色っぽい?」

「……ええ。目のやり場に困るくらいには。というかそうやって俺をからかう程度の余裕があるなら大丈夫ですよね!」

「あら、そういえば緊張感がどこかに吹っ飛んじゃったみたい。あはは、やるじゃないの、プロデューサー君!」

 

 バンバンと綾霧の肩を叩きながら、早苗が朗らかに笑う。そうこうしている間に彼女の出番が近づいてきた。

 

「じゃあ、行ってくるわ。楓ちゃんや瑞樹ちゃんに負けないくらいの勇姿を見せてあげるから、ちゃんと見ててね」

「はい。いってらっしゃい、片桐さん」

「任せてっ!」

 

 早苗が人差し指を立てながらウインクしてみせる。そのタイミングでスタッフから声がかかった。

  

『片桐さん、そろそろ出番ですから、スタンバイお願いします』

『はぁーい!』

 

 こうして順調な滑りだしをみせたライブは、その後も会場の観客を巻き込んだかのような大盛り上がりをみせていった。

 

 

 パッションアイドルからキュート、そしてクールへと繋がっていく演目は、それぞれの最後にOrangeSapphire、アタシポンコツアンドロイド、NationBlueと属性のアイドルが勢ぞろいで歌って締める形式となっていた。

 ソロ曲が中心のライブではあったが、時折入るユニット曲が良いアクセントとなり、観客の心をぐっと掴んでいった。

 

「あの、プロデューサーさん。今……楓さん、こちらを見ませんでしたか?」

 

 自身の出番はなかったが、文香も会場に訪れていて、時折舞台袖を訪れてはライブを眺めていた。そして、ちょうど今はクールアイドルの出番となっていて、綾霧と一緒に楓の演目を見ていたところである。

 その楓が、こいかぜの一節を口にする時に、こちら側に視線を流したように文香は感じたのだ。

 

「私の気のせい……かもしれませんけれど。でも楓さん、とても堂々としていて、素敵です」

「ええ、本当に」

 

 壇上で歌う楓の姿はとても荘厳で、一部で囁かれている歌姫という呼称に負けないくらい輝いて見えた。曲調に合わせて行われるゆったりとした降り付けも優雅なもので、見る者の視線を捉えて離さない。

 それはもう、トップアイドルとしての貫禄さえ備えはじめていて――

 

「楓さん、今日のライブを迎えるに当たって率先して他のアイドルともコミュニケーションを取ってくれましたし、色々とフォローもしてくれて。助かりました」

 

 今回、綾霧が仕事を進めていく上で、色々と円滑に事が進んだのは楓のフォローによるところも大きかった。

 もちろん彼自身も努力をしたし、力を発揮したが、やはり違う部署と連携を取っていく時には難しい部分が出てきたりもする。そういう時に“あの高垣楓の担当プロデューサー”の言うことなら大丈夫だろうと、スムーズに話が進んだりもしたものだ。

 

「きっと彼女にとってキツイこともあったと思うんです。仕事をこなしながらレッスンもやってとかもそうだけど。楓さん、鷺沢さんと同じように、誰かとコミュニケーションを取るのは苦手なほうだったから」

「……そうなの、ですか?」

「そんな風に見えないでしょう? ダンスも得意ではなかったですし、アイドルとして苦手な分野も多かった。けど一つずつ克服していって、今の高垣楓があるんです。すっごく努力したと思いますよ」 

「本当に、凄い方なんですね、楓さん」

「ええ。俺の自慢のアイドルです」

「あ……」 

 

 スーツの胸元に手を添えて、綾霧が感慨を込めて囁く。その時の表情がとても爽やかな笑顔だったので、文香はほんの一瞬、彼の横顔に見惚れてしまっていた。

 

「私もいつか……あなたに自慢のアイドルだと言ってもらえるように、努力したいと思います」

「……次のライブでは鷺沢さんの出番を作ってみせますから、一緒に頑張りましょう」

「はい。お願いしますね、プロデューサーさん」

 

 こいかぜの演目が終わったら、次は瑞樹を迎えて、ユニット、レイ・ディスタンスとして初のNocturneの演奏が始まる。

 こちらも観客は大盛り上がりで、大成功の演目だったと付け加えておこう。

 ちらちらと雪が舞い降りる寒い日だったが、会場はそんなものを感じさせないほど熱狂を繰り返して――この日のライブは、後々に語りつがれるほどの伝説となった。

 

 

 

「お疲れさまでーす。あ、はい。お疲れさまでした!」

 

 帰り支度を済ませた臨時のスタッフたちが、お互いお別れの挨拶を交わしている。みんな今日一日一緒に働いた仲なので、知らない間柄でも自然と笑みが零れていた。

 そんな中に卯月の姿を見つけた綾霧が、挨拶でもしようかと近寄っていく。

 

「お疲れさまでした、島村さん。今から帰りですか?」

「あ! あなたは!?」

「今日のライブどうでした? というか見れました?」

「えへへ。合間合間にですけど、休憩を頂いた時とかに少し。もう、全部が凄くて、感動しちゃいました」

 

 凄く語りたいんだという思いが仕草に現れるほど、元気な声で卯月が答える。

  

「私とあまり年齢の変わらない人もいたりして、頑張らなきゃって思ったり。もう早く帰ってママにこの話したいなーって」

「あはは。良い刺激になったみたいで、良かったですね」

「はい!」

 

 卯月がアイドル志望だということを覚えていたので、そういう意味で刺激という言葉を使ってみた。

 

「まだまだ見習い? にもなれてないですけど、私もいつか今日のライブみたいに舞台で輝きたいです。そのためにも――」

 

 ぐっと一息溜め込んでから、卯月が決め台詞を放つ。

 

「島村卯月、頑張ります!」

「また会える日を楽しみに待ってますよ」

 

 再会する日は卯月がアイドルとなった時。そういう思いを込めて綾霧が彼女にそう伝えた。

  

「ああ、プロデューサーさん。こちらにいらしたんですね」 

 

 ちょうどそのタイミングで、千川ちひろが綾霧を見つけて声をかけてきた。どうやら彼を方々探していたようで、ほんの少しだけ息を弾ませている。

 

「……あ、じゃあ、私、帰りますね。今日はお疲れさまでした」

「気をつけて帰ってください、島村さん」

「はい、ありがとうございます」

 

 ちひろが尋ねてきた空気を読んだのか、卯月が席を外すべくその場を去っていく。そんな彼女を見送ってから、綾霧が彼女にどうしたのかと用件を聞いてみた。 

 

「それで、俺を探してたみたいですけど、なにかありました?」

「ありましたよ。実はシンデレラガールの速報が入ってきたので、プロデューサーさんにお伝えしようと思いまして」

「え?」

 

 こほんと軽く咳払いをするちひろ。

 

「初代シンデレラガールの称号は十時愛梨さんに決定しました。僅差でしたが、他の候補者を押さえての受賞です」

 

 シンデレラガールの結果が出た。そう聞いてから心構えをする間もなく、ちひろが彼にそう告げていた。

 

 

 愛梨が初代シンデレラガールを受賞したという話は、瞬く間に皆に伝わって大騒ぎとなった。誰もが注目していた結果だけに仕方ない部分もあるが、ライブが跳ねた熱も冷めやらぬ前に飛び込んできただけに、想像以上の盛り上がりを見せていた。

 正式な式典は後日行われるし、プロダクション内でも催し物が開かれるだろうが、それとは別に用意していたサプライズ演出が受けて、話題が尽きることはなかった。

 そんな喧騒から少し離れた場所に、綾霧の姿があった。

 

「帰らないんですか、プロデューサー」

「――ああ、楓さん。今日のライブ、お疲れさまでした」

「本当、疲れましたよぉ。でも、心地良い疲れです」

 

 薄暗い廊下から外の風景を眺めていた彼に、楓が声をかけた。大きめの窓が壁に設えられてあるため、そこから夜空が見えるのだ。

 

「ライブ、大成功でしたもんね」 

「それもありますけれど、私なりに最高のパフォーマンスをみせることが出来ましたから」 

 

 対面で向かい合う二人。

 先ほどまで行われていたサプライズ――担当プロデューサーから愛梨へのガラスの靴の贈呈式に彼の姿はあったのに、いつの間にやらいなくなっていたから、楓が探していたのだ。

 

「晴れの舞台、見てくれましたか、プロデューサー?」

「もちろん。とても素敵でした楓さん。プリンセスみたいで」

「ふふっ。ストレートに褒めてくれるんですね。嬉しい」

 

 幸せそうに目を細めてから、楓が綾霧に向かってゆっくりと歩き出していく。そして彼の隣まで来ると、ちょこんと自身の肩を彼の肩にぶつけた。

 

「どうして私より貴方のほうが落ち込んでるんですか?」

「べ、別に落ち込んでなんか……」

「うーそ。暗い顔してますよ?」

 

 楓がくるりと回って、再び彼の正面へと身体の向きを変える。

 

「それは私だって悔しい気持ちはありますよ。シンデレラガールを目指して頑張ってきた部分もありますから。でもこの賞は今回限りじゃありません」

「それは、そうだけど……」

「ほーら。やっぱり落ち込んでる」

 

 前屈みになりながら、楓が綾霧の顔を下から覗き込む。それから彼の心を解すきっかけになるようにと、綾霧の鼻の頭をちょんと人差し指でタッチした。 

 

「難しい顔してないで。ね?」

「どうして……楓さんは笑えるんですか? あんなに頑張ってきたのに」

「おかしいですか?」

「そんなことはないけど……でも俺はやっぱり悔しいですよ」

「そういう気持ち、わかります。でも私は――――わたしは必ず貴方のプロデュースでシンデレラガールになってみせます。そう考えたら逆に楽しくなってきちゃいました」

「え?」

「だって、また貴方と一緒に歩いていけるんですから」

 

 それはとても素敵なことなんですよとばかりに、楓が微笑む。

 

「貴方に見出されて、アイドルになって。それから一緒になって積み上げてきたものが崩されたわけじゃありません。否定されたわけでもないし、間違ってもいません。ただ今回はちょっと届かなかっただけ」

「……」

「また一緒に積み上げて行きましょう? それを苦しいだなんて私は思いません」

「楓さん……」

「私をここまでプロデュースしてくれたのは貴方なんですよ、プロデューサー。自信を持ってください。他の誰にも私をこの場所まで誘うことは出来ません」

 

 それは告白とも取れるような彼女の強い思い。

 綾霧以外の誰であろうと、自分をここまで連れてくることは出来なかったと断言したのだ。

 

「そして、いつかは頂きへ――なぁんて言ったら格好つけすぎですか? ふふっ」

 

 後ろ手に両腕を回し、小首を傾げながらおどけてみせる楓。月明かりを受けて佇む様は、まさにお姫さまのように彼には感じられた。

 

「……なんか前にもこういうことありましたよね。俺が一人でいたら楓さんが探しに来てくれて。励ましてくれて。もしかして独自のセンサーでも仕込んでるんですか?」

「――いつも、見ていますから」

 

 何をとか誰をとかは口にしない。それだけで相手に伝わると信じている。

 

「打ち上げ、行きましょうか、プロデューサー。みんな待っていますよ」

 

 もう大丈夫だと判断したのだろう。誘うように囁いてから、楓が少しだけ距離を離した。それから彼を案内するために身体の向きを変える。 

 

「あのっ……楓さん」

「なんですか?」

 

 呼び止められた楓が振り返る。 

 

「その……………………だから」

「?」

 

 言い淀む綾霧の姿を見て、楓がきょとんとした表情を晒す。

 彼がここに一人で佇んでたのは、気落ちしていたばかりが原因ではない。実は楓に渡したいものがあって。それをいつ渡そうかとタイミングを探っていたのだ。だがこうなったら今しか渡す場面はないじゃないかと自分を叱咤する。

 どうせ今日中に渡さなければならないのだ。

 

「なんでも言ってください、プロデューサー。私に遠慮はいりませんよ?」

「……」

「貴方の自慢のアイドルなんでしょう? ふふっ。さっき文香ちゃんから聞きました」

「あ……」

「とても、嬉しかったです」 

 

 確かにそう言ったのを彼は覚えていた。

  

「……えっと、これ、楓さんに」 

 

 やっとの思い出絞りだした言葉と共に、綾霧はスーツの内ポケットから綺麗に包装された長方形の箱を取り出した。朱色のリボンが結ばれているので、一目でプレゼントだとわかる品物だ。

 

「え? それを、私にですか?」

「はい。プレゼントしようと思って」

 

 楓は自身に向けて差し出された品をじっと見つめていた。だが思考が纏まった途端、慌てたように声を出した。

 

「あのっ……開けても、ここで開けても構いませんか?」

「どうぞ。そんなに高価な品じゃないんですけど、楓さんに喜んでもらえたら……」

「ありがとうございますっ」

 

 少し震える手で楓が綾霧からそれを受け取る。重量はそれほど感じないが、箱の質感はしっかりしたものだ。

 楓はしばらくその箱を眺めてから、丁寧に包装を解きにかかる。まずリボンを解いて、包み紙を開いて。そして現れた箱の蓋を慎重に抜き出していく。

 ――その箱の中には、ガラスの靴をあしらったアクセサリーが収められていた。

 

「っ……!」

 

 それを見た楓がハっとしたように目を見開いて、慌てて口元を空いているほうの手で覆った。

 

「もし他のアイドルがシンデレラガールになったら、あなたにこれを渡そうって思ってて。だって楓さんは、俺にとってただ一人の……シンデレラだから」

 

 楓がシンデレラガールになって本物のガラスの靴を渡せるのが一番良かったのだが、そうならなかった時のために用意していたプレゼント。

 彼なりの心からのサプライズ。

 

「今日、どうしても楓さんにガラスの靴を渡したかったんです。こんなものしか用意できなかったけど……」 

 

 ほんの少しでも彼女が喜んでくれたなら、用意した甲斐があるというもの。そう思って楓の反応を窺うが、想像していたような反応は返って来ず、逆に慌てふためく結果となった。

 

「ええっ!?」

 

 ――自分のためだけに用意されたガラスの靴。

 一目見て、オーダーメイドのアクセサリーだとわかった。だがそんなこととは関係なしに、彼が気にかけてくれていたことが嬉しくて嬉しくて溜まらない。

 それに苦しかったレッスンや、忙しい時期にスケジュールが合わなかったことなど。辛いこともあったのだ。そんなこんなが脳内を駆け巡るが、そういう思いが一瞬で報われたような心地がした。

 

「……っ!」 

 

 自然と身体が震えてくるのを抑えられない。手で覆った口元の下で、唇をきゅっと結んでしまう。そうしなければ声が漏れてしまう。だから必死に耐えた。

 けれど思いは、涙となって彼女の瞳から零れ落ちた。

 

「な、なんで!? 楓さん、泣いて……」

 

 ぽろぽろ、ぽろぽろと零れ落ちる大粒の涙。なのに必死に声を押し殺して耐えている楓の姿を見て、綾霧はどうしたら良いのかと混乱してしまう。

 それも当然だろう。プレゼントを渡した時にどんな反応が返ってくるか、幾度か脳内でシミュレーションはしてきたが、まさか泣かれるなんてのは完全に想定外だ。

 

「え? も、もしかして俺、楓さんに嫌なことしちゃった?」

 

 ブンブンと楓が首を横に振る。

 

「じゃあ気に障ることを言っちゃったとか?」

 

 またもや首を横に振る楓。

 声を出せない状況だからか、違うんですと全身を使って表現する。

 

「え? じゃあなんで? ど、どうしよ……」

 

 途方に暮れる綾霧を前にして、楓は一歩、二歩と近づいていき、彼の目の前まで来ると自分の額を綾霧の胸元にぐっと押し付けた。こうすることで泣き顔を見られないで済むと同時に、極限まで距離を近づけることができる。

 

「楓さん……?」

「……すみません、プロデューサー。少しだけですから、このままで……」

 

 すんすんと泣く楓を前にして、綾霧は両手を上げた状態で固まってしまっていた。

 目の前というより完全密着状態なので、腕を下ろせばそのまま彼女を抱きしめることが出来る。しかし、そうしてしまって良いものかどうかの判断がつかない。

 圧倒的なまでの経験不足。こういう時のための経験値が足りない。

 結局綾霧は、楓の肩に手を添えるだけに留めて、彼女が泣き止むまでその場から動かずに佇んでいた。

 

 

 


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