ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

32 / 47
第三十話

「私は……誰かとコミュニケーションを取るということが苦手です。ずっと日陰で本を読むという生活をしていましたから」

 

 プロダクション内の廊下を綾霧と一緒に歩きながら、文香が独り言のように呟いた。

 

「こうして貴方と話していても、まともに目を合わせることも……できません。慣れて……いないのです」

 

 自身の前髪で目線を隠すようにしながら隣を見る文香。彼女自身が言ったように目を合わせるというには程遠いが、これでも彼女なりに頑張って前を向いているのだ。

 

「それでもアイドルになろうと思えたのは、貴方に出会ったからです。あの時プロデューサーさんは縁という言葉を使っていらっしゃいました。覚えていますか?」

 

 あの時というのは、綾霧が本屋で偶然文香とバッティングしてしまった時のことだろう。確かにそういうことを話した覚えが彼にはあった。

 

「合縁奇縁、一期一会という言葉もあります。きっとあの出会いは私にとっての縁なのだろうと思ったのです。それを切欠にできればと…………あ」

 

 話しているうちに文香の面が上がっていき、気付いたら綾霧とバッチリ目線が合ってしまっていた。その時の彼の表情が思いのほか真剣だったので、文香が恥じ入ったように目線を逸らしてしまった。

 

「……すみません。私ばかり話してしまって」

「いえ。大丈夫ですよ、鷺沢さん。どうぞ続けてください」

「あ……はい。…………だから、その。アイドルを目指すことによって、私自身のこういう性格を少しでも変えることができればと。……こういう動機は不純でしょうか?」

「全然。むしろ感心しましたよ」

「え? 感心、ですか?」

「だって自分を変えるために動くというのは、凄くエネルギーのいることだと思うんです。鷺沢さんをスカウトした俺が言うのもなんですけど、未知の世界へ飛び込むのって勇気が入りますよね? けどあなたはそこへ飛び込んで来た」

「……はい」

「それだけでも既に前を向いて行動しているじゃないですか。俺は以前のあなたのことは知りません。でも話を聞いた限りもう変わり始めている。そう思いました」

「あ……」

 

 アイドルを目指す動機としては不純だと叱られるかもしれない。そう文香は思っていたのに、むしろ肯定されてしまった。そのことについて文香は、嬉しさにも似た暖かい気持ちが胸の中に広がっていくのを感じていた。

 誰かと積極的にコミュニケーションを取ってこなかったということは、マイナスの要素も受けないが、プラスの要素も受けないということなのだ。

 

「……正直に言いまして、アイドルというものにそれほど興味は抱いていませんでした。ですが、こうして門を叩いたからには、私なりの努力はしていきたい。本のページを捲るように、少しずつですけれど、前に進んでいければと……」

「俺はそれでいいと思いますよ。あなたの進んだその先に、輝く世界が待っていますから」

「輝く世界……今は想像もつきませんけれど、いつか辿りつけたなら、嬉しいですね……」

「誘ってみせます。必ず。なんたって俺はこう見えてもプロデューサーですからね」

「……ふふ。そうですね。貴方は私のプロデューサーさんですものね」

 

 文香が少し表情を崩して微笑んだ。それだけでも雰囲気が随分と明るく変わったように感じられた。

 彼女はコミュニケーションが苦手と言っても受け答えはしっかりしているし、打てばちゃんと響く。綾霧は経験さえ積んでいけば、十分トップアイドルになれる素質があると、改めて心の中で思った。

 容姿という部分では既にアイドルとしての及第点は超えているし、化粧を施して綺麗な衣装を纏えば、観客の視線を釘付けにすることも可能だろう。反面、動き、ダンスという部分に関してはまだまだ改善の余地がある。

 

「まずはもう少し体力をつけましょうか。こないだのダンスレッスン、きつかったみたいですし」

「あ……その節はお恥ずかしい姿を見せてしまい、申し訳ありませんでした……」

 

 文香は初めてダンスレッスンを受けた際に、暫く座りこんで立ち上がれなくなってしまうという姿を綾霧に晒してしまっていた。彼に水を汲んできてもらって、呼吸を整えて、やっと歩けるようになったという経緯がある。

 

「あれがただの基礎レッスンだと聞いて目の前が暗くなる思いがしました。随分とハードなトレーニングをするものだと……思ったものですから」

「まあ最初ですから。仕方ありません。ちょっとずつ慣れていきましょう」

「……はい。ご迷惑をかけることになると思いますが、よろしくお願いします」

「なに、俺にだったら幾らでもかけてください、迷惑。アイドルにとってのプロデューサーってそういうものだと思ってますから」

「ふふ……。ありがとうございます。そう言って頂けると気持ちが随分と軽くなる思いがします」

 

 少しおどけた綾霧の調子を受けて、文香が小さな声でクスっと笑った。その時の表情は、年齢相応の可憐な少女のもので、もっと笑顔を見てみたいと思わせるくらい魅力的なものだった。

 そんな文香の横顔を眺めながら、綾霧は出会った頃の楓に少しだけ似ている部分があるのではないかと感じていた。

 誰かとコミュニケーションを取るのが苦手で、身体を動かすのも得意ではなくて。けれどそういう自分を変えたいと思っていて。年齢が若い分、文香のほうがよりその傾向は顕著だが、似通っている点があるんじゃないかと。

 

「さあ、着きましたよ。今日の目的地はここです」

「えっと、ここは……」

「写真スタジオです。今日はあなたの宣材写真を撮ろうと思って」

 

 廊下を進んだ先にある扉を開くと大きな空間が広がっていて、そこが346プロダクション専用の写真スタジオとなっていた。外部のスタジオを借りることも多いが、ちょっとしたことなら全て自分達の敷地内で事が済ませられるのが346の強みでもある。

 だが、文香はそのスタジオの風景を見るなり、少し表情を翳らせてしまった。

 

「あの、プロデューサーさん。お恥ずかしい話なのですが……」

「どうかしましたか?」

「……いえ。実は私、ほとんどお化粧というものをしたことがなくて、メイクについての知識も、経験も乏しいのです。アイドルとしての写真を撮るということは、お化粧をしなくてはいけませんよね?」

「それは、はい。ただメイクさんもスタイリストさんもいらっしゃいますから、自分で出来なくてもその点は大丈夫ですよ」

「そうなのですか?」

「ええ。けど自分で出来るようになっていて損はないと思いますが」

「……ですよね。こういう部分でも、私は色々と学んでいかないと……」

「誰かに教わるというのも一つの手ですよ。幸いうちにはあなたにとっての先輩アイドルがいますから。川島さんや片桐さん、楓さんに頼めば快く教えてくれると思います」

 

 というか文香があまり化粧をしてこなかったと聞けば、瑞樹や早苗は率先して教えたがるかもしれない。だが綾霧のそういう思いに反して、文香が伏目がちに俯いてしまった。

 

「折角の申し出なのですが、私には少しハードルが高いように感じられます」

「え?」

 

 文香が化粧をしたことがないと聞いた時よりも、綾霧は素で驚いてしまった。今の会話のどこに高いハードルがあったのか見当もつかなかったからだ。

 

「……先ほども申しました通り、私は誰かとコミュニケーションを取るということが苦手なのです。ですからアイドルとして、大人の女性として輝いているお三方に、私のような人間が近づいても良いものかどうか……そういうところから迷ってしまうのです」

 

 自己紹介や挨拶はもちろん済んでいるし、誰しもが彼女を快く迎え入れていた。だが文香のほうでなにかしらの壁が存在してしまっているらしい。

 

「……ですから今すぐにということは難しいですけれど、少し時間を頂ければ……」

「わかりました。俺のほうからそれとなく声もかけておきますよ。あとメイクを教わるなら楓さんが一番あなたに合うかもしれません。年齢も鷺沢さんとは一番近いですし」

「はい。――楓さん、とても素敵な人ですよね。気品があって、魅力的で、大人の女性としての余裕も持ち合わせていて。アイドルとしても凄く輝いて見えます」

「でも、結構お茶目なところもあったりするんですよ、楓さん」

「え? そうなのですか? 全然そういう風には思えませんが……」

 

 未だ楓が文香の前でダジャレを披露したことはないが、その時が来た時の文香のリアクションが楽しみでならない。そう綾霧は思ってしまった。

 

「じゃあいきましょうか、鷺沢さん。緊張するなというと無理があるかもしれませんが、できるだけリラックスして臨みましょう」

「……頑張ります」

 

 リラックスを頑張るという少しちぐはぐな答えが返ってきたが、文香のやる気みたいなものは十分に彼まで伝わってきていた。

 

 

 それから暫くの期間、綾霧は文香に率先して時間を割いて、なるべく一緒にいるように勤めていた。アイドルとして大切な時期でもあるし、ちひろから信頼されて託されたという経緯もある。また国立大ホールで行われるライブも控えていて、部署としてかなり忙しい時期に突入してしまっていた。

 他のプロデューサーとも連携を行う必要もあり、綾霧がルームを空ける日も少なくない。だから綾霧と担当アイドルの四人が一同に会するということは極端に少なくなっていた。

 

「鷺沢さん。今日はラジオ番組のゲストとして出演する予定が入っています。喜んでください、初めてのラジオ出演ですよ!」

 

 プロデューサーオフィスに文香を招いて本日の流れを綾霧が説明していく。今日はこれから二人でラジオ局に赴く予定になっていた。

 

「……はい。ありがとうございます。ですが私に勤まるでしょうか?」

「別にパーソナリティとして司会進行しろっていうわけじゃありませんから、大丈夫ですよ。質問されたことに答えていけば、あっという間に時間になってると思います」

「それなら……私にもできそうですね」

 

 ほっとしたように文香が胸を撫で下ろす。出演するという喜びもあるが、やはりアイドルとして前に出るのにはまだ少し抵抗があるようだ。 

 

「番組の高森藍子のゆるふわタイムという名が示す通り、ふんわりとしたアイドルがお相手なので、鷺沢さんも喋りやすいんじゃないかと」

「プロデューサーさん。初めての相手として、そういう人を選んでくれたのですね? ラジオなのも直接人前に出ることがないからでは?」

「いや、まあ……そうです」

 

 文香に見抜かれてしまったことに照れを感じたのか、綾霧が首元に手をやってそれを誤魔化そうとする。

 彼女はゆっくりとした喋りからは想像できないほど頭の回転が速い女の子だ。きっと多くの本を読んできた影響なのだろう。物事を考えて、何かと結びつけるのは得意なようだ。

 

「まあ、いずれは新人アイドルの登竜門であるシンデレラNo1に出て、一人でやってもらう必要がありますから、今日は予行演習のような気持ちでやってみてください」

「はい。要……精進ですね」 

「頑張りましょう、鷺沢さん。じゃあ少し早いですが出発しましょう……って、いけね。一つ資料を作らないと駄目だったんだ」

「資料? 時間、かかりますか?」

 

 文香がちょこんと首を傾げ尋ねてくる。一人でラジオ局に行ってと言われても絶対に無理だからだ。

 道は調べれば分かる。移動手段もなんとかなる。だがいざそこへ到着しても絶対一人で中には入れないだろう。 

 

「いえ。最後の詰めをちょろっとやる感じなのですぐに終わると思います。先に駐車場に行っててもらっていいですか? すぐに追いかけますから」

「駐車場へ先に……はい、承りました。それでは失礼致します」

 

 綾霧に挨拶をしてから、文香がオフィスを後にする。ちょうどそんな彼女と入れ替わるようにして、楓、瑞樹、早苗の三人が揃って部屋の中へ入ってきた。

 

「こんにちは、プロデューサー君。いいの? 文香ちゃん一人で歩いて行ったけど?」

「ああ、片桐さん。こんにちは。ちょっとプリントアウトするものがあって。それが終わったらすぐに追いかけますよ」

 

 綾霧が手元のノートパソコンを操作して、資料の印刷を開始する。その間に三人が彼のデスクの前まで歩いてきた。

 

「そっか。やっぱり出掛けちゃうんだ」

「どうかしました、片桐さん?」

「ううん。最近みんな忙しいじゃない? すれ違うことも多くなってるっていうか、こうやって集まるのも久しぶりかなって」

「だからね、今夜皆で飲みに行かないかって話してたところなのよ。で、こうしてプロデューサー君も誘いに来たってわけ」

 

 早苗の言葉の後を受けて、瑞樹がここを尋ねてきた目的を話した。それから早苗が、ビールジョッキを傾けるポーズをつけて一言付け加える。

  

「どう? プロデューサー君? 今夜、ぱーっと居酒屋にでも繰り出さない?」

 

 居酒屋へという早苗の提案は実に魅力的だった。しかし綾霧は、苦い表情を浮かべながら渋々彼女たちに断わりを入れた。

 

「ごめんなさい。今日はラジオの収録の後で鷺沢さんを自宅まで送り届けなければいけなくて。折角のお誘いなのに……」

「あ、彼女未成年だものね。アイドルを送ってくのもプロデューサー君の仕事よねぇ。じゃあ仕方ないか」

 

 早苗が残念そうに肩を竦めた。それから楓に視線を投げかける。

 

「だって、楓ちゃん」

「……残念です。今日はプロデューサーとご一緒できるかなと思っていましたから」

 

 楓が少し意気消沈した面持ちで寂しげな笑みを浮かべた。その表情はかなり綾霧の心に突き刺さり、何とか時間を捻出できないかと、彼は必死に頭を捻り始めた。しかしどう考えても間に合わないと結論を出す。

 

「途中参加なら……って時間的に無理だな。でも顔を出すだけなら……って意味無いか。すみません。やっぱりまたの機会に」

「はい。また、是非」

 

 そうこうしているうちに、印刷していた資料のプリントアウトが終わったようだ。綾霧はそれを受け取るべくプリンターのところまでまで歩くと、資料をファイルケースの中に詰め込んだ。

 

「じゃあ、行って来ます」

「うん。気をつけてね」

 

 早苗に見送られながら部屋を出ようとする綾霧。その背中に楓が声をかけた。

 

「あの、プロデューサー」

「ん? なんですか、楓さん」

 

 振り返った綾霧に、楓はなにか言おうと口を開きかけるが――結局、何も伝えることはせずに手を振ることにした。 

 

「……いえ、いってらっしゃい、プロデューサー」

「はい、行って来ます」

 

 ひらひらと振られる手に応えてから、綾霧が部屋を後にする。暫く楓は、彼が消えた扉に視線を張り付かせていたが、急に思い立ったように走り出すと――

 

「プロデューサー。やっぱりちょっと待ってください」

「え?」

 

 扉を開き、廊下に出て綾霧の姿を探す。幸い彼はすぐそこを歩いていて、楓は駆けながら彼の背中へと声をかけた。

 

「……はあ、はあ。あの、プロデューサー。今日は駄目でも後日飲みに――」

 

 息を整えながら発した言葉。伝えたかった台詞を楓が慌てて途中で刺し止めた。そして言いかけていた内容を少しだけ変えて彼に伝えることにした。

 

「いいえ。今度のオフ、私の買い物に付き合ってくれませんか? 一緒に行きたい場所があるんです」

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。