セットリストを順調に消化して、本日のイベントにおける最後の曲のお披露目となった。
――演目は『お願い!シンデレラ』
事前に新曲の発表が行われると予想がなされていた為、ついに来たかと会場のファンがどよめく。
壇上に並ぶアイドルは――十時愛梨、城ヶ崎美嘉、川島瑞樹、高垣楓、佐久間まゆ、輿水幸子、小日向美穂の全部で七名。センターに楓を配置し、七人が横一列に並んでいる様は、否が応にもファンの期待感をこれでもかと加速させていく。
『――――』
固唾を呑むという言葉があるが、その一瞬、会場の中から一切の音が消えた。それに合わせ照明が落ちて、ほんのひととき、あたりは暗闇に包まれた。
だが会場の皆が不安に思う間もなく、センターの楓にスポットライトが当たり、それと同時に曲のイントロが流れ出す。
特徴的な時計の針が刻む秒針の音。モニターに映しだされる大時計。そして、その針が十二時を指した時、壇上の七人全員にスポットライトが当たり、曲の歌いだしとなった。
この日のために幾度も繰り返し練習したダンス。歌いながらの降り付けは、七人の呼吸が合って初めて美しいものとなる。それを彼女たちは本番で綺麗に表現し、観客の視線を釘付けにしていった。
熱気が会場に渦巻き、歓声があたりを包み込む。
こうして『お願い!シンデレラ』の初披露は、大盛況を以って迎えられることとなった。
346プロダクションの敷地内には色々な施設が併設されているが、その中にオープンテラス付きの立派なカフェが設置されていた。プロダクション内の人間は元より、訪れた人も自由に利用できるようになっていて、アイドルの取材なんかもここで行われたりもする。
瀟洒な雰囲気が受けていて、料理も美味しいと評判で、ランチタイムなどには多くの利用客でごった返すこともあった。
「あ、楓さんじゃーん。やっほー!」
そのカフェの中へと入って来たギャルメイクの女の子――城ヶ崎美嘉が、テーブルに付いている楓の姿を見つけて元気に手を振ってきた。美嘉はそのまま楓の元へと歩いていき、彼女の対面に座っていた綾霧を見つけるとこちらにも元気な声で挨拶をする。
「それと、楓さんのプロデューサー。二人とも、ちぃーすっ」
「こんにちは城ヶ崎さん」
「こんにちは、美嘉ちゃん」
「えへへ。アタシもここ座っていーい?」
愛嬌たっぷりの笑顔にギャルピースを添えて、美嘉が同席を申し出る。それを受けて、楓がチラリと綾霧に目線をくれた。それを見た綾霧が美嘉に向けていいですよと頷く。
「ええ、もちろん大丈夫ですよ。どうぞ、城ヶ崎さん」
「ありがとっ」
綾霧の言葉を聞いてから美嘉がお礼の言葉を述べる。それから楓の隣の椅子に腰を落ち着けた。
――城ヶ崎美嘉。
346プロダクションに所属するアイドルで、カリスマJKの通り名が示す通り現役の女子高校生である。派手な見た目や言葉使いなどから、軽い女の子と見られがちだが、仕事には真摯で熱心であり、一本芯の通った考え方を持つ頑張り屋だ。
その成果もあってか、passionという区分では十時愛梨と人気を二分するほどの活躍を見せていた。
「二人は今お仕事中? それとも休憩中かな?」
「午前の仕事が一段落したので、休憩も兼ねて遅めの昼食を取っているところです。城ヶ崎さんは?」
「アタシもそんな感じ。ちょっとカフェで休もうかなって」
綾霧の手元にノートパソコンが置いてあったため、美嘉は仕事中なのかと少し気を回したのだ。しかし休憩中なら邪魔にはならないだろうと、リラックスを決め込む。
「ふーん。コーヒーとサンドイッチかぁ。アタシは何頼もっかなー」
テーブル上に並べられている料理を見て美嘉が考え込む。だがあることに気が付いて目をぱちくりとさせた。
楓も綾霧もコーヒーにサンドイッチというメニューは変わらないのだが、どうやらそのサンドイッチがお互いシェアされているようなのだ。
厚手のトーストに具材を挟み込むスタイルのサンドイッチだが、中身によって味はかなり変わってくる。恐らく二人で別々のメニューを頼み、それを交換させたのだろうと美嘉は当たりをつけた。
「へえ、取替えっこか。仲が良いんだね、二人とも」
「ああ、これは違う味が楽しめたほうがいいかなって……」
「だよねー。アタシも莉嘉とよくやるんだけど“おねーちゃん、アタシもそれ一個欲しい!”とかって。あ、莉嘉っていうのはアタシの妹なんだけどー」
仲良しを強調しながら、美嘉が意味ありげに目を細めつつ頬杖をついた。そんな彼女に楓がメニューを手渡す。
「美嘉ちゃん。なにか飲みます? 良かったら奢りますよ」
「え? いいんですか、楓さん。やりぃ!」
全身で喜びを表現してから、美嘉が受け取ったメニューに目線を落とした。それから聞きかじっていた話をつと口に出してしまう。
「最近周りでちょっと噂になってますよー。二人のこと」
「噂って、美嘉ちゃん?」
「いつも一緒にいるなぁっみたいな感じで。アイドルと担当プロデューサーだから不思議じゃないんだけど、夜に並んで出ていくのを見た人もいるみたい」
「あ、それはきっとプロデューサーと二人で飲みに行く時のことじゃないかしら。お仕事が終わってから出るから」
「え? 二人きりで飲みに行っちゃったりするの!?」
「ええ。しますよ。ちょくちょく」
「ち、ちょくちょく……」
さらっと楓に答えられてしまい、質問を投げかけた美嘉のほうが戸惑ったような表情を晒してしまう。けれどすぐに表情を戻すと、にひひと快活な笑顔を浮かべた。
「やっぱり仲良いんだ。アタシはまだお酒とか飲めないけど、そういうのいいね」
可愛い仕草でウインクしてみせる美嘉。そんな彼女の言葉は何故か楓に響いたようで、上機嫌な声で美嘉に返す。
「美嘉ちゃん、デザートも頼みますか? なんだったら軽食も一緒に」
「あはは。さすがにそんなには食べられないかなー。甘いものも控えてるんだけど、折角だしケーキは頼んじゃおう。うん、よし決めた!」
持っていたメニューをパタンと閉じて、美嘉が楓に礼の言葉を述べる。それからカウンターに向かって手を振って、注文の意思があることを伝えた。
どうやら紅茶とケーキのセットに決めたようだ。
ちなみに大きなリボンを頭に付けたメイド風の店員がカフェに勤めているのだが、今日はシフトに入っていないのか見当たらなかった。
「うん、美味しそう!」
それからしばらくして、美嘉の頼んだものがテーブルに運ばれてくる。彼女は早速フォークでケーキを一口分だけ切り取ると、それをパクっと口の中に放り込んだ。途端、表情が年相応の少女のように輝きだす。
「うわー! このチーズケーキめっちゃ美味しいっ! 濃厚っていうのかな。風味が抜群っ!」
美嘉が甘いものを控えているのは苦手だからではなく、体型の維持を目的とした節制であり、本来はお菓子もスイーツも大好きなのだ。そのことが仕草や表情に現れている。
そうして食べ進めていた美嘉だが、隣に座る楓の姿を見て、ふと疑問に思ったことを尋ねてみることにした。
「そういえば楓さんって食事制限とかしてるの?」
「え? なんです、突然?」
「だってめっちゃスリムじゃん。綺麗でスラっとしてて、正直憧れちゃうなって」
「んー、そうですねぇ。特に意識して制限とかはしてませんけど」
「えぇっ!? それでその体型? 凄いっていうかちょっとズルイ?」
「ズルイと言われても困ってしまいますね……。モデル時代は今より少食なほうでしたから、その影響もあるのかもしれません。お酒はよく頂いてましたけど」
「ふーん。じゃあアイドルになって食べる量とか増えちゃったりしたんだ?」
「レッスンなどで身体を動かすことが増えたので、その分は自然と。あと――」
言葉の途中で楓がチラリと目線を対面の綾霧へと向ける。
「誰かと一緒に頂くことが多くなって、より食事が美味しく感じるようにはなりました」
「うん、うん! やっぱ誰かと食べるご飯って美味しいもんね!」
「アイドルになる前はあまり感じませんでしたが、今は一人だと少し寂しいかなって。これも変化なのかしら」
そうやって楓と美嘉が楽しそうに話している様子を、綾霧は食事を進めながら眺めていた。
彼女たちは“お願い!シンデレラ”を歌う際に初めて組んだのだが、相性は良いらしく会話は弾むようだ。共通点があまりないということが良い方向に作用しているのだろう。
そんな二人を眺めながらも、時折手元のノートパソコンに目線を落とす綾霧。しかし美嘉がじーとこちらを見ていることに気付いて慌てて顔を上げた。
「あ、どうかしましたか、城ヶ崎さん?」
「ううん。なにしてるのかなーって思っただけ」
「えと、先日のミニイベントの映像をチェックしていて……ほら、こう言う感じで」
対面に見えるようにパソコンの向きを変える綾霧。ディスプレイにはちょうど七人で“お願い!シンデレラ”を歌う姿が映しだされていた。
その映像を楓と美嘉が覗き込む。
「うわぁ。会場からはこういう風に見えてたんだねアタシたち。実はあの時すっごい緊張しててさ。終わった時は正直ほっとしちゃった」
「美嘉ちゃんもですか? 私もなんです。歌い出す前なんてもう心臓がバクバクしちゃって」
「えー? そうは見えなかったけどなー。楓さん舞台に出る前に“ラストスパート、すぱーっと決めましょう!”とか言ってたし」
「ふふっ。みんなの緊張を少しでも解せればと。ああいう時のダジャレは効くんです」
優しげな表情で目を細める楓。いつかのライブの時を思いだしているのかもしれない。
「まあセンターの楓さんがリラックスしている風だったから、アタシたちも安心できたってのはあるかも。大きな会場じゃなかったけど、ファンのみんなのノリも最高だったし!」
「ええ。今でもはっきりと思いだせます。会場に広がる光の海。その一つ一つの先にファンの方がいて、私たちの歌を聴いてくださって。――またみんなで一緒に歌いたい。そう思いました」
会場のファンとの一体感は、実際に壇上に立った彼女たちが一番わかっているはずだ。それはプロデュ-サーである綾霧には想像するしかないが、また一緒に歌いたいと願うなら、その場を整える力添えはできる。
そして次のプランはもう決定しているのだ。
「歌えますよ。またみんなで」
『え?』
楓と美嘉の疑問符が重なった。
「楓さん。城ヶ崎さん。今年を締め括るライブを国立大ホールでやるのは知ってますよね?」
「うん。うちが単独でやるおっきなやつだよね?」
美嘉が綾霧の言葉に頷いた。
一年を締め括るべく大ホールを借り切って行われる346プロダクション単独のイベント。それ自体は楓も美嘉もアイドルとして出演する予定になっているので知ってはいた。
だが次の綾霧の言葉は二人にとって初耳だった。
「ええ。そのライブのオープニングを“お願い!シンデレラ”で飾ろうと思っています」
「私たちがオープニング曲をですか?」
「はい。先日のミニイベントに参加した七名に新たに白坂小梅さん、日野茜さんを加えた合計九名で。この間のお披露目はこの日のためだと言っても過言じゃありません」
ある意味で今までの集大成となるライブ。その始まりを楓をセンターとしたユニットで飾りたい。
「必ず成功させましょう!」
綾霧はそう強く願っていた。