ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第二十七話

「こーら。楓ちゃんばっかり見ないの。目線、わかっちゃうんだから」

 

 温泉旅館の一室に浴衣姿の楓と瑞樹、そして綾霧の姿があった。女性陣は浴衣の上から茶羽織を纏い、広縁に陣取った状態で湯上りのお茶を楽しんでいる。

 広縁とは、旅館などの室内に意識的に作られているスペースのことで、外の景色を楽しめるように窓際にテーブルと椅子を設置した場所のことだ。

 

「まあでも、楓ちゃん綺麗だからねぇ。湯上りで色っぽいし? つい見ちゃうのも仕方ないか」

 

 広縁に設置されている椅子はミニテーブルを挟んで二脚で、そこに楓と瑞樹が陣取っているため、自然と綾霧は畳みに胡坐をかいた姿勢で二人と対面することになった。

 構図的には皆で三角形を描くような感じで会話していたのだが、半ば無意識のなせるわざか、綾霧が楓のほうへチラチラっと視線をやってしまっていて、それを瑞樹に指摘されたというわけである。

 

「でも私と話してる時はこっち見て欲しいな」

「……その、ごめんなさい」

「ふふ。そうやって素直に謝れるの、プロデューサー君の良いところだと思うわよ。ねえ楓ちゃん」

「ええ、そうですね」

 

 窓際に目線をやっていた楓が振り向きながら答える。

 温泉に浸かってきたからか、それとも飲んでいるお茶が熱いのか。あるいは照れてしまっているのか。楓の頬がほんのり上気して紅く染まっている様は、着ている浴衣姿も相まって実に艶やかである。

 

「あ、別に怒ってるわけじゃないからね。ただそうやってプロデューサー君が楓ちゃんばかり見てると恥ずかしがっちゃって、窓の外ばかり見ちゃうから。そういうの寂しいじゃない?」

 

 クスクスと笑いながら、瑞樹がパタパタと右手を振った。ちょうどそのタイミングで仲居さんが部屋を尋ねて来た。事前にお願いしていた時間通りに食事を運んできてくれたのだろう。

 三人は食事が運ばれてくるまでの間、部屋で歓談していたというわけだ。

 

 

 アイドルにはイベント毎などで地方へ出お出かけして、そこでお仕事をこなすことがある。そういう遠出する時などは、現地で一泊してから戻ってくることも少なくないのだ。

 今日も楓と瑞樹の二人でミニライブのイベントをこなしてきたばかりである。

 普段なら会場近くのホテルなどを利用するのだが、今回は先方のご好意で近場の温泉旅館を用意してもらったということもあり、三人で泊まりに来たというわけだ。

 小旅行のようなシチュエーションだが、楓も瑞樹も温泉が好きなのか、かなりこの状況を楽しんでいる様子で、プロデューサーとして同行した綾霧も心躍らずにはいられない。

 当然泊まる部屋は別々ではあるが、食事は一緒に取ろうという瑞樹の提案を受けて、各々温泉を楽しんだ後で綾霧の部屋に集まってきたという流れである。

 ちなみに温泉は混浴ではなく、男女別に用意されていたと記しておこう。

 

「おお~。凄い豪勢な食事じゃないですか。昼からなにも食べてないからお腹が鳴りそう」

 

 テーブルに並べられた食事を見て、綾霧が嬉しそうに目を輝かせた。

 メニューは和食テイストで、主菜に一人用の鍋、副菜に季節の野菜を使った天ぷらや煮物、小鉢におひたしやお刺身なんかも添えられていて、綾霧の言うように豪華なものだった。

 当然“お酒”も用意されている。

 

「お鍋から良い匂いが漂ってくるわね。彩りも良いし、プロデューサー君と同じく見てるだけでお腹が鳴っちゃいそう」

 

 瑞樹が浴衣の裾を直しながら席につく。和室なので下に座布団を引いての正座だ。

 

「プロデューサー。最初はビールで良いですか?」

「もちろん。ありがとう、楓さん」

 

 楓が瑞樹の隣に座りながら、ビールの瓶を手に取った。それを対面の綾霧に向けて傾けながら“注ぎますよ”という意思を仕草で表現する。それを受けて綾霧がコップを手に取った。

 

「おっとっと」

 

 テーブル越しにコップを差し出す綾霧。その中に零れないギリギリのラインまでビールを注いでから、楓が瓶を返した。そして隣に座る瑞樹にも注ぎ、最後に自分の分を用意する。

 

「なにに乾杯しましょうか?」

「今日もお仕事お疲れさまでいいんじゃない、楓ちゃん?」

「俺もそれでいいと」

「はい。じゃあそれでいきましょう」

 

 三人がそれぞれグラスを手に取る。

 

『――お仕事、お疲れさまでした! かんぱーい!』

 

 空中でグラスをかち合わせてから、各々がビールを一気に煽った。この最初の一杯特有の、喉の奥に炭酸をぐいぐいと流し込む感じこそビールの醍醐味である。 

 

「ふう、美味しい。――あ、日本酒もありますから、飲みたくなったら言ってくださいね」

 

 そう言った楓が、透明のお銚子を両手で持って、二人に見えるように掲げた。地元の銘酒らしく、普段飲めないお酒が飲めることを彼女は楽しみにしていたのだろう。

 

「私はもう少しビールを頂くわ。プロデューサー君は?」

「折角だし、少しもらおうかな」

 

 そう口にした綾霧がお猪口を手に取るのを見て、楓が嬉しそうな表情を晒した。

 

「じゃあ私がお酌してあげますね。はい、どうぞ、プロデューサー」

「あ、はい。ありがとうございます」

「うふふ。いーえー」

 

 対面からお猪口へと注がれる液体は、まるで澄み切った湖のような透明感があって、いかにも口当たりが良さそうである。それをそのまま口元へと運ぶ。

  

「へえ、ほんのり甘くて飲みやすいですねこれ。香りもいいし、飯にも合いそう」

 

 綾霧がくいっとお猪口を傾けて中身を飲み干す。それを合図にしてみんなでいただきますをして食事の開始となった。

 

「良い雰囲気の旅館ね、ここ。温泉も綺麗で大きくて、食事も美味しくて。早苗ちゃんも一緒に来られれば良かったわねぇ」

 

 お刺身を口に運びながら、瑞樹が話題を振った。

 

「別件でお仕事がかち合わなければ片桐さんも一緒に来れたんですけど。スケジュール調整できずに、すみません」

「やーねぇ。プロデューサー君が謝ることじゃないわよ。お仕事なんだし」

「早苗さん、子供向けのイベントに出るんでしたっけ?」

 

 ししとうの天ぷらに箸を伸ばしながら、楓が聞き返す。

 

「ええ。サイキックな美少女アイドルと組んで遊園地のイベントに」

「サイキックですか? もしかして超能力とか使えるのかしら?」

「なんでもスプーン曲げができるとか。ムムムンッと念じるとグイって曲がるそうです。他にも色々超能力が使えるという噂になってますよ」

「へえ、さすが346プロダクションね。超能力が使えるアイドルまでいるなんて、凄いわ」

 

 ――サイキック美少女アイドル堀裕子。この日、片桐早苗と運命の出会いを果たす。

 

「あら。本当に美味しいですね、この日本酒。滑らかでぐいぐいいけちゃいそう」

 

 会話しながら楓も早速日本酒に取り掛かっていて、軽く一杯飲んでから、感嘆したような表情で頬に手を添えていた。

 

「お料理も合いますし、ちょっと止まりそうにありません」

 

 仕事がはねた開放感も手伝ってか、楓は自分でお猪口にお酒を注いでは杯を空けている。

 そんなこんなで、三人での食事は和やかな雰囲気で進んでいった。  

 

 

 そうして食事も終わり後片付けも終了して、さあ解散しましょうかとなった時に一つ問題が起こってしまった。なんと楓が酔い潰れて眠ってしまったのだ。

 畳の上で横向きになり、身体をくの字にさせた状態で寝息をたてる彼女。そんな楓を見て、瑞樹が仕方ないわねと苦笑を浮かべる。

 

「楓ちゃん。起きて。ここプロデューサー君の部屋だから、私たちの部屋に戻るわよ」

 

 楓の二の腕部分を掴んで、身体をゆさゆさと揺らしながら瑞樹が声をかけている。しかし寝言のような曖昧な返事が返ってくるばかりで起きる様子がない。食事の時にかなりハイペースで日本酒を飲んでいたことが影響しているのか、幸せそうな寝顔のままくるんと丸まってしまった。

 

「もう、しょうがない子。ライブで疲れちゃったってこともあるんだろうけど。かーえーでちゃん。ほら、起きて。お部屋帰るからね」

「……あと、五分……だけ……ですから……」

「なに言ってるの。ここ自宅じゃないからね?」

「…………くー」

「はあ。駄目みたいねぇ。困ったわ」

 

 立ちあがって腕組みをしながら、瑞樹が嘆息する。それから暫し考えて、綾霧の方向へと向き直った。

 

「ねえ、プロデューサー君。悪いんだけど、楓ちゃんを私たちの部屋まで運んでくれないかしら?」

「え?」

「私は部屋に戻ってお布団の用意がされてるか見てくるから。まだだったら連絡しないとだけど」

「ええっと、はい。確かにこのままっていうわけにもいきませんからね」

 

 畳みの上で丸まる楓を見つめながら、綾霧が答えた。温泉に入って、美味しい食事をして、大好きな日本酒を頂いて。実に幸せそうな寝顔である。

 彼女が自然に起きるまで待つという選択肢もあるが、風邪を引いてしまったら大変だし、すぐに起きてくれる保障もない。それに浴衣姿の楓を自室に泊めるとなると、朝までに彼の精神が崩壊してしまう恐れがある。

 

「頼めるかしら?」

「もちろん、任せてください。ここの右隣の部屋ですよね、川島さんたちの部屋って」

「そうよ。頑張ってね、男の子」

 

 ぽんと綾霧の肩を叩いてから、瑞樹が出口に向かって歩き出した。

 

「じゃあ様子をみてくるから。楓ちゃん、お願いね」

 

 パタンと扉を閉じて瑞樹が部屋を出た。こうなると必然的に楓と二人きりという空間が出来上がってしまう。別に珍しいシチュエーションというわけではないが、浴衣姿の楓と一緒となると話は違ってくる。

 どうしても相手を強く意識してしまうのだ。

 

「楓さん。起きてください。お部屋、戻りましょう」

「……すー」

「起きないと抱きかかえて運んじゃいますからね?」

「……………」

 

 運ぶとなると彼女を持ち上げる必要が出てくるが、その前に一縷の望みをかけて楓に声をかけてみた。しかし返ってくる反応は瑞樹が声をかけた時と大差なく、起きる気配は感じられない。

 これはもう覚悟を決めるしかないかと、綾霧が後頭部に手を置いた。

 

「じゃあ失礼します、楓さん。――んんん、よいっしょっと」

 

 まず横向きになっている楓の前にしゃがみ込み、どうやって持ち上げるかを思案する。おんぶするのが一番良いのだろうが、完全に眠っている人物を背負うのは難しい。そう判断した綾霧は彼女の背中側に回り込んだ。

 それからまず左手を楓の背中に、そして右手を腰のあたりに差し込んでゆっくりと持ち上げていく。その過程で背中から肩へ、右手側は少しずつ太股のほうへと手のポジションをずらし、体勢を安定させていった。

 

「……ぐっ」

 

 楓は身長は高いけれどモデル体型なので、比較的体重は軽いほうだ。しかし意識のない人間を持ち上げるのは思ったよりも重労働で、綾霧は奥歯を噛み締めて、倒れ込まないように耐える必要に迫られた。

 ここで前のめりに倒れ込むと色々とマズイ。だがそうした時の揺れが彼女に伝わったのか、楓が目を覚ましたようだ。

 

「あ――」

「…………え? プロデューサー?」

 

 状況に理解が追いつかないのか、ぼーとした表情で綾霧を見上げる楓。だが部屋の光景と彼の表情、そして自身の状態から自分が彼に持ち上げられているのだと察する。

 

「あ……そうか。寝ちゃったんですね、私」

「えと、その、別に俺は変なことをしようとしてたわけじゃなくてですね、楓さんが眠っちゃったから――」

「わかります。お部屋まで運んでくれようとしてたんですよね?」

 

 持ち上げられている楓じゃなく、持ち上げている綾霧のほうが動揺したようにあたふたしている様が面白かったのか、楓がクスクスと笑い始めた。

 

「けど重くないですか、私?」

「……それは、大丈夫です」

「本当に?」

「これでも男ですから。これくらいは」

「ふふっ。やせ我慢。プロデューサーの顔に重たいって書いてありますよ」

 

 抱きかかえている関係で、お互いの顔がかなり至近距離に迫っていた。相手の唇の動きや、瞬きまで詳細にわかってしまうほどに。こういう状態で会話するのは、気心の知れた間柄でも気恥ずかしいものがある。

 

「……平気ですから。ただ首か肩の辺りに腕を回してもらえると助かるかなって」

「腕ですか? はい。えと、こうかしら?」

 

 綾霧に促された楓が、腕を彼の首から肩へと回るように廻し込んでいく。言葉にすると“ぎゅっ”とする感じだろうか。こうすることで持ち上げている者の負担が随分と軽くなるのだ。

 

「…………」

「どうです、プロデューサー? 邪魔じゃありません?」

「ええ、いい感じです。じゃあこのまま部屋まで運びますから、じっとしててくださいね、楓さん。――あ、それとも自分で歩けそうですか?」

「……それがまだ少しフラついちゃうみたいで、迷惑でなければ運んでもらえると」

「全然迷惑なんかじゃ。OK。じゃあ行きますよっと」

 

 楓を抱えたまま綾霧が足を踏み出す。彼女が腕を廻し込んでくれたおかげで、安定した足取りで歩みを進めることができそうだ。

 

「……」

「…………」

 

 彼女を抱き抱える綾霧。彼に抱きつく楓。この姿勢はお互いの身体が完全に密着してしまっているので、相手の息遣いや体温が直で伝わってしまう。

 お風呂上がりの良い匂いが鼻腔をくすぐり、紅く上気した肌の色が視界を占拠する。ドキドキと強く脈打つ心臓の鼓動が相手に伝わってしまわないかと心配になってしまう。

 それでも相手を離すなんてことは絶対にない。

 

「……こういうのお姫さま抱っこって言うんですよね? まさか私がされる日がくるなんて思いもしませんでした」

「憧れとかありました?」

「どうかしら。考えたこともなかったから。でも悪い気はしませんね」

 

 耳元で囁かれる楓の声に、一瞬全身の力を持っていかれそうになってしまう。

 

「――いいえ。とても良い心地がします」

 

 それくらいの甘い声。その声に導かれすぎると力が抜けてしまいそうになるので、綾霧は心の中で気合を入れなおした。

 

「楓さん。扉を開けてもらっていいですか?」

「はい。ちょっとまってください。えいっ」

 

 両手が塞がっているので、外に通じる扉を楓に開けてもらおうと声をかける。それを受けて楓が腕を伸ばして扉を開いた。廊下に出れば目的の部屋はすぐそこだ。

 右手に向きを変え、隣の部屋まで歩く。そうして目的の場所に到達したタイミングで、向こう側から扉が開いた。

 

「あ、プロデューサー君」

「川島さん」 

「ありがとう。もうお布団は敷いてあったわ……って、あら、楓ちゃん起きてるじゃない」

 

 綾霧の腕の中に収まっている楓を見て、瑞樹が素っ頓狂な声を出した。 

 

「ふふっ。おはようございます、川島さん」

「おはようって、もう本当にマイペースね、この子は。まあいいわ。さあ、入って」

「はい、失礼します」

 

 瑞樹の横を通って室内へ入る綾霧。彼女の言った通り部屋の中には二組分のお布団が敷いてあった。

 

「じゃあ降ろしますよ、楓さん」

「ええ」 

 

 彼女の返事を待ってから、綾霧は膝を折り込みつつ慎重に楓を畳みの上に降ろしていく。先ほど少しフラつくと言っていたが、ここまで来れば大丈夫だろう。

 足先から着地させてお尻を落とし、それからゆっくりと自身の腕を彼女から離していく。

 

「ありがとうございます、プロデューサー。とても……嬉しかったです」

「俺も――」 

 

 はにかむような笑顔を浮かべながら、楓が礼の言葉を述べた。綾霧もそれに答えようと口を開きかけたが、なにか余計なことを口走りそうになったので慌てて途中でストップさせる。

 その代わりにおやすみの挨拶をして返すことにした。

 

「……おやすみなさい、楓さん。じゃあ、また明日」

「はい、また明日、プロデューサー」

 

 手をひらひらさせてバイバイをする楓。それに応えてから、綾霧が踵を返した。 

 

「川島さんも、おやすみなさい」

「おやすみ、プロデューサー君」

 

 戻る前に瑞樹に挨拶してから部屋を後にする綾霧。

 廊下に出てからパタンと背中のほうで扉が閉まる音が聞こえた。彼は暫くその場に立ったまま、つと自身の両腕に目線を落としてみる。そこには先ほどまで楓の確かな温もりと重みが抱かれていて。

 

「…………俺も寝るか」

 

 なんだかぐっすり眠れそうな気もするし、全く眠れない気もする。そんな相反した想いを抱きながら、綾霧は自分の部屋へ向かって歩き出していった。  

 

  

 


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