「あ、楓さん。お久しぶりです」
廊下を歩いている楓を見つけたまゆが、小走りに駆け寄って行く。楓もまた歩みを止めて彼女が訪れるのを待った。
「佐久間さん――」
「うふふ。まゆでいいですよ。こうしてちゃんと話すのは、あの日にスタジオで別れて以来ですね」
「じゃあまゆちゃん。こんにちは。ええ、あの時以来ね。アイドルフェスで見かけたり、何度かすれ違う機会はあったけれど」
まゆが楓の隣に並んで、それから二人揃って歩きだす。
今日は楓とまゆ、そしてここに十時愛梨を加えたアイドル三人での写真撮影があるのだ。二人は今、撮影用の衣装を着て、メイクを施して、準備を整えた状態でスタジオを目指していた。
目的地は、控え室を出て廊下を少し歩けば到着する距離である。
「そうですねぇ。まさか同じ事務所になるなんて思いませんでした。今日もこうして一緒にお仕事できるなんて、ちょっと不思議な気持ちがします」
「本当に」
「でも、まゆは楓さんとご一緒できて嬉しいんですよ。アイドルとして見習う部分も多くて」
笑顔を交えながら会話する楓とまゆ。二人は身長差もそうだが、身につけている衣装も対照的で、かなりタイプの違うアイドルとして世間には認識されていた。
だからこそまゆは、楓から学ぶ部分も多くあるのだと思っていた。アイドルとしてより“上”を目指すために、自身の糧にできるところは吸収して力に出来ればと。
一途で真摯な彼女らしい一面だと言えよう。
そのまゆが、楓の着ている衣装、特に花の髪飾りを見て感嘆したように吐息を洩らした。
「楓さん、その緑色の衣装、とっても似合ってます」
「ありがとう。まゆちゃんも女の子らしくって似合ってますよ。ピンク系の色合いが好きなのかしら?」
「はい。ふんわりとした女の子らしい色合いは好きです。でもどちらかというとプロデューサーさんの好みに合わせてるほうが大きいかもしれません。ふふ」
はにかむように笑ってまゆが答える。彼女の優先順位の一番は彼女のプロデューサーであるのはいつの時も変わらないようだ。
「楓さん。その髪飾りは、白い椿……ですか?」
まゆの目線が楓の髪にあしらわれた白い花の髪飾りに注がれている。かなり大きなものなので、どうしても注目を集めてしまうのだ。それを受けて楓は、髪飾りに手を伸ばしながら照れたように頬を染めた。
「これはクチナシですね。衣装に合うかと思って、髪飾りだけプロデューサーにお願いして用意して貰ったんです」
「へえ、そうなんですね。白いお花、楓さんの雰囲気に合ってて素敵です」
「ありがとう、まゆちゃん」
「うふふ。クチナシってウェディングのブーケにも使われたりするんですよね。確か花言葉が幾つかあって――」
「あっ! まゆちゃーん!」
そうやって話しながら歩いていると、二人の前方から一人の女の子が手を振りながら近寄ってきた。相手が声をかけてきたので、喋りかけていたまゆの言葉が途中で途切れる。
「こっち、こっちですよ~っ」
栗色の髪をサイドでツインテールにしたお下げが、手を振る度にぴょこぴょこと揺れている。身長はまゆよりは高くて楓よりは低い。全体的に彼女のグラマラスなボディーを強調したような衣装を纏っていて、おっとりとした笑顔を二人に振りまいていた。
アイドル、十時愛梨である。
「あぁ、楓さんだぁ。こんにちは。十時愛梨でぇす。えっと、一応初めましてになるのかな?」
「ええ、初めましてですね。高垣楓です。現場ですれ違ったり噂は聞いたりと、初対面という感じはしませんけれど」
「ですねぇ。事務所も同じになっちゃいましたし、これからご一緒するお仕事増えるかもですねっ」
ふふっと笑って愛梨が楓に握手を求める。それを見て楓が右手を差し出すと、すかさず愛梨が両手で受け取って、目線を合わせながらぎゅううっと握り返してくれた。
「よろしくお願いしまぁす。気さくに愛梨って呼んでくださいねっ」
「はい。よろしくお願いします。愛梨、ちゃん」
「まゆちゃんも、今日はよろしくお願いしますねっ」
「はい、愛梨さん。よろしくお願いします」
若干愛梨の距離感に戸惑いながらも、楓が微笑んで手を握り返す。それで満足したのか、愛梨が手を離してすぐに二人の隣に並んだ。
「えっとぉ、二人とも今日の撮影の趣旨とか聞いてますか?」
「新曲のプロモーション用にとプロデューサーさんからは聞いてますけど」
「そう、そうなんですっ。新曲ですよ新曲! 凄くないですかっ!?」
愛梨が胸の前で両手をぐっと握って、テンションが上がっていることを相手に仕草で伝える。
「しかも、プロダクションの顔になるような全体曲なんですよっ。それを歌わせてもらえるなんてもう嬉しくって」
おっとりとした口調で話す愛梨だが、感情表現が豊かなので聞き手側も快活な印象を受ける。やや天然が入っている性格も、ファンには受けが良いようで、順調に人気を伸ばして続けていた。
その愛梨に、まゆが返事を返す。
「今度のイベントでお披露目するんですよね。確か結構な人数で歌うことになるってプロデューサーさんが仰ってました」
「何人で歌うことになるのかなぁ? 私たちはメンバーに入ってますよね~?」
「ここに呼ばれて撮影もして、それでメンバーから外されちゃってたら、まゆ、さすがにショックかも」
「あはは~。もしそんなことになったらぁ、みんなでプロデューサーさんに抗議しに行きましょうか。駄目ですよ~って」
「じゃあその時がきたら、まゆも一緒に抗議しちゃいます。――駄目、ですよ?って」
冗談を交えながら話す愛梨とまゆの姿を見て、良好な関係が築かれているのだと楓は感じた。このあたりは事務所に入ってきてからの時間がものを言うものだ。
そう思って二人を見ていたら、次に愛梨が発した言葉に誘われるようにして、楓の視線が前方へと誘導される。
「あぁ~、噂をすればですねぇ。プロデューサーさ~んっ」
弾んだ声で手を振る愛梨。その先にいたのは立ちながら談笑している三人の男性だった。一人は綾霧、もう一人は楓も以前見かけたまゆの担当プロデューサー。ならもう一人の男性が愛梨の担当プロデューサーなのだろうと当たりをつけた。
「――プロデューサー」
視界に綾霧を捉えた時、楓はちょっとほっとしたような感覚を覚えた。まるで旅行先から自宅へ戻った時のような安心感。彼女はその足で彼の元へと向かう。
まゆと愛梨もまた自身のプロデューサーの元へと向かって歩いて行った。
「お待たせしました、プロデューサー。衣装の着付けに思ったより時間がかかってしまって」
「……」
「あの、どうかしました?」
「…………いえ、それは全然大丈夫なんですけど」
綾霧を含めた三人は、自身の担当アイドルを迎える時に、お互いに少しだけ距離を取った。こうすることで隣の会話が気にならなくなるのだ。
そうして楓を迎えた綾霧だったが、衣装を纏った楓があまりにも綺麗だったので、一瞬、言葉を発するのも忘れて彼女に見惚れてしまう。その間を不思議に思ったのか、楓がちょこっとだけ首を傾げた。
「楓さん」
「はい」
「あの、めっちゃ綺麗です。お洒落な褒め言葉なんて知らなくて、ありふれた言葉になっちゃいますけど、その衣装、凄く似合ってます」
「あ……りがとうございます。……やだ、こうやって面と向かって褒められると、照れちゃいますね」
頬に手を添えた状態で、楓が恥ずかしがるように目線を伏せた。その時の仕草がまた可愛かったので、綾霧が見事に言葉に詰まる。彼としても勇気を出して褒めたのだが、いかんせんその後が続かない。
彼女が新しい衣装を着てくることは知っていたので、こう言おうかみたいなことは考えていたのにオジャンである。
「……」
と、ここでお互い言葉に詰まっていても先に進まないので、綾霧は今後のスケジュールについて話すことにした。元々楓が来たらそうするつもりだったので、これはすんなりと言葉にできる。
「楓さん。この後ですが、十時さん、佐久間さんと三人でプロモーション用の写真を撮ってもらいます。そしてすぐに雑誌社の取材を受ける流れになってます」
「取材、ですか?」
「ええ。今度の曲はうちも大々的に宣伝する方針のようで、メディア戦略の幅も広げたいみたいです」
「メディア戦略……もしかして私も山手線の広告に乗っちゃったりします?」
「ああ、あの大々的なやつですね! あれ凄かったですもんね」
「本当に。意識しなくても目に入っちゃいますから」
「ただ今回は残念ながらそっちの方向での宣伝はありません。でも、いずれはと考えてますよ」
「あら、じゃあその時がきたら新橋でお願いします、プロデューサー」
「……新橋。居酒屋、沢山ありますもんね」
事務所を移籍してくる前に、346の宣伝方法が凄いと話したことを二人が思い出した。
今度はその宣伝力を使える側になるのだ。
「こほん。話を戻しましょう」
軽く咳払いをして、雑談になりかけた流れを切る。このあたりのメリハリはプロデューサーとして心得ていた。
「新曲についてなんですが、全体曲という位置づけでユニットなどの決まった担当は設けない形になります」
「はい」
「今回はアイドルの属性を三つに分けたとして、cuteから佐久間まゆさん、passionから十時愛梨さん、そしてcoolから楓さんの選出が決まっています。他にも歌うアイドルは加わりますが、宣伝はこの三人が柱になっていくと思っていてください」
綾霧の口調が真剣なものに変化していたので、自然と楓の表情も引き締まる。お仕事の話だったから。でも続いて説明された内容を聞いて、さすがの楓も驚きに目を見開くことになった。
「あと歌う時の並びなんですが――センターが楓さんに決まりました」
「私が、センター!?」
「はい。正直言って、身長などの兼ねあいが無かったとは言いません。背の高い楓さんがセンターを取ったほうが見栄えが良いという意見もありました。でも俺はそんなことは関係なしにあなたにセンターで歌って欲しかった。というか強く推薦しました」
「プロデューサー」
「曲名は“お願い!シンデレラ”。夢見る少女たちがいつか輝く日のために進んでいく――そんな調べに乗せて奏でられる、あなただけの歌声を聴かせてください」
「……」
自身がセンターにと聞いて嬉しくないわけがなかった。それも記念すべき初の全体曲でである。
楓は胸の奥が熱くなるくらい、強く血潮が流れるのを感じていた。けれどそれと同時に、外から来た自分がセンターを取っても良いのかという葛藤も生まれた。自分よりももっと相応しい人間がいるんじゃないかと。
「…………」
逡巡や葛藤、そして迷い。そんな感情が揺れ動いているのを、綾霧は彼女の表情から読み取った。楓の性格を思えば当然だろう。思いやりがあって、ユーモアがあって、そしてちょっぴり臆病で。
だからこそ綾霧は、これ以上の声はかけずに彼女が答えを出すのを待った。
「大役、ですね」
目線を落とし、唇を結んで。それから一度だけ、大きく頷いて。
「でも荷が重いとは言いません。だって貴方の期待には応えたいから」
一連の時間の中で決心したのか、そう述べた楓の表情は晴れやかだった。