ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第二十三話

 一つの仕事を終えて次の現場へ向かう時など、どうしても予定の関係で隙間時間が出来てしまうことがある。そういう時は休憩を兼ねて食事をしたり仮眠を取ったりするのだが、今日は微妙に短い時間が空いてしまったので、綾霧は現場近くの本屋で時間を潰すことにした。

 本屋といっても大型書店なので敷地面積はかなり広く、一日かけても全部を見て回るのは難しいレベルである。

 

「さて、どうしようか」

 

 清潔感のあるフロアに幾つもの本棚が並んでいるが、壁面に設置されているもの以外はあまり高くなく、大勢の行き交う人が姿が棚越しにも見て取れた。

 電子書籍が普及しても、実際に紙の本を手に取って選ぶ楽しみは、書店に来なければ味わえない。特に目的の本を定めずとも、色々見て回るだけでも楽しいものだ。

 

「雑誌でも読もうか。でも大抵のアイドル雑誌は会社で読めるからなぁ」

 

 有名どころのアイドル雑誌はちひろが揃えてくれているので、事務所に戻れば読むことができる。なら漫画雑誌を読むという選択肢もあったが、折角大型書店まで来たのだから、フロアを見て回ったほうが有意義かもしれない。

 そう思った綾霧が適当に道筋を決めて歩き出した。

 本屋独特の雰囲気と香りが彼の好奇心を刺激する。面展台に並べられている本、平積みにされている本。目に映る全ての品が面白そうに見えてしまう。そうやって歩いていると、人気作品ばかりを集めているコーナーを見つけた。

 いわゆる“今話題になっている本”ばかりを集めたコーナーで、並んでいる単行本も手に取りやすいように陳列されているのが特徴だ。そんな中から気になった一品を取ろうと手を伸ばしたら、ほぼ同時に別の誰かと“かちあって”しまった。

 

「あ……!」

「……え?」

 

 こういうのを偶然と言うのだろうか。

 以前、こことは違う場所で、全く同じことが起こったことを思い出す綾霧。しかもあの時と状況が似てるだけじゃなく、横から手を伸ばしタイミングを合わせたかのように本を手に取ったのは、その時と同じ黒髪の少女だった。

 その少女がペコリと頭を下げる。

 

「……すみません。本にしか目がいっていなくて……」 

「いえ、こちらこそ。あの、もしかして鷺沢文香さんじゃないですか?」

 

 特徴的な大きなヘアバンド。その他の服装はあの時と違うが、纏っている独特の雰囲気は変わらない。特に透き通るような青い瞳はとても強く印象に残っていた。だから綾霧は彼女を見た時に、すぐに名前を思い出すことが出来た。

  

「え……はい。あなたは……もしや以前本屋さんで出会った?」

 

 伏目がちに綾霧を見やりながら、文香が尋ねる。しかし自分の名前を彼が呼んだことに少し疑問を持った。

 

「でもどうして私の名前を……?」

「あの時去り際に名乗ってくれたのを覚えてたんですよ。とても印象深い出来事でしたから」

「……確かに、名乗りましたね」

 

 文香も綾霧と会ったことは覚えていたし、去り際に名乗ったことも覚えていた。でも相手が自分のことを覚えているとは微塵も考えていなかった。

 自己評価が低いのだ。

 

「あ、この本……」

 

 ここに至って、未だ二人で一つの本を手にしていることを思い出し、文香が慌てて手放そうとする――だが、それよりも早く綾霧が手を離したので、結局文香の手の中に本が残る形となった。

 文香はその本を両手で持つと、つと表紙に視線を落とした。それから暫く無言でそれを眺めていたが、やおら小さな声でクスクスと笑いだした。

 

「あの時とは違ってまだ沢山残っていますから、これは私が頂いても大丈夫そうですね」

 

 以前は最後の一冊しか残っておらず、それを綾霧に譲ってもらうことになったのを文香が揶揄したのだろう。

 

「……今は普通に手に入りますけれど、あの時は何処も売り切れで……本当に助かりました」

「良かった。俺が買うよりもあなたに買ってもらったほうが、本も喜んだでしょうし」

「そんな……ことは……」

「あ、そうだ! あの後で俺も買ったんですよあの本。やっぱり気になっちゃって」

「そうなんですか。あの、もう読まれました……か? あの時は忙しくて読む時間が取れないというようなことを仰っていましたけれど……」

「最近少し時間が取れるようになってきたので」

「ああ、それは良かったですね。あの……不躾でなければ、読んだ感想など窺っても宜しいでしょうか?」

「ええ。淡々とした話かと思ったら後半で急展開して。予想外ってああいうのを言うんですかね」

「そうですよねっ。想像していた展開とは全く違った終わり方でしたけど……読後感はとても良かったんです」

「ありきたりな言葉になっちゃうけど、面白かった! って感じです」

「はい。そういうシンプルな感想が当て嵌まる作品でした。でも奥が深いような……うまく言葉にできませんけれど」

「だから面白かった、楽しかったで良いんじゃないですか?」

「……はい。そうですね」

 

 同じ本を読んだ者同士で言葉を交わし、共感し合う。そのことが思いのほか楽しいものなんだと文香は感じていた。普段は黙々と一人で本を読むばかりで、感想を言葉にする機会はあまり無かったから。

 そのこと自体に不満を感じたことは無いけれど、こうして話すのは嫌な気分ではない。

 

「……」

 

 文香は手にしている本を見て、それから平台に詰まれている本に目線を移した。そんな彼女の仕草からなにか感じ取ったのか、綾霧が詰まれた中から文香が手にしているものと同じ本を取り上げる。

 

「折角だし、俺も買おうかな。こういうの縁があるって感じがするじゃないですか」

「……縁、ですか?」

「また面白い本に出会えたら嬉しいなって」

「あ……そうですね。本のこと……ですよね」

 

 向かい合いながら同じ本を手にしたまま佇む二人。文香は綾霧が手にしている本を見て、それから顔を上げようとして、結局途中で取り辞めてしまった。

 文香は相手の顔を見て話をするというのが苦手なのだ。またお互い本を読んでから感想を言い合えたらと一瞬だけ思ったものの、それは叶わないと悟ったのも大きい。

 今はこうして会話しているが、元々面識のない者同士である。ここで別れたら二度と出会うことはないだろう。だって、こんな偶然は三度も続かない。

 

「どうかしました?」 

「あの…………いえ、なんでもありません……」

 

 文香はなにか口にしようとするのだが、その後が続かない。書物から得た知識は豊富でも、こういう時の会話運びなんかは実践経験が物を言う。

 綾霧も彼女がなにか言いたげだったので、次のリアクションを待っていたのだが、押し黙るばかりで喋る気配は無くなってしまった。そんな空気にいたたまれなさを感じたのか、文香が軽く会釈をして踵を返そうとする。

 そのタイミングで綾霧が彼女に声をかけた。

 

「――鷺沢さんって呼んでも構いませんか?」

「え? あ……はい。それは……構いませんけれど」

 

 唐突に名前を呼ばれた文香の足が止まった。それを見逃さず、綾霧は自分の身分を相手に伝えることで不信感を拭おうと試みる。

 

「実は俺、アイドルのプロデューサーをやってるんです」

「……………はい?」

 

 文香の目が驚いたように丸くなっている。綾霧の言葉の意味を理解するまでに数秒の時間を要してしまうほどに。その僅かな間に綾霧はスーツの内ポケットから名刺入れを取り出すと、一枚を両手に持った状態で文香の前に差し出した。

 そこに書かれた文字列を文香が黙読する。

 

「……346プロダクション……あの、有名な?」

 

 芸能関係に疎い文香でも老舗芸能プロダクションである346の名前は知っていた。最近アイドル部門を新設したと話題になっていたのも知っている。

 

「凄い人……だったんですね……」

「別に俺は凄くないですよ。凄いのはプロダクションや活動してるアイドルたちで……って今は関係ないですね」

 

 はははと渇いた笑い声をあげながら、綾霧が照れたように頭をかいた。それから出来るだけ相手の緊張が解れるようにと、柔和な笑顔を浮かべながら話を続ける。

 

「えっと、鷺沢さん、アイドルに興味はありませんか?」

「その……興味というのは……どういった意味の……」

「簡潔に言うと、アイドルになってみませんかっていうお誘いの話です」

「…………え……あの、私がアイドル……? それは本気で仰っているんでしょうか?」

「冗談でこんなこと口にしませんよ。あなたはとても魅力的な女性ですから、アイドルになれる素質はあると思います」

「みっ……力……」

 

 面と向かって異性から魅力的だと言われた経験のない文香は、その一言でテンパってしまった。喋る言葉にも詰まってしまうし、視線があらぬ方向へと彷徨ってしまう。

 自分でも何処に目線を向けるべきなのかがわからない。

 

「急な話で戸惑うのもわかります。けどあなたに可能性を感じたのは事実です」

「……」

「鷺沢さん、良かったら考えてみてください。346に来てくれると俺としても嬉しいです」

「……私……は……」

 

 突然のことで半ばパニック状態に陥った文香は、逡巡するようにその場で考え込んでしまった。しかし突然綾霧に向かって深く一礼をすると踵を返して立ち去ってしまう。……かと思いきや、途中で歩みを止めると、再び綾霧の前まで戻ってきて彼の差し出していた名刺を受け取った。

 

「名刺、頂きます。それでは失礼……致します……」

 

 一度本を平台に置いてから、両手で名刺を受け取る文香。それから改めて本を手に取って、今度こそ彼の前から立ち去って行く。恐らくレジカウンターに向かったのだろう。 

 

「……アイドルに向いていると思うんだけどな」

 

 磨けば光る逸材だと強く思う。プロダクションからは有望な人材を見つけたら是非スカウトして欲しいと言われていたが、文香をスカウトしたのは直感によるところが大きい。

 ありていに言ってしまうと“化ける”逸材だと感じたのだ。

 

 

 

「――随分と楽しそうにお話するんですね、プロデューサー」

「あ、楓さん」 

 

 まるで文香がいなくなったのを見計らったようなタイミングで、綾霧の背中から女性の声がかかった。

 一緒にここを訪れていた楓である。当然綾霧が振り返るが、その時見た彼女の浮かべている表情と、若干つんとした態度を見て心の中で少し首を傾げた。

 

「……あの、どうかしたんですか、楓さん?」 

「どうとは?」

「いえ、なにかあったのかなと思って」 

「別になにもありませんけど」

「そう……ですか」

 

 ここに来るまで朝から楓と一緒に行動していたのだが、彼女の機嫌は良かったように思う。隙間時間を埋めるために一緒に本屋を訪れて、中に入ってから別行動を取っていたのだが、その時も変わったところは見られなかった。でも今は、心なしか声が冷たいような感じになっている。それは何故なのだろうと綾霧が首を捻った。

 

「ねえプロデューサー。もしかして今の綺麗な人はお知り合いの方ですか?」

「え?」

「長い黒髪の女性とお話してましたよね?」

「ああ、鷺沢さんですか?」

「鷺沢さん?」 

 

 楓の返しを受けて慌てて綾霧が否定の言葉を述べる。 

 

「い、いえ。別に知り合いっていうわけじゃなくてですね……」

「それなのにあんなに笑顔で会話して。もしかしてプロデューサー、ナンパをしてたんじゃないでしょうね?」

「なっ!? そんなわけないじゃないですか。今まで一度だってナンパしたことなんてありませんからっ!」

「じゃあどうして立ち話なんかを?」

「……いやまあ、ちょっと説明しづらいんですけど」

 

 楓に説明しないことには話が進まないと感じた綾霧は、経緯を一から説明することにした。

 文香と初めて会った時のことや、今日偶然再会したこと。それから彼女をアイドルとしてスカウトしようとしたことを簡潔に説明していく。

 ただ別にやましいことは一切していないのに、何故か言い訳しているような気分になるのはどうしてだろう。

 

「プロダクションのほうからスカウト活動にも力を入れて欲しいと言われていて。もちろんオーディションもありますし、受かるとは限りませんけど」

「でも受かると思ってますよね?」

「それは、まあ、はい」

「綺麗な人でしたもんねっ」

「いや、確かに綺麗な人ですけど、他意はありませんからね!?」 

 

 綾霧の説明に納得しつつも、楓はやや唇を尖らせながら、自分の毛先に人差し指を捲きつけてくるくると弄っている。どこかに不満があるのだろう。

 

「あの……もしかして楓さん、俺が彼女をスカウトしたのを怒ってるんですか?」

「いいえ。怒っていませんよ」

「じゃあ鷺沢さんと立ち話をしてたことを怒ってます?」 

「……いいえ」 

「なら機嫌直してください」

「怒ってませんから直す機嫌なんてありません」

「……楓さん、またそれを言う」

 

 本気で怒っているというよりはちょっと機嫌が悪いという感じなのだが、綾霧の説明を受けて経緯に納得はしたものの、すぐに機嫌を直すのはばつが悪いという感じなのかもしれない。

 だから綾霧は自分のほうから助け舟を出すことにした。

 

「わかりました。じゃあ楓さんの言うことをひとつなんでも聞きますから、それで簡便してください」

「え……なんでも?」

「はい」 

「本当に? なんでもですか?」

「俺にできることならって注釈が入りますけど……」

 

 万能を誇る神の龍でさえも出来ないことはあるのだ。綾霧の出来る範囲など限られている。だが彼のこの申し出は楓の琴線に触れたのか、一気に彼女の表情が明るくなった。

 

「じゃあ今日仕事が終わったら飲みに連れていってくれませんか?」

「飲みに、ですか?」

「はい。実は先ほど読んだ雑誌にこの近くにお洒落なバーがあるって書いてあったんです。そこへ行きたいなって思ってて。……駄目、ですか?」

 

 両手を合わせてお願いする楓の姿を見たら、断わるという選択肢は選べない。

 

「いいですよ。終わったら一緒に行きましょうか。場所は……後で確認しておきます」

「なら先ほどの雑誌買いません? あっちにありますから」

 

 そう言った楓が綾霧の腕を取る。 

 

「か、楓さん!? そんな引っ張らなくても――」

「ほらほらプロデューサー。こっちですよ」

「一人で歩けますからっ!」

 

 子供のようにはしゃぐ楓の姿を見て、綾霧は今夜はとことん飲むことになりそうだと、ひっそりと心の中で覚悟を決めた。

 

 

 


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