「いらっしゃいませー! 何名様ですか?」
扉を開くと居酒屋特有の喧騒が耳に飛び込んで来た。訪れている面子はまずプロデューサーの綾霧、そして彼の担当アイドルである楓と瑞樹、そして早苗の合計四名である。
早苗とは今日が初対面ではあるが、初日の仕事を通じてある程度のコミュニケーションは取れていた。しかしよりお互いを深く知るためには、やはりお酒を飲みながらの歓談しかないということで、全員で居酒屋まで飲みに来たというわけである。
「あー! 皆さんお久しぶりです。今日は四名様なんですね!」
ネームプレートに“安部”と記された店員さんが綾霧たちを見つけて小走りに近寄ってきた。
ここは以前綾霧と楓が利用したこともある店で、それ以来気に入って時々飲みに来ていたのである。瑞樹も伴って訪れたこともあるためか、三人じゃなく四人なんですねと店員さんが確認したのだ。
「こんばんは、菜々さん。今日はまた一人連れてきちゃいました」
「大歓迎ですよ楓さん! じゃあ奥のテーブル席にご案内しますね」
何度か訪れているうちに一部の店員さんとは顔馴染みなっていて、中でも安部菜々という店員さんとは波長が合ったのか、楓は彼女とかなり仲良くなっていた。
ちなみに今日の飲み会の言い出しっぺは楓――ではなく、なんと早苗である。
楓としても初対面なので自重したのだろうが、相手から誘われれば否とは言えない。この案に瑞樹も乗り気で、ならばと親睦もかねて飲みに行きましょうという運びとなった。
ただそういう流れになった時に綾霧だけは“折角なので女性三人だけで楽しんできてください”と逃げを打とうとしたのだが、強引に拉致られて今に至るというわけだ。
以前の事務所で飲みに行った時の“地獄絵図”がふと脳裏を過ぎったせいかもしれない。
「へぇ、なかなか雰囲気の良い店じゃない? こういう処って当たりの場合が多いのよね!」
初めてここを訪れる早苗が少しはしゃいだように目を輝かせていた。そんな彼女の気さくさ、接し易さのおかげか、初日にも関わらず女性陣はかなり打ち解けた様子で会話にも華が咲いていた。
お互い年齢が近いというのも関係しているのかもしれない。同年代とは“話が合う”場合が多いからだ。
「えっと、お飲み物はお決まりですか?」
菜々に案内されて一同が席につく。壁際にある四人掛けのテーブルだったので、歩いてきた廊下側に綾霧と楓が並んで座り、対面に当たる壁側に瑞樹と早苗が腰を落ち着けた。
それを見届けてから、菜々が最初の注文を取るために声をかける。
真っ先に反応したのは早苗だった。
「ハイハイ! あたしビール! 生中ね!」
「じゃあ私も生にしようかしら。楓ちゃんはどうする?」
「私も最初はビールにします。プロデューサーは?」
「俺もビールで」
「はい。生中四つですね! すぐにお持ちしますから、少々お待ちください」
脱兎の如く菜々が小走りに駆け出して行く。その後ろ姿はまるで小動物かなにかのようだが、ネームプレートに記載されている彼女のキャッチコピー“永遠の十七歳”は伊達じゃないということか。
居酒屋に勤めている時点で成人はしているのだろうが、見た目が十代で通用しそうなルックスなので、そのギャップが面白いと綾霧は思っていた。
「じゃあ今のうちに御つまみを決めておきましょ。メニューは何処かしら?」
メニューを探し始めた早苗に綾霧が一つ手渡し、自分も一つ確保して、隣同士でメニューを覗き込むスタイルを取った。
綾霧と楓が頭を突きあわせるようにしてメニューを覗き込む。オーソドックスな注文に落ち着くことも多いが、こうして写真や文字列を目で追いながら、何にしようかと悩むのは意外に楽しいものだ。
「んーと、定番商品も良いんですけど、やっぱり“たこわさ”は外せませんね」
「楓さん、本当に好きですよね、たこわさび。あと焼き鳥なんかも」
「これが日本酒に合うんですよ。冷奴と枝豆なんかもいけますけど」
メニューを指差して意見を言い合う。既にビールを頼んでいながら日本酒に合うあてを考えているあたり、楓の中で次の飲酒プランが成立しているのかもしれない。
「そうだ。プロデューサーも今日は日本酒なんて如何です? とても口当たりの良い銘柄を見つけたんですよ」
「それが日本酒はどうも酔いが回るのが早くて。熱燗だと特に。だから今日は軽いのにしようかなって」
「なら冷酒にしませんか? 熱燗よりは飲みやすいですし。私がお酌してあげますから」
「すごく魅力的な提案ですけど、今日はあまり酔わない方向で考えているので……」
「そうなんですか。残念です」
楓が少し意気消沈したようにしゅんとしてしまった。
もし楓と二人で飲みにきていたのなら、快く彼女の提案を受けていただろう。しかし今日は四人で来ていて自分以外は女性ばかりだ。早苗とは面識も浅い。だから綾霧はなるべく酔わずに不測の事態に備えたいと考えていたのだ。
まあ不測の事態と言っても、酔い潰れてしまった人の面倒を見る程度に思っていたが。
「わあ、どれも美味しそうねえ。こうなったら気になったの片っ端から頼んじゃおうかしら」
早苗の呟きが聞こえたので、対面はどうなっているのかと視線を移して見る。するとあちらも瑞樹と早苗が揃ってメニューを指差しながら商品を選んでいた。
「以前来た時はどれも美味しかったわよ。特にから揚げが絶品だったわね」
「いいわね、から揚げ! ビールのお供に最高だわ」
ちなみに瑞樹と早苗は同い年なので、お互い垣根があまり無かったのか、既に砕けた口調で接しているようだ。そうこうしている内に飲み物が運ばれてきて、乾杯の運びとなった。
「じゃあプロデューサー君、乾杯の音頭、よろしく頼むわね」
瑞樹がウインク付きで綾霧を促す。
「いいですけど、音頭なら川島さんのほうがよくないですか?」
「なに言っているの。ここはプロデューサー君の部署なんだから。あなたがやらないでどうするのよ」
「……はい。では僭越ながら――」
あまり言いあっていても仕方ないので、綾霧がビールジョッキを手に取った。
それから即興で前口上を考えていく。
「皆さんジョッキを手に……ってもう持ってますね。えー、新天地で片桐さんを迎えての新たな出発とこれからの成功を祈って、乾杯!」
「かんぱーいっ!」
四つのグラスが空中でぶつかり合い甲高い音を奏でる。そして勢いそのままに、早苗がグラスの半分ほどをぐっと一気に飲み干してしまった。
「ぷはぁー! この一杯のために生きてるーって感じがするわ。ビール最高!」
「あら。片桐さん良い飲みっぷりですね。お酒、好きなんですか?」
「もちろん好きよ。中でもビールは大好きなの!」
楓の質問に笑顔で答える早苗。しかし少し引っかかりがあるような微妙な表情も付け加えた。それに気付いた綾霧が、どうしたのかと聞いてみる。
「片桐さん。なんとも言えない表情してますけど、気になることでもあるんですか?」
「気になることってそれよ!」
「え? それってどれです?」
「その片桐さんって呼び方。なんか他人行儀な気がするのよねー。これから一緒にやってくんだしさあ、ここは名前って呼ぶ事にしましょうよ」
テーブルにジョッキを戻しながら早苗が力説する。
「あたしも楓ちゃん、瑞樹ちゃんって呼ぶから。プロデューサー君は……プロデューサー君ね」
「そういうのわかるわ。私もみじゅきって呼んで欲しい時あるもの」
「それは却下で」
「なんでぇプロデューサー君!?」
「うふふ。なら私は早苗さんと呼ぶことにしますね。この中では一番年下ですし」
「オッケー。それで構わないわ。じゃあ話も纏まったことだし、二杯目いきましょうか!」
最速でビールを飲み干した早苗が、二杯目の要求を開始する。ちょうどそのタイミングで料理が届き始めたので、これが合図となり本格的な宴会の始まりとなった。
……。
………。
…………。
「んー、まあでも実際アレよねぇ。アイドルって若い子が多いじゃない? だからここの配属になって良かったって本気で思うのよ」
特製のから揚げを突きながら、早苗が語りかける。
女三人寄ればかしましいと言うが、それは楓たちも例外ではないようで、色々な話題を交えながら尽きることのない勢いでお喋りを楽しんでいた。
それでも最初は遠慮らしきものも見られたのだが、お互い波長が合う様子ですぐに打ち解けたように綾霧には見えた。全員が異業種からの転職組みだというのも良い塩梅で作用したのだろう。
「別に若い子が苦手っていうわけじゃないのよ? でも幾ら仲良くなってもこうやって一緒にお酒を飲んだりできないじゃない? そういうの少し寂しいかなって」
「ちょっとわかる気がします。お酒の席でしか言えないことってありますもんね」
「そうそう! そうなのよ楓ちゃん」
同意を得られたのが嬉しかったのか、早苗がぐっと親指を立てている。その後の流れを瑞樹が次いで話すことになったのだが、昔の苦い経験を思い出したのか、少しトーンダウンしてしまった。
「でもこうやって年齢の話になると嫌でもアナウンサー時代を思いだすわ。若い子に負けないって頑張ってたけど、結局華やかな部分は持っていかれちゃったし」
「川島さん、初めて会った時にそういうこと仰ってましたね」
「よく覚えてるわね、楓ちゃん。アイドルになった今、簡単に負けるつもりはないけどね」
お酒を傾けながら、女三人でアレやコレやと語り合う。その横で綾霧は時々相槌を打ちながら、一人で黙々と食事を進めていた。無理に会話に割り込む必要もないという判断だ。
それに、こういう場合横から入ると大抵矛先が自分に向いてしまい、弄られ倒されるという結果を迎えることもある。
触らぬ神に祟りなしだ。
「実際、勝ちとか負けとかっていうアレじゃないけど、今の人気あるアイドルって十代が多いじゃない? やっぱり危機感は覚えるわ」
早苗が空になりかけているジョッキを指で弾きながら呟く。
「そうよねぇ。十時愛梨ちゃん、佐久間まゆちゃん、城ヶ崎美嘉ちゃんとかみんな十代だし。折角アイドルに転身したんだから、成功していきたいわよね」
瑞樹の上げた三人は、現状346の中ではトップアイドルと言って良い存在だ。シンデレラガールが選ばれるなら、この三人の中からではないかという噂まであるほどに。
「みんな同じ事務所の仲間になりましたけど、だからこそ気合入りますよね。私も頑張らないと」
徳利からお猪口へと日本酒を注いで、それをきゅっと煽る楓。そんな彼女の隣で、綾霧が夕飯を食べる勢いで食事を進めていた。
(このササミチーズフライめっちゃうまいなぁ。やっぱりここの料理は絶品だ。特にチキンが最高)
焼き鳥に手を伸ばしつつ、焼きおにぎりを頬張り、烏龍茶を飲む。早々にソフトドリンクに切り替えたのは正解だったかもしれない。
普段ならそのことについて横から突っ込みが入るところだが、お喋りに夢中なのか、はたまた見逃されたのか、そういう追求は無かった。
「そういえば、私、アナウンサー時代の川島さん見た事がありますよ」
「え? ウソ!? 楓ちゃん、それ本当の話?」
「ええ、本当ですよ。関西の地方局にいたんですよね? 私その時はまだ和歌山にいましたから」
どれくらいの時期にこういう番組を観たんですよという楓の話を聞いて、瑞樹が頭を抱える。
「なんか改めてそう言われると恥ずかしいわね。あの頃は真面目だったから、今みたいにおちゃらけてなかったし」
「今もおちゃらけてるなんて思ってませんよ。それどころか川島さんと一緒にお仕事すると、私のほうがはっちゃけちゃうくらいで」
「あー、なんかそれわかるかも。楓ちゃんと瑞樹ちゃん、相性良さそうだもんね」
そこまで言ってから、早苗が思い出したという風に手をぽんっと一回打った。
「そうそう。二人のデュエット曲のノクターン! あれ良い曲よね。格好良くてしびれたわ」
「ありがとうございます。でも仕上げるのかなり苦労したんですよ? ね、川島さん」
「あの時は大変だったわね、楓ちゃん。私はソロ曲の練習もあったし、プロデューサー君は大車輪の活躍だったし、楓ちゃんはお仕事増えて来た時期で、本当、よく誰も倒れなかったものだわ」
「アイドルフェスが初披露だったのよね。まゆちゃんとか、凄かったって言ってたもの」
それからアイドルフェスの時の話に移っていって、心なしか三人のトークにも熱が篭っていく。そんな様子を横から眺められるのは、プロデューサーとしてはとても嬉しい出来事だった。
(邪魔しちゃ悪いし、ひっそりと飯でも食っとこう。焼きおにぎりだけだと足りないから、丼ものでも頼もうか)
メニューを見ながらプランを練る。そうしている間に近くを店員さんが通ったので、手を上げて綾霧は注文の意思があることを示した。
「すいません。これとこれください。あと烏龍茶も」
綾霧が注文を終えてメニューを仕舞う。その段になって、楓がじーと自分を見つめていることに気付いた。
「……えと、なんですか、楓さん」
「なんですかじゃありません。さっきから一人でなにをしてるんですプロデューサー? ソフトドリンクなんて飲んでるし」
「いえ、お腹も空いてたからガッツリ食べとこうかと」
「それならそれで良いんですけど……会話には入ってきてください」
「いえ、三人の邪魔になるかなって」
「私がプロデューサーを邪魔に思うわけないじゃないですか。それに折角の親睦会なんですからね」
「……そうですね。食事が一段落ついたら混ぜてもらいます」
心なしか楓の言動が幼さを帯びるようになってきたように感じる。これは酔ってきている証拠だと、これまでの付き合いから判断した。
「まあまあ。男の子はガッツリ食べるほうが格好良いわよ。食べ終わってから無理やりにでも引き込めばいいじゃない」
まだまだ宴会は続くはずだから、今は女だけの会話を楽しもうということだろう。綾霧も皆が楽しそうにお酒を飲んでいる横で食事をするのは悪い気分ではない。
それから暫く酒宴が続いたわけだが、ふと彼の服がくいくいっと横から引っ張られた。
「ねえ、プロデューサー」
「なんですか、楓さん?」
「えっと、うふふ。呼んでみただけです」
「……は?」
綾霧が振り向いてむれば、間髪入れず上記のような答えが返ってきた。しかもニコニコと実に楽しそうな笑顔を浮かべながらである。
「やっぱり楓さん、酔っ払ってますね?」
「いえ、全然酔ってませんよ?」
「……日本酒かなりいっちゃってません?」
「これは魔法のお水であってお酒じゃありませんから、大丈夫ですよ」
「そんな酔っ払いの常套句を楓さんから聞くなんてっ!」
「プロデューサーがかまってくれないのがいけないんですっ」
こういう駄々をこねるような楓の様子を見て、綾霧は“ああ、随分と調子が出てきたな”と一人、心の中で思った。
悪癖とまでは言わないが、楓は気分良く酔ってくるとやたらと絡んでくることがあるのだ。まあ被害に遭うのはいつも自分なので、実害はないのだが。
「ねえねえ、プロデューサー」
「今度はなんですか、楓さん」
「えっと、はい、あーんしてください」
「あ……ん?」
再度呼ばれたので振り向いてみれば、楓が卵焼きを箸で摘んだ状態で差し出していた。彼女は左利きなので、空いている右手を添えている仕草が可愛らしい。
「あーんですよ、あーん。知ってますか、プロデューサー?」
「それは知ってますけど……」
「ならひな鳥みたいにお口を開いてください。私が美味しく食べさせてあげますから」
「いえいえ、一人で食べられますって」
「もう。人の好意は素直に受け取るものですよプロデューサー。はい、あーん」
「…………あーん」
あまりの押し強さに根負けした綾霧が、観念して楓の前で口を開いた。その中に優しく放り込まれる卵焼き。途端、ふんわりとした食感とほのかな甘さが口内に広がっていく。
「どうです? 卵焼き、美味しいですか?」
「それは、はい。とっても美味しいです」
「ふふ。それって私が食べさせてあげたからですよね?」
「……」
「なんで答えてくれないんですか? 私が食べさせたから美味しかったって言ってください」
「…………」
モグモグと咀嚼しているから返事できませんという体をとって、楓の質問を受け流す綾霧。正直、瑞樹と早苗がいる前で楓に“あーん”されるのは、かなり気恥ずかしいものがあった。
だから横目でチラっとだけ二人の様子を窺ったのだが、何故か瑞樹も早苗も目を爛々と輝かせていて実に楽しそうである。
「なんかプロデューサー君の反応、初々しくて可愛いわね。私もやってみようかしら」
「川島さん? どうして卵焼きに箸を伸ばしてるんですか? ああ、美味しいですからね。自分で食べたくなったんですね」
「何を言っているの? 私もあーんしてあげるから、キリキリと大人しく食べちゃいなさい」
「キリキリって……」
「いいから口を開きなさい。それとも楓ちゃんのは食べれて、私のは食べれないって言うの?」
「そんなことは……ないです」
瑞樹も酔っているのかもしれないと綾霧がたじろぐ。けれど、酔った人間はちょっとのことでは引き下がってくれないものだ。
「じゃあ食べてくれるわよね。はい、あーんして、プロデューサー君」
瑞樹の言動から、これは逃げられないなと悟った綾霧が、観念して口を開いた。
そこへ対面から差し出される卵焼き。だがそれは彼の口に入るよりも早く、横から身を乗り出してきた楓がパクっと食べてしまう。
「ええぇー!? なんで楓ちゃんが食べるのー?」
「うふふ。卵焼き、とっても美味しかったです、川島さん」
「そういうことじゃなくってぇ……まあ、いいけれど」
場の雰囲気、遊びのノリに乗ってみただけなので、瑞樹もあまり追及することなく引き下がる。それから改めてグラスを手にしてサワーを喉の奥に流し込んだ。
「ああ、なんだかいつにも増して楽しそうですねぇ皆さん」
注文していた品をトレイに乗せて、安部菜々がテーブルまで運んで来たようだ。そんな菜々を見て、楓が味方を得たとばかりに助けを求める。
「菜々さんっ。聞いてください。この人が私を放っておいてかまってくれないんです」
綾霧の二の腕を取って前後に揺らす楓。それを見た菜々が楽しそうな笑い声をあげた。
「あははは。相当酔ってますねぇ楓さん。その徳利、三本目じゃないですか?」
「そうですけど、これはお酒じゃなくて魔法のお水ですから、酔わないんですよ」
「へえ、魔法のお水ですか。なら菜々でも問題なく飲めそうですね」
テーブルに品物を並べながら、柔らかい笑みを浮かべる菜々。しかしその表情が少しだけ翳りを見せた。
「でも折角皆さんと知り合えたのに、もう会えないかもしれないと思うとちょっと寂しいです」
「え?」
聞き流すようなタイミングでの爆弾発言に、綾霧と楓の動きが止まった。それを見て菜々が空になったトレイを胸の前で抱え込む。
「実は今週一杯でここを辞めちゃうことになってて……」
「ここ、辞めちゃうんですか、菜々さん」
「はい。菜々にも夢があって、そこに近づくためにですけど」
寂しそうな笑顔は一瞬だけで、すぐに接客としてのスマイルに戻る菜々。それからテーブルを離れて――途中で一度だけ振り返ると
「アイドル部門がある346プロダクションって知ってます? そこにあるカフェで働くことになったんですよ!」
と付け加えてから、彼女は小走りに駆けて行った。