ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第二十一話

「まずは研修お疲れさまでした、プロデューサーさん。どうです? こっちのお仕事には馴染めそうですか?」

「基本的なことはあまり変わらないみたいなので、なんとか。後は実際に動きながらやっていこうかなと思ってます」 

「それは良かったです。わからないことや疑問などあれば気軽に尋ねてくださいね」

 

 蛍光緑のスーツに身を包んだ女性が、隣を歩く綾霧に向かって柔和な笑みを向ける。既に綾霧たちは346プロダクションへの移籍も完了していて、研修を経てから今日が本格的な仕事始めとなっていた。

 その為に彼も朝から緊張していたのだが、案内をしてくれている女性――千川ちひろが思ったよりも気さくに接してくれたので、精神的な硬さも幾分解れていた。

 そのちひろが廊下の途中にある扉の前で歩みを止めた。それからポケットの中に手を入れると、中から鍵を取り出し扉を開く。

 

「お待たせしました、プロデューサーさん。こちらがあなたが普段お仕事をするためのお部屋になりますよ」

 

 ちひろが重厚な扉を押し開いて綾霧を中へと案内する。そこは部屋というよりちょっとしたオフィスに思えるほど広くて、彼が仕事するであろうデスクの他にも小規模な応接セットなども備えてあった。

 その他の調度品も見た目に豪華なものばかりで、綾霧はその光景にいきなり圧倒されてしまう。

 

「これはまた、凄いですね」

 

 流石は天下の346プロダクションといったところか。綾霧からしてみれば豪華絢爛と言って差し支えない部屋なのだが、恐らく他に沢山ある部屋と作りや調度品に大差はないのだろう。

 そう思っていても、やはり感嘆の呟きは漏れてしまう。

 

「プロデューサーオフィスですね。こことは別にアイドル達と過ごす部屋もありますから、後で見に行きましょうか」

 

 綾霧を専用のデスクへと案内する傍らで、ちひろが軽く説明を付け加えた。既にお互い自己紹介は済んでいたが、一緒に仕事をするのは今日が初めてである。

 だからちひろは、何よりも先に彼――プロデューサーに渡すものがあると、持参してきていたアイテムを机の上に並べ始めた。

 

「あ、そうだ。まずはこれを渡さないと。えっと、こちらがスタミナドリンク、そしてこっちがエナジードリンクです。疲れた時などに飲むと元気が出るんですよっ!」

 

 コトンと音を立てて並べられる二本のドリンク。それぞれについてちひろが丁寧に説明を加える。

 ちなみに二本のうち星型のキャップが付いた茶色い瓶状のものが“スタミナドリンク”で、赤い缶ジュースのような形状をしているのが“エナジードリンク”だ。

 彼女の説明を簡易に訳すと、スタドリは体力的に、エナドリは精神的に疲れた時に効果的だということらしい。

 

「ご入用の時は遠慮なく言ってくださいね、プロデューサーさん。少し代金は頂きますけど、幾らでもご用意できますから」

「はい、その時が来たらお願いします。ありがとうございます、千川さん」

 

 ドリンクを受け取って綾霧が礼を述べる。それを見たちひろが、両手を合わせたポーズで満面の笑みを浮かべた。 

 

「時々セールも行いますし、纏め買いにも対応しますからねっ」 

 

 ――千川ちひろ。

 蛍光緑のスーツに身を包み、胸元のネームプレートにはひらがなで“ちひろ”の三文字だけ。やや長めの髪をひと房の三つ編みに纏めていて、毛先の部分を赤いリボンで結んでいる。

 年齢的には楓と同じ年の頃だろうか。正直アイドルと言っても通用しそうなルックスだが、どうやらプロデューサー全般のアシスタント的な仕事をしているらしい。 

 ちなみに彼女の趣味はコスプレである。

 

「それじゃあ先ほど言ったプロジェクトルームに向かいましょうか。それとも少しこの部屋を見て回ります?」

「いえ、楓さんたちをあまり待たせるのも心苦しいので、次の場所へ行きたいです。そこに二人が居るんですよね?」

「そうですけど、二人じゃなくて三人ですよプロデューサーさん」

「……え?」

「早速で申し訳ないんですけど、あなたの担当アイドルを一人こちらから追加させて頂きました。大丈夫ですっ。とっても素敵なアイドルですから」

「三人目の――担当アイドル」

 

 楓と瑞樹が綾霧の元で活動することは聞かされていたが、三人目のことは初耳だった。実際色々なバックアップや設備、適切な人員がいるのであと何人か担当アイドルが増えても、プロデューサーとしての対応はできるだろう。

 それでも面識のない人物を迎えるのは緊張してしまう。そのことが彼の表情に出ていたのか、ちひろがやんわりとしたフォローを入れてくれた。

 

「彼女も高垣さんや川島さんと同じ異業種からの転職組みですから、うまくやれると思いますよ。そういうのプロデューサーさんの得意分野みたいですし」

「得意分野?」

「あれれ? 高垣さんは元モデル、川島さんは元アナウンサーですよね?」

「そうですけど……もしかして俺ってこっちでそういう評価をされてるんですか?」

「さて、どうでしょう。でも期待されてるのは事実ですから。プロデュース頑張ってくださいね!」

 

 ファイトッと、ちひろがぐっと両拳を握り込み応援するようなスタイルを取った。綾霧がアイドルをその気にさせるように、ちひろはプロデューサーをその気にさせるのかもしれない。

 恐らく自分は今後もこの人には逆らえないんだろうなと、初対面ながら彼は強く思った。

 

 

 ちひろが言っていたプロジェクトルームは、部屋を出てからわりとすぐの近くの場所にあった。ここが超高層のオフィスビルなので、別の階にあったら移動が大変だなと思っていたが、そのあたりは配慮してくれたのだろう。

 予想していたよりも、綾霧達移籍組みはこちらに歓迎されているみたいだ。

 

「じゃあ開けますね」

 

 扉に鍵がかかっていないのを確認してから、ちひろが押し開いていく。

 そこは先ほどの部屋より更に広い空間で、仮に十人以上の人数を詰め込んでも手狭な感じは受けないだろう。そんな場所に楓と瑞樹の二人だけがぽつんと佇んでいた。

 ソファなどの調度品もあるが、二人ともここに訪れたばかりなのか立ったままだ。

 そんな楓と瑞樹が綾霧の姿を認め、表情をぱっと明るくする。

 

「あ、プロデューサー。来てくれたんですね」

「良かったわ。ここにプロデューサー君がいるって教えて貰ったのにいないから、ちょっと困ってたのよ」

 

 楓と瑞樹が揃って入り口にいる綾霧の元へ歩いてくる。それを見たちひろが“じゃあ私は一旦席を外しますね”と、綾霧に挨拶してから来た道を戻りだした。

 

「今のちひろさんですよね? プロデューサー、ここまで彼女に案内してもらったんですか?」

「はい。ここに来る前に自分の部屋に寄って来たんですけど、それで少し時間がかかっちゃったみたいで」

 

 楓が去り行くちひろの背中を目で追いながら、綾霧に経緯を聞く。楓も瑞樹もちひろとの挨拶は済んでいたが、彼女が具体的にどういったポジションの人間なのか把握していなかった。

 社長――移籍前の事務所の社長とも面識があるあたり、それなりにキャリアのある人物ではないかと当たりはつけていたが。

 

「ねえねえ、プロデューサー君。自分の部屋ってなに?」

「えっと、こことは別に部屋を与えられたみたいで。事務仕事とかそっちでやることになりそうなんです」

「あらまあ。プロデューサー君専用の部屋があるのね? それはちょっと興味深い話だわ」

 

 瑞樹の興味は彼の部屋に向けられたみたいで、その部分を強く聞いてくる。とは言っても、今の段階で彼に答えられることは少ない。というかぶっちゃけないに等しい。

 それでも専用というワードは、楓の興味すら惹いたようだ。 

 

「プロデューサー専用の部屋……」

「ねえ、興味あるわよね、楓ちゃん」

「それは、まあ、少し」

「別に大した部屋じゃないです……というわけじゃなく、凄く立派な部屋ですけど、特に隠すようなことでもないんで後で一緒に見に行きましょうか」

「いいのプロデューサー君?」 

「本格的に仕事が始まったら呼び出したりするかもですし。それよりここで立ち話もなんですから、中へ入りましょうか」

 

 扉口で話していたので、綾霧が部屋の中へ入るように二人を促す。

 そうして室内に入り扉を閉めたわけだが、中に入った綾霧がキョロキョロと辺りを見回しているので、不思議に思った瑞樹が理由を尋ねてきた。

 

「なにか探してるの? 広い部屋だけど、特別な物はなにもないと思うけど」

「えーと、今ここにいるのって楓さんと川島さんだけですか?」

「そうだけど、どうして?」

「いえ、実は三人目のアイドルが来ることになってて、何処かにいるのかなって見てたんです」

『三人目のアイドルっ!?』

 

 彼からの予想外の言葉に、楓と瑞樹がどよめく。

 

「はい。なんでも異業種からの転職組みで――元警察官だとか。凄いですよね、元警察官って!」

 

 この部屋に来る道すがらちひろに聞いた話を、やや興奮気味に語り出す綾霧。なんと言うか警察官というワードが彼の琴線に触れたのだ。

 だが彼とは裏腹に楓も瑞樹もその部分にそれほど興味を惹かれた様子は見られない。どちらかと言えば、三人目という部分に驚いたようだ。

 

「あれ? 元警察官て凄くないですか? 婦警さんですよ?」

「んー、ほら私って元地方局のアナウンサーでしょ? 楓ちゃんだって元モデルだし。だから警察官からアイドルにってのもありかなーって思っちゃうわけ」

「そう……ですか」

「私はどちらかといえば、その人とうまくやれるかのほうが気がかりです。ほら、アイドルって若い子が多いから」

「でも楓ちゃん。元婦警さんなら私たちと年齢が近いんじゃない?」

「あら。そう言えばそうですね。それなら一緒に飲みに行ったりできるのかしら」

 

 三者三様、各々の思惑が渦巻く中で突然バンッ! と勢い良く扉が開かれた。

 当然その音に導かれ、三人の視線が集中する。

 

「へえ、ここが今日からあたしのアジトになる部屋ね!」

 

 軽やかで甲高い声が室内に響く。

 場に現れたのは、栗色の髪を二つのお下げに纏めた小柄な女性。その彼女が三人に向かってウインク付きの敬礼ポーズを取った。

 

「こんにちは。あたしの名前は片桐早苗。今日からここのお世話になるわ。よろしくね!」

 

 

  


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