ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第十八話

「あら。プロデューサー君、今日は珍しくお休みなんですね」

「うん。寝坊したらしくって遅刻するって電話があったんだけどさ、良い機会だから休めって言っといた」 

 

 お昼前の事務所、その応接室から瑞樹と社長が会話する声が聞こえる。それを偶々耳にした楓が、壁際まですすすっと近寄って行った。

 

「フェスも終わって一段落ついたし、ま、ゆっくりしてろっていう意味でね」

「プロデューサー君、ここ最近ずっと大車輪の活躍だったから、少し疲れがたまってたのかもしれませんね」

 

 社長の言葉に同意しながら、瑞樹が今日のお茶請けであるお煎餅に手を伸ばす。それを二つにパキっと折ってから、小さくなったほうを口の中に放り込んだ。

 

「あらら、美味しいですね、このお煎餅。食感が良い感じだわ」

「でしょ、でしょ! おかきとかあられとかで有名な店なんだけど、アタシのおすすめはこのお煎餅なのよー」

 

 言いながら社長もお煎餅に手を伸ばして――その段になって、楓がちょこんと可愛くパーティーションの隙間から顔を出していることに気がついた。

 

「あ、楓ちゃん。おはよー。こっち来て一緒にお煎餅食べる?」

「えっと、はい、頂きます」

 

 楓が入って来てソファに座るまでの間に、社長が急須から湯飲みにお茶を入れて彼女の分を用意した。

 

「さあさあ、楓ちゃん。このお煎餅美味しいから食べて、食べて!」

「ありがとうございます。それであの……さっきプロデューサーがどうとか聞こえたんですけれど、どうかしたんですか?」

 

 湯飲みを両手で受け取った楓が、気になっていたことを口に出す。

 

「ああ、体調不良で休むからって瑞樹ちゃんと話してたんだー」

「体調不良……プロデューサー大丈夫なんでしょうか?」

「問題ないと思うよ。今は急ぎの仕事もないし、念のために休んで貰っただけだから」

「そうなんですね」

 

 説明を聞いた楓が、納得したような、ほっとしたような、それでいてちょっぴり寂しいような、そんな曖昧な表情を浮かべながら湯飲みのお茶を啜った。

 朝から綾霧の姿が見えないと思ってはいたが、別件で仕事が入っているだけだろうと思っていたのだ。

 

「っと、噂をすればなんとやらだ」

 

 社長のバッグから着信を告げるメロディーが流れてきて、彼女は中からスマホを取り出すと、発信者の名前も見ずに電話に出た。

 

「はいはいアタシー。綾霧か。どうしたん?」

『おはようございます社長……ってもうお昼ですけど。すいません、今日休んでしまって』

「いいよ別に。そんなの気にしない。問題っていえば楓ちゃんがちょっと寂しがってるくらいだから」

『え!?』

 

 身を乗り出すようにして様子を窺ってた楓に向かって、社長がにひひーと笑顔を向ける。それを受けて楓が目をぱちくりとさせた。

 

『楓さんが、え? 楓さんがどう――』

「で、わざわざ電話してきてどうしたん? 急用かなにか?」  

『……いえ、折角なんで午前中に病院に行ってきたんですけど、ちょっと疲れが溜まってるくらいで風邪とかじゃ無かったみたいです。一応報告だけでもと。それで楓さんがどうし――』

「おーそうか。わざわざありがとうな。大事なくて良かったよ」

『……念のため病院で点滴も打ってきたので、明日には普通に出勤できるかと。で楓さ――』

「なら今日はゆっくり休んで大丈夫だぞー」

 

 電話しながら途中で何か思いついたのか、社長の目が輝き出した。そして意味ありげに楓に目線を流しながら通話を続けた。

 

「なあ綾霧。今って病院からかけてきてる?」

『いえ。家に戻ってきたところですけど、それがなにか?』

「じゃあこれからずっと家にいるんだ?」

『コンビニに飯を買いに出るくらいはするかもですけど、はい。ずっといますよ』

「住んでるとこマンションだよねー。そこってオートロックだったっけ?」

『……違いますけど』

「そうか。じゃあ夕方あたりに見舞いに行くよ」

『は?』

「聞こえなかった? お見舞いに行くって言ったんだよ」

『ええっ!? い、いいですよ。っていうか止めてください。色々忙しいでしょう、社長!?』

 

 変な方向に話が進んでるなと思ったら、突然の申し出に対し、綾霧は思わず全力で拒否してしまった。相手が目上の人であると一瞬忘れてしまうくらい素で会話してしまう。

 

「そう遠慮するな。点滴より効く特効薬を持っていってあげるからさ」

『特効薬ってなんですかそれ!? 別にいりませんから。間に合ってますからっ』

「ちゃんと家にいるんだぞ。じゃあな!」

『社――』

 

 プツ。ツーツーツー。

 半ば強引に通話を終わらせた社長が、ばすっと鞄にスマホを突っ込んだ。それから両手で湯飲みを抱えている楓に向かって、にんまりとした笑顔を向ける。

 

「ねぇ楓ちゃん。今日お仕事終わったら時間ある? 暇だったらちょっち付き合って欲しいところがあるんだけど」

 

 

 

 そして時刻は夕方へと進み、来訪者を告げる鐘の音が綾霧が住むマンションの室内に鳴り響いた。その音を聞いた彼がベットから飛び起きる。

 

「え? マジで来たの?」

 

 寝転びながらプレイしていたスマホゲームを中断して、綾霧が玄関方向へと視線を向けた。間取りが1kなので扉に遮られて直接見通すことは出来ないが、自然とそっちを向いてしまうのは習性みたいなものだ。

 

「……いやいや、さすがに勧誘かなにかだろう」

 

 見舞いに行くと社長は言っていたが、冗談の類だろうと楽観的に構えていたのだ。しかしあまりにも言っていた時刻と合致するために一抹の不安を覚えてしまう。

 そんな気持ちを誤魔化すように、敢えて他の可能性を口にする綾霧。実際、社長に来られて迷惑ということはないが、面倒くさいことに変わりはないからだ。

 

「はいはい」

 

 再度鳴ったチャイムの音に綾霧が返事を返す。相手まで聞こえていないだろうが、勝手に口をついたのだ。その流れでベッドから降りて、部屋の扉を開いて、狭い廊下を渡って、玄関へと到着する。

 そして扉を開いた先の光景を見て、文字通り絶句してしまった。

 

「…………………え?」

「やっほー。約束通りお見舞いに来たよ」

 

 背の小さい少女――もとい、社長がいるのはまだ百歩譲って理解できる。だが、どうして、その隣に“彼女”が立っているのだろう。

 

「か、かか、か、かえで――さん?」

「はい、楓です」

「じゃなくて、どうして――」

「プロデューサーがお休みされたと聞いてお見舞いに。あの……迷惑でした?」

「い、いえ! 全然、そんなことありません! これっぽっちも」

「……良かった」

 

 肯定する意味の言葉を貰って、楓の表情が綻ぶ。だが、楓の出現に意識の大部分を持っていかれた綾霧は、半ばパニック状態だった。彼女がスーパーのビニール袋を提げていることにも気付いていないだろう。

 その間隙を縫うようにして、社長が入出の許可を求めてきた。

 

「こうして特効薬も連れてきてあげたんだし、感謝しなよー」

「……特効薬ってなんですか」

「えー。楓ちゃんはアンタの特効薬でしょうに。あ、中入ってもいいかなぁ?」 

「あ、はい、どうぞ」

 

 パニックに陥っていた綾霧は、深く考えずに二人を玄関に招き入れてしまった。その段になって初めて、彼は自分が致命的なミスを犯しているんじゃにかと焦り出す。

 即ち、このまま二人――というか楓を室内に入れるのはまずいんじゃないだろうか、ということ。

 

「ち、ちょっっっと待っててください! 今、部屋片付けてくるんでっ!」

「なに? 散らかってるの? アタシは別に気にしないよー」

「俺がするんですっ!」

 

 二人を玄関に残して、急いで室内まで戻る綾霧。万一社長が来た時のために軽く掃除はしていたが、まさか楓を伴って現れるとは完全に想定範囲外の出来事だ。

 わかりやすく言うと、見られて困るアレ(えっちな本)とか、ソレ(えっちなDVD)とか、更にはアッチ系のものとか。ちゃんと隠していただろうかということ。

 

「えっと、アレは大丈夫。あっちは……こないだ処分した。で、あれは確かベッドの下に……」

「なになに? ベッドの下にエロ本でも隠してるのか?」

「うわああっ!?」

「男の子なんだから、それくらい普通でしょ。別に恥ずかしがることないって」

 

 にひひと笑った社長が綾霧の背中をパンパンと叩く。恐らく綾霧が戻る後ろについて歩いてきたのだろう。そんな彼女の隣に、申し訳なさそうな表情を浮かべた楓が立っていた。

 

「お邪魔、してます……」

「…………はい。されてます。とりあえずお茶でも淹れましょうか……ははは」

 

 みっともないところを見られたという恥ずかしさから、渇いた笑いが口から漏れた。楓にどう思われたんだろうかと考えると、頬が自然と紅潮してしまうのを感じる。

 そんな綾霧の隙を見つけて、社長が目ざとく発見したノートパソコンの前まで移動して行った。

 

「じゃあ早速――PCの中身でも拝見しようか」

「それだけは止めろ。……っていうかPCはマジ勘弁して」 

 

 世の中には他人にPCの中身を見られるくらいなら壊してしまえ、なんていう人もいるくらいだ。半ば冗談だが、ブラックボックス化している人も少なくはないだろう。

 

「つまんないなー」 

 

 唇を尖らせた社長が次の獲物を物色し始めた。ちょうどそんなタイミングで彼女の持っているバッグから着信音が流れてきた。

 

「ちょっとごめんねー。はいはいアタシー。あ、ちひろちゃん。先日はどうも。色々と助かったわ」

 

 綾霧に一言断わってから社長が電話に出る。話し声から誰何すると、電話の相手がちひろという名前だということが伝わってきた。彼の記憶にはない人物名ではあるが、何処となく畏怖を覚えてしまうのは何故だろう。

 

「うん、うん。あ、ごめんねちひろちゃん。後でかけ直すから一旦切るね。じゃあ!」

 

 電話を受けてから切るまでそんなに時間はかからなかったが、何やら用件が入ったのだろう。社長は綾霧と楓に向かって両手を合わせてごめんねのポーズを取った。 

 

「ごめーん。急用入っちゃった。来たばかりで悪いけどさ、アタシ帰るね。あ、これお見舞いの品だから、適当に食べちゃって」

 

 提げていた袋を適当な場所に置いてから、社長が颯爽と綾霧の部屋を後にしていく。その様を唖然とした面持ちで眺める綾霧。突然来たと思ったら、あっという間に帰っていくなんて予想出来るわけがない。

 そして残された形になった楓はというと、暫く言葉を捜している風に佇んでいたが、やおら部屋の隅まで歩き出すとその場に抱えていた荷物を置いた。それから自身が羽織っていた上着を脱いで、荷物の上に重ね置く。

 

「プロデューサー。ポット使っても構いませんか? お茶なら私が淹れますから」

「別にいいですけど……楓さんは帰らないんですか?」

「私は別に用事とかありませんから。あ、グラスも一緒に借りちゃいますね」

 

 そう言って楓がポットの置いてあるキッチンへと向かう為に、一旦部屋を後にした。てっきり社長が帰ったら楓も一緒に帰ってしまうんだろうと思っていた綾霧は、彼女が居残る様子なの事に多少面を喰らってしまう。

 

「あ、プロデューサー。グラス何処にあるんですかー?」

「上の納戸に幾つか。適当に使っても大丈夫ですよ」

「ありがとうございます。すぐ終わりますからちょっと待っててくださいね」

 

 扉越しに聞こえる楓の声に、何処か不思議なものを感じながら、綾霧は照れたように頭をかいた。

 

 

 

「ポットを借りるのちょっと照れちゃいますね。ぽっとする……なんて、ふふっ」

 

 お決まりのダジャレを披露しながら、楓が対面に座る綾霧の前へとグラスを用意した。一人暮らし用のテーブルなので、あまり大きくはなく、どうしても二人で顔を突き合わせるような格好になってしまう。

 

「お身体の調子はどうですか? プロデューサーが体調不良で休むと聞いて心配したんですよ」

「午前中に病院に行って点滴を打ちましたから、今は良好です。元々休むほど酷い感じでは無かったし」

「良かった。それを聞いてやっと安心しました」

 

 本当に嬉しそうな表情で楓が目を細める。両手の指を合わせて小首を傾げる仕草は、間近で見た綾霧が思わずドキっとしてしまうくらい可憐だった。

 

「ほら、私たち一緒にいることが多いじゃないですか。お仕事でも一緒ですし、オフでもちょくちょく飲みに行ったりして」

 

 楓の言う通り、仕事ではプロデューサーである綾霧と一緒の空間に居ることが必然的に多くなってしまう。瑞樹がデビューしてからその頻度は減ってきたが、代わりに一緒に飲みに行く回数が増えていた。

 地方へ出た時などは、その帰りに新たな飲み屋を開拓なんてことにも挑戦している。

 

「だから隣に貴方がいないと寂しいような、物足りないような……そんな感覚に陥る時があるんです」

「あー、俺もそういうのありますね。隣に楓さんがいない光景に違和感を覚えるというか、ふと横を見てみたりして」

「あります、あります! お仕事でアドバイスを求めようとして、その時点で一人で来てたこと思い出しちゃったり。ふふっ。結構恥ずかしいんですよね、あれ」

 

 自身の失敗談を思い出したのか、楓が頬を染めながらころころと可愛らしく笑っている。そんな感じで楓主導で雑談が進むことに、綾霧は随分と助けられる思いがしていた。

 だって、自分の部屋で楓と二人きりというシチュエーションで緊張するなというほうが無理な話だ。もし沈黙が降りていたら、いたたまれなくなっていたかもしれない。

 そうして雑談が進んでいったのだが、彼女がちょくちょくと部屋の中に目線を走らせていることに気付いた。きょろきょろするというよりは、あれはなんだろうかと興味を惹かれている感じである。

 そのことを綾霧に指摘されて、楓が手を合わせて片目を瞑った。

 

「あ、ごめんなさい。なんだか物珍しくて」

「珍しいですか? 至って普通の部屋だと思いますけど……」

 

 何処か変なところがあるのかと、綾霧が焦り出す。見つかってやばいブツ(えっちな本とか)は楓の目に触れない場所に隠してあるはずだと、自然と目線がそこに吸い寄せられたりもした。

 だがその焦りは杞憂だったようで、楓が理由を語り出す。

 

「実は私、男の人の部屋に入るのとか初めてで……こういうものなんだなって思って」

「え?」

「機会がありませんでしたから。こういうの変だったりします?」

「……いえ、だって俺も女の人を部屋に招き入れるの楓さんが初めてですから」

 

 さっきの社長はノーカウントだ。

 

「そうなんですか?」

「……俺も機会がなくて。楓さんが最初の女の人ですよ」

「あら、ちょっと特別な言い方ですね、それ」

「べ、別にそういう意味で言ったわけじゃなくてですね……」 

「ふふっ。わかってます。でも、そういうのちょっと嬉しい」

 

 綾霧のカミングアウトに動作で喜びを現す楓。座ってなければぴょこぴょこと飛び跳ねていたかもしれない。

 

「なんだか私たち、初めて同士が多いですよね。うふふ」

 

 こうして会話でじゃれあうのが楽しいのか、終始笑顔の楓。けど喋りすぎたのか、舌を湿らすようにグラスの中身を一気に煽った。

 

「ふう。なんだか火照っちゃうというか、少し暑いですね。あの、プロデューサー。冷たい飲み物頂いても宜しいですか?」

「構いませんよ。冷蔵庫は廊下を出て右手にありますから」

「ありがとうございます。では失礼して」

 

 手うちわでパタパタと自身を扇いでいた楓が、綾霧の許可を取ってから立ち上がった。そして廊下まで歩こうとした段階で、思い出したようにパンと手を打つ。

 

「そうだ。プロデューサー。もう夕飯食べちゃいました?」

「飯ですか? いえ、もうちょっと後で食べようかと思ってて、まだ」

 

 その答えを聞いた楓が目を輝かす。

 

「そうなんですね。じゃあ良かったら私が夕飯作りましょうか?」

「え? 楓さんが?」

「はい。実は材料も買ってきてあるんですよ」

 

 そう言って楓が部屋の隅に置いてある袋に目線を移した。

 

 


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