ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第一話

 ――俺があなたを輝かせてみせます。

 

 この人と一緒ならば。

 綾霧は楓をプロデュースして、アイドルとしての高みまで昇りたいと本気で思った。勢いで口走ってしまった言葉だが、そこに一切の偽りや嘘の思いは込められていない。

 彼女からそれだけの可能性を強く感じ取った。

 しかしそれとは別にして、楓を前にして豪快な啖呵を切ったことへの僅かな後悔の念が押し寄せてくる。なにせ彼には自信の裏打ちとなる実績がまるでないのだ。

 

「……」

 

 言葉を受けてから、じっと真摯な瞳で彼を見つめ続けている楓。

 悩んでいるのだろうか。それとも返す言葉を選んでいるのか。もしかしたら強引な彼の勧誘に呆れているのかもしれない。

 もし彼女が話の流れの中で返答していれば、それがどういう意味合いでさえ彼は言葉に詰まらなかっただろう。しかし十数秒とはいえ沈黙が降りたことにより、綾霧の心に冷静さが戻ってくる。

 それはマイナス思考を呼び起こし、思考を悪い方向へと誘ってしまった。

 少し性急に事を運びすぎたかもしれない。もう少し言葉を選ぶべきだったのではないか。

 もしかしたら――変に思われたかも。

 

「あの」

「は、はいっ!」

 

 待ち焦がれていた楓からの言葉。それを受けて、綾霧は思わず先生に呼ばれた生徒のように勢い良く返事してしまった。

 これはさすがに“ばつが悪い”とばかりにゆっくりと目線を逸らしていく綾霧。

 そんな彼を見て、楓が苦笑を洩らす。

 少しだけ、場の雰囲気が軟化した瞬間だった。

 

「正直に言って戸惑っています。いきなりアイドルを、なんて言われても実感が沸いてこないというか……心構えもないですし」

「……ですよね」

「でも、興味がないというわけでもないんです。私、昔からやりたいこととか特になくて、今の仕事も向いているんじゃないかって言われて、それで始めたんですけど――」

 

 なにか特別な目的や夢を持ってやっているわけではないんですと、彼女は少し寂しそうに付け足した。

 

「でも最近それじゃ駄目なんじゃないかって。なのに私自身どうすいればいいのかわからなくて……少し、悩んでいて」

「……モデルさん」

「ですから貴方に声をかけられて。アイドルにと誘われて。必要とされて。心がざわつきました」

 

 そっと胸元に手を添えて、瞳を閉じる楓。

 女の子なら誰だってアイドルという職業に憧れを抱いたことがあるはずだ。

 きらびやかな衣装を身に纏い、煌くステージに上り、多くの観客の前に立つ。

 ――歌って。

 ――踊って。

 ――舞って。

 自身の身体ひとつで観客を魅了し、割れんばかりの歓声を全身で浴びて、最高のパフォーマンスを魅せるのだ。

 なんて心が躍る光景だろう。

 誰しもが想像するトップアイドル。スクリーンの向こう側に広がる光輝く世界。

 それはきっと、楓だって例外じゃないはずだ。

 

「忘れていた――いいえ、諦めていた世界への扉がここにある。そう思うだけで、胸が熱くなる思いがします」

 

 閉じていた瞳を開き、彼に向かってそう告げる彼女。けれど、直後につと視線をテーブルへと落とすと、でもという一文を付け加えてしまう。 

 言葉は、そこで途切れた。

 

「……」 

 

 綾霧の話に興味があるのは事実だろう。アイドルという言葉に惹かれるものもあるに違いない。だがそれと同じくらい、強く抵抗も感じていた。

 

「私……」 

 

 自身の生活に直結する事柄だし、おいそれと簡単に決めれるような案件ではない。ましてや綾霧と楓は今日が初対面なのだ。二つ返事で即OKというわけにはいかない。

 その点は彼も重々承知している。

 

「――」

 

 悩む素振りを見せる楓を前にして、綾霧は右手をそっと自身の胸元へと伸ばしていき――その途中で上着は鞄と一緒に宛がわれたロッカーの中に入れていることを思い出した。

 仕方ないので、目的地をズボンのポケットへと変更させる。 

 

「あの、モデルさん。これを受け取ってください」

「これって……名刺、ですか?」

「はい。俺の名刺です」

 

 名刺だけは切らさずいつも持ち歩いている。プロデューサーとしての嗜みだ。鞄の中に、或いはスーツの内ポケットには名刺入れを。それらが手元にない時の為に財布の中にも数枚忍ばせてあった。

 楓は彼から差し出された名刺を両手で受け取ると、書かれている文字列に視線を走らせる。

 

「綾霧――さん」

「……俺の連絡先と事務所の住所連絡先が記載されてます。実は――再来週うちでオーディションがあるんです」

「え? オーディションって、アイドルのですか?」

 

 楓の問いに対して綾霧が頷く。

 

「はっきり言って大きな事務所じゃありません。昨今のアイドルブームの中でわざわざうちを選ぶ人が少ないのも認めます。それに――」

 

 ほんの一瞬だけ綾霧は迷った。

 この先を告げれば相手の決心が鈍ってしまうかもしれないと。しかしプロデューサーとして彼女と一緒にこの先を歩もうというのなら、最初に言っておかなければならない。

 そう結論を出し、言葉を続ける。

 

「実際にアイドルとして所属したとしても、すぐに大きな仕事が巡って来るとも限りません。現状ライバルも多いです」

「お仕事が、ない?」

「ええっと、コンサートのような一般の人が想像するアイドルとしての仕事がですけど。小さなイベントとか……あと歌やダンスのレッスンもありますから、暇になるということはないと思います……」

 

 後半になるにつれ、綾霧の言葉が尻すぼみになっていく。相手をスカウトする立場としては、あまり大きな声では言えないのだ。

 けれど楓は大して気分を害した風でもなく

 

「それはどこの業界でも同じではないでしょうか」

「え?」

「最初から大きなことに挑戦しても、身の丈に合ってなければ失敗してしまいます。小さなことをこつこつと積み重ねていく。すると自然と次のステップへと進んでいける。それはモデル業でも同じことですよ?」

 

 と彼をフォローするような台詞を吐いた。まるで心配しないでくださいねと言わんばかりに。

 

「私はいきなり結果だけを求めたりはしません。偉そうに言えた身ではないのはわかっています。けれどそれは貴方も同じではないですか?」  

「どう……して」

「だって、あんなに一生懸命雑用をこなして、頑張って。そんな人には見えなかったもの」

「あ……」

 

 彼女の言葉を聞いて、受け止めて。そして改めて込み上げてくる暖かな思い。

 ――楓を自身の手でプロデュースしたいという感情は強くなるばかりで、自然と身体を突き動かそうとさえ作用した。

 言葉を装飾し、相手をおだてあげ、メリットを並べたてでも説得したい。

 

「……俺」

 

 この機会を逃したくない。 

 

「俺、あなたと一緒に仕事がしたい……です。あなたとなら、できる気がするんです」

 

 なのに彼の口から零れ出た言葉は、なんの飾り気もなく、面白みも捻りもない台詞だった。

 率直な思いだけに溢れた、素朴な言葉。

  

「オーディション、受けにきてください」

「綾霧さん――」

「……差し上げた名刺にホームページのURLも記載されてます。詳しくはそこを見てくれれば大丈夫だと思います」

 

 そう告げてから、綾霧がゆっくりと席を立った。

 どうしてこのタイミングで立ち上がるのだろう。楓はその意図が読めず、自然と彼を目線で追いかける。

 

「あの――」

「時間取らせちゃいましたね。休憩時間の邪魔してすみませんでした」

「えっ」 

 

 彼に言われて楓が時刻を確認する。

 まだ少し休憩時間に余裕はあるが、長話を続けるほど余っている訳ではなかった。耳を澄ませば部屋の外から喧騒が届いてくる。そのあたりを彼は感じ取り察したのだろうか。

 

「今日はありがとうございました」 

 

 本当ならもっと押して押して押しまくり、彼女から言質を取るというのがプロデューサーとしての賢いやり方なのかもしれない。時間を空ければどうしても相手は冷静になってしまう。

 調べれば事務所の規模も分かるし、実績も分かる。最低でもここは彼女の連絡先を聞いてから去るべきだろう。

 けれど彼は十分に考えた上で楓に決めて欲しかった。

 

「失礼します」

 

 彼女と“これっきり”は嫌だと強く思う。だがこれからの選択は楓にとって重要な分岐点になるのはまちがいない。

 その上でアイドルとなる道を選択してくれるのなら――

 

「高垣さん――“また”お会いましょう」

 

 そう締め括ってから、彼はその場を後にした。

 楓は彼が閉めた扉をひとしきり見つめてから、改めて手の中にある名刺に視線を落とす。

 

「……一緒にトップアイドルへ、か」

 

 反芻するように口にした言葉は、彼の勧誘時の台詞。

 彼女はそれをどのような思いで呟いたのだろうか。 

 

 

 

 

 

 それから日数が経ち、オーディション当日――

 

『――高垣楓と申します。本日は宜しくお願い致します』

 

 面接会場に楓の明るい声が響き渡っていた。

 

 

  


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