ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第十七話

 心臓の鼓動が高鳴り、全身の隅々まで血潮が巡っているような感覚がする。ドクン、ドクン、と脈打つ音が脳内に木霊するようだ。

 実際に脈拍は早くなっているのだろう。自身の胸の前でぎゅっと強く握りこまれた右拳。その手首を左手で包みこみ、襲い来る緊張感に耐えているのだが、血管部分に添えられた親指が確かな脈動を感じ取っていた。

 

(大丈夫、大丈夫よ……。あんなに、練習したんだから)

 

 気持ちを落ち着かせる為に自分自身に語りかける瑞樹。だが、その効果はいまいち発揮されず、嫌な緊張感はどんどんと膨らんでく。

 人の目線には慣れているつもりだった。大勢の観客の前に立っても、平常心で歌える自信はあった。だって、テレビを通じてもっと沢山の人の視線に自分を晒してきたのだ。

 だから、大丈夫だと思っていた。なのに、何故、こんなにも緊張感の質が違うんだろう。

 

(すぐに出番……。さっき楓ちゃんが出たから、すぐに……)

 

 痛いくらいに唇を噛む。とても喉が渇いたように感じるのは、唾液の分泌が減ったせいだろうか。

 前を向いているのに、視界から情報が入ってこない。楓の歌声が聴こえているのにそれが脳内まで届いてこない。大勢の人が周りにいるのに、まるで自分一人だけが立っているような感覚に襲われる。

 

(あれ? もしかして私……)

 

 前日のリハーサルはそつなくこなせたし、当日になっても身体的不調は見られなかった。

 今日のために用意された素敵な衣装を身に纏い、綺麗にメイクをして、アクセサリーをあしらって。アイドルとしての舞台に立つ。望んで飛び込んだ夢の世界。その第一歩を踏み出す記念すべき日。

 なのに直前になって身体が竦むなんて思いもしなかった。

 

(……怖いの?)

 

 

 

 アイドルフェスティバルの開催。綾霧が、楓が、そして瑞樹が待ち望んでいた夢の舞台。

 幸いにして天気にも恵まれ、会場は満員のファンで埋め尽くされていた。出演者も多種多様で、新人アイドルから、中堅どころ、そしてベテランアイドルと、事務所の垣根を越えて集まってきている。

 だからこそのお祭り、フェスだ。

 

『えーと、次は346プロダクションの出番ですが、準備できてますか?』

 

 スタッフの一人がインカムを通じて連絡を取り合っている。その他にも大勢の裏方の人が忙しそうに動き回っていた。

 

『新人アイドルカテゴリー、トップバッターは十時愛梨さんです。曲目はアップルパイプリンセス。次の次が出番ですので、準備お願いします!』 

 

 フェスの流れとして、大まかに序盤は中堅アイドルが、次に新人アイドル、そして終盤はベテランアイドルが飾るセットリストになっていて、今はちょうど新人アイドル達に順番が回ろうとしているところだった。

 

「プロデューサー。346プロダクション最近勢いがありますよね。お仕事先でも所属アイドルの方と出会ったりしますし」

 

 忙しなく動く人の流れを見ながら、楓が隣に立っている綾霧に話しかけた。それを受けて、綾霧がスーツのポケットからフェスに関する資料を取り出す。

 

「そうですね。アイドル部門は新設されたばかりですけど、元々は老舗の芸能プロダクションですから。本格的な活動前から業界の注目度は抜群でした」

「広告もいたるところで見ますもんね」

「まあ、さすがに山手線にずらっと広告を並べられた時は驚きましたけど。インパクトありすぎでしょ、あれ」

「本当に凄かったですね。一駅に一人のアイドルみたいな。大手の力というものを感じました」

「それにスピード感というか、いざ動くとなったら色々と早かったわよね。やっぱり自前で各種施設を備えてるってのは強いわ」

 

 綾霧の説明に瑞樹が少し付け足した。以前の仕事柄、芸能関係で色々と接触したことがあるのだろう。

 

「えっと、今日はあちらから四人のアイドルが来ているんですよね?」

「ええ。売り出し中のアイドルが中心みたいですけど……えっと、あった。この部分を見てください」 

 

 楓の質問を受けて、綾霧は資料から出演者プロフィールが書かれた部分を見開いた。それぞれに写真も添えられているため、頭をつき出すようにして楓と瑞樹が覗き込んでいる。

 四人のアイドル――一人は人気抜群の愛梨。もう一人は先日楓も接触したまゆ。あともう一人はギャル風にキメた美人な女の子。そして最後の一人は、何処かまだ垢抜けない感じが残る素朴な女の子だった。

 

「十時愛梨さん、佐久間まゆさん、城ヶ崎美嘉さんの三名は知名度もあり、346的にもかなり力を入れてプッシュしている存在だと思います。三人ともタイプの違うアイドルですが、うまく纏まっているようですね」

「最近よく聞く名前よね。それであと一人は……えと、こっちはちょっと見たことない名前だわ。着ているのはクマさんTシャツかしら」

 

 一緒に資料を覗きこんでいた瑞樹が、残りの一人に目線を落としながら微笑んだ。

 

「純な感じがして可愛いわね」 

「小日向美穂さん、ですね。恐らく彼女も川島さんと同じく今日がデビューライブになるんだと思います」

「私と同じ……?」

 

 デビューライブと聞いた瑞樹の視線が、資料に描かれた美穂に注がれる。

  

「正直言って、順番が逆だったらなって思いましたよ」

「あの、プロデューサー。順番というのは?」

「演目の順番ですよ。俺達の出番は346の後ですからね。新人アイドルがデビューするというインパクトを出来れば最初に持って来たかった。そのほうが観客の印象にも残ると思って」

 

 小日向美穂。ソロ曲でデビュー。曲目はNakedRomance。

 

「あ、そろそろ十時さんの出番みたいですね。折角ですから舞台袖から見てみましょうか?」

 

 綾霧の提案に二人が頷く。

 前日に会場でのリハーサルも終えているし、既に衣装も身に纏っている。メイクも完璧だ。

 あとは楓も瑞樹も自身の出番を待つのみである。

 

 

 会場がファンの歓声で包まれた。結果として愛梨たちの出演パートは大成功だったと言って良いだろう。

 アイドルと観客がひとつになるような一体感。その熱気を間近で見た綾霧は、羨望と感動、そして悔しさが混じったような複雑な感想を抱いていた。

 純粋に観客の一人としてみたら素晴らしいステージだったし、楽しめたと思う。だが彼はプロデューサーだ。相手のステージに自身の担当アイドルが及ばないとは思っていない。

 わかりやすく言えば――負けてたまるかっ! という感じだ。

 そして楓は四人の中でも特にまゆの演目に注視していた。

 

「とても想いのこもった歌ですね。一目惚れから始まった、恋の歌」

「ポップで可愛らしい正統派アイドルソングだと思います。エヴリデイドリーム、俺も好きな曲ですよ」

「……」

 

 そして瑞樹は、美穂の出番に注目していた。

 同じ今日がデビューだという新人アイドル。その歌う姿を舞台袖から眺めている。

「……」

『そろそろ高垣さんの出番です。前の小日向さんの歌が終わったら一呼吸置いてから出てください』

「はい。お世話になります」

 

 美穂の出番が終われば、いよいよ綾霧たちのターン開始だ。

 トップバッターは楓。彼女は改めて二人に向き合うと出発の挨拶をした。

 

「川島さん、プロデューサー。行ってきますね」

「はい。ファンの皆さんに最高のステージを魅せてあげてください。会場が大きくても、小さくても変わらない。いつものアイドル高垣楓のステージを」

「もう。そうやってプレッシャーをかけるんですから。でも期待の現れだと思っておきます」

「信頼の現れですよ」

「なら、より頑張らないと。ね?」

 

 以前のまでの楓とは少し違う受け答え。彼女もデビューから幾つか場数を踏んで精神的にも成長しているのだ。ライブの中で感じる緊張を、自身の武器に変えて歌えるくらいには。

 

「あの、楓さん」

 

 歩き出した楓の背中へ、綾霧が声をかけた。

 

「俺が一番好きな曲は、あなたの歌うこいかぜです。――今日のステージ楽しんできてください。その思いがきっとファンにも伝わるはずですから」

 

 歩みを止め、身体を半身にして振り返る楓。その後で彼女は綾霧に柔和な微笑みを残し、観客の待つ舞台へと飛び出していった。

 

 

(…………) 

 

 そんな二人のやり取りを間近で見ていたにも関わらず、瑞樹の頭の中にはまるで情報が入っていかなかった。ただ瞳に映っているというだけの状態。

 その一番の原因は絶対に失敗できないとう強いプレッシャーだろう。同じデビュー組みの美穂のステージが目の前で盛況に終わったことも関係しているかもしれない。

 

(駄目よ、駄目……駄目。頑張らないと……失敗、出来ないんだから……)

 

 きつく奥歯を噛み締めているために表情が強張っている。身体が熱く火照ったような感覚は、会場の熱気に当てられたせいなのか。

 アイドルなのだから笑わないと。

 歌わないと。踊らないと駄目なのに――

 

「はいっ!」

「――っ!?」

 

 突然瑞樹の目の前で、パンッという渇いた音が鳴った。綾霧がねこだましの要領で両手を強く叩いたのだ。その音を切欠にして、瑞樹の瞳に色彩が、耳に音色が戻ってくる。

 

「え? プロデューサー君……?」

「すいません。声を掛けていたんですけど、届いていないみたいだったから」

 

 綾霧は叩き合わせていた両手を離し、そのまま瑞樹の手を被せるようにして取った。それから手の位置を少し下げて、真正面から瑞樹を見据える。

 

「川島さん。一度、大きく深呼吸してみましょうか」

「なによ、突然……?」

「いいから。俺の後に続いて――息を吸って」

「……すぅ」

「吐いて」

「――はぁ……」

「もう一回一緒に」

 

 二回目に大きく息を吸い込んだ時に、香りと匂いが戻ってきた。

 ライブ会場独特の熱気、音、そして匂い。それらを取り戻すことで、やっと瑞樹に正常な思考能力が戻ってくる。

 

「……汗、凄いですよ。俺ので良かったら、どうぞ」

 

 握っていた瑞樹の手を離して、スーツのポケットからハンカチを取り出す綾霧。それを彼女の前に差し出した。

 

「ありがとう……」

 

 ハンカチを受け取った瑞樹が、それをそっと頬に押し付ける。その段になって、初めて自分が汗をびっしょりとかいていることに気付いた。

 

「……」 

 

 強く拭うと一緒にメイクが落ちてしまうため、押し付けるようにして汗を吸い取っていく。頬から目元へ、そして額へと移動し、最後に首筋へ。順にハンカチを移動させてていく瑞樹。

 

「あなたが主役の舞台です川島さん。――アイドルとして楽しんできてください」

 

 衣装を纏っている瑞樹がハンカチの処遇に困るだろうと、綾霧は彼女から半ば強引に受け取るとポケットに仕舞いこんだ。それから首を動かしてライブ会場のほうへと視線を移す。

 瑞樹もそれに倣って――もうすぐ楓の演目が終わろうとしていることに気付いた。

 

「……さすがね、楓ちゃん。歌う姿、とっても綺麗」

「まるで歌姫みたいですよね。でもそんな楓さんも、デビューライブの時は凄く緊張していたんですよ。だから珍しいことじゃありません」

「プロデューサー君……」

「終わったら、三人で飲みに行きましょうか。“祝勝会”です。俺が奢りますよ」

「……クスクス。なぁにそれ。楓ちゃんじゃないんだから、そんなんじゃはしゃいだりしないわよ」

 

 微笑を浮かべながら、瑞樹が綾霧の胸に軽く右拳を突き出した。

 突っ込み要素を兼ねての動作だったが、もう大丈夫という意味合いも込められていたのだろう。その証拠に、彼女は小さな声でありがとうと付け加えていた。

 そこに、楓が演目を終えて戻ってくる。

 

「川島さんっ!」

 

 真っ先に瑞樹の元へ駆け寄る楓。

 歌いに出る前から、瑞樹が緊張しているのは楓にも強く伝わってきていた。しかしそれはプロデューサーが何とかしてくれると信じていた。

 自分の時もそうだったように。

 そして実際、瑞樹の表情を見て、それは正解だったと表情を綻ばせる。

 

「バトン、タッチです!」

 

 楓が胸のやや上あたりに右手を掲げる。それを見た瑞樹が、自身の右手をハイタッチの要領で強く打ち付けた。パンッという小気味良い音は、瑞樹のテンションをぐんっと上げてくれる。

 それから改めて拳を握って、大きく深呼吸する瑞樹。

 

「じゃあ行ってくるわ、楓ちゃん、プロデューサー君。アイドル川島瑞樹の晴れ舞台、しっかりと見ててね!」

 

 返事は待たずに瑞樹が駆け出す。そんな彼女を待っているのは会場を埋め尽くす満員の観客達だ。

 きっと今の会場に瑞樹のファンはほとんどいないだろう。だがそれもこのライブが始まる前までの話である。

 

「みんなー! アイドルの川島瑞樹でーすっ! 今日がデビューライブなんだけど、精一杯歌うから、楽しんでいってねー!」

 

 曲名AngelBreeze。

 ちょっと長めのイントロから、何処か懐かしさが漂うような曲調が続く。歌詞も瑞樹の歌声にバッチリと嵌っていて、天使の息吹の如く会場に響き渡った。

 クールとキュートさを合わせたような、一昔前のアイドルソング。だが、それが、瑞樹には最高に似合っていて。

 歌い終わった後の大歓声は、きっと、いつまでも、彼女の心に残り続けることだろう。

 

 

 


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