ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第十六話

「トレーナー。もう一度最初からお願いできますか?」

「……熱心なのは認めるがな、高垣。朝から根を詰めすぎじゃないか? 少し休憩したらどうだ?」

「いいえ。あともう少しだけ、あとちょっとでなにか掴めそうな気がするんです。お願いします、トレーナー」

「そうか、わかった。じゃあ、あたまからもう一度いくぞ」

「はい!」

 

 ベテラン女性トレーナーの指導の下、楓がダンスレッスンを受けている。その様子を少し離れた場所で綾霧と瑞樹が座った状態で眺めていた。瑞樹も楓と同じくレッスン中なのだが、一足早く休憩に入ったのだ。

 

「今日の楓ちゃん気合入ってるわねぇ。なにかあったのプロデューサー君?」

「特別なことはなにも。ただ先日のアイドル雑誌の撮影が終わってから、彼女なりになにか思うことがあったようで」

「思うことって?」

「それはちょっと。仕事に対してもより前向きになったというか、良い刺激を受ける出来事があったんじゃないかとは思ってるんですけどね」

「ふーん、刺激ねぇ」

 

 レッスンを続ける楓を眺めながら、瑞樹が手にしていた紙コップに口を付けた。中身は薄味のスポーツドリンクに少量のハチミツを加えた特製ドリンクである。

 その甘みを堪能しながら、瑞樹が視線を綾霧へと移した。

 

「ちょっと興味あるわね」

「アイドルフェスが近いですから、その影響もあるとは思います。……その、川島さんの調子はどうですか?」

「私? そりゃもう絶好調よ。なんかね、こう一つの目的に向かって邁進してると“充実”してるって感じがしてね。最近毎日が楽しいわけよ」

「レッスン、楽しいですか?」

「楽しいわよ。他の色々なこともアイドルになった自分に繋がっていると考えたらね。気力、漲ってるわ」

「良かった。……あと、すみません。本当ならもっとついてなきゃいけないのに」

 

 謝る綾霧を見て、最初何の事を言っているのだろうとキョトンとしていた瑞樹だったが、すぐに思い至ると、表情をほころばせながら肩で軽く彼に体当たりをした。

 

「やーねー。何を謝っているのよプロデューサー君。そりゃあなたに側にいて欲しいって思う時もあるけど、今は楓ちゃんだって大変な時期なんだから。優先順位くらい心得ているわよ。大人なんだし」

 

 仕事が増えつつある楓を優先して瑞樹をおざなりにする……とまではいかないが、どうしても比率として楓に構うことが多くなっているのが実情だ。

 この時期は楓にとって初めて触れるタイプの仕事も多く、プロデューサーである綾霧が傍にいないと始まらない。そのことについて綾霧が謝ったのだが、瑞樹は気にしてないわよとばかりにウインクをしてみせた。

 

「それにプロデューサー君、時間を見つけては様子を見に来てくれてるじゃない。あなたに放っておかれてるなんて思ってないから」

「そう言ってもらえると、気分が楽になります」

「フフッ。あのねプロデューサー君。女の子っていうのはね、気に掛けて貰ってるんだって感じるだけでも結構嬉しいものなんだから。あなたの頑張りは私も楓ちゃんもちゃんと理解してるからね」

「……川島さん。ありがとうございます」

 

 楓も瑞樹も仕事にレッスンにと忙しい身だが、それ以上に綾霧の負担が増してきていた。あまりそういう雰囲気を見せないようにはしていたが、やはり身近にいる人には伝わってしまうのだろう。

 それでも、今、頑張る必要があることは三人ともよく理解していた。

 

「……踏ん張りどころですからね。アイドルフェス絶対に成功させたいんです」

 

 隣にいる瑞樹を見て、それからレッスン中の楓に視線を移す綾霧。

 二人ともアイドルの素材としては申し分のない逸材だ。特に歌唱力という点では現在トップレベルにいるアイドルと比べても遜色ないとさえ彼は思っていた。

 あとは活かすも殺すもプロデューサーっである自分次第。

 だからこそ一切手は抜けない。

 

 

「はい、一旦終了。私も休むから、高垣も少し休憩しろ。異論は認めないからな」

 

 パンッと両手を打ち鳴らせて、終了を告げるトレーナー。相手に有無を言わせないように強く流れを切ったのだ。 

 

「……ありがとう、ございました」

 

 肩で大きく息を吐く楓に向かって、トレーナーが再度休むように指示する。それを受けて楓は綾霧たちの元へ向かって歩き出した。その背中に向かって、彼女が一言だけ付け加える。

 

「高垣。随分と動きにキレが出てきたぞ。その調子で頑張れ」

「……はい!」

 

 褒められたのが嬉しかったのか、楓はトレーナーに向かってお辞儀をしてから、小走りに二人の元へ駆け寄っていく。そんな彼女を瑞樹が出向かえた。

 

「お疲れー、楓ちゃん。はいタオル」

「ありがとうございます、川島さん」

「あとこれね。スポーツドリンク。ほんのり甘くて疲れが取れる感じがするわよ」

 

 瑞樹は水筒から紙コップへとドリンクを注ぎ、それを楓へ手渡した。楓はお礼を言ってから受け取ったコップの中身を一気に飲み干し、ほうっと大きく息をついた。

 

「ふう、美味しい。あ、もう一杯頂いても?」

「はいはい」

 

 差し出された紙コップを受け取りながら、瑞樹が水筒に手を伸ばす。その間に楓が彼女の隣に腰を下ろした。

 

「お疲れさまです、楓さん。さっきトレーナーさんに褒められてましたね」

「まだまだですけど、成長が見られているようで励みになります。ダンスは今でも一番の苦手項目ですから」

「だから今日やたらと気合入ってるの楓ちゃん? アイドルフェスも近いし、苦手分野を克服したいから?」

 

 ふたたび紙コップを楓に手渡しながら、瑞樹が疑問に思っていたことを聞いた。

 

「それはもちろんありますけど、一番の理由は目標ができたから、かもしれません」

「目標、ですか?」

 

 彼女のプロデューサーとして、聞き逃せない言葉に綾霧が反応する。

 

「ええ。端的に言ってしまうとアイドルとしてもっと輝きたいって思ったんです。だから今自分に出来ることを精一杯頑張ろうって」

「え?」

「楓ちゃん?」

「な、なんですか、その反応? 私なにか変なこと言っちゃいましたか?」 

 

 飾らずに放った楓の言葉に、綾霧と瑞樹が自然と引き寄せられる。まさかそういう反応が返されるとは思っていなかった彼女は、多少面を喰らったような目を瞬かせた。

 

「いえ、ちょっと驚いてしまって。楓さん、どちらかというと今まで受動的だったじゃないですか。自分からああしたい、こうしたい、これをやってみたいとかあまり無かったから」

「言われてみればそうですね。色々と求める余裕が無かったというのも大きいですけれど」

 

 そう言った楓が瑞樹に視線を向ける。綾霧だけじゃなく、瑞樹も何やら興味ありそうな目を向けていたからだ。

 

「私は楓ちゃんより人生の先輩だけど、アイドルとしては楓ちゃんのが先輩だからね。もしや含蓄のある言葉が聞けるのかなって期待したの」

「含蓄って……そんな深いこと考えてませんよ、私」

「でもそう思うに至った過程があるわけでしょ? 聞かせて貰えない楓ちゃん」

「ええっと、あのプロデューサー」

 

 助けを求めるように、楓が綾霧に目線をくれる。しかし綾霧もまた楓の気持ちの変化に興味があった。

 

「俺も聞きたいです。先ほど楓さんは目標ができたって言ったじゃないですか。そのあたりのことを詳しく」

「え? どうしよう。困ったな……本当に大したことなんて考えてないから」

 

 可愛くイヤイヤをするように楓が頬に手を当てた状態で首を振る。半ば照れ隠しの仕草だったが、その可憐さに綾霧の視線が吸いつけられた。

 けれど追求の姿勢までは崩せず、楓は眉根を下げた状態で苦笑いを浮かべた。 

 

「あの、聞いても笑ったりしませんか?」

「もちろんしませんよ」

「川島さんも?」

「面白かったら笑っちゃうかも。……嘘、嘘。笑わないわよ楓ちゃん」

 

 二人に確認を取って、観念したように楓が嘆息する。

 それから少しだけ真面目な話になっちゃうかもと前置きをした。

 

「私にとってアイドルになるというのは大きな挑戦でした。正直に言ってアイドルにならない人生もあったと思います。けれど私は貴方と出会い、アイドルになった」

 

 楓が綾霧に微笑みかけながら、言葉を紡ぐ。

 

「覚えてますか、プロデューサー。初めて私と会った時、貴方は私を輝かせてみせる。一緒にトップアイドルへの階段を上ろうって言いましたよね? 戸惑いもあったけれど……私、嬉しかったんです」

 

 あの時にかけられた言葉と、真っ直ぐ差し出された手。その光景は彼女の心の中に強く刻まれている。

 

「扉を開いて、導いてくれて。そして私は色々な人達に出会いました。プロデューサーや川島さん。事務所の皆さんや、仕事先で出会うスタッフの方。そしてこんな私でも応援してくれるファンのみんな。そんな人達に頂いたものを返しながら階段を上っていきたい。そう、思ったんです」

「階段って――」

「――トップアイドルへと至る階段。一段ずつ、ゆっくりとでもいいんです。私はいつか貴方のプロデュースでシンデレラガールになりたい。そのために努力するのは……間違ってませんよね?」

「もちろん、もちろんです! でも、シンデレラガールって……あのシンデレラですか?」

「はい。一番輝いたアイドルが戴ける称号、ですよね? まだまだ遠くて、姿も見えないけれど――」

 

 自身の胸の前でぎゅっと拳を握り込む楓。まるで胸の中の想いを強く掴むように。

 

「そこに繋がっている道は見つけた気がするんです。だから目標、ですね」

 

 ゆっくりと拳を解いて、楓が微笑む。

 それを見た瑞樹がうんと大きく頷いた。

 

「……楓ちゃん。飄々としてる割にちゃんと考えてるのね。ちょっと感心しちゃった」

「そんな、感心されるようなことじゃありませんよ。だって道を見つけたと言ってもどう歩いたらいいのかわかりませんし、きっとこの先もプロデューサーに頼りきりになると思います。……頼っても良いんですよね?」

 

 夢見る女の子が歩く道は、魔法使いが照らして明るくしてくれる。女の子はそれを信じて前を向いて歩いていくだけだ。

 

「俺にできることなら全力で。シンデレラになんて今すぐはとても無理ですけど、いつか……きっと、必ず……!」

「ええ。いつか、きっと。私に12時を過ぎても解けない魔法、掛けてくださいね」

「いいこと言うわね楓ちゃん。その為にも今は目の前のアイドルフェスに集中よね。私も負けないんだから」

 

 三人が顔を突き合わせて笑い合う。良い感じにテンションも上がり、モチベーションも上昇傾向。そういうタイミングで、ルームの扉を開いて誰かが入ってきた。

 誰だろうと皆が視線を動かせば、そこにいたのは小柄な少女……もとい、事務所の社長だった。

 

「おー、やってるねぇ。レッスンの調子はどうだい綾霧?」

「あ、お疲れさまです、社長」

「挨拶はいいよ。っとコレ差し入れね。はい楓ちゃん、瑞樹ちゃん」

 

 おそらくお菓子の類だろう。社長は室内に踏み入ってくるや、携えていた紙袋を瑞樹に手渡した。それから彼女は綾霧の脇に腕を突っ込むと、強引にその場から立ち上がらせる。

 

「おわぁぁあ!?」 

「二人とも、悪いけど、ちょっち綾霧借りていくよ」

「ちょ、いきなりなんなんですか、社長?」

「にひひ。あんたに話があるんだ。ちょっと外へ出ようか」

 

 そう言ってニヒルに笑った社長が、親指で扉のある方向を指し示した。

 

 

 


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