ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第十四話

「ん……」 

 

 綾霧は目が覚めた時に、いつもと違う寝起きの光景に小さな違和感を覚えた。まだ意識が完全に覚醒しきっていないために、状況把握が遅れたのだ。

 

「そっか。俺、寝ちまったのか……」

 

 数秒ほど寝惚けまなこのまま動きを止めていた綾霧だったが、その間にここが事務所の中だったということを思い出す。

 

「今……何時だろ……」 

 

 少し身体を休めようとソファに座ったところまでは覚えていたのだが、その先の記憶がどうも曖昧だ。恐らく目を瞑った拍子にストンと落ちるように眠ってしまったのだろう。

 そう結論付けた綾霧は、一気に意識を覚醒させるべく軽く伸びをした。

 短時間とはいえ眠ったのが良かったのか、体調はかなり良好で、さっきまでの睡眠がとても心地良いものだったことを彼に教えてくれていた。

 ベッドで眠ったわけでもなく、長時間睡眠を取ったわけでもない。それなのに気分が良いのは何か他の要因でもあったのか。そんなことを考えながら視線を巡らせる。

 眠る前と同じく静かな事務所内。電気は点いているし、特に変わったところも見られない。

 ただ唯一変化があるといえば――

 

「え……?」

「おはようございます、プロデューサー」

 

 綾霧の対面のソファに陣取って頬杖をつき、彼を見つめている楓の姿だった。

 

「楓さん……?」

「はい、楓ですよ」

「じゃなくて、そこで、なに、してるんです?」

「ここに座ってじっとプロデューサーを眺めてました」

「は?」

「ふふっ。とっても可愛い寝顔でした」 

「え、なっ……っていうか、今の状況なに!?」

 

 クスクスと楽しそうに笑う楓の姿を見て、綾霧は彼女が冗談を言ったのだろうと思ったが、状況がさっぱり理解できない。ただでさえ寝起きなのに、想定不能の光景が混乱に拍車をかける。

 そのせいなのか、ここに至るまで綾霧は自分にタオルケットが掛けられていることにすら気付かなかった。

 

「えと、これ……もしかして楓さんが掛けてくれたんですか?」

 

 タオルケットを掴みながら問い掛ける綾霧に対して、楓は優美に微笑んだまま答えなかった。その代わりとばかりに、彼女はソファから立ち上がると彼にこう提案する。

 

「プロデューサー。眠気覚ましにコーヒーでも如何です? インスタントで良ければ淹れますけれど」

「あ……はい。じゃあ頂きます」

「ではちょっと待っててくださいね」

 

 楓が茶目っ気たっぷりにウインクしながら、人差し指を軽くちょんと振ってみせる。大人しく待ってなさいという意思表示だったのだろうが、その仕草があまりにも可愛くて、綾霧は彼女がパーティションの隙間から出ていくまで目で追ってしまった。

 しかし楓が応接室から出ていけば、途端に視線の目標が定まらなくなる。仕方ないので彼は、タオルケットを四つ折りに畳みながら何故かテーブルに置いてある目覚まし時計で時刻を確認した。

 短針は9を、そして長針は12の文字を指している。

 ――午後の9時、別の言いかたをすれば21時だ。

 

「……楓さん、何時ごろ戻ってきたんだろ」

 

 肩に手を当てて首を巡らせながら独りごちる。

 プロデューサーである彼は当然担当である楓のスケジュールを把握していたが、全てが予定通り進むなんてことは稀である。

 それでもある程度の時間は絞れるわけで、彼女が寄り道をしないで戻ってきたとすれば、そこそこ長い時間事務所で二人きりだったということになる。

 少し気になるのはその間の彼女の行動。

 もし本当に楓の言うようにずっと自分の寝顔を見ていたというのなら、どうしてそんな行動を取ったのかという疑問が浮かび上がってしまう。

 冗談だと思っていたし、殊更詮索する気はないのだが、気になってしまうのはもはや男としての性だろう。

 

「……ついさっき戻ってきたのかな?」

 

 起きるちょっと前に戻ってきたと考えるのが一番自然だ。そう自分の中で結論付けて綾霧はもう一回大きく伸びをした。ちょうどそのタイミングで楓がこちらに戻ってくる。

 

「お待たせしました」

 

 カップを二つ載せたトレイを両手で持ったまま、綾霧の隣へと腰を下ろす楓。それから彼の前にコーヒーに満たされたカップを差し出した。

 トレイの上には他にもスティックシュガー、ミルク、マドラーなどが乗せられている。

 

「はい、どーぞ」

「ありがとう、楓さん」

「いーえー。私もちょうど飲みたかったところなんです」

 

 自身のカップを手に取りながら、にこりと微笑む楓。それから砂糖、ミルクをカップに注ぎ、数回マドラーでかき混ぜる。隣で同じことを綾霧も繰り返し、そっとカップに口をつけた。

 途端口内に広がるコーヒーの苦味に砂糖の甘さ、そしてミルクのまろやかさ。

 あながちインスタントといっても侮れない味である。

 

「うん、美味しい」

 

 そんな感想を口にしながらコーヒーを飲む綾霧の姿を見て、楓は普段から思っていたことを彼に尋ねてみることにした。いつも一緒にいることが多いので、ちょっと気になっていたのだ。

 

「プロデューサーってコーヒーが好きですよね? 普段からよく飲んでるイメージがあるんですけど」

「好きかっていわれたら、好きですよ。ちょっとした空き時間とか、食事の後とか飲みたくなるんですよね」

「やっぱり。事務作業をしている時とか、いつも傍らに置いてあるから気になってて」

「そう言われれば確かにしょっちゅう飲んでるな、俺。朝も起きたらまずコーヒーって習慣ですし」

「あら。もしかして、自分なりのこだわりとかあるんですか? 自宅に専用のサーバーを設けてあるとか?」

「いえ、そういうのは特に。インスタントでも美味しく頂けますからね」

 

 そう言った綾霧がカップを掲げて見せる。今回のコーヒーが美味しいのは、楓が淹れてくれたというプラスアルファの効果は否定しきれないが。

 

「そういう楓さんはどうなんですか? コーヒー好きだったりします? あ、お酒が大好きなのは知ってますけど」

「もう。すぐそうやって私とお酒を絡めるの、プロデューサーの悪い癖ですよ」

「今まで培ってきたイメージってものがありますから」 

「それは……好きなのは否定しませんけれど、意地悪な言い方だと思います」

 

 ちょっと怒ったように頬を膨らませてから、楓がぷいっと横を向いてしまう。そういう彼女の反応が可愛くて、ついつい冗談半分、からかい半分、そういうことを言ってみたくなるのは確かに悪い癖だろう。

 

「そっぽ向かないで、こっち向いてください」

「誰の所為ですか、誰の」

「楓さん。拗ねないでくださいよ」

「拗ねてません」

「謝りますから、機嫌直して」

「怒ってませんから、直す機嫌なんてありませんよ」

「楓さん」

「知りません」 

「あー」

 

 最近はちょくちょく二人でこういったやり取りを交わすようになっていた。

 大人で、雰囲気があって、何処かミステリアスで。そういう一面も確かに楓の一部分ではあるが、心を許した相手に対して年齢以上の幼さを見せるのも、確かに彼女の一部分なのだ。

 そういう面もまた魅力的であると彼は思っていたが。

 

「……」

 

 どうしたら機嫌を直してくれるのか。そうやって頭を悩ませる綾霧の姿を、楓が横目でチラ見する。

 こうやって拗ねた“ふり”をした時に、必要以上にかまってくれるのが嬉しくて、ついやってしまうのだ。自分でも悪い癖だとは思っているが、楽しいのだから仕方がない。

 だからどのあたりで“ふり”をやめるのか。それを彼の様子から探ろうと盗み見たのだ。

 

「今度飯でも奢りますから」 

「……ふふっ。冗談ですよプロデューサー。ちょっとからかい過ぎちゃいましたね」

 

 てへっと可愛く舌を出して片目を瞑ってみせる楓。そんな姿を見たら、あれこれと追求する気なんて失せてしまう。もしこれを狙ってやっているのだとしたら、彼女には敵わないなと綾霧は思った。

 

「んー、そうですね。コーヒーなら私も好きですよ。家でも飲んだりしますし。ふらっと喫茶店に入ったりもしますから」

「へえ、喫茶店に?」

 

 楓が話を戻してきたので、綾霧もそれに習う。

 こういう切り替えはお手のものだ。

 

「楓さんが喫茶店にふらっとなんて、あまり想像つきませんけど」

「モデル時代は基本的に一人で食事を取っていましたから。昼は喫茶店でよくご飯を食べたんです」

「なら今度一緒に行きませんか?」

「え?」

「事務所の近くに美味しいコーヒーを出す店があるんです。オリジナルのスイーツとかも評判で」

「あら、良いですね。コーヒーと甘い物って合いますから。苦味と甘みのバランスが絶妙で」

「でしょう」 

「プロデューサー。そこはどんな感じのお店なんですか?」

「シックで落ち着いた雰囲気のある……やっぱりコーヒーが売りなんで、酸味とか苦味とか結構お客さんの要望に応えてブレンドしてくれたり。あ、もちろんメニューにも種類が沢山ありますから好みの味が見つかるんじゃないかと」

「そんなに拘ってるお店なら、きっと“こーひーんしつ”の豆を使ってるでしょうね、ふふっ」 

 

 ほら来たと綾霧が目を輝かせる。

 最近はふとした拍子に零す楓のダジャレが密かな楽しみになっていた。内容云々じゃなく、次はどんなことを言ってくれるんだろうかという期待感が心を弾ませるのだ。

 

「近くにあるなら明日にでも行ってみましょうか、プロデューサー」

 

 それから暫く、他愛も無い会話に花を咲かせる綾霧と楓。時折話す内容が相手のプライベートに踏み込んだりもしたが、知らなかったことを知れたという喜びからまた会話が弾む。

 打てば響く、心地良い時間。

 そんな流れを断ち切ったのは、突然室内に鳴り響いたけたたましいベルの音だった。

 最初二人はそれが何の音なのか把握できていなかったが、すぐにテーブル上の目覚ましが鳴っているのだと気付く。

 

「……えい」

 

 時計を叩いてベルを止める楓。それを境にして室内に沈黙が降りた。途端、さっきまでは気にならなかった静寂が身体に痛いほど染み込んでくるような感覚に陥る。

 気まずいという雰囲気ではないが、話の続きをしようという感じは薄れてしまった。

 

「……」 

 

 元々雑談をしていただけなのでいつ切り上げても良いのだが、なんとなく名残惜しいような感覚が彼の身体を支配していた。

 楽しかった旅行へ行った帰り道。解散が近づいたお祭りの終盤みたいな物悲しさ。

 

「……そうだ」 

 

 いつのまにか中身が空になっていたカップに視線を落とし、次の話題を探る綾霧。そこで最近忙しさにかまけて伝え損ねていた話がひとつあったのを思い出す。

 

「楓さん、シンデレラガールって言葉知ってますか?」

「え? シンデレラガール、ですか?」

「はい。最近業界で噂になってるんですけど――その年にもっとも輝いたアイドルにシンデレラガールの称号を与えよう。そんな趣旨の大きな賞が新設されるらしいんです」

 

 会話が途切れたのが良い転換期になった。

 さっきまでの流れでは言えなかったことも今なら伝えられる。そう思って綾霧が話を切り出した。

 

 

 


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