「アイドルフェスティバル、ですか?」
「うん、そう。アイドルフェスティバル。略してアイフェス。知ってる、楓ちゃん?」
事務所の応接室にいつもの面子――社長に綾霧に楓、そこに瑞樹を足した四人が集まっていた。社長の隣に瑞樹が座り、対面に綾霧と楓が腰を下ろす格好になっている。
冒頭の台詞は楓と社長のやり取りである。
「ええ。多方面からアイドルを集めた音楽祭、ですよね? 注目度の高い催し物だと聞いてますけど」
「その通り。んふっふっふ。聞いて驚け。なんとそこにアタシ達の出番を捻じ込んだ!」
バンッと音を立てるような勢いで、社長がテーブルの上に紙片を叩きつける。それこそ今話題に出されているアイドルフェスティバルのチラシだった。
「ま、綾霧が色々と奮闘してくれたおかげなんだけどねぇ。詳しくは彼が説明するからさ」
社長が後は任せたぞという意味の目線を綾霧に投げかけた。それを受けて彼はテーブルに資料を広げ、その隣にタブレットを置いた。
「アイドルフェスティバルは不定期の開催ながら、かなりの集客を見込める大きなイベントになります。先ほど楓さんが言ったように世間での注目度も高く、このイベントを足がかりにしてスターへの階段を上ったアイドルも少なくありません」
「そこに私達が出られるんですか?」
「はい。都合三曲分の時間を貰いました」
三曲披露と聞いた楓と瑞樹が目線を合わせる。
現時点で歌を発表しているのは楓だけなので、どうするんだろうという意思表示が見て取れた。そういう二人の反応も織り込み済みだったのか、綾霧は当日歌う三曲を順に発表していく。
「まずは楓さんの“こいかぜ”を一曲目に持ってきます。アイドル“高垣楓”と“こいかぜ”はある程度世間で認知されていますので、ここでお客さんの注目を一気に引いてしまいたいんです」
「……責任重大ですね」
「気負わず、いつものように。楓さんらしくで大丈夫ですよ」
「はい、頑張ります」
楓を安心させるように笑みを浮かべる綾霧。それを見た楓が頷くのを確認してから、彼は改めて対面の瑞樹に視線を移した。
「そして二曲目は――川島さんにソロ曲を歌ってもらおうと考えています」
「え? 私……?」
「はい。曲名は“AngelBreeze”。遂にライブデビューですよ、川島さん!」
「っ!」
デビューという言葉が瑞樹の胸に鋭く突き刺さっていく。普段からはやく歌いたい、デビューしたいと口にしてはいたものの、いざこうして現実に突きつけられると衝撃は大きかった。
それでも不安よりも歓喜が優る。瑞樹が目指していたアイドルとしての大きな一歩を踏み出せるのだ。
「大きな舞台でのデビューは負担を強いる結果になると思いますが、こういう前例がないわけではありません。それに何より川島さんならやり遂げてくれると信じています」
「……随分と持ち上げてくれるわね、プロデューサー君」
「お世辞じゃないですから。今までの川島さんを見てきて、俺は出来ると思ったんです。こういう信頼は迷惑ですか?」
「プロデューサー君にそう言われたらノーとは言えないわね。というよりやるしかないんでしょ? 望むところよ」
人生経験が豊富と言ったら瑞樹は怒るかもしれないが、完全な新人アイドルとはやはり踏んでいる場数が違う。実際にアナウンサーとしてテレビに出演していたという実績は大きいと綾霧は考えていた。
「あの、プロデューサー。私と川島さんの曲でふたつですけど、あと一曲は……?」
どちらかが二曲目を披露するのか、それとも第三のアイドルの当てがあるのか。そういうニュアンスを秘めた楓の問い掛けに対し、綾霧は用意していたタブレットをテーブルの中央へと移動させることで答える。
「ズバリ、三曲目はこれです」
指で操作された画面上に、青文字で刺繍されたアルファベットの文字列が踊り出した。
Nから始まるそれを二人が揃って読み上げていく。
「えっと、ノク……」
「……ターン、かしら」
「曲名は“Nocturne”。楓さんと川島さんにデュエットしてもらおうと用意した曲ですよ」
『デュエット……!?』
楓と瑞樹の声がハモって、次に二人で顔を見合わせ、最後に綾霧に視線が集まった。
「これは俺達にとって大きなチャンスだと思うんです。アイフェスで注目を浴びれば今後の活動に良い影響があるはずですし、アピールもしやすい。一度地盤が築ければそこを土台にして新しい舞台にも立てるはずです」
アイドル群雄割拠の時代。
その中で一定の人気を得て、認知度を得るのは並大抵のことではない。ましてやトップアイドルへと至るのは至難の業だ。それでも彼は自身の担当アイドルをそのスポットライトが当たる場所へと誘いたいと考えていた。
それがプロデューサーたる自分の役目なのだと。
「出番を捻じ込んだためにスケジュールにあまり余裕はありません。川島さんにはソロ曲とデュエットを、楓さんにはデュエットを仕上げてもらいながらも、平行して幾つかお仕事をこなして頂く必要があります」
再びタブレットを操作して、会場、日時などを綾霧が操作していく。それを二人の目線が追いかけた。
「他の出演者との兼ね合いもありますので、ほぼぶっつけ本番だと思ってください。……出来そうですか?」
「……」
資料を二人に手渡し、黙読するようにお願いする。そうしながらも、彼は細かな注意事項などを話していった。
綾霧の真摯な思いが言葉に乗っかっている。それは楓も瑞樹も強く感じていた。この仕事を取ってくるのにかなり努力しただろうことも想像に難くない。
それを知った上で首を横に振れるアイドルなどこの場にはいなかった。
「出来るかですって? ふふん。愚問ねプロデュサー君。さっきも言ったように望むところよ。それに過密スケジュールなんて局アナの時代に嫌と言うほど経験しているわ」
瑞樹が頷けば、楓もそれに続いていく。
「私は貴方に手を引かれてこの舞台に上った身です。その貴方が開いた道なら、どんな道でも歩いてみせますよ」
「楓さん……」
「不安はあります。でも私がつまづいた時や、道に迷った時は……手を引いてくれますよね?」
「もちろんっ……勿論です。俺も最大限フォローしますから、頑張りましょう!」
「はいっ!」
綾霧につられるようにして、楓も瑞樹もテンションを上げていく。
そんな三人の様子を、社長が優しげな眼差しで見つめていた。
綾霧の言った通り、その後は中々にハードな日々が続いていた。プロデューサーとしての彼も、アイドルとしての彼女等も、自身に出来得る最大限のリソースを使い行動している。
すると当然三人のスケジュールが全く噛み合わない日も出てくる。なるべく行動を共にしていた三人だったが、この日は朝からスケジュールの隙間時間も噛み合わず、結局楓は、夜になり事務所に戻ってくるまで綾霧とも瑞樹とも顔を合わせないままでいた。
「ただいま戻りました」
声をかけながら事務所の扉を開き、楓が室内へと入ってくる。だが予想に反して返答がないことに少しだけ眉根を寄せた。部屋の電気が点いていたから、誰かしらいるだろうと思っていたのだ。
「変ね。誰もいないのかしら」
時間的に事務員さんは帰宅している頃合だと思っていたのだが、プロデューサーはいるかもしれない。特に明かりが点いているのを目にした時にそれを期待している自分に気付いていたので、楓は少しだけ落胆した表情を晒してしまった。
「ふう……仕方ないわよね」
帰る前に顔だけでも見ておきたかったのにとの不満が、小さな嘆息となって現れる。それから楓は、抱えていた荷物を適当な場所へと下ろすと、窓際へ向かって歩き出した。
その途中でふと気になり、パーティションで区切られた応接室を覗く。するとそこに探していた人物の姿を見つけ、目を輝かす。
「あ、プロデューサー。そこに居たんで……」
隙間から応接室へと入り、綾霧に声をかけようとした段階で、楓は途中で言葉を切る羽目になる。最後まで声をかけても相手から反応が返ってこないと思ったからだ。
(プロデューサー……寝てる)
綾霧は応接室にあるソファーの一番端に腰掛けながら、小さく寝息を立てていた。
スーツ姿のままなので、思わず疲れて眠ってしまったのだろう。楓はそれに気付き、声をかけるのをやめたのだ。
(ん、どうしよ……)
暫しその場に佇み思案する楓。
それは時間にして一分ほどだったろうか。ある程度考えを纏めた彼女は、歩みを進め彼の目の前まで行ってみることにした。
そうすることで眠っている綾霧を上から見下ろす格好になる。その状態から楓は、自身の腰を折り曲げて、彼の寝顔を覗き込むような態勢を取った。
(あら。こうして見ると、可愛い顔してるわね……)
普段はとても頼りになる自身のプロデューサー。
実際に楓は、綾霧に幾度も助けられたと感じていたし、デビューライブなど彼の力無くして成功はあり得なかったとさえ思っている。
一緒に飲みに行けば、冗談も交え楽しく会話できる間柄。そんなプロデュサーも、こうして眠ってしまえば可愛らしい寝顔を晒すのだと思ったら、自然と笑みが零れてしまった。
(あ……前髪。結構伸びちゃってるわね)
なんの気なしに指を伸ばし、軽く彼の前髪を払う楓。その行為に意味はないのだが、ふと触れてみたくなったのだ。
指の腹でなぞった彼の髪の感触は思いのほか心地よく、彼女はもう一度払ってみようかと再度指を伸ばし始めた。けれどその行為を途中で止めると、その代わりとばかりに彼の隣に腰を下ろす。
こうすることで二人の距離がより近づいた。
(えっと、確か私と同い年……よね?)
すうすうと寝息を立てる彼の横顔を眺めながら、楓はなんだか綾霧が年下の男の子みたいに思えてきてることに吹き出してしまった。
「ふふっ。なにを考えているの、私」
本来なら疲れて眠っている彼を起こして、一緒に帰るべきなのだろう。或いは起こさないように少し離れて様子を見るべきか。けれどそのどちらの選択肢も取らない自分に対しても楓は苦笑してしまう。
こういう自分が存在するなんて、少し前までは想像もつかなかったから。
(……プロデューサー)
ふと考えてしまうことがある。
もし彼に出会っていなかったら自分はどうなっていたんだろうと。
きっとモデルを続けたまま、一人寂しい生活を送っていたことだろう。適度に仕事をして、適度にお酒を頂いて。そして毎日がその繰り返しで。
“その”彼女はそんな生活を寂しいとは感じなかったはずだが、“今の”楓はそれが寂しいと感じてしまうようになってしまっていた。
そんな自身の変化を彼女はとても愛おしく感じていて――思いが自然とお礼の言葉となって口から漏れていた。
「いつも、ありがとうございます」
……。
………。
…………。
「たっだいまー! ちょっと遅くなっちゃったわ。もうトレーナーが帰してくれなくって……」
事務所の中に瑞樹の黄色い声が響いた。だが先刻の楓と同じく、中から返答がないことに柳眉を寄せる。
「って誰もいないの? おかしいわね。電気点いてるのに」
言いながら室内に目線を走らせた瑞樹は、視界の端にあるものを捉えた。
「あれって楓ちゃんのバッグじゃない」
彼女のお荷物がここにあるということは本人もいるはずだ。そう推論した瑞樹がひょいひょいと事務所の中を見て回る。そうして応接室に顔を出した時に“二人”を見つけた。
「あら、まあ」
瑞樹が見たのは、ソファーの端で座ったまま眠っている綾霧と、そんな彼の隣に腰掛け、肩に頭を預ける格好で寝息を立てている楓の姿だった。
二人仲良く眠っている様は、電車の中などでよく見る光景に似ていた。
「まあ、さすがに疲れも堪ってくる頃合よね」
ハードな毎日である。目標がある分、気力は漲っているが、ふとした拍子に気が緩むこともあるだろう。
「もう、仕方ないわね」
そう呟いた瑞樹が応接室から退出し、少ししてから戻ってきた。右手に目覚まし時計、左手に仮眠用のタオルケットを抱えた状態で。
彼女はテーブル上に目覚まし時計をセットすると、綾霧と楓の二人にかかるように、タオルケットを羽織らせていく。
「うん。これで良し、と。じゃあまた明日ね、プロデューサー君、楓ちゃん」
二人には見えないだろうが、手を振って部屋を後にする瑞樹。
帰宅する際、彼女はちゃんと電気を消して出て行った。