ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第十話

「知りませんでした。お酒の席とはいえ、自分がこんなにもお喋りだったなんて」

 

 杯を重ねる毎に饒舌になっていくことに、楓は少なからず驚きを覚えていた。話すことは嫌いではないし、相手とのコミュニケーションもちゃんと取れる。

 けれど得意なほうではなかったから。

 

「……人見知りでしたし、誰かと長時間お話することなんて無かったから。自分でも、少し驚いちゃってます」

 

 視線をテーブル上のグラスへと移し、その水面を見つめる楓。小さなグラスの中には日本酒が注がれている。

 ビールを飲んで、サワーを飲んで、梅酒を飲み干して。そして大好きな日本酒を頼んで。既にかなりのハイペースで杯を重ねてきているが、それは彼女がこの酒の席をとても楽しく感じていたからだ。

 冒頭の台詞はそれを如実に表しているといえるだろう。

 

「それだけじゃないですね。貴方と出会ってからは驚くことばかりで、今は毎日が新鮮……それがとても楽しいと感じているんです」 

 

 透明な液体は常温状態を保たれていて、とても口当たりが良く飲みやすい。楓はそのグラスにそっと手を伸ばすと、一口分だけ中身を喉の奥に流し込んだ。

 それから隣にいる綾霧へと顔を向ける。

 

「それもこれも、全部、プロデューサーのおかげですね」 

「俺は……なにも特別なことなんてしてませんよ。もし高垣さんがそう感じているのなら、それはあなたがアイドルとして頑張っている、変わろうとしているからじゃないですか?」

「なら、そうさせた人がいるのかもしれません。ふふっ」

 

 ころころと可愛らしく喉を鳴らしながら、楓が楽しそうに目を細めている。

 紅く上気した頬。ほんのりと桜色に染まった肌。アルコールが入ったことにより、明らかに楓の“艶”が増してきていた。そのことは隣に座っている綾霧も気付いているわけで、時折相手に向ける目線のやり場に困らされている。

 

「モデルをしていた頃は、一人で飲むことを寂しいとは感じていませんでした。それがあまりにも当たり前で。けれど、きっと、今は……」

 

 残ったグラスの中身を一気に煽り、楓がほうっと息を吐く。

 

「――それを寂しいと感じてしまうのでしょうね」

「良いことだと思いますよ。誰かと一緒にいると新しい発見とかがあって、それが励みになったりしますから」

「そうそう、その新しい発見! プロデューサーから頂いています。お仕事も楽しいですし」

「そう言って貰えるだけで、俺も励みになりますよ。あなたの担当プロデューサーとして」

 

 弾んだ声が、偽りのない思いを相手に届ける。普段言えないようなことも、お酒を介することで口にできたりするのが、飲み会の醍醐味の一つだ。 

 お喋りが“つまみ”の一つとして機能し、飲むペースを上げる。

 綾霧がチューハイを手に取り、楓が小さなグラスに手を伸ばして。しかし彼女は先ほど中身を飲み干してしまったことを思い出して、そのグラスをそっと彼の前に差し出した。

 

「プロデューサー。グラス、空になっちゃいましたっ」

「はいはい」

  

 笑顔の楓を前にして、その意思表示を無視することは困難である。それを知っている綾霧は、大人しくお銚子を手に取ると中身を楓のグラスへと注いでいった。

 それをまた一息に飲み干す楓。そして再び差し出されるグラス。

 もはやエンドレス。

 

「あの、高垣さん。もう少しだけ飲むペースを落としたほうがいいんじゃ? そのまま潰れちゃっても知りませんからね」

「知りませんって、もしかして私が潰れちゃったら、そのまま置いて帰っちゃうんですか?」

「いえいえ、そんなことはしませんけど、帰れなくなると大変でしょ?」

「ふふっ。大丈夫です。家はここからすぐ近くにありますし。それに万一潰れてしまっても、その時はプロデューサーにおぶって、送って貰いますから」

「……」

「なんなら抱っこでもいいですよ?」

「…………」

「駄目、ですか? 嫌なんですか、私をおぶってくの」

「そんなこと一言も言ってないじゃないですか」

「うんとも言ってないじゃなですかっ」

 

 あー、この人、確か絡み酒だったなと綾霧が以前を思い出しつつ頭を掻いた。

 楓に絡まれるのは悪くないなと思いながらも、やはり酔っ払いの相手として面倒なことには変わりない。

 

「そのあたりどうなんです、プロデューサー?」

「いや、わかりました。わかりましたからっ。そんなに腕を突っつかないでくださいっ。もしもの時は俺がおぶっていきますけど、なるべく……その、潰れないでくださいね」

「はーい。おかわりー!」

「聞いてますか、高垣さんっ!?」

「乾杯ですか? プロデューサー、そこのグラス持ってください」

「はいはい、乾杯――って違いますよっ!」

「あはは、プロデューサーって面白いですねぇ」

「………………えと、高垣さんって酔うと少しだけ幼い感じになりますね。仕草とか言動とか色々……」

「子供に帰りたい夜もありますよ~」

 

 特に特別な人の前では。そう付け加えてから、楓が自身のバッグの中身をごそごそと漁り出した。

 一体彼女は何をしているのだろう。そう綾霧が眉を潜めたところで、楓がバッグから自身のスマホを取り出した。そしてそれを某時代劇の印籠よろしく彼に向かって突き出す。

 

「ふふん」 

「……えっと、なにをしているんですか、高垣さん?」

「私の鞄から私のスマホを取り出しました」

「それは見ればわかります……」

 

 彼の質問には答えず、楓はニコっと笑ってからスマホを指で操作し始めた。それから向かって正面を自身に向けると

 

「一緒に写真を撮りましょう、プロデューサー」

 

 と言ってのけたのだった。

 

「え? 写真?」

「はい。この間のライブの時、終わってからファンの方と一緒に写真を撮ったじゃないですか。でもプロデューサーは一緒じゃなかったから」

「そりゃ俺が一緒に写るわけいきませんからね」

「ですから、今、撮りましょう」

 

 酔った勢いなのか、どうなのか。

 楓は有無を言わさぬ勢いで下準備を進めていく。まずカメラを起動して、正面モードに移行して。それからスマホを持った手を前に突き出して。

 いわゆる自撮りの格好になった。それからそれが当然であるように、隣にいる綾霧へと自身の肩をぴたっとくっ付けたのだ。

 

「なっ!?」

「ほら、動かないでくださいプロデューサー。離れると写真がうまく撮れないじゃないですか」

「いや、でも……」

「ふふっ。ハイチ、伊豆で写真を撮りまーす。はい、チーズ」

 

 パシャリ。

 撮れた写真の内容を確認して、楓が満足そうに頷いた。だがまだ終わりではないらしく、再び彼へと密着する。

 

「もう一枚いきますからね、プロデューサー。今度はカメラ目線をしっかりとください。笑顔でニコっと。あ、ピースしてもいいですよ」

「あのですね、高垣さん――」

「モデルはカメラマンの言うことを聞くものでーす。すぐ終わりますからちーずかにしてくださいね。はい、チーズ」

 

 画面を見ながら位置を調節して。それからダジャレを呟きつつもう一度パシャリ。その時、なんのかんの言いながらもカメラ目線でポーズを決めるあたり、綾霧も満更ではないのだろう。

 付き合いが良いとも言うが。

 

「はぁい、良い一枚が撮れました。ノリには乗らないと損ですからね」

「乗るとか乗らないとかじゃなく、言葉を差し挟む余地すらなかったっような気が……」

「えー? もっと他に感想とかないんですか?」

「感想……ありがとうございます?」

「どう致しまして」

 

 満足そうな笑顔を浮かべながら楓がスマホを鞄へとしまい込む。

 そうすることでこの流れはお終いになって、密着していた二人の距離が遠ざかってしまった。

 

「……」 

 

 さっきまでそこにあった相手の体温が離れていくことを、ちょっと残念に思ってしまったのは、お互いお酒に酔っているせいなのだろうか。

 

「じゃあ改めて乾杯しましょうか。今日はまだちょとだけ飲み足りない気分です」

 

 楓の宣言通り、その後も少しだけ二人だけの宴会は続いていった。

 

 

 

「ふう。夜風が気持ちいいですね」

 

 すっかり暗くなった住宅街を、楓と綾霧が歩調を合わせて歩いている。潰れこそしなかったものの、かなり酔ってしまっていた彼女を、自宅マンションまで送り届ける為にだ。

 

「今日は色々とありがとうございました、プロデューサー。無理に誘ってしまったのに付き合ってくれて」

「俺も楽しかったですよ。まあ、高垣さんに釣られて少し飲み過ぎてしまいましたが」

「私の相手をするの、懲りちゃいました?」

「いえいえ、大歓迎です。お店もリーズナブルでしたしね」 

「良かった。なら、また誘いますね」

 

 いつかの夜のように並んで街を歩く。

 今日の昼間、綾霧は隣に楓がいない違和感を感じていたが、結局半日と経たずに解消してしまった。

 唯一の所属アイドルで、唯一の担当プロデューサーだから、どうしても二人で同じ時間を過ごすことが多くて。

 けれど新しいアイドルを迎え入れてしまえば、その時間も自然と減ってしまうに違いない。

 

「……」

「……」

 

 川島瑞樹という名前の新しいアイドルが来ることを、楓は知っているのだろうか。綾霧自身先ほど社長から聞かされたばかりだが、そのことが気になって、彼は顔を彼女のほうへと向けた。

 すると、何故かこちらを見ていた楓と視線がバッチリと合ってしまう。

 

「えと、なんですか、高垣さん」

「いえ、実はずっとプロデューサーに訊いてみたいことがあったんですけど……」

「聞きたいことですか? いいですよ。俺が答えられることなら」

「……あの」

 

 一旦言い淀んでから、楓がその後を続ける。 

 

「どうして私だったんですか?」

「え?」

「ずっと探していたんですよね、担当できるアイドルを。どうして私を最初に、選んでくれたんですか?」

「それは――」

 

 楓に問われて、彼の中にあの日の思いが蘇ってくる。

 初めて楓に会った当時のことが。

 出会えたのは全くの偶然だ。偶々あの日、あの場に出向く仕事があって、偶々楓がそこにいて。

 会ってしまえば、もう彼女に魅せられてしまっていた。もっと輝けるはず素質があるのに、俯く彼女のことを勿体無いと思ってしまった。

 トップアイドルになれる可能性を強く感じた。

 幾つもの思いをそのまま言葉にすることはできる。けれどもっと端的に、それを表現できる言葉を綾霧は知っていた。

 

「運命を――感じたから」

「……運命?」

「はい。あなたとなら上っていける気がしたんです。トップアイドルへと至る階段を。あの出会いは、きっと神様が引き合わせてくれたんだって今でも思ってます」

「――っ」

「俺にはきっと楓さんが必要だったんだって。そしてあなたには俺が必要なんだって。……ちょっと自惚れも入ってますけど」

「…………」 

 

 楓は、綾霧の放った言葉の一言一句を残さず聞き取ってから“ありがとうございます”と、ぽつりと呟いた。

 それから微笑を浮かべて

 

「でも意外とロマンチストだったんですねプロデューサーって。運命なんて言葉、今時あまり使いませんよ?」

「……俺も言ってて恥ずかしかったですよ。けど嘘じゃありませんから」

「疑ってなんていませんよ。それに私は、そういうの好ましく思います」

「……高垣さん」 

 

 どちらからともなく足を止め、路上で向かい合う楓と綾霧。

 気恥ずかしい台詞を口走ったからか、微妙な間が生まれてしまう。そんな二人を頭上から一際明るい光が照らし出した。

 雲に隠れていた月が姿を現したのだ。

 

「ほら、見てくださいプロデューサー。月が――」

「ああ、見事な……満月ですね」

「ええ。――月が綺麗ですね」

「本当に」 

 

 頭上の月を見上げる綾霧と、そんな彼を見つめる楓。

 視線は違う箇所を見ていたが――

 

「ねえ、プロデューサー。夏目漱石って知ってます?」

「え? それは、もちろん」

「読んだりは?」

「……昔の本はあまり。けどいきなりどうしたんですか?」

「良かったら調べてみてください。なにか新しい発見があるかもしれませんから」

 

 そう言って楽しそうに微笑む楓を、月光がまるでスポットライトのように照らし続けていた。 

 

 

 

 ――346プロダクション。

 

 漢字で表記する場合は美城の二文字を使うが、一般的には346の名前で通っている。古い歴史を持つ芸能プロダクションであり、老舗の名に恥じず、多くの歌手や俳優がここに所属していた。

 また自前で映像コンテンツの製作も手がけており、自社の敷地内に撮影用の施設さえ有している。

 中世のお城を思わせる作りをした本館。そこと渡り廊下で繋がっている高層のオフィスビル。そして福利厚生施設を兼ねた別館と、一芸能プロダクションを超えた規模を誇る346は、業界内でも一目を置かれる存在であった。

 その346が新たにアイドル部門を創設するという話は、瞬く間に業界内を席巻し、感心のある者の興味を強く惹く結果となっている。

 

「進捗はあまり芳しくないようだな」

 

 オフィスビルに幾つか存在する会議室に、複数の人間が集まっていた。

 その中で上座に位置する場所に座っていた女性が、抑揚のない声音でそう断じる。彼女がこの場の纏め役になっているのだろう。残りの人物は皆、彼女の言動に注目していた。

 ――美城常務。

 現346プロダクション会長の娘である。

  

「……はい。現状でアイドル部門への転向を希望する者は少なく、そちらから人数を揃えるというのは時間がかかりそうです。皆、歌手、俳優といった自分の職に誇りを持っていますので」

「まだスタートすらしていない部門への転向は勇気がいるだろうからな。理解はするが――成果を出しつつ、説得の材料にするのが最良かな?」

 

 老舗ゆえの弊害と言えば良いのか。

 新たに部門を創設し移動を募っても、中々に能力のある人材は来てくれない。

 

「スカウトのほうは進んでいるか?」

「もちろん並行して進めてはいます。未来を担うだろうアイドルの原石も幾人か見つかっていますし、既にこちらに来てくれている娘もいます。ただ――」

「育成に時間がかかる、か」

「はい」

 

 アイドル部門を創設する以前から、人材の発見、育成には当然の如く着手していた。346を担うに相応しい才能を持っていて、既に活動を始めている者もいる。

 だがプロダクションが求める規模で展開するには人数が圧倒的に足りないのだ。

 話題性の為にも、複数の企画を同時進行するくらいの気概は欲しい。

 

「まだ私はアイドル部門そのものに強く口を出すつもりはない。これから先、ニューヨークに出向する予定があるのでな。だが戻ってくるまでにある程度の規模にしてもらはないと困る」

 

 正式な会議というよりは、ある種の報告会に近い緩い雰囲気の集まりではあったが、それなりの立場にいる者の言葉はやはり強い影響力を持ってしまう。

 いずれ部門を統括する立場になるのが決まっているのなら尚更だ。

 

「既に活躍しているアイドルを引き抜いてくるという方向性でも進めています。既に幾人かリストアップしていますが、ご覧になられますか?」

 

 引き抜き――他のプロダクションから直にアイドルをヘッドハンティングして来ようというのだ。

 即戦力になり得るし、計算もし易いだろう。 

 

「そのリスト、今ここにあるのか?」

「はい」 

 

 常務に促された人物が、鞄から資料を取り出した。

 そのリストの中には彼が言ったように何人かの名前が記されてあって――その文字列の中に“高垣楓”という一文が含まれていた。

 

 


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