ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第九話

「こっちですよ、プロデューサー」

 

 目的の駅へと到着し、待ち合せ場所であるロータリーへと通じる階段を下りた綾霧へ向かって、女性の声で呼びかけがかかった。自然と彼の目線がそちらへと向き、ひらひらと手を振っている楓を見つける。

 

「あ、高垣さん」 

 

 まずは軽くあたりを見回して、楓が見つからなければ連絡してみるか。そう考えていた彼を先に楓が発見してしまったのだ。乗降客が利用する出入り口は限られているので、綾霧が降りてくる場所を彼女なりに予想していたのだろう。

 それでも多くの人に紛れながら降りてくる一人を見つけるのは、夜という時間帯も手伝って難しかったに違いない。

 

「こんばんは、高垣さん。もしかして待たせちゃいましたか?」

「いいえ、私もついさっき来たところですから。心配いりませんよ」

 

 小走りに駆け寄ってくる綾霧を、楓が笑顔で出迎える。これから飲みに行くということで上機嫌になっているのかもしれない。

 

「こちらこそ急に呼び出してしまって。予定とか大丈夫でした?」

「家で暇してましたから。高垣さんこそ、折角の休日だったのに、俺なんか誘っても良かったんですか?」

「一人で飲むよりも二人で飲んだほうがお酒は美味しい。そう言ってくれたのプロデューサーじゃないですか。前も楽しかったですし、今日も楽しみにしてるんですよ」

 

 本当にお酒が好きなのだろう。両手を合わせて微笑む楓の表情は、月明かりを受けて輝いて見えた。

 

「じゃあ行きましょうか、プロデューサー。駅から少し離れているので、ちょっと歩くことになりますけど」

「それは全然大丈夫です。確かこれから行く店って高垣さんの“行きつけ”なんですよね?」

「そうですよぉ。家から近いのでよく利用させてもらってます」

 

 二人で飲みに行くという前提で話しているため、その後の行動もスムーズに進む。喋りながら楓がこれから進む方角を指し示し、綾霧が彼女の隣に立ちながらそれを確認する。

 あとは目的地に向かって並んで歩くだけ。

 その段になって、彼は楓の雰囲気が少々いつもと違っていることに気付いた。初めて見る服装に気を取られたのは当然だが、それとは別に昨日までとは違う部分が楓にある気がしたのだ。

 

「あれ? もしかして高垣さん、髪、切りました?」

「あ、気付きました? 実は今日美容院に行ってきたばかりなんです。毛先を少し切って揃えた程度なんですけど」

 

 小首を傾げながら、楓が首元に右手を添える。

 変化に気付いてくれて嬉しい。そういった感情ではにかむ楓の仕草に綾霧は思わずドキっとしてしまった。目新しい彼女の私服姿と相まってその破壊力は抜群である。

 

「どう、ですか?」

「えと……その、似合ってますよ。少し切ったくらいでも雰囲気って変わるもんなんですね」

「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」

「お世辞なんて言いませんから、俺」

 

 即効綾霧にそう返されて、楓が少々面食らったように目をぱちくりとさせている。しかしすぐに表情を戻すと、クスクスと可笑しそうに笑い声を上げ始めた。

 

「ふふっ。プロデューサーとは以前にも似たようなやり取りをしましたね。あれからそれほど時間は経ってないはずなのに、なんだか懐かしい気分です」

「……そうでしたっけ?」

「あら、忘れちゃいましたか? 私は覚えてますよ」

 

 綾霧が楓を褒めて。楓がお世辞だと受け取って。それを綾霧が否定して。

 かつてと同じ工程を経た会話運びだったが、当時よりも少しだけ二人のやり取りに気さくさが生まれていて。そのことに遅れて綾霧も気付き、結局二人して顔を見合わせたまま笑い合うことになった、

 

 

 

「お待たせしましたプロデューサー。無事到着ですっ」

「へえ。ここが楓さんの行きつけの店ですか。やきとり……居酒屋かな?」 

 

 楓の言った通り、駅から少し離れて歩き、大通りからも遠ざかった場所にその店はあった。

 ハッキリ言って立地的に恵まれているとは言えない場所ではあるが、それでも繁盛しているようで、外からでも中の熱気を窺い知ることができた。

 

「はい焼き鳥屋さんですよ。店は狭いですけど、そのぶんリーズナブルでお料理も美味しいんです。チェーン店なのでプロデューサーも何処かで入ったことがあるかもしれませんね」

「そう言われれば看板に見覚えがある気も……」

 

 赤い大きな看板に、これまた赤い提灯が人目を引く。

 おみくじの結果を模したような店名に覚えはあったが、中にまでは入ったことはないなと綾霧が思い出す。それに合わせて楓に連れてこられるにしては庶民的な場所だなと思ってしまった。

 彼女の言ったように門構えも狭く居酒屋として決して大きいとはいえない規模で、どちらかと言えば個人経営の飲み屋といった風情である。

 

「大勢で来るには向いてませんけど、二人ならちょうど良いかなって」 

「そうですね。てっきり高垣さんの行きつけだって言うから、もっとお洒落なバーとかに連れてかれるんだと構えてましたよ」

「なんです、それ。前にも言いましたけど、私、居酒屋っていう場が好きなんです。それにここだと飲んだ後でも歩いて帰れますし」

「あはは。それってもう酒飲みの発想ですよ、高垣さん」

「事実、ただの酒飲みですから、私」

 

 瀟洒で優美。エレガントな服装で高級なバーでカクテルを傾けている。そんな勝手なイメージを楓に対して抱いていた綾霧だったが、関係が深まるほどにそれが誤りだったことに気付かされる。

 エレガントな――そういう面も楓にはあるのだろう。しかし想像とは違った側面を見せられて驚かされることのほうが多かった。

 今も砕けた言葉で例えれば、もうただのお酒が好きなお姉さん状態である。

 

「入りましょうか、プロデューサー。あ、自動ドアじゃなく引き戸なので気を付けてくださいね」

 

 そう言って楓がカラカラと音を立てながら扉を横にスライドさせていく。そして中に入った途端、店の主人らしき人物が威勢の良い声で“いらっしゃいませっ!”と迎えてくれた。

 

「凄い熱気ですね」

 

 まず店内に入って綾霧が感じたのは、飲み屋特有の熱気と、想像していたよりも随分と店内が狭いなということだった。

 中に部屋という区切りはなくて、フロアにはカウンター席と壁際に設置されたテーブル席しか無かった。そのテーブル席も隅に三角形のテーブルを配置した変則的なものであり、満員電車のようにすし詰めで座っても四人が限界というものである。

 そういう思いが彼の表情に現れていたのか、楓が慮って少しフォローしてくれた。

 

「二階にも座席があるみたいですよ。そこならもう少し大人数でも大丈夫だと思います」

「ああ、ここって二階建てなんですね」

「――おぉ、姉さんこんばんは。今日はお一人じゃないんですね」

 

 カウンター内で忙しなく動いていた店主が、楓を認めて声をかけてくれる。それを受けて別の店員さんがテーブル席へと二人を案内してくれた。

 既にカウンターの八割は埋まっていて、別のテーブル席にも客が付いている。

 そこしか空いていなかったのだ。

 

「えっと、とりあえず生中を一つください。プロデューサーはどうします?」

「じゃあ俺も生で」

 

 店員に飲み物を注文してから備え付けのメニューを取り出す。

 こうして二人だけの飲み会が開始されたのだった。

 

 

 

「あ、これうまい。しその風味が梅と合いますね」

「でしょ? 焼き鳥なのにあっさりしてて、私も好きなんです。お酒にも合いますし」

 

 鶏肉にしその葉を捲きつけ、そこに梅肉をプラスした一品。楓の言うようにあっさり風味が売りの一本である。その他にも定番のネギマやもも肉、皮やつくねなど、色々な種類の焼き鳥が注文されては消費されていく。

 既に串入れには幾つもの竹串が放り込まれていた。

 

「ほら、このかわもパリっと香ばしくて、塩味がちょうど良い感じです」

「塩もいいですけどこっちのタレもウマイですよ。あとなんこつの感触が……癖になる」 

「ご飯ものもありますからね、プロデューサー。焼きおにぎりとか、丼ものとか」

「へえ。この焼き鳥丼とかめっちゃうまそうですね。ちょっと頼んでみようかな」

 

 テーブル席といっても部屋の角を使った場所なので、楓と綾霧は対面ではなく隣同士で座っていた。その体勢で楓がメニューを綾霧に見せながら、品物を指差している。

 必然的に肩がぶつかったりして、その都度、楓からとても良い香りが漂ってきて綾霧を刺激していた。

 

「スープも一緒に頼むと捗るかもしれません」

「……」

「プロデューサー?」

「…………ああ、湯豆腐とかもあるんですね。これはちょっとそそられるなぁ」

 

 焼き野菜に揚げ物、それにサラダ。幾つもの料理が消費されるにつれて二人のお酒の杯も空いていく。

 美味しい料理を食べて、お酒を飲んで、楽しくお喋りをして。

 そんな最中、楓が思い立ったように綾霧に質問をぶつけてきた。

 

「ねえプロデューサー。プロデューサーって確か一人暮らしでしたよね?」

「ええ、そうですよ」

「じゃあ夕飯とかどうしてるんです? 帰ってから料理を作ったりするんですか?」

「それが料理はさっぱりで。もっぱら外食とかコンビニで済ませちゃいますね」

「野菜、食べてます?」

「……あんまり」

「駄目ですよ、食べないと。じゃあ折角だしサラダもう一品頼んじゃいましょう」

 

 メニューに視線を移しながら楓が手を伸ばしていく。そうすることで二人の目線が外れるわけだが、その姿勢のまま、彼女がぽつりとこう呟いた。

 

「あの……作ってくれる人とかいないんですか?」

「え?」

「ですから、家に料理を作りに来てくれる……相手とか」

 

 メニューを手放し、顔を上げる楓。再び至近距離で目線が合い、相手の表情が手に取るように分かるようになる。

 ほんのりと楓の頬に朱色が差して見えるのは、彼女がお酒に酔っているせいだろうか。真新しい服装に切ったばかりの髪の毛。胸元で輝くペンダントは彼女なりの精一杯のアクセントか。

 彼を見つめる楓のオッドアイが、微かに揺れている。

 

「……いませんよ、そんな相手」

「本当に?」 

「いたらコンビニ弁当ばっかり食べてないですって」

「そう、なんですね。ならプロデューサー。尚更野菜を食べないとですね」

 

 望んでいた答えが得られたのかわからないが、楓は小さく一度頷いてから、注文をするために店員へと声をかけた。

 

「すいません。トマトスライスと梅酒を一つお願いします」

 

 もちろん梅酒は楓自身が飲むために頼んだものだ。

 

 

 


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