ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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プロローグ

「綾霧くん、悪いんだけど、そこのダンボール箱を倉庫まで持ってってくれるかな?」

「はい。わかりました。倉庫って物置部屋みたいになってるところですよね?」

「そうそう。入ったところで適当に重ねちゃっていいから。じゃ頼んだよ」

 

 綾霧と呼ばれた青年が頷くのを見て、大柄な男性が足早に去っていく。Tシャツ姿に短パンというラフな格好ではあるが、一応は現場の責任者になるので、忙しなく動いては指示を出したりしている。

 綾霧もまた、例外なく便利に使われていた。

 

「よいしょっと」

 

 軽い掛け声とともに両腕でダンボールを抱え込む。途端、ずっしりとした重みが彼の腕に伝わってきた。

 

「意外に……重いな」

 

 場所柄、撮影機材でも入っているのかもしれない。そう思いながら、彼は改めて腕に力を込めダンボールを持ちあげた。

 ここは都内某所にある撮影スタジオの中である。現在はモデルさんを招いての撮影の真っ最中であり、カメラマンは元より、関係者含め多くの人間がこの場にひしめいていた。

 写真を撮るだけなら少人数でもいいのではと思われがちだが、実際には手間暇をかけてやっと使える一枚が出来上がるのである。

 そんな中にあって、彼が主に担当しているのは“雑用”だ。

 こまごまとした事柄、用事、お仕事全般。荷物を運んで欲しいと頼まれれば運ぶし、掃除を頼まれれば綺麗にする。買い物を頼まれれば必要なものを揃えてくる。

 まさに雑用係。とは言っても彼はここで実際に雇われているわけではない。もちろん臨時のバイトできているわけでもないし、研修に来ているわけでもない。

 強いて言うなら単に手伝いに来ているだけ。

 

 そう。彼の本業は、アイドルのプロデューサーなのである。

 

『ええっと高垣さん。立ったまま少し身体を右側に向けてくれますか。目線は遠くを見つめるような感じで』

 

 耳に届いてきたカメラマンの声を受けて、綾霧が目線をそちらへと向ける。すると自然と視線が場の主役たるモデルさんへと吸い寄せられた。

 

「綺麗な人だな……」

 

 女性にしては身長は高い方か。しなやかな肢体にすらりと伸びた手足。着ている衣装の影響か、何処か妖精を思わせる佇まい。楚々とした雰囲気を纏った彼女に、ゆるやかなボブカットはよく似合っていた。

 所作の一つ一つが絵になるような美しさ。

 綾霧は荷物を運ぶのも忘れて、暫しその場で立ち止まったまま彼女の姿に見惚れてしまう。

 

 ――あんな人が俺の担当アイドルになってくれたら。

 

 これは彼の率直な思い、願い。

 アイドルのプロデューサーを自称しながら、未だ一人の担当アイドルをも持ったことがない綾霧。彼がそう名乗れるのは、そういう類の事務所で働いているからであり、なにか特別な実績があるからではない。

 この雑用全般も、事務所から言われてやっていることではあるが、所属アイドルが一人もいないという事実も深く関係していた。

 

「高垣――楓さん、か」

 

 カメラマンや周囲の人々の声から音を拾い上げて組み立てる。

 今彼が呟いたのは、モデルさんの名前だ。

 それは独り言のような小さい呟きで、とても相手まで聞こえるような音ではなかった。それでも、その瞬間、確かに目線が空中で交差した。

 

「……えっ?」

 

 視線が合う――合ったような気がした。

 花が咲いたような優美な彼女の微笑が、彼の心に突き刺さってくる。

 自然と高鳴っていく鼓動に戸惑い、思わず息を呑んでしまう。

 

『あぁ、はい。とても良い表情ですよ高垣さん。そのままで一枚いきますから、少し動かないでくださいね』

 

 カメラマンの張りのある声が綾霧を現実に引き戻しにかかる。

 恐らく目線が合ったのはただの偶然。笑顔をくれたのは彼女がモデルでそう願われたからだ。なにか特別な出会いのように感じたのは単なる気の迷いだろう。

 なにも落胆するような出来事じゃない。

 そう自身の中で結論づけて、彼は小さく嘆息した。

 

「はやく運ばないと」

 

 抱えたままのダンボールが重く感じる。

 綾霧は行くべき場所である倉庫の場所を目線で確認してから、ゆっくりとその場から歩き出していった。

 

 

 頼まれた通りにダンボールを倉庫へと送り届ける。とはいっても通常の部屋を物置代わりに使用しているといった感じなので、撮影フロアからそれほど距離が離れていたわけではない。

 少し耳を澄ませば、向こうからの音を拾うことが出来る程度の距離だ。

 

「……ふう」

 

 荷物を手放し身軽になった綾霧が、そのまま壁に背中を預けて息を吐いた。

 

「アイドル、そしてプロデューサーか」

 

 スラックスにカッターシャツ。リーマン然としたいでたちは彼なりの矜持の現れだろうか。

 大学を卒業して今の事務所に就職したのは、単なる偶然である。夢があって飛び込んだ業界ではない。悪く言ってしまえば、流された結果辿り着いたというだけの話だ。

 それでも身を置いたならやれるだけのことはやろうと、彼なりに努力はしてきたつもりだ。

 けれど所属するアイドルは一人もいなくて、肩書きだけのプロデューサーに留まってしまっている。

 

「高垣――楓さん」

 

 事務所の方針というか、社長の方針というべきか。

 色々な経験を積む為、また名前を覚えてもらう為。文字通り方々に顔を出してはそこで雑務をこなす日々。もちろん相手方の許可はいるが、身元が確かでしかも無給で手伝って貰える労働力というのは大抵歓迎された。

 何処もかしこも人手不足の業界の中、バイトを雇うよりも、という訳だ。

 イベントの設営に出向いたり、棚卸しの人手が足りないから、なんて理由で駆り出されたこともある。

 

「思いきってスカウトしてみる……とか」

 

 ふと言葉にしてしまってから、軽く唇を噛む。

 出先等で出会った有望な人物を事務所にスカウトしても良い。そう言われてはいたし、実際期待されている部分でもあったろう。しかし今までの成果は数字としてゼロである。

 

「……」

 

 彼自身“押し”の強いほうではないし、相手を口説くセールスポイントも持っていない。またメリットだけを口にして騙すなんて手法も彼の性格的には選べないのだ。

 

「とりあえず後で考えてみよう。今はゆっくりしている時間もないしな」

 

 言い訳を口にしながら無理やりに思考を切り替える。

 これがプロデューサーとして逃げているだけだとは感じていたが、ここで強く出られるくらいなら今まで苦労はしていない。それでもモデルさん――楓さんの資料くらいは請求してみようか。

 そう思うくらいには彼女に惹かれていた。

 

 

 

 それからも肉体労働を中心にして雑務に励む彼の元に、ひょっこりと大柄な男性――現場の責任者――が近づいてきた。

 

「お疲れ様、綾霧くん。悪いね、給料も出せないのに色々とこきつかっちゃって」

「大丈夫ですよ。ちゃんと事務所のほうからは頂いてますから。こちらこそ無理を言って手伝わせてもらって、ありがとうございます」

 

 声をかけてきた相手のにこやかな表情を見て、どうやら現場の仕事はうまくいっているようだと胸を撫で下ろす。端役とはいえ、自身が従事した仕事がうまくいくと気持ちが良いものだ。

 

「いやいや。そう言ってもらえるとこちらとしても気が楽になるよ。今日はもう上がる頃合だろ? 直帰するのかい?」

「一応事務所のほうに顔を出してから帰る予定になってますけど」

「それなら、お土産でも持って帰ると良い。休憩室にお菓子の詰め合わせが置いてあるから、適当に貰っちゃってくれ」

「いいんですか?」

「上からの差し入れでね。数だけはあるから、一つ持って帰るといい」

 

 じゃあお疲れ様。そう付け加えると、彼は手を振りながらその場を去っていく。

 折角の提案を断わる理由もないので、綾霧は相手の背中にお礼を述べてから控え室へと向かって行った。

 

 

 件の休憩室に辿り着いた彼がそっとドアノブへと手を伸ばす。だがそこに至って中に誰かいるかもしれないと思い、軽く扉をノックすることにした。

 厳密に言えば自身も関係者なのでノックなしでも良いのだろうが、そこはやはり礼儀の問題である。

 改めて佇まいを直してから、コン、コンと二回、手の甲で扉を叩いた。

 すると中から若い女性の声で応答があった。

 

『はい、どうぞ』

 

 落ち着いた気品のある響き。その音色に導かれるようにして綾霧がゆっくりと扉を押し開いていく。

 そこは六畳ほどの広さの部屋で、驚いたことに様相が和室だった。扉を開けてすぐの部分が玄関のようになっていて、その先が一段高く作られてあり、一面に畳が広がっている。

 玄関部分で靴を脱ぎ、畳に上がるという趣旨の部屋。

 

「……ぁ」

 

 和室中央には丸テーブルが、他にも冷蔵庫などが設えてあり、休憩室として各々がくつろげる環境は整っていた。今もテーブルに一人の女性が着いていて、扉口で立ち止まったままの綾霧を見上げている。

 

「あの、なにか?」

「い、いえ。お菓子を頂こうと思って……」

「え?」

「あ、その、お土産にお菓子の詰め合わせを頂けることになって、それを取りに来たんです」 

 

 言葉足らずになっていたことに気付き、慌てて一文をつけたす綾霧。部屋の中の光景に驚いてしまって、考えが纏まらなかったのだ。

 ただ部屋の中が和室だったから驚いたわけじゃないし、中に人がいたから驚いたわけでもない。そこにいた女性がさっきのモデルさん――高垣楓さんだったから驚いたのだ。

 スカウトを検討していた最中に、いきなりのご対面というわけである。

 

「それでしたら、あそこにある紙袋に入ってるものだと思います。持っていきましょうか?」

「だ、大丈夫です。自分で取れますから!」 

 

 自分でもみっともないくらい取り乱してると思ったが、もはや後の祭りである。妙齢の女性と一対一の場面で、相手に不審に思われたら即アウトだ。

 綾霧は軽く自身の頭に手を置いてから、小さく息を吐いた。それから靴を脱いで畳の上へと上がる。

 

「えっと」 

 

 楓が言った紙袋は部屋の隅に置いてあった。

 綾霧はそこまでゆっくり歩いて行ってから、幾つかあった中から無造作に一つを選んで手に取った。それから改めて扉口を目指し歩き出す。

 

「……」

 

 時間にして十秒かそこらだろう。その短い時の中で彼は必死に頭の中で考えを巡らせていた。

 これはチャンスじゃないか、と。

 言葉は悪いがターゲットが目の前にいるのだ。

 それも一人で。

 このまま何もせず帰るのはプロデューサーとして失格ではないか。

 

「……あの」

 

 ドアノブに伸ばしかけた手を引っ込めて、楓のほうへと向き直る。 

 

「少しだけ、俺と話してもらっていいですか?」

 

 悩んだ末に絞り出した声は思いの他小さく響いたが、楓は少し間を置いてから「はい」と答えてくれた。

 

 

 

 ――で、勢いでそう切り出したものの、彼の中に明確なプランがあったわけではない。こうして楓に促され、いざ彼女の対面に座ったはいいものの、何を話して良いのかさえ分からないのだ。

 下手なことを口にしようものなら、ここから追い出されるのではないか。そんなことを考えると何も喋れなくなってしまう。

 対する楓からしても、初対面の男性に振る話題なんてないだろうし、受け身になるのは自然の流れだ。なのに綾霧が何も口にしないので、結果として部屋の中には沈黙が降りてしまう。

 非常に気まずい雰囲気である。

 

「……」

 

 だがこうして楓を目の前にして改めて彼は思った。

 ――なんて綺麗な人なんだろうと。

 職業としてモデルをやっているのだから美人なのは当たり前なのだろう。しかしそういうこととは違った意味で美しい人なのだと思ってしまった。

 ありていに言って雰囲気がある。今風に言うならばオーラを纏っているというのか。

 人を惹きつける確かな魅力に溢れているのだ。

 それはアイドルとしてきっと強い武器になるに違いない。

 

「……あの」

 

 意を決して言葉を口にしたつもりだったが、はっきりとした音にならず散ってしまう。仕方無しに楓を見つめ続ける綾霧だったが、あまり視線を張り付けてばかりいては不審がられるんじゃないかと、慌てて目線をテーブルに落とした。

 そこには箱に入ったままのチョコレートが置かれていて、幾つか中身が減っているのが見て取れた。更に視線を動かせば、楓の前にお茶が置かれているのも見える。

 おそらく休憩中だったのだろう。

 勿論、このくらいの情報は部屋に入った時から目に入っていたが、理解が及ばないくらいテンパっていたのだ。

 

「よろしければ、食べませんか?」

「え?」

「チョコレート。とっても美味しいんですよ?」

 

 凍った場の雰囲気を和らげるように、楓が優美な声音で綾霧にチョコを進めた。

 なにか切欠さえあればと思っていたのは彼だけではないのだろう。綾霧の視線から彼がチョコに興味を持っていると思ったのだ。

 

「好きなんですか、甘い物?」

「ええ、それなりには。チョコだとすぐに食べられますし。仕事の合間に口にするにはちょうどいいんです」 

「やはり休憩中だったんですね。お邪魔じゃなかったですか、俺?」

「大丈夫ですよ。私、どちらかと言えば人見知りですけど、殻に閉じこもるってタイプでもないですから。話相手がいたほうが嬉しい時もあります」

「……良かった」

「ふふっ。甘い物は疲れた時に良いって言いますよね? 私のオススメは端っこにあるスティックタイプのチョコです。是非、食べてみてください」 

 

 社交辞令かもしれない。それでも会話に乗ってくれる楓の言葉に彼の心が軽くなる。

 だからうっかりタガを緩めてしまって

 

「じゃあ一つだけ……チョコっと頂きます」

「えっ」

 

 そんな冗談を口にしてしまった。対する楓はというと、少し驚いたようにパチパチと目をしばたたかせている。

 その仕草を見て、彼は内心失敗したと冷や汗を掻いてしまった。

 せっかく彼女のほうから距離を詰めてくれたというのに、早まってしまったと。

 だが彼女は表情を和らげると可愛らしく喉を慣らした。

 

「面白い人。スタッフさんの方ですよね? 忙しそうに働いているのが目に入ってきてました」

「あ、いや。別にここのスタッフってわけじゃなくて……」

「え? 違うんですか?」 

「はい。今日は手伝いっていうか、本当は部外者で……ちょっと口では説明しにくいんですけど……」

「もしかしてスポンサー関係の方だったりします?」

「いえ、そうでもなくて――」

 

 逡巡したのは僅かな時間だった。

 ここでカミングアウトしないでいつするのか。そう自分を叱咤し、綾霧は―― 

 

「実は俺――アイドルのプロデューサーやってるんです!」

 

 楓を真っ直ぐに見つめながら、こう宣言していた。

 

 

「え? ええ? アイドルのプロデューサー、ですか?」

「はい」

 

 楓の目が驚くほど丸くなっている。

 さすがに彼女の中でも全く予想すらしていなかった答えが返ってきたからだ。

  

「とはいっても担当アイドルの一人もいない名ばかりのプロデューサーなんですけど」

「そう……なんですか?」

「はい。それでもいつかは一人前のプロデューサーになりたくて――」

 

 既に彼の中ではプランとか段取りとか、そんな細かなものは全て吹っ飛んでしまっていた。

 勢いで口にしてしまったのなら、もう突っ走るしかないと開き直っていたりする。

 だから巻くし立てる。冷静になったらきっと会話は続けられないから。

 

「でも全然ビジョンは見えなくて。けど今日、担当にしたい、アイドルになって欲しいって人を見つけたんです」

「……あの」

「正直、相手のことはよく知りません。でも間違えてないって思えるんです」

「それって……」 

「――あなたのことです、モデルさん! 俺の、いえ、みんなのアイドルになってみませんか?」

「私が、アイドルに……」

「初対面で言うのは失礼かもしれません。でも素質を感じました。光るものを感じたんですっ!」

「どうして――」

「撮影中に見たあなたの笑顔がとても素敵で――うまく言葉にできないけど、でも感じたんです。きっとこの人なら多くのファン、観客を魅了することのできるアイドルになれるって」

「……」

 

 ここにきて初めて楓の表情が曇った。

 アイドルのプロデューサーだと言われた時も、誘われた直後も、面を喰らいこそすれ眉根を寄せはしなかった。なのに唇を噛んで視線を外してしまう。

 そんな彼女の姿を見て、さすがに急ぎすぎたかと綾霧が反省する。

 

「すいません。いきなり、こんな突拍子もないこと言って。でも、俺――」

「違うんです。私……撮影中に笑ったこととかほとんどなくて。今日はたまたまっていうか、普段はもっと無表情なんです」

「本当、ですか?」

「はい。そんな感じでも雰囲気がいいからそのまま頂きますって。いつも、そんなで――だから貴方の期待には応えられないかもしれません」

 

 目線を伏せる彼女を見て、楓の話を聞いて、彼は正直に“勿体無い”と思ってしまった。

 アイドルのプロデューサーとしてではなく、一人の人間として。

 笑顔でなくても、楓の纏ったオーラがモデルとしての写真の出来を上げてしまうのだろう。だけどそれは彼女の魅力を引き出した上での結果ではない。

 きっと目の前の彼女はもっと、もっと輝ける。

 ここで出会ったのは運命だ。アイドルのプロデューサーとしての自分が彼女を見つけたのは、楓を次のステージへ昇らせるため。

 そう思い決めて、彼は彼女へと手を差し伸べる。

 

「俺が――」

 

 魂の篭った響きは、聞く者の心を揺さぶることがある。

 力強い言葉を受けて楓が目線を上げた。

 彼はそれを真っ向から受け止めて――

 

「俺があなたを輝かせてみせます。一緒にトップアイドルへの階段を昇りましょう!」

 

 カチリと針の進む音がする。

 きっと二人の時計は、この日を境にして動き出した。

 

 

  


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