桃華ちゃまにお兄ちゃまと呼ばれたいだけの小説   作:しゅちゃか

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第四話

 宣材写真の撮影を経て名実共にアイドルとなったが、そう簡単に仕事やCDデビューはできたりせずレッスン漬けの毎日である。

 

 だからと言ってレッスンに退屈したりはしていない。

 

 運動は色々なものに手を出していただけあって基礎体力は多少あるものの、ダンスでは普段使わない筋肉を使うことが多く動きが鈍るときがある。まだまだ改善の余地あり、というのがダンストレーナーさんの評価だ。

 

 そして今日もダンスレッスン、更衣室で俺は「冥府エルフ」と書かれたスポーツウェアに着替えてレッスンルームに入る。そこには既に二人の先客がいた。

 

「もう! 遅いですわよお兄ちゃま!」

 

 一人は妹である桃華だ。どうやら少し遅れてきた俺にお冠らしい、すまぬ。なんにせよ二人を待たせてしまったのは間違いない。俺はもう一人の方を向いて素直に謝った。

 

「悪い、桃華、ありすちゃんも待たせてごめんね」

 

「いえ、大丈夫です。おに……椿さん」

 

 おに?……鬼!? な、なんだろう、ありすちゃんに何かやらかしてしまったのだろうか。もしかして、ありすちゃんへのトレーナーさんからの指示について一々解説してたのが良くないんだろうか……

 

「お、お兄ちゃま? なんだかしょんぼりしていらしてよ?」

 

「だ、大丈夫ですか椿さん」

 

 やぐされる俺に優しい言葉を掛けてくれる二人、天使か。

 

 アイドルになってからのレッスンはほぼこの三人で行っている。

 何でも武内さんが気を回して、年齢関係なく同期として仲良くなると同時に、互いに切磋琢磨し合えるようにレッスンの日にちを合わせていたようだ。

 おかげでありすちゃんとは仲良くなれたと思うし、桃華にも同年代の友達が出来たようで何よりだ。

 

「桃華さんが責めるように言うから、椿さんが落ち込んじゃったじゃないですか……」

 

「なっ、それを言うなら、ありすさんと会話してからしょんぼりした様に見えましてよ?」

 

「むむむむむ……」

 

「むむむむむ……」

 

 と、友達だよね……

 

 ―――

 

 アイドルのレッスンには、主にダンスレッスンとボーカルレッスンの二つがある。普段は日にどちらかしかやらないのだが、今日は珍しく午前にダンス、午後にボーカルレッスンが入っている。

 

 今は午前のダンスレッスンが行われているところだ。

 レッスンといってもまだ曲も持ってない俺達が決められた振付を踊るはずもなく、ステップ等の基礎訓練が殆どだ。

 

「1、2、3、4、1、2、3、4、橘! 少し遅れているぞ!」

 

「はいっ!」

 

 トレーナーさんからありすちゃんへ激が飛ぶ。ありすちゃんはダンスは少し苦手なようでよく注意されている。だが、諦めたりはせずしっかりついて来ているようだ。

 しかし、今日は少し様子が違って―――

 

「櫻井!」

 

「はい?」

「はいっ!」

 

「ああ、すまん妹の方だ。どうした、今日はキレが無いぞ」

 

「ええ、ごめんなさい……少し調子が悪いようですわ……」

 

 桃華が、普段は得意としている筈のダンスレッスンでミスしている……というよりは普段通りの動きが出来ていないようだ。リズムはあっているのだが、トレーナーさんの言う通り精彩を欠いているようにも見える。

 

 どうしたことだろう。ステップが遅れているわけではないから、具合悪いとか、足が痛いとか、そういう直接的な事では無いように思える。足に何か違和感でも……ん?

 

「桃華、靴ひもが……」

 

「え? ほどけないようにしっかり結んでいますわよ?」

 

「いや、そうじゃなくて、ひもを通す穴が昨日と違う気がする。昨日は一段下だったはず……そもそも、そこで結んだら関節が締め付けられて動きづらいんじゃないか?」

 

「そういえば……桃華さん昨日レッスンの後、シューズのひもが切れてて交換してましたよね?」

 

「え、ええ……結びなおしてみますわ」

 

 そう言っててきぱきとひもを直す桃華。ありすちゃんもそう言っていることだし、おそらく正しいとは思うが……

 再び立ち上がった桃華はその場で軽くステップを踏み始めた。先ほどとは打って変わって、軽々とステップを踏み華麗にターンまで決めて見せた。思うように動けて気持ちがいいのか、その顔はとても楽しそうだ。

 

「どうですか!? トレーナーさん!?」

 

「ああ、上出来だ……驚いたな、よく見ているな櫻井兄」

 

「ええ、妹ですんで」

 

「妹……」

 

「櫻井妹、軽い違和感でお前自身も気づかなかったかもしれんが、そういったものがレッスン中の怪我につながることもある。シューズ等を交換したりしたら報告するように……気づいてやれなくて悪かった」

 

「いえ、わたくしも……ありがとうございます、お兄ちゃま、トレーナーさん」

 

「そうか……よし、レッスンを再開するぞ」

 

 トレーナーさんの言うとおり、シューズでも何でも自分に合わないものを使い続けると怪我を負う場合だってある。そうなる前に解決できてよかったよかった。

 

 ……でも、ちょっとトレーナーさんに相談しなきゃな。

 

「トレーナーさん、ちょっといいですか?」

 

「ん? どうした櫻井兄」

 

「この後の事なんですけど―――」

 

 ―――

 

 まだレッスンの途中だが、レッスンルームを出ようとする。この後に必要になるものを取りに行くためだ。そんな俺が気になったのか、ありすちゃんが話しかけてくる。

 

「椿さん、どうかしたんですか?」

 

「ああ、ちょっと湿布をもらいに、ね」

 

「え? だ、大丈夫なんですか? 横になっててください、私が貰ってきます!」

 

 俺が捻挫か何かしたとでも勘違いしたのか、ありすちゃんが心配そうに聞いてくる。

 

「いやいやいや、大丈夫。俺じゃなくて、桃華にね」

 

「桃華さんに……ですか?」

 

「うん、桃華はああ見えて……というか、見ての通り負けず嫌いだからね。遅れを取り戻そうとして、普段以上に躍起になってへとへとになるだろうから……その為にね」

 

「え……そうなんですか? だったら、止めなくて……いいんですか?」

 

「本当はそうしたいんだけどね、この後にもボーカルレッスンがあるし……でも、消化不良で終わらせるのはさせたくないし。それに、トレーナーさんにも余りにこの後に影響が出そうなら、止めてくれるようお願いしたしね」

 

 甘やかしすぎな気もするが、今はこれでいい。勿論、この後にオーバーワークの危険性はしっかりと説いて、同じことは繰り返させないようにはする。だけど、折角楽しんでレッスンできているのだ、今はひたむきにやってほしいと思った。そのためのフォローは兄である俺の仕事だ。

 

「桃華さんの事、理解して、尊重して……とても想ってるんですね」

 

「うん、十数年一緒に居る家族だからね。少し年も離れてるから、甘やかし気味かもしれないけど」

 

「……少し、羨ましいです」

 

 ありすちゃんは考え込むように呟いた。何か深刻そうに考えているようにも見える。どうしたんだろうか、レッスンの音楽で良く聞こえなかったけど……俺はまた何かやらかしてしまったんだろうか。あまりのシスコンぶりに引かれたか。

 

「ど、どうかした?」

 

「えっ? あっ……な、なんでもありませんっ」

 

 先の呟きは自分でも意図しないものだったのだろうか。それを聞かれたと思ったであろうありすちゃんは不機嫌そうにすごすごとレッスンへ戻って行った。

 えぇ……聞こえてないのに……

 

 ありすちゃんを怒らせてしまったことに再びしょんぼりしながら、俺はレッスンルームを後にした。

 

 ―――

 

「どうした橘、顔が赤いぞ、休憩するか?」

 

「だ、大丈夫です、レッスンを続けましょう! さぁ!」

 

「あ、ああ……」

 

 ―――

 

 所変わってレコーディングスタジオ。ボイストレーニングの時間だ。

 

 ボイストレーニングは一通りの声だしから始まり、それが終わると実際に歌を歌う。曲はトレーナーさんから課題曲が出たり、思い思いに自分の歌いたい曲を歌ったりする。本来なら桃華がトップバッターなのだが……

 

「桃華、いけそうか?」

 

「も……もちろん……ですわ……」

 

 うつ伏せになった桃華が息も絶え絶えに言う。これは無理そうだ。

 案の定あの後、桃華は遅れを取り戻す様に躍起になってダンスに打ち込んだ。その結果がこれである。

 

 かつて、桃華だったモノが横たわっている……桃華のような何かが……

 

「すいません、トレーナーさん順番変えてもらます?」

 

「そうですね……橘さん、お願いできますか?」

 

「ごめんね、ありすちゃん、宜しく頼むよ」

 

「ふふん、まったく仕方ありませんね……ふがいない桃華さんに代わって、私が先にお手本を見せてあげます。歌は得意ですから!」

 

 おーたのもしい。意気揚々とマイクの前に向かって行くありすちゃん。歌が得意というだけあって三人の中では一番歌唱力がある。声だしも安定していて聞いていて安心できる。ありすちゃんが声だしを終え歌い始めると、横になっていた桃華がもぞもぞと動いた。

 

「あの、お兄ちゃま……迷惑かけて、ごめんなさい」

 

「……そうだね、後でありすちゃんとトレーナーさんにも謝っておくんだよ。二人とも心配してたんだから」

 

「橘さんが……ええ、勿論ですわ」

 

「うん、えらいえらい」

 

 そう言って桃華の髪を指で梳く。こういうことをすると子供扱いするなと怒りだすのだが、今はそんな気力もないのかされるがままになっていた。そんな桃華が歌っているありすちゃんを見ながら呟いた。

 

「橘さんは、わたくしより、少し大人ですのね……どうしてなのでしょう?」

 

 そう桃華が感じる理由は、なんとなく俺にはわかる。

 それは、ありすちゃんが自分を子供だと認識しているからだ。

 自分は子供だからできないこともある。そういうことは大人に任せて、自分のできることを精一杯する。本人にそれを言っても、子供じゃありませんと不機嫌そうに返されるだけだろうが、ありすちゃんは心のどこかでそれを受け入れ、理解している。

 

 両親に常に優雅たれと、淑女であれと教わってきた桃華には受け入れがたい思考であるかもしれない。だがそれが、自分が子供であるということを受け入れることであり、大人への一歩だと俺は思っている。

 

「なんだか……羨ましいですわ」

 

 そうこぼす桃華。まだまだ年齢的にも肉体的にも子供であるという事を理解しろというのは簡単だが、そういうことは自分で気づくべきだし、気づいてほしい。

 

「早く大人になれるといいな、桃華」

 

「ええ、立派な大人に、なって見せますわ」

 

 でもまあ、これほど時間が解決してくれるという言葉がぴったりな悩みもないだろう。

 

 ―――

 

「椿さん」

 

「ん? どうしたの、ありすちゃん」

 

「私、頑張りました」

 

「お、おう」

 

「トレーナーさんにも、一杯褒めてもらいました」

 

「そっか、やっぱりありすちゃんは凄いね。今日もお疲れ様」

 

「えへへ……椿さんも、お疲れ様でした。また、明日」

 

 

 

 ……やっぱりありすちゃんもまだまだ子供かもしれない。

 


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