桃華ちゃまにお兄ちゃまと呼ばれたいだけの小説 作:しゅちゃか
アイドルになることを決心して数日たった。
そんなこんなで今は実家の神戸を出て東京にいる。
ちょっと展開が速すぎてついていけない……
武内さんからアイドルのスカウトを受けてから両親にそのことを話した。
俺もやるからには本気だ。両親もそんな俺の心情を汲み取ってくれたのか、必要以上に理由を聞くことはせず「本気でやりたいのか?」という問いに頷くと「やってみなさい」一言言っただけだった。
そこからはもうトントン拍子だ。
346プロは東京にあるので勿論移住が必要となる。いざ住む場所を探していると、父様が別邸を使えばいいと有難い下知を下さった。
ちょっと待って、東京に、別邸?
いや、東京ってそんな避暑地感覚で別荘ぽんぽん建てられるような場所でしたっけ……やっぱ櫻井家ちょっとおかしいわ。
まあ有るのなら有難く使わせてもらおう。だが、そんな場所に桃華と二人で住むはずもなく、実家からメイドさんやら執事さんやらが随時やってくるらしい。
そんなこんなでやってきたこの東京砂漠。
ご近所方々へのあいさつも済み、別邸の整理整頓も一段落した所に武内さんから電話がかかってきた。
「宣材写真……ですか?」
「はい、アイドルを売り込む時に必要な、言わば顔となるものです」
様は、アイドルのプロフィールが書いてある横に貼ってあるアレだ。顔になる、ということは中々重要な写真のようだ。あまりお粗末なものは撮れないだろう。
そんなことを考えていると武内さんから意外な情報が入った。
「今回の撮影は櫻井さんともう一人、他のアイドルの方と一緒に撮影をして頂きます」
「他のアイドル……撮影ってことは、その子も?」
「ええ、お二方と同期の新人アイドル、ということになります」
「へえ、そうなんですか。名前は何と?」
「名前は―――」
―――
「やっぱでかいな、346プロ」
武内さんに呼び出されて、346プロにやってきた俺と桃華はその大きさに圧倒されていた。
流石複数の事業を抱え、その全てで成功を収めている美城なだけはある。高層ビルのように縦に高いというわけではないが、周辺の建物と比べて広さが段違いである。こんな建物、神戸では中々―――
「ええ、お父様の会社と同じぐらい大きいですわね!」
あ、うん、そうだったね、ウチもまあ大概だったね。
あと、櫻井家との基準でいろんなものを測るのはやめようね、その気が無くても骨川さんみたいになっちゃうからね。あっ、もしかしてちゃまってそういう……
下らない冗談はさておいても流石は所属アイドル200名以上を誇る346プロだ、流石に規模がでかい。少し迷いそうだが……おっ、武内さん発見
「こんにちは武内さん。今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いしますわ」
「櫻井さん、お待ちしておりました。さっそくスタジオの方へご案内させていただきます」
そう言う武内さんの背中について行き、俺達は建物の中へ入った。
―――
スタジオではスタッフさん達が慌ただしく動いていた。写真を撮るだけなのでそう数は多くない。だが、この人たちが俺らのために準備をしてくれていると考えると、なんだかやる気が出てくるのは俺が単純な性格をしているからだろうか。
「ここから、わたくしと、お兄ちゃまのアイドル活動が始まりますのね……」
感慨深げに隣の桃華が言う。そうだ、俺はアイドルになるのだ。
自覚が無かったわけではないが、こう……何というか、改めて思い知らされる。今からアイドルという未知の世界へ飛び込むのだと。そう考えた瞬間、背中に悪寒が走り身体がぶるりと震えた。その震えは一過性のものだったので長くは続かなかったが、柄にもなく緊張しているのかもしれない。
桃華は大丈夫だろうか。見ると、桃華も少し震えているように見えた。
俺はしゃがみ、桃華に視線を合わせながらあやす様に頭を撫でた。
「緊張してるのか?」
俺がそう言うと、桃華は少し目線を下げた。
「ええ、少し……上手くできるかどうか不安で……」
まあそうだろう。人生おかわりしたおかげで、それなりに肝が据わった俺と違って、桃華は受験も経験したことないような正真正銘の子供だ。新しいことに挑戦するともなれば、不安にもなるだろう。
「上手くやる必要なんてないさ。いつもの桃華でいればいいよ」
「どうして、そう言い切れるんですの?」
「武内さんが桃華をスカウトした理由は『笑顔』だったよな。だったら、この新しい世界への一歩目を楽しんできたらいいのさ。昨日一緒にポーズの練習したみたいにね」
「楽しむ……」
「ああ、いつもの笑顔で、な。大丈夫、どんな桃華も可愛いよ、保証する」
「……んもう! だからレディーにとっては褒め言葉ではありませんのよ!……でも」
桃華は言葉を切ると、撫でている俺の手を取り自分の頬に宛がった。
「ありがとうございます、お兄ちゃま」
そう言って桃華はにっこりとほほ笑んだ。掌から仄かに頬の暖かさが伝う。もう桃華の身体は震えておらず、しかしその目には確固たる意志が宿り、程よい緊張を保っているように見えた。もう大丈夫だ、上手くやるなんて意識にとらわれることもなくなるだろう。
そんなやり取りをしていると、背中から声がかかった。
「あの、櫻井椿さんと、櫻井桃華さん……ですね」
「ん? ああ、そうだけど」
その声に返答して振り返る。そこには桃華と同じ年ぐらいの、ロングヘアーの少女が居た。
「初めまして、橘ありすです。今日はよろしくお願いします……橘と呼んでください」
橘ありす―――
先日武内さんから教えてもらった、俺達の同期となるアイドルの女の子。
武内さんによると警戒心が少し強いらしいが、どうやらその通りらしい。言葉こと丁寧なものの、少し壁を感じる言い方だ。自分の名前にコンプレックスがあるらしく、名前呼びはNGらしい。同期になるので仲良くすることに越したことは無いのだが……
「……以上です、それでは」
「えっ……あの……」
取り付く島もないとはこのことか……いや、きっとこの子も緊張して余裕が無いのだ。
そんな中でも挨拶は欠かさず行う分礼儀正しいというか、しっかりした子なのだろう。
「お兄ちゃま、あの子……大丈夫でしょうか……?」
そんな姿に何かを感じ取ったのか、桃華が心配そうに言った。
「……どうだろうな」
正直、微妙なところだろう。それに、あの状態に落ちつけと言ったところで「落ちついています」と返されるのがオチだろう。あとは本人次第といったところだが……
「橘ありすさん、お願いしまーす!」
「……っはい!」
本当に大丈夫だろうか……
―――
「うーん、ちょっと表情が硬いなあ」
もう何度同じことを言われただろうか。何度撮影してもOKが貰えず悪循環に陥っているのが自分でもわかる。
「無理に笑わなくていいからさ、自然な表情で撮らせてもらえるかい?」
「自然な……表情」
自然な表情、つまり、何時もの自分の表情で良いということだ。それなら簡単だ、それなら……あれ?
―――私、普段どんな表情だっけ?
「……ちょっと休憩入れようか」
「あ、はい……ごめんなさい」
「大丈夫だよ、ゆっくりでいいから」
カメラマンの人の優しい言葉に余計胸が苦しくなる。
休憩用の椅子に座り、ため息をつく。写真撮影一つにここまで苦労する自分に嫌気がさす。こんなことで、この先アイドルなんていやっていけるのだろうか……そんな不安が頭を過る。
「櫻井椿さん、お願いしまーす!」
「はーい、っと」
そんな軽い返事とともに現れたのは、櫻井椿という、私と同時期にアイドルになる男の人だ。軽く2、3言交わしただけだったので、どういう人かはよく分からないが……
「宜しくお願いします」
「はーい、よろしく。まずは思うようにポーズとってみてくれる?」
「思うように……わかりました」
そう言ってポーズを取り始める櫻井さん。その動きに淀みは無く、表情も自然なものの様に見えた。時折カメラマンの人に質問して、ポーズを変えたり、表情を変えたりしているその姿は、こういう事に慣れているようにも思えた。
「はい、バッチリです、お疲れ様でしたー」
「ありがとうございましたー」
そうこうしている内に撮影が終わってしまった。
私とは違い、すぐにOKが出たようだった。どうしてあんなに簡単にできるのだろう……そう思うと、私はいつの間にか休憩室に向かおうとする櫻井さんの背中を追っていた。
―――
「ふぅ……」
宣材撮影を終えて一息つく。
なんだか一仕事終えた気分だ。いやまあ、アイドルとしての初仕事と言えば仕事なのだが。
休憩室に入り自販機を眺める。……ん? ち、ちくわこんにゃくゼリー!? 買わなきゃ……
「あの! 櫻井さん!」
「うおっ!? はい!?」
なんだ急に!? って橘さんじゃないか。急にどうしたんだろうか。
「あの、質問があるんですが……」
「あ、はい、なんでしょう」
「あの……どうしたら櫻井さんみたいに、緊張せずにできるんでしょうか?」
「緊張せずに……?」
「はい、先ほどの撮影では緊張せず、余裕があったように見えたので……その、私と違って……」
そう言って落ち込む橘さん。確かに、橘さんはかなりガチガチに緊張していた。俺の前にかなりリテイクをくらっていたようだし……そこで上手くやっているように見えた俺に何かアドバイスをもらおう、といったところだろうか。
「余裕って言ってもなあ……俺も緊張してなかったわけじゃないんだけどね」
「緊張、してたんですか?……緊張してたのに、平気だったんですか。どうしたらそんな風にできるんですか?」
なんだかだいぶ追い込まれているようだ。俺は緊張しながらも、失敗してもアイドルになれないというわけではないんだから、割と気楽にやった。というだけなのだが……求めているのはこんな助言じゃないだろうな……
「うーん、緊張してる時に大事なのは、緊張している自分を受け入れることなんだ」
「緊張している自分を、受け入れる……? その、よくわかりません……」
「簡単な話さ。さっき、橘さんは『緊張しちゃダメだ』って思ってたんじゃないかな。そんなんじゃ、余計緊張しちゃうよ。だから一度『今緊張しているな』って思うんだ」
「なるほど、そんな風に考えるんですね」
「そうして少し和らいだら、別の事をして後は気を紛らわすんだ、緊張でガチガチだと他に何も手に着かないからね」
「別の事、ですか?」
「そこは人それぞれだけどね、軽い運動したり、好きなものを食べたり、歌を歌ったりね」
「歌を……歌う……」
橘さんは歌に何か感じるものがあったのか、そのまま考え込む。
「鼻歌でもいいけどね。歌には、人を優しくしたり、悲しくしたり、時には荒立てたり、様々な力があるから、人の心を落ち着かせることだってできるさ」
「歌には……力……なんとなく解ります。いい言葉だと……思います」
やはり、橘さんにとって歌は何か特別な意味を持つものだったのだろう。彼女自身の中で、何か納得できるものが今のやり取りの中に有ったのだろうか。先ほどとは打って変わって、憑き物が落ちたような、そんな表情をしている。
「ありがとうございます、櫻井さん。私、行ってきます」
「うん、力になれたのなら良かった。橘さんもがんばって」
「あ……あの、その……ありすで、いいです」
「ん、そっか、これから宜しくね、ありすちゃん」
「はい! こちらこそ!」
そう言うとありすちゃんはスタジオへ駆け出して行った。あの様子ならもう大丈夫かもしれない……一応様子を見に行こう。
―――
「はい、OKです、お疲れ様でした」
「あ、ありがとうございましたっ!」
簡単に終わってしまった、そうありすは思った。
アドバイスを貰ったありすは、周りに聞こえない程度の鼻歌を歌いながら撮影に臨むことにした。先ほど歌と聞いて思い起こされたのが、自分の夢のルーツでもある家族で見に行ったミュージカル、そのフィナーレを飾るバラードだ。歌を歌っている間は、何時もの自分に戻れているような気がして、自然な表情でいられたような気がする。
ふと、アドバイスをくれた人の事を思い出した。
質問をしに行った時は自分でもいっぱいいっぱいで、いきなり失礼なことをしてしまった。でも、そんな自分にも丁寧にアドバイスをしてくれた。ほんの少し子供扱いしているような節もあって、そこは少し嫌だった。だからと言って自分を見下したりはしなかった。あったかくて、優しい、そう、まるで―――
「お兄さん、みたいでした……」
口をついて出た言葉は、ありすの心に意外なほど馴染んだ。
ありすちゃんにお兄さんと呼ばれたい小説でもあります(慾張り)