桃華ちゃまにお兄ちゃまと呼ばれたいだけの小説 作:しゅちゃか
「ここ本当広いよな……」
346プロ社内の噴水前のベンチに座って独り呟く。
始めて来た時も思ったが、周囲の建物に比べて敷地面積が圧倒的すぎる。ここに来るようになってそれなりの日にちが経ったが、まだ行った事のない場所でもあるんじゃなかろうか。
……ちょっと探検してみるか。
などと童心に帰ろうとしていたのもつかの間、ふと気がつくと噴水の向こうから誰かが走って来るのが見えた。あれは……みりあちゃん?
「あーっ! 椿お兄ちゃんだ!」
「みりあちゃん、久しぶりだね、そんなに急いでどうしたの?」
「そうなの、大変なの! ちょっと一緒に来て!」
そう言って俺の腕をぐいぐいと引っ張るみりあちゃん、その表情と仕草にはかなりの焦りが見て取れる。なんだかただ事じゃなさそうだぞ。
「早く早く! こっちだよ!」
言うが早いか、駆けだすみりあちゃんを追いかける。
元いた噴水から離れ、向かう先は同じく346プロ敷地内の離れにある森だ。この森は346プロの敷地外周を囲うように存在しており。自然保護の一環として管理されている。都会には珍しく様々な昆虫がいるようだが……こんなところで何をしていたんだろうか。
やがてみりあちゃんが立ち止まると、一本の木に向かって何かを呼び掛けていた。
「莉嘉ちゃーん、危ないよー、降りた方が良いよー!」
「ちょっとまって、あともう少しだからっ!」
みりあちゃんが呼びかける木の上には、なんと学生服を着た女の子が登っていた。
莉嘉ちゃんと呼ばれた女の子は鮮やかな金髪をたくわえていて、うっすらとメイクもしており、とても木登りをする様な女の子には見えなかった。その女の子が必死に木を登っているその先には……かなり大きめのカブトムシがいた。
ギャルっぽい女の子がカブトムシ取ろうとしてる……
その少しシュールな絵にポカンとしていたが、その次の瞬間にはそんなに呆けては居られなかった。
「うんしょ……っと、やった! みりあちゃん!獲れたよー☆ ってわあっ!」
「危ない!」
「っ!」
女の子はカブトムシを獲ろうと手を伸ばすあまりバランスを崩してしまった。俺も思わず走り出す。木の高さはそこまでではないが、当たり所によっては大怪我につながってしまうだろう。だがこの鍛えたアイドル脚力なら間に合う! スライディングで地面と女の子の間に身体を滑り込ませる!
「きゃあっ!」
「おっご!!」
女の子を受け止めるのには成功したが……肘が、鳩尾に……い、痛え。思わず往年のモビルスーツの名前が出てしまうぐらいの衝撃だった……立てねぇ。
「わわっ、椿お兄ちゃんすごーい!」
「え? あ! おにーさん大丈夫!?」
そして落ちてきたはずの女の子にまで心配されるこの始末。ちゃんとキャッチする予定だったのに……ま、ままならねぇ……
「ああ、なんとかね……君は大丈夫? 怪我とかなかった?」
「うん、おにーさんのおかげだよ、ありがとっ☆」
うん、元気でよろしい。でももうちょっと気をつけてほしかった、流石に今のは危なかった。女の子はそそくさと俺の上から下りると、パンパンとスカートの裾を払った。
「あっ、アタシ、城ヶ崎莉嘉だよ! これでもアイドルやってるんだから!」
奇遇ですね、俺もですよ。
って言うか城ヶ崎ってどっかで聞いたことあるような……
「莉嘉ちゃん莉嘉ちゃん、椿お兄ちゃんもアイドルなんだよ」
「そうなの!? そう言えば、346プロがバイシューして同僚に男の子のアイドルが増えた、ってお姉ちゃんが言ってたっけ……」
「どうも、櫻井椿です、よろしくね城ヶ崎さん」
「莉嘉で良いよー、アタシも椿くんって呼ぶから☆」
ああ、お姉ちゃんで思い出した。だいぶ前にアイドルに転向して話題になった人が、城ヶ崎って名字だったかな、確かカリスマJKって呼ばれてる。
「もしかして、莉嘉ちゃんのお姉さんって……」
「うん、そうだよ、城ヶ崎美嘉。えへへ、姉妹でアイドルやってまーす」
お、俺だって兄妹でアイドルやってるし!
まあ張り合う必要は無くとも城ヶ崎美嘉の名前はなんとなく覚えてた。テレビでも話題になってたし、学校の隣の席の井塚君がファンなのか「すげえよ美嘉は」ってひたすら褒めてたし。
そんな今をときめくカリスマJKアイドルの妹さんは、さっき捕まえたカブトムシをキラキラした瞳で見つめている。よっぽど好きなんだろうか、カブトムシ。
「ねぇねぇみりあちゃん、ここ広いからもっと大きいのいっぱいいるかも! 探しに行こっ!」
なんて事を元気に言う莉嘉ちゃん、君さっき落っこちかけたばっかりでしょ……
「うーん、でも、私たちだけで行くのは危ないと思うなぁ……」
みりあちゃんの言う通りだ、実際にさっき怪我するかもしれなかったのだ。せめて誰か付き添いをつけて欲しい。
「じゃあじゃあ、椿くん一緒に来てよ!」
「え、俺?」
「うん、ねぇねぇいいでしょ!?」
「え? 椿お兄ちゃん一緒について来てくれるの?」
ううん、俺自体は暇ではあるが……まあでも、幸いこの森はそこまで鬱蒼としてるわけでもないし、獣道もない。さっきみたいに危ない事をさせなければ大丈夫だろう。
「わかった、でもさっきみたいに木に登るのは駄目だよ! 高いところの虫は俺が取ってあげるから、危ないことは絶対にしないように! わかった?」
俺がそう言うと莉嘉ちゃんは小さくガッツポーズをして喜んだ。
「やたっ、椿くんありがとー!」
「わあっ、良かったね、莉嘉ちゃん!」
「うんっ! よーし、それじゃあ早速、冒険の旅へしゅっぱーつ!」
「おー!」
「おー」
そう言ってずんずんと歩きだす莉嘉ちゃん。
その前にしておきたい事があったが、これはまあ俺がしても殆ど意味のないことだ……そこで、俺はその背中に続くみりあちゃんに声をかけた。
「みりあちゃん、ちょっといい?」
「へ? どーしたの?」
「ちょっと頼みたい事があるんだけど……」
―――
そんなこんなで俺たちは森を探索し始めた。
「椿くん椿くん! 何かいい感じの木の棒見つけた!」
「おお、これは、何というか、凄い良い感じの木の棒だね」
「えへへ、でしょー?」
「で、これ何に使うの?」
「わかんない!」
「だよね」
伝説の剣を見つけたり―――
「ねーねー椿お兄ちゃん、あそこにおっきいクワガタムシいるよ!」
「あれは! クソデカ水牛くん、クソデカ水牛くんじゃないか!」
「す、すいぎゅう?」
「え? ノコギリクワガタのこと水牛って言ったりしない?」
「しなーい、みりあちゃんは?」
「みりあも初めて聞いた!」
「そう……」
ジェネレーションギャップを感じたり―――
「それでねっ、椿お兄ちゃんと一緒に歌ってあげたら、その子とーっても喜んでくれたんだよ」
「すっごーい! そう言えば、アタシ椿くんの歌聞いたことない……ねえねえ聞かせて!」
「よしきた」
「曲はお願い!シンデレラをリクエストしまーす!」
「いや俺のデビュー曲歌わせて!?」
歌って踊ったりもした。
―――
「んー、楽しかったー!」
そう言って伸びをする莉嘉ちゃん、その顔には満面の笑みを浮かべている。そこまで喜んでもらえたのなら、こちらとしても付き添った甲斐もあるというものだ。
「カブトムシもたくさん取れちゃったね!」
「うん! 椿くんも今日はありがとっ、久々にはしゃいじゃった!」
「そっか、それは良かった」
俺は、取ったカブトムシやクワガタムシを見せ合う二人を眺めながらほっと息をついた。二人が何か怪我をしないように細心の注意を払っていたのもあって、どっと疲れが込み上げてきた。ベンチに座ったまま空を見上げる。と言うか大人の人を随伴させるはずなんだけど、年齢的には俺まだ大人じゃないし。結果的に二人には何事もなかったが、ちょっと軽はずみだった、俺も反省しなきゃな。
俺が自省しているとみりあちゃんが俺の袖をくいくいと引っ張ってきた。
「ねーねー、椿お兄ちゃん」
「どうしたの、みりちゃん」
「そろそろ来るって、さっきメールきたよ」
「ん、そっか」
「来るって、何が?」
俺たちの会話に、莉嘉ちゃんは不思議そうに首を傾げた。そう、あらかじめみりあちゃんには人を呼んでもらっておいた。その人物は―――
「莉ぃ~嘉ぁ~!」
「あ、お姉ちゃん」
「『あ、お姉ちゃん』じゃない! 莉嘉、アンタまた勝手に虫取りに行ったんだって!?」
「な、何で知ってるの!?」
「カブトムシ好きなのはわかってるから、虫取りするなとは言わないけど……せめて大人の人と一緒に行きな!」
「痛い痛い! 耳引っ張らないでぇ~ お、お姉ちゃんがここに居るのって、もしかして……」
「俺がみりあちゃんに頼んだんだ、城ヶ崎さんに今日の事を連絡しといてって」
「えへへ、ごめんね、莉嘉ちゃん」
そう、危ない事をした子には説教するのは当たり前なことだ、でもそれは俺がしても意味が無いだろう。なので……
「お姉さんに説教されて、"莉嘉ちゃんも"しっかり反省してください」
「えぇ~椿くんひーどーいー!」
「ひどくない! 莉嘉が木から落ちたって聞いた時、本当に心配したんだから……!」
「お姉ちゃん……」
城ヶ崎さんは、瞳を潤ませながら莉嘉ちゃんに訴えかける。性根の素直な子には単純に怒ったりするより、自分がどれだけ心配して、苦しんだかを伝えた方が―――嫌な言い方になるが―――"効く"場合もある。
「あんまり心配させないでよね、アンタに何かあったらって思うと……アタシ……」
「……ごめんなさい」
どうやら、下手な説教なんかよりよっぽど効いたようだ。見ているこっちが気の毒になってくるぐらい凹んでしまっている。少し沈んでしまった雰囲気を察してか、みりあちゃんが口を開いた。
「美嘉ちゃんね、莉嘉ちゃんの事すっごく心配してたんだよ。みりあが美嘉ちゃんにメールした後すぐお電話がかかってきて、おっきな声で『莉嘉は無事!?』って……」
「も、もう、みりあちゃんやめてよ! ……アンタも、みりあちゃんに感謝しなさいよ? みりあちゃんがアタシに『莉嘉ちゃん最近忙しかったから、久しぶりに虫取りさせてあげて』ってお願いしてなかったら、すぐに首根っこつかんででも帰らせてたんだからね」
「うん……ありがとう、お姉ちゃん、みりあちゃん! 二人とも大好きだよっ☆」
そう言って二人に抱きつく莉嘉ちゃん。一時はどうなる事かと思ったが、何とか丸く収まったようだ。城ヶ崎さんはひとしきり莉嘉ちゃんとじゃれあうと、改めて俺の方に向き直った。
「アンタも、今日はウチの妹に付き合ってくれてありがとね。莉嘉から聞いてるとは思うけど……アタシは城ヶ崎美嘉、ヨロシク★」
「いえ、俺も楽しかったですから、櫻井椿っていいます」
「櫻井……椿……? あっ……へぇ、アンタが」
ん? 俺のこと知ってるのか? 俺が城ヶ崎さんの事を知ってるのならまだしも、城ヶ崎さんが俺の事を知っているのは……なんでだろう、TVで見たとかなら見た目でわかるだろうし。
「あの、俺の事ご存じで?」
「ああ、アタシの友達……奏が言ってたから、からかうと面白い子見つけたって、男の人だったのね……」
クソァ! やっぱ速水さんにとってはそういう扱いかよ!
ぐぬぬ、俺とてアイドルだ、このままではおれん、何か、何か対策を考えなくては。そして城ヶ崎さんが何故か『アンタも苦労してんだね……』的な目で此方をみていたのが気になった。
「じゃあアタシ達は帰るけど……本当に今日はありがと、今度何かお礼するから。みりあちゃんも一緒に帰る?」
「うん、途中まで一緒に行こ! 椿お兄ちゃん、ばいばい!」
そう言って大きく手を振るみりあちゃん。今日はあんなに遊び回ったにもかかわらず……相変わらず元気な子だなあ。
俺がみりあちゃんに手をふり返していると、莉嘉ちゃんがこちらに駆け寄ってきた。わざわざ挨拶でもしに来たのだろうか。
「じゃあね、椿くん。また一緒に虫取りしようね!」
「いいけど、また俺なの?」
「うん、勿論! えへへっ、その時はね―――」
そう言うと、莉嘉ちゃんは俺の腕を強く引っ張る。
思わず前かがみになった俺の耳元に莉嘉ちゃんが顔を寄せて来た。
「―――また落っこちそうになったら……最初みたいに受け止めてね☆」
……
……
……だから木登りは無しって言ってるでしょ!