壱巻のおわり、つぎはぎ甚兵衛
「あ……」
無垢は驚きをその顔に表し、震える指で甚兵衛を指して、
「あ―――――っ!! ごぼうのひと!!」
ずがしゃああああああっ!!
甚兵衛は思わず足を滑らせずっこけた。
「お前なあああ! この期に及んでまだそれかっ!?」
「あっ、うしろ、うしろ」
慌てて無垢が甚兵衛の背後を指さす。死人が脇差振り上げて、立ち上がったばかりの甚兵衛の背中に風を唸らせ飛びかかる。いけない。無垢が青ざめる。甚兵衛は刀を構えもせず、だらりとぶら下げて、その背はあまりにも無防備。
――危ない!
と、思われた……
次の瞬間。
甚兵衛の身が翻る。刃が鋭く弧を描く。振り返りざまに振るった刀が、襲い来る白刃を弾き上げる。火花飛び散り、その輝きの収まらぬ間に、息も吐かせぬ一太刀が敵の胴を両断した。
ゆっ、くり、と。まっぷたつになった死人が倒れ、再び夜は、静寂。
甚兵衛は、胸に溜め込んだ息を、つぅ……と細く吐き出した。
「すっげ……ぼっけえ強えが」
無垢が彼の美しい太刀さばきに見とれていると、いきなり甚兵衛の真顔が崩れた。
「うっおおおお!? 今の危ねえ! 怖え! 死ぬかと思ったーっ! ちくしょー膝が震えるーっ!」
――心は弱えのー。
くっちゃくちゃの顔で怯える甚兵衛に、無垢はぼりぼりと頭を掻いた。
「おいっ」
「うん?」
甚兵衛が肩越しに振り返る。無垢は、こくり、と小首を傾げた。
「お前が《六欲天の鍵》、“神剣”の巫女、寄坐の……無垢。間違いねえな?」
「……なんじゃ。『知っとる人』だったんじゃ?」
「まあな」
無垢はそっと、顔を伏せた。ただそれだけで、甚兵衛は悟っていた。彼女がこれまでどんな風に生きてきたのかを。
「そうじゃ。で、うちをどうする気?」
だから、彼は。
「決まってんだろ」
きッ、と、迫り来る死人どもを睨め付け言った。
「護るんだよ!」
「えっ」
という無垢の驚きを掛け声にして、甚兵衛は敵陣に躍り込む。
死人が反応するより速く、正面の一人に袈裟斬りの一撃。倒れた死人の後ろから、二人の敵が左右に飛び出す。包み込むように甚兵衛を挟み、両側から同時に斬り掛かってくる。だが甚兵衛はまたしても、切り下げた刀を宙ぶらりんにぶら下げたまま。とても二本の刀を捌ける体勢にない……
かに見えた、が。
刃が奔る。電光石火、キンと冷えた音を立て、脇差が弾ける、はたまた折れる。がら空きになった死人の胴を、甚兵衛の刀がばっさり切り裂く。無造作から繰り出す目にも留まらぬ捌きと返し、その勢いはさながら旋風。
これで三人。敵はあと四人。
半歩間を詰める。敵が後ずさる。人数で圧倒的に優るはずの敵が、恐れも思考もないはずの死人が。甚兵衛の気迫に、押され、圧倒され、おののいている。
「あのっ、どういうことなん? えっと……」
「ああ、まだ名乗ってなかったか? 情けねえ仇名でよ、あんまり言いたくねえんだが」
戸惑って問う無垢に、甚兵衛は肩越しに笑顔を送った。
その姿勢は、飽くまでも無造作。刀は斜めに下がり、全身の力は抜けて、まるで寝床に安らいでいるかのよう。だが、ようやく無垢は悟った。これは隙などではない。機に臨みて、いかなる変にも応ず、水の如き、風の如き、無為自然の構え。
これこそが彼の戦い方なのだと。
彼の刀が、ゆらりと揺れる。
「ひとの力を借り、
ひとの技を盗み、
ひとの言葉に惑い、
ひとの心で動く」
と。
死人どもが、じり、と間合いを詰め――
「己じゃ何一つ持ちゃしねえ、頂き物の寄せ集め。人呼んで――」
飛びかかる。四方から。
もはや無垢の目には捉えることすら敵わぬ。見えたのはただ刃の交錯、閃く火花、一つ二つ、三つ四つ。鈍い音。竜巻の如き唸り。おぼろげな月光に浮かび上がる、甚兵衛の真摯な横顔。
四つの屍が倒れ伏し、後に残るは、ただ一人。
「――つぎはぎ甚兵衛!」
つづく