サムライ:パッチワーク -六欲天の門-   作:外清内ダク

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壱巻の五、危機

 壱巻の五、危機

 

 

 女を待っていたのは、むせ返るような臭気であった。

 笠を目深に被った、旅装束の女。先ほど、甚兵衛たちの逃走を監視していた、あの女である。夜の暗闇でその姿もおぼろげであるが、驚きと、呆れと、押し殺した怒りのような気配は、匂い立つようにその全身から放たれていた。

 と、雲間から月が顔を覗かせる。月光が街道の闇をさっと払い、その場のありさまを浮かび上がらせた。

 屍、屍、累々たる屍。無宿浪人、八九三(やくざ)、ごろつきの類ばかり、その数はざっと十名以上。足下は流れ出た血でぬめり、草履の裏が不快に濡れる。ち、と女は舌を打った。

 彼女が睨む先には、さむらいが居た。積み上げた死体の上に腰を下ろし、なんとも呑気に欠伸を垂れている。彼は手にした刀をしげしげと見つめ、刃こぼれと歪みを見つけると、ぽい、とそこらに投げ捨てた。

「これも、もう、要らぬ」

「幽禅」

「やあ、鈴女(すずめ)

「何をしている」

 女――鈴女(すずめ)が刺すように問うと、さむらい――斬棄て幽禅は欠伸をかみ殺し、

「きった」

「夜が明ければまた旅人が通る。死体は山積み。地面は血の海。一体どう始末する。そも殺す必要がどこにある」

「そう責めてくれるな。兵隊が、要る」

死人(しびと)使いをやるのか?」

「巫女の行方、掴んできた、の、だろう?」

 ち……と、鈴女は再び舌を打つ。腹立たしい男であった。殺人狂である。血も涙もない男である。だがその剣の冴えは凄まじく……なにより、手下の能力をみごとに把握して、その力を微塵も疑わない。要は人使いが上手いのであったが、上手く扱われている、というのが、鈴女にはかえって苛立たしいのである。

 苛立ちを吐き捨てるように、鈴女はきっぱりとこう言った。

「あたりまえだ」

 

 

  *

 

 

 燃えている。

 何もかもが燃えている――屋根が、門が、壁が、人が、狂ったように走り回る子供が、燃えて、広がり、朱一色に染まっていく。それを高みから、天守閣の窓から茫然と見下ろしながら、彼は、震えていた。膝が情けなく笑っていた。何が起きた。何をした。何をしてしまったのだ。

 一体、なんということをしでかして。

 これから一体、なにができるというのか。

 ――逃げて……

 声がする。

 涙と、悲痛な脂汗と、恐怖の震えに満たされた顔を、彼は背後に向ける。

 彼女は、そこに在った。

 ――生きて……あなただけは。

 恐怖、嫉妬、苦痛、憤怒、失望、絶望、欲望、狂気、思慕、恋慕、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、何もかもが一つに混ざり――

 燃えている。

 何もかもが、燃えている。

 

 あれから十年の時が過ぎ、今でも炎は燃えているのだろうか。

 甚兵衛は、炎のように朱く揺らめく玉を、手の中に弄びながらじっと見つめていた。

 街道から少し外れた山の上に、立派な門構えの寺院がある。宵闇に閉ざされた冬の寺は、木の葉のざわめきも、虫の歌声もなく、ただ静かに、人里と街道とを見下ろすように佇んでいる。そうっと、微かな足音のみを立て、小僧が摺り足で廊下を滑っていく。それ以外には動くもの一つ無い。そこは、完全なる静寂の世界であった。

 本堂の隣には僧房が――僧たちが寝起きに使う建物がある。その一室は空き部屋になっていて、もっぱら、寺を訪れた客を泊めるのに使われていた。そうした部屋を常備しているのは、客を迎えることが頻繁であったからだ。とてもかたぎとは見えない、様々に怪しげな客ども。

 たとえば、いかにもみすぼらしい素浪人、甚兵衛、であるとか。

「また派手にやらかしなすったな。呆れたもんだ」

 と、茶を勧めながら言うのは、立派な袈裟に身を包んだこの寺の住職である。

 ふ、と甚兵衛は小さく笑った。その笑みは自嘲に満ちて、見るに堪えないものであったが。

「一生分の勇気を振り絞ったぜ。膝ががくがく震えてよ……だがその甲斐はあった」

 言って住職に、手の中の玉をかかげて見せた。穴の空いた丸型から、ひょいと尻尾の生えたような形。いわゆる勾玉である。青みがかった碧の瑠璃細工、それだけでも見事な逸品である。そのうえよくよく覗き込んでみると、勾玉の中に揺らめく炎のような朱が透けて見えるのだ。それがただの宝玉でないことは、誰の目にも明らかであった。

「“神爾”か……」

 勾玉の美しさに見とれ、住職は溜息を吐くように囁いた。

「綺麗だのお……」

「だがこの朱は、“神爾”に捧げられた魂の光だ。あの元締め、たっぷりと生け贄を捧げていやがった。使える状態まで、あとほんの少しってとこだな」

 甚兵衛は“神爾”を丁寧に布でくるみ、後生大事に懐へしまい込む。

「あとは“剣”と“鏡”が揃やァ、“六欲天の門”が開く」

 その目は遠く。

「やるぜ。俺は、俺の“こころ”を取り戻す……」

 まるでここではないどこか、今ではないいつかを、じっと見つめているかのように。

 住職は落ち着かなげに、手元で数珠の玉を爪弾き、やがてそれにも飽きると禿げて剃髪の必要もなくなった頭を、節くれ立った手で撫で回した。何か、言うべきか言わざるべきか、迷っていることがあるようであった。甚兵衛が眉をひそめる。

「なんだよ」

「うん、そのことなんだがなァ、甚兵衛」

「あ?」

「気をつけた方がいい。ここ二、三日、余所の化外(ケガイ)がうろついてるようなんだ」


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