サムライ:パッチワーク -六欲天の門-   作:外清内ダク

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壱巻の二、おかわり四杯

 壱巻の二、おかわり四杯

 

 

 混雑した大部屋の隅のせんべい布団で、無垢は惰眠をむさぼっていた。

 雨漏りの染みが見事な模様を描く天井板、けばだち色あせた畳、押せば穴が空きそうな脆い土壁。部屋の造作は酷い有様だったが、そこにひしめき合う客の面構えもまた酷い。歯抜けの爺、出稼ぎの職人らしいぼんやりしたの、異様に鋭い眼光なのは護摩の灰――旅人狙いの盗賊――か。歯抜けの爺が、興味深そうに眠る無垢の顔を覗き込んだ。だらしなくよだれを垂らし、むにゃむにゃと寝言を言っている。

 と、彼女の鼻がひくついた。

 どこからともなく漂ってくる、香り。

 出汁に溶かれた赤味噌の、舌の根のあたりが、じゅわっと濡れてくるような、よい香り。

「あしゃごひゃん!」

 がばあっ!

 寝ぼけながら無垢は飛び起きた。その拍子に覗き込んでいた歯抜け爺とおでこが激突、枯れ木のような爺さんはそのまま部屋の外の板間まで転がっていく。

「ん?」

 無垢は目を瞬かせ、きょろきょろと辺りを見回すばかり。目は醒めたが、状況がさっぱり分からない。ここはどこだろう。何が起きたんだろう。あ、とりあえず、お味噌の匂い、いい匂い……。

「ようやくお目覚めか?」

「んん?」

 どこかで聞いたような声に顔を向ければ、そこには男が一人。月代(さかやき)を剃らずぼうぼうに髪を伸ばした無様な頭、あっちこっちつぎはぎだらけのみずぼらしい上着、神経質そうにぎらついた眼差しに、ぶっきらぼうな声色。いかにも浪人者といった風体の男であった。誰だっけこれ、と無垢が記憶を辿り……はた、と答えに行き当たる。

「あーっ! 思い出した、ごぼうのひと!」

 言われて素浪人は、つまり甚兵衛は、心底嫌そうに顔をしかめた。話をごまかさんと、手にした鍋をひょいと持ちあげ、

「腹、減ってんだろ」

 くきゅうううる、と無垢のお腹が返事する。

「まあ、食おう」

 

 宿場町の出入り口は、道ばたに棒端(ぼうばな)というのが立っている。これは高さ七、八尺(2メートル)以上もある四角い杭で、「此処(ココ)ヨリ何処其処(ドコソコ)宿(シュク)」などと、宿場の名が記してあるのだ。高い棒端は遠くからでもよく目立ち、歩き疲れた旅人などは、これが見えるや、ほっと胸を撫で下ろしたものである。

 そうした場所であるから、棒端の周りは、旅人がとりあえず疲れを癒そうと立ち寄る茶店、出立前に土産物や必需品の買い足しをうながす商店などでたいそう賑わう。さらには、八百屋や米屋の類もこの辺りには多かった。地元の者相手の商売ではない、身なりのあまりよくない旅人が、ちょいちょいと必要分を買い求めるのである。

 というのが、棒端のまわりは木賃宿が密集する地域でもあったのだ。いわゆる旅籠とは違い、木賃宿は部屋と竈、それに最小限の薪を提供するのみで、食事は自炊が基本である。その代わり、宿代は安い。とても安い。屋台そば一杯分の金で、軽く五泊はできるほどだ。自然、貧乏な旅人は棒端まわりに身を寄せ合うこととなるのだった。

 二人がいるのも、そうした木賃宿の一軒である。のだが……。

「おっかわりーっ!!」

 口いっぱいにほっかほかのごはんを放り込み、無垢――僧侶の寄坐無垢(よりましむく)は元気な声を張り上げ、

「もう勘弁してくれェーっ!」

 甚兵衛の悲鳴がその部屋に響くのだった。

 甚兵衛が作った飯と味噌汁、それに少しの新香だけの粗末な食事を、無垢は猛然と喰った。喰いに喰った。炊きたての米は、ただそれだけでも、旨い。ほっぺたを大きく膨らませ、噛んでも噛んでもあとから沸きだしてくる味わいに、無垢はだらしなく、にへら、と顔をほころばせる。その幸せそうなことといったら。

 この無垢、背丈は甚兵衛の腹あたりまで、手足も腰も握れば折れそうほどであるにもかかわらず、食うわ食うわ、まさに底なし。自分も喰おうと二人ぶん炊いた飯は、あっというまに無垢ひとりの胃袋に収まった。だがその喰いっぷりが気持ちいいほどなので、甚兵衛は黙って笑っていたのだ。

 そう、初めのうちは。

 一度目のおかわりは、微笑ましく見ていた。

 二度目は、少々呆れ気味だった。

 三度目で、顔からさっと血の気が引いて、

 四度目で、とうとう甚兵衛は泣き出した。

 鍋を挟んで座り、土下座よろしくうなだれる甚兵衛に、無垢は箸を向けてぴっこぴっこと上下に振る。

「なんでなら。腹いっぱい食わしてやるってゆうたろーが」

「もう米がないんだよ……」

「しゃーねえのう。ほんじゃあ、これで仕舞(しめえ)にしちゃらあ」

 米の最後の一山を口に放り込み、ひとしきりもぐもぐとやってから、無垢は名残惜しそうに飲み下した。軽く5人前は平らげてしまって、無垢は肌もつやつや、目もと口もとも緩み、至福の表情で合掌した。

「ごっちそーさまでした! 腹はちぶんめ……し・あ・わ・せ♪」

「八分目かよ!?」

「えっ? もっと食べてもええん?」

「いいわけあるか少しは遠慮しろぉっ! 強欲は仏の道に反するだろ!」

「この世に神も仏もありゃせんのじゃ。据え膳食わぬは女の恥。次いつ食えるか分からんのじゃけ、食える時には食えるだけ食うのがうちのやり方なんじゃ」

「それが坊主の言うことか」

「ふんっ! うちが普通の坊主じゃったら今ごろ寺を出て物乞い同然の放浪の旅なんかしょーらんわ! 今日は三日ぶりのごはん! 三日前に食べたのは街道ぞいに群生しとったタンポポのはっぱ! 群生地ひとつまるかじりしたったわ! 文句あるんか!」

「……そ、そうか……苦労してんだな、お前も……」

ほじゃけ(だから)もっと食べてええ?」

「だから勘弁しろって!」

「なんなら! しわい(せこい)のう! ところでごぼうは!?」

 無垢の鋭い指摘に、甚兵衛は声を詰まらせる。

 そう、先ほど助太刀の報酬として約束したのは、「ごぼうを腹いっぱい喰わしてやる」ことであった。だが無垢の腹におさまったのは、山盛りの白米五杯と味噌汁、それに大根の漬け物のみ。ごぼうのごの字もなかったのだ。

「あー、それは……」

 もごもごと、甚兵衛は何事か口の中で呟いて、やがてようやく聞こえるくらいの声を出した。

「……近頃は野菜も高くてな」

「ふーん、そうなんじゃ? で、ごぼう」

「ま、米と味噌汁ってのは偉いもんだ。これだけでも旨い。実に旨い」

ほんま(ほんとう)じゃなー! ごぼう」

「……………」

 沈黙。

 ややあって、

「ご・ぼ・う」

「だああああああっ! しつっこいな手前は!」

 ついに根負けした甚兵衛が腰を浮かせた。負けじと無垢も立ち上がる。膝立ちの甚兵衛と、仁王立ちの無垢が、真っ正面から睨み合い、

「なんなら! 腹いっぱい喰わしてやるってゆうたが!」

「メシなら食わしてやっただろ!」

「おいしかったわありがとう! でもごぼう!」

「金がねえんだよ!」

「だからなんなら!」

「それで我慢しろ!」

「わかった。今は我慢する」

「それでいいんだ」

 ……………。

「……今は?」

 甚兵衛が顔を青ざめる。目の前で、無垢の顔が、愛らしい恍惚へと変わっていく。

「ごぼう、腹いっぱい」

 にひ、と無垢は無邪気に笑い、両手を胸の前に組み合わせ、ぴょんと可愛らしく飛び跳ねて見せた。

「楽しみ♪」


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