何とも重厚な扉ですね……
この川の水は、現実世界及びこの世界に流れる一般の川と比べて何ら遜色無い透き通った流体であるというのにも拘らず、そこに入れば二度と這いあがることはできないという。
何とも不思議な力を持つ川だなと思いながら、木製のオールが軋む心地よい音を聞きつつ向こう岸が見えないかと淡い希望を持ちながら眺める。
が、見えるわけも無く。ただただ水の流れと、船が水をかき分ける音。そして俺の後ろから聞こえる音が響くのみが響き渡るだけである。
そう、これだけならまだ良い。まだ良いのだ。だが、俺は少々気分が落ち込みつつあるのだ。
その理由としてが
「あの~……小町さん。もうかれこれ二時間なのですが……。まだ向こう岸には着きませんかね?」
これである。
何時まで経っても向こう岸に着かないのだ。後ろを振り返れば、少々眉をへの字にして困ったような顔を浮かべた小町が、オールを握りながら
「仕方ないじゃないか……良く分からないけれども、耕也と私を含めた船全体の川幅に対する距離を縮めようとすると、全くできないのさ……何がどうなってるのやらさっぱりさね……」
と、言ってくる。
聞いた瞬間に俺は心の中で冷や汗が出てくるのを感じた。マズイ。これは非常にマズイ。なぜなら、小町は今現在船全体、俺を含めた部分まで能力を使用している。
対する俺は、今現在絶賛内部領域展開中。小町の能力等問答無用で無効化してしまっている。つまりは、いくら小町が頑張っても、鼻血を出しながら頑張っても距離など一向に縮まらないのだ。
これが何を意味するか? …………バレたら怒られるに決まっている。どうしてもこの力を展開している以上、小町の能力は無効化されてしまうのだ。
……そろそろ、色々と工夫できるように頑張ってみようか? 此方が指定した能力は普段通し、攻撃的になったら効かないとかそんな感じの利便性を追求してみたり。
と、そんな事を考えていると、後ろから悲しそうな声が聞こえてくる。
「どうなってんだいまったく……此処に来てあたいが根を上げそうになるとはねえ……」
と、言ってくる。俺はソレを聞くとやはり申し訳なく思い、内部領域を含め全ての領域を解除する。もちろん小町に気が付かれないように。
するとその瞬間、視界の先から、灰色の横一線が現れ、猛烈な勢いで大きくなってくる。
「お、来た来た! なんだいなんだい? ちゃんと通じるじゃないか! ……原因は何なのかさっぱりだけどもさ……」
と、嬉しそうな声で後ろから叫ぶ小町。小町は元々人間ではなく死神なので、眼が良いのだろう。俺よりもその灰色の線を把握したようだ。
数秒後、俺にもその正体が見えてきた。唯の灰色の線だと思っていた物は、向こう岸の石っころの集まりだったのだ。
「はあ~…………すごい……」
その光景を見て、そう口にすることしかできなかった。その言葉しか出なかった。
まるで今までの光景が、ビデオの早送りのようにしか感じられなかったのだ。言うなればあれである。映画の世界である。
「あ~……何と言うか……本当にすごい」
俺は本当に純粋な驚きで声が出せない。
しばらく口をあけながら固まっていると、小町が肩を軽く叩いていくる。
「……は、はい、小町さん。どうしました?」
自分のやったことがついにばれてしまったか? という少々危機感を持ちながらも、彼女のほうに首を向けていく。
そして、俺と小町が視線を交差させた瞬間、小町はにっこりしながら自慢げに話してくる。
「どうだい? これがあたいの能力、距離を操る程度の能力だよ……ぷっ……あははは」
と、一通り自分の能力について言ってくる小町が、突然笑い出した。いったい何がそんなにおかしいのかわからない俺には彼女の行動がひどく起伏が激しいものに感じてしまった。
いや、できなかったことができるようになると、人間を含め感情の起伏や行動に大きな差が表れるのだ。もちろん俺も例外ではない。
こうして事実ここに無事でいるのだからいいのだが、先ほどの溶岩地帯に突っ込んだせいで少々心配性が表に出てきてしまった。
だがまあ、俺としては彼女が何について笑っているのか判明させたいところであったため、即座にその考えを放棄して小町に尋ねる。
「あの、何か顔についてます……?」
感情を逆なでしないようにやんわりとした言葉を。
すると、小町は片手を口元にあててクスクスと笑いながら、俺に向かって口を開く。
「いやね、あたいが能力を使用した後のあんたの顔が、あんまりにも可笑しくて……ぷぷふ」
と、それだけ言うと小町はまたクスクスと笑い始める。
おそらく小町が言いたいのは、能力を使用した後の唖然とした顔を見て思わず笑ってしまったといったところだろう。
何んともいない気持ちになりながらも、俺も彼女に対して迷惑をかけてしまっているのだから、まあ仕方ないというべきか。
「いいじゃないですか驚いたって。結構驚きの光景が目の前に広がったのですから……」
そう言いながら、未だに笑い続ける小町を背に、早く向こう岸に着かないかなと期待している俺がいた。
まあ、小町がオールを漕がないせいで全く進まなかったので、げんなりとしてしまったが。
やはり、この照明器具は明るい……。
私はやわらかく、されど力強い光を放つこの照明すたんどとやらを見て今日も満足感に満ちた溜息を洩らす。
耕也からもらったこの照明器具は、今までの私の作業効率を格段に上昇させるどころか、目の疲れや肩こりまでも大幅に軽減してくれるほどなのだ。
まあ、肩こりの半分かは分からないが大部分はこれのせいだとは思うけれども……。
と、私は自分についている大きな胸のふくらみを凝視し、両腕で抱き寄せるかのように持ち上げる。
……やはり重い。
おそらくこの重さが肩こりに影響を及ぼしているのだろう。なんとも困った代物だ……。
だが、男はこのような胸の大きい者を好むと前に同僚が話しているのを聞いたことがある。
それは本当のことなのだろうか? と思いながら、私は改めて自分の胸を持ち上げつつ凝視する。
緑色の制裁判官及び閻魔専用の服を、内側から破りそうなほどにまで大きな重い胸。
もし、同僚の言っていたことが事実だとしたら、私は女としても魅力があるのだろうか? もしくは魅力があると思っていいのだろうか?
そんな考えを基に私は1つの人間を思い出し、口に出す。
「……大正耕也」
私を閻魔という役職では見ず、四季映姫として見てくれる数少ない……いや、ただ一人の男であろう。
小町も私の事を閻魔という役職だけでなく、個人として接してくれている。そのはずである。
だが、耕也はなぜかよくわからないが、小町とはまた別の角度から見ている時があるように感じる。
それは全てを見透かすような目で。まるで私の出生を知っているかのような発言もしていた……今まで話したことなどなかったはずなのに。
だが、そんなことは些細な事に過ぎない。純粋にうれしいのだ。閻魔としてではなく、四季映姫として見てくれる耕也の行動が。
私は照明を見ながら、耕也の行動について思い出しながら少々笑みを浮かべてしまう。特に恥ずかしいことではないのだが、誰かに見られたくないという気持ちが働き、口元に手を当ててしまう。
「……コホン。……確認しましょうか。耕也の罪を……」
と独り言をつぶやきながら、閻魔帳を机の上に出し、そこに挟んである一枚の紙を目の前に良く見えるように机に置き、照明の光に晒す。
その紙には私が書き留めた耕也の罪、ここに至るまでの経緯、そして今後の指標が記載されていた。
友人として接してくれるのははうれしいが、彼には大きな罪があるのだ。大きな罪が……。
私は書類を見ながら、そう思ってしまう。
この書類の中の罪が消えない限り、彼に天国という道はなく、また冥界という選択肢もない。あるのは地獄のみ。
前々から思っていたことだが、やはり彼はここで働きつつ罪の償いを行っていくべきだと思う。
そうすれば、私のもとで働くという大きな善行を成すことができるうえに、私としても彼が罪を軽減させていく姿を見るのは非常にうれしい。
そう思いながら、私は改めて書類を見る。
「……本当に変な人間ね……珍しいというかなんというか……変わっていると言ったほうがいいのかしら? この感覚が正しいのかわ分からないけれども、けれども……」
なぜだろうか……? 同時に彼を手元に置いておきたいと思うのは。
先ほどは友人と自分では思っていたが、やはりこの気持ちは消すことができない……。
今まで会った人間とは、全く違う人間。彼と会うとついつい説教が長引いてしまううえに、私情が大きく入ってきてしまうのだ。
これが私のいつもの姿とは大きく違うため、少々驚きを隠せない……。しかし、私情が大きく入ってしまうということは、それだけ彼に対して真剣になっているということの裏返しともとれる。
いや、実のところはどうなのだろうか? 今度会ったときに耕也へこの閻魔の補助を仕事として斡旋する予定なのだから。
ただ、手元に置きたくて彼に対して私情を多く混ぜた言葉を放っているのではないだろうか? と。
閻魔帳をコツコツ叩きながら、なんとかこのモヤモヤした気持ちを解消しようとしているのだが、いかんせん、一度思い始めたことは中々刃を納めてくれない。
なんとも困ったことになったと思いながら、再び耕也の罪歴を見る。
「……八雲紫……八雲藍、風見幽香。……やはりなんとかしなくては……」
……と、思ったところで先ほどからあった違和感……いや、禍々しさと言うべきか。
私は悔悟棒を持ちながら、裁判所中央の空間を見据える。
少々力を込めて空間を見つめると、その違和感、禍々しさも確信へと変わった。
溜息をつきながら、その正体を口にして牽制を図る。
「八雲紫……出てきなさい……」
すると、目の前の空間が歪み、縦方向に線が入り切り裂かれていく。引き裂かれた空間からは、人間の目がこちらをギョロギョロと覗き、そこから南蛮の道化風の服を着た八雲紫が出てくる。
なんとも余裕の表情だ事。出てきたときに思ったことがそれであった。
まあ、この考えは不要だから別のところに置き、……なぜここに八雲紫がいるのか? そう疑問を頭の中に浮かばせ、思考していく。
紫がここに来る理由が見つからない。もし、強いて言うとすれば、ここに来る理由は耕也のことであろう。
いや、しかし……確信が持てないということには変わりがない。
すると、紫は傘を自分の横に置きつつ、胡散臭い笑みを浮かべながら口を開く。
「映姫様。良くお分かりになりましたね。これでもかなり気配その他諸々を殺していたのですが」
と、なんとも下らないことを言ってくる。閻魔を余りなめないでいただきたいものだ。
そう私は思いながら、紫に対して返答をしていく。
「妖怪如きの気配1つ探れなくて何が閻魔ですか。からかうのはやめなさい。態々ここに来たからにはそれなりの理由、話があってのことでしょう。話しなさい」
すると、紫はクスクスと笑いながら、センスを開いてこちらに表情を見せないようにしながら話す。
「いえいえ、少々挨拶代わりにといったところですわ。神様をからかうだなんて、そんな恐れ多いことなど私にはできませんわ」
なんとも不愉快な言葉を吐いてくる妖怪だ。通常ここまで私に対して反抗的な言葉を吐く妖怪などいないというのに。
仕事の残りがあるのだから、さっさと終わらせてほしい。そう思いながら、紫を適当にあしらって帰らそうとする。
「冗談はともかく。……本題に入らせていただきますわ。閻魔様?」
と、こちらの行動を見透かしていたかのように、紫がこちらに対して振ってくる。
私は心の中で舌打ちしながら、紫の話に耳を傾ける。
「閻魔様。四季映姫様。私たちは妖怪でありあなた様は最上級の神。ここには絶対的な壁、力の差が存在いたしますわ。どのように策を練ろうともあなた様は策を物ともせず、純粋な力で打ち破ることができる。たとえ私たち三人が力と策を結集させたとしても……」
話題が余りにも先ほどの空気とは似合わないものであるため、少々理解に困る。
が、それでも私は紫の言葉を聞きながら、彼女の言葉の内容をかみ砕き、理解し、推察していく。
おそらく三人というのは、八雲紫、八雲藍、風見幽香のことであろう。他に彼女と接点のある妖怪はあまりいないはずである。
そして、彼女がなぜ実力の事について話し出すのか? まあ、話が全く見えないので推察しようがないというのが現状だが。
「それで……? 何を言いたいのですか?」
と、早く話を終わらせてほしいものだと思いながら答えていく。先ほどと気持ちは1つも変わらない。
この妖怪は自分の考えを素直に伝えようとはせず、ぼかしながら伝えてくるのだ。まるで理解するまでの悩む様を見て楽しむかのように。
そう考えながら、紫の表情を見ていると、紫は先ほどの胡散臭い笑みから、目を細めたすがすがしいまでの笑顔になる。
それになんとも言えない気味悪さを覚えながら、紫の答えを待つ。
すると、紫はその笑顔のまま扇子を閉じたまま、隙間の中に放り、口を開く。
「閻魔様。どんなに秘密にしてもいつかは漏れてしまうこともあるのです。情報の漏洩というものです。閻魔様」
最後の紫の言葉に激しい焦燥感がわいてくる。秘密……まさか。
いや、そんなことはないはずだ。ここに侵入されたことなど一度もないはずなのだ。この私が見落とすはずがない。
私はその焦燥感のもとに、口内にたまりこんだ唾液を嚥下する。
少しの粘性を伴った流体の通過音が骨を伝わり耳に届く。と、同時にその音は妖怪ならではの優秀な聴力を持つ紫にも聞こえていたようで。紫は次の瞬間には、なんとも嫌な笑みを浮かべていた。
そして、その笑みを浮かべたままで口を開いてくる。
「ふふふふふふふ…………。閻魔様……最近、耕也と仲がよろしいようで……。しかも補佐官にしたいとか何とか。おまけに耕也を手に入れたくて仕方のない様子。……違いませんわよね?」
その言葉を聞いた瞬間に、冷や汗が体中から噴き出してくる。形跡など一切ないはずなのに……一体何故。
私は八雲紫に知られた事が未だ信じられず、視界が揺れ、僅かに手が震えてくる。まるで自分が聞いた事は全て間違いであったかのように。もっと別の事を言っていたかのように。
しかし、この耳にはっきりと届いたのは、紛れも無く耕也の事に関しての記載事項。完全なる事実であり、その事が私の羞恥心を煽ってくるのか、冷や汗と同時に顔が一気に熱くなってくる。
小町には見られたが、その事はどうでもいい。その事なら秘密として、隠し通す事ができたのだから。だが、今回は事情が違う。バレたのが完全な部外者である八雲紫。
これは……弱みを握られたとみるのが、妥当か。
私はその短い考えで辿りついた瞬間、自然と彼女に対して、口を開いていた。
「何が望みですか? 私の弱みを握って……」
と、私が汗を流しながら紫に尋ねると、紫は私の言葉を聞いた瞬間にさも可笑しいように笑い始める。
「ふふ、あははははは! ……私は何も閻魔様を脅しに来たわけではありません。唯一つだけお伝えしたい事が……」
私は、彼女の言葉を信用する事ができず、しばらく睨み続ける。
しかし、彼女の口か出た言葉は、忠告か警告を私に伝えるであろうという内容。脅しに来たわけではなく、唯伝えるだけ。
本当なのか? その疑念が湧き続け、止まるという事を覚えない。
しかし、私の考えを知っているのか、それとも焦燥感よりの不安定さからくる被害妄想なのかは分からないが、八雲紫は私を見つめながら、唯ジッとそこに立つのみ。
やはり、私が答えるまで口を開く事は無いか……。と、私は紫の姿を睨みつけながら、そう思う。
……仕方が無い。
「それで……伝えたい事とは?」
と、私が言葉を発すると、紫はニッコリと笑みを浮かべ、扇子を再び隙間の中から取り出し、顔を煽ぐ。
そして、涼しげな顔を浮かべながら、口を開く。
「……幽香、藍。そして私からの総意をお伝えしに。……耕也と身体を重ねるのは良いでしょう。しかし、本妻は幽香である事を忘れずに。私達は妾であるという事を……」
「――――――っ!」
言葉を聞いた途端に、先ほどの顔の熱さとは比べ物にならないほどの熱が襲ってくる。
この妖怪達は何て事を私に……!
いきなりの言葉に、自分の中でも整理が付かず、そして恥ずかしさか怒りかもわからないこの形容しがたい熱さは、私の口から言葉を吐き出させるには十分な威力を持っていた。
「あなたは一体何て事を言うのですか! 閻魔に向かって何と言う口を利くのですか!」
と、椅子から立ち上がり、柄にもなく神力を込めた大きな声で怒鳴ってしまい、余波で座っていた椅子と照明スタンド、閻魔帳と書類関係が周囲に吹き飛んでいく。
だが、そんな事を気にする事無く、私は八雲紫の方に詰め寄ろうとする。
しかし
「閻魔様……滾らない方が宜しいですよ? それに……そろそろ来ますので……」
その声と同時に、裁判所の出入り口の外側から声が聞こえてくる。
「小町さん、此処広いですね本当に……これで財政が苦しいとか……俺の家が鶏小屋に思える……いや、それ未満でした」
「いやいや、これを維持するのが大変なんだと。もう少し小さく作ればいいのにねえ……?」
と言う声が……。
私は両の声をすぐに発した人物を特定した。またそれと同時に別の焦りが生まれてくる。
一体どうして貴方が此処にいるのですか? という疑問と同時に。
私は、扉と紫を交互に見る。突然の事に自分でもどうしたらいいのか分からないのだ。
だから
「くっ……! 一体何故耕也が此処に!?」
ただ、言葉を発するしかできなかった。
「では、閻魔様。先ほどの言葉……お忘れなきよう…………。本来ならば嫉妬で殺してしまいそうですわ……本妻である幽香の方針ですから従いますけれども……」
対する紫は、私の言葉を無視するかのように、一方的に忠告と脅しを入れてスキマの中に潜り込んで離脱してしまった。
「なっ……! ……くっ、今はこれを片さなければ」
引き止めて説明を求めようと思ったが、離脱してしまった者に説明を求められるわけも無く。
私はそのまま大急ぎで吹き飛ばしてしまった書類たちを元に戻していった。
そして同時に思ったこと。
彼女等から耕也を引きはがすの無理であろう。ということである。
溜息しか出てこない。
「さあ、ここが裁判所だよ。もしかしたらここで働くってのも結構お前さんにとってもいいことかもしれないよ?」
と、よくわからない斡旋をしてくる小町。
俺に法律関係を任せるなんて、危ないで済む話ではない。……あ、いや、ここで雑用として働くということなのかもしれない。まあどのみち俺には酒屋の仕事があるからその斡旋を受けることはできないだろうけれども。
と、そんな事を思いながら、俺は案内されるがままに裁判所の中に入っていく。
入った先にはだれもいないと思っていたのだが、中には映姫がいた。
相変わらずのスタイルの良さが際立つ。小町と比べれば、わずかではあるが胸が小さい。
だが、それを抜きにしても妖艶さが体からにじみ出ており、正直な感想を言うと、……とんでもなくエロい。
なぜか分からないが、特に暑くも無いのにも拘わらず映姫が汗を掻き、顔を若干火照らせながらこちらを見ていた。
いったいここで何をしていたのだろうか? と、そんな疑問が頭の中にポッと浮かんでくる。
まあ、俺には関係のないことなのだろう。もしかしたら、裁判関係の事で白熱していた議論があったのか、それとも唯単に運動をして今さっきここに来たのか。恐らく其処らへんなのだろうと俺は憶測した。
映姫は、俺たちを見るなり若干驚いたような表情を浮かべた後、小町を少しだけ睨みつける。
だが、その表情も一瞬で元に収め、顔を赤くしながらも朗らかに笑おうとしてくる。
正直なところ、エロい笑みにしか見えない俺は色々な意味で終わっているのかもしれないが。
「小町……なぜ、ここに耕也がいるのですか?」
と、俺に笑みを浮かべたかと思うと、再び小町のほうを少々睨みつけながら詰問してくる。
それに小町は少々困ったような笑みを浮かべながら、映姫に返答していく。
「それについては申し訳ありません映姫様。ですがあたいは映姫様のお手伝いをしたいだけなんですって。それに、仕事だって最近遅れてしまいがちになっています。補佐官というのはどうでしょうか?」
話が全く見えない。
素人なりの考えでこの話を推測してみると、俺の意見そっちのけでなぜか転職まがいの話に発展している気がするのだ。
過去に小町と映姫の間で、一体何のやり取りがあったのかは分からないが、岩場のあたりで話していた罪の軽減と関係があるのだろうか?
まあ、恐らく合ってはいるだろう。これが就職関係の話であることは。
そして、俺がそのことについて考えている間にも、映姫たちの話は続いていく。
「だからと言って、私に許可なくそういうことをするのは言語道断です」
と、悔悟棒を持ちながら映姫は、小町に口を開く。姿勢を変えるたびに胸が形を変えるのはなんともエロい。エロすぎる。
「いえ、確かにそうですが、映姫様は私が許可を申し出ても決して譲らなかったじゃないですか。たまには勇気を出して見るのもいい物ですよ?」
と、死神鎌を胸の中央に抱き寄せながら、映姫に反論していく。もちろん、小町の胸は今まで見たなかでも非常に大きく。また、同時に健康的なエロさも兼ね備えており。……この状況でなかったら、100%の男が落とされるだろう。
まあ、体のエロさでいえば、藍に適う女性などいないであろうが。
「あたりまえです。私が許すはずがないでしょう。それに、……ゆ、勇気を持って耕也に斡旋するなど…………そ、そうです! ほ、本人の意思を完全に無視しています」
「ですが映姫様、このままでは罪歴が、業の深さが増すばかりだと言っていたではないですか。善は急げです。このままでは耕也の罪は増すばかり。そう言っていたのは映姫様自身ではないですか?」
「確かに私は日々そう言っていました。現時点で彼の罪の度合いは増しています。それに変わりはありません。が、だれが勝手に連れて来いと言ったのですか。問題はそこなのですよ!」
なんだか、話題がループし始めている気がするのは俺のせいだろうか? ……いや、合っているのかもしれない。絶対にループし始めている。
そして、俺の話なのにもかかわらず、当の本人は完全に置いてきぼりを食らってしまっている。
いや、別にそれ自体に文句はないのだが、このままではいつになったら次のステップにシフトするのかわかったもんじゃない。
小町と映姫は頭の回転が非常に速いから、会話に途切れがなさそうだ。
俺はそんなことを思いながら、小町と映姫に話しかけようとする。
「……もういいです。後は私が何とかします……ええ、勇気を持ってみましょう。……下がりなさい」
と、映姫が少々笑みを浮かべながら、小町に言う。おかしい、先ほどまでは怒っていたと解釈できるほどの口論をしていたというのに、なぜ笑っているのだろうか?
もしかして、怒っていると思っていた俺の考え自体が間違っており、本当は肯定しながら、上っ面だけの中尉だったのだろうか?
と、そんな疑問を浮かべていると、小町が全てを察したかのような、ニヤリとした笑みを浮かべて言う。
「ええ、そうですね。頑張ってください。……では、あたいはここで失礼します。耕也、頑張りなよ?」
と、映姫に意味のわからないことを言って、俺には応援の言葉を言ってここから去っていく。
俺は、一体何の頑張りだったのか、映姫に対する頑張ってという言葉は一体どういう意味が込められていたのかが分からず、ただただ
「はあ……ありがとうございます」
と、言うしかなかった。情けないことに。まあ、考えられることとしては、仕事の斡旋を頑張ってという意味として捉えることもできなくはない。
俺は小町が悠々と裁判所から出て行くのをボーっと見ていると、後ろから声がかかる。
「ふう……良く来ましたね耕也。突然の訪問にびっくりしてしまい、あのような醜態を晒してしまったことをお詫びします。まあ、立ち話もなんですから、ここに座ってください」
と、1つ深呼吸しながら映姫は俺に謝罪すると同時に、椅子を持ってくる。
「あ、ありがとうございます。突然の訪問、申し訳ございません」
と、なぜか自分でもよくわからないが、謝ってしまう。まあ、別に悪いことではないのかもしれないが、まるで電話越しに頭を下げてしまった時のようだと俺は思った。
それに苦笑してしまいそうになるが、映姫に怪しまれて聞かれるのは嫌なので、謝ったままの表情で俺は椅子に座る。
映姫は、俺が座ったという事を確認すると、そのことに満足したのか笑みを浮かべながら向かい側に椅子を並べて座る。
「いえ、小町が連れてきたのです。あなたに落ち度はありませんよ」
その言葉は俺が訪問したことをさほど気にしていないようで、俺は安心感を覚えんがら彼女の言葉に礼を言う。
「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります。……ええと、今回私が小町さんと来たのは、罪の軽減……映姫様の説教の他にも更なる罪の軽減ができるということをお伺いしたので、ここに」」
と、俺が小町から伝えられていた事を言うと、映姫は少々目を丸くしながらすばやく頷き、笑みを浮かべて言ってくる。
「え、ええその通りです。あなたの罪をより素早く軽減させるための手段があるのです」
と言って息を大きく吸いながら、さらに言葉を続けてくる。
「少々最近の事を話しましょう。まず、あなたの罪は非常に多いということです。正直なところ、私の説教程度では解消することなど到底不可能なほど。もちろん、旧地獄や妖怪と関わっているということだけでも日々罪が蓄積されているのですが、それの他にも貴方の罪を蓄積させる要因があるのです。先ほどまでの罪の蓄積ならば、まだ説教程度で罪は解消できたのでしょう……ここまでは理解できますね?」
と、一息にここまで映姫が言ってくる。ようは、俺の罪は今のところ総量がとんでもないほどあり、説教程度の軽減度ではどうにも解消することができない。
さらに、最初の方の妖怪とのかかわり、つまりは幽香や紫、藍との関係。燐や空、さとりとこいしたちとの関係、これは言わば地底でのコミュニティでのことであろう。
ここまでの罪なら、まだ映姫の説教で解消が可能だった。どのぐらいで解消が可能なのかは明確にされてはいないが。
ただ、これの他に一体どんな罪があるのだろう? 俺はそんな疑問が頭の中に浮かんできた。
なぜなら、人間としての本分を果たさずに妖怪と関係を持っているということが何より罪深いのではないかと俺は思うのだ。
陰陽師としての裏切り行為云々よりも、遥かに罪深いはずなのに……あれは俺が嵌められたというべき事件だったけれども。
俺は、その先にある罪深い行為というのがどうしても気になってしまい、たまらず映姫に尋ねる。
「はい、理解できます。……妖怪との関係以上に罪深いことというの一体どのようなものなのでしょうか? 人殺しはしたことがありませんし……いえ、するということ自体が人間のやる行為ではないのですが」
と、補足を交えながら、映姫に口を開く。
映姫は、俺の言葉を聞くと、悔悟棒の先端を口に当てながら、クスクスと笑う。
的外れなことを言ってしまったのか?
心配性な俺はそのようなことを考えてしまい、同時に額から汗が垂れ、膝の上の握り拳にポタリと落ち濡らす。
仕方がないと言えば、仕方がない。ここは裁判所。映姫の管轄する裁判所。観衆がいないとはいえ、ここには閻魔である映姫と一対一での話合い。
自分の家で、さとりの家で話しているのなら、まだここまでの緊張感はないし、心配性が表に出てくることもない。
だが、ここだ。この場所が俺の緊張感、心配性をカチ上げてくるのだ。
そう思いながら俺は、なんとも映姫のなんでもない1つ1つの行為が深い意味のあるモノに見えてしまい、さらに汗を垂らしてしまう。
汗を垂らしながら、映姫のほうを見ていると、笑いを少し収めてようやっと口を開く。
「ふふふ安心しなさい。別に貴方が変なことを言って、私が笑ったわけではないのですから。ただまあ、……時が来たら、その大きな罪について話します」
そして、映姫は微笑みながら、俺の方を見て再び口を開く。
「まだ、貴方に話すことはできませんが、その大きな罪を……」
と、言葉を発していた映姫が、突然何かを思い出したように口をつぐみ、周囲を見渡す。
何が起きたのか? そう思いながら、映姫の行動を見ていく。が、俺が全方向を見渡しても何一つ可笑しいところが見つからない。唯、映姫の気のせいというならそれでいいのだが……。
そして、一通り周囲を見渡し終わった映姫が、悔悟棒を垂直に自分の胸のあたりまで持ち、こちらに向き直る。
「どこに目や耳があるか分かりませんからね。もし、貴方の情報がバレてしまい、悪用されると困ります。もちろんこの中にそのような輩はいないのですが、万が一ということもあるので。……場所を変えましょう。耕也?」
と、こちらに先ほどの姿勢を保ったまま、ずずいっと顔を寄せてくる。
もちろん、映姫は絶世の美女。妖艶な女。ということには変わらないので、近づけられたらこちらが赤面してしまう。
俺は若干顔が熱くなることを実感しながら、映姫に返答していく。
「はい、了解いたしました。では、場所を変えましょう」
と、返事をした瞬間に映姫の顔が一瞬閻魔として。いや、普段の映姫の顔とは思えない、背筋が凍るほど妖艶で邪悪な顔に見えてしまったが、俺はそれを目の錯覚だと決めつけ、席を立った。
俺は、映姫に促されるままにある一室に案内された。
映姫は、飲み物を持ってくると言って、部屋を出て行ったので、俺は待たせてもらっている。
裁判所より、歩いて数分。この部屋は映姫自身に与えられている部屋だと言っていたが、俺にはどうもそうは思えなかった。
確かにネームプレートは四季映姫。そして、映姫から発せられる心地よく甘い香りが満たされた部屋。
この二点で十分に四季映姫の部屋だと断定したいのだが、それでも俺は納得することができなかった。
それは、この部屋は余りにも殺風景なのだ。仕事で使う書類も無ければ、自分の替えの服も無い。さらに言えば、仕事机も無いのだ。
あるのは、ただ、一人では広いのではないかと思う程の面積を誇るベッド。この時代になぜかベッド。分からないがベッド。
そして、洋風の椅子と小さなテーブル。二人が使えばすぐに埋まってしまうほどの小さなテーブル。
俺はそれがこの部屋には全く持って不釣り合いに見えて仕方がない。まるで先ほど急造したといわんばかりの似合わなさ。
それがどうにも良く分からない不安感を俺に沸かせるもので、どうにも落ち着かない。
映姫は俺に楽にしてくださいと言ったが、裁判所の時よりも落ち着かない。そして何より、一番不安を湧き立たせるもの。
それが、出入り口の扉である。
「厚さ何十mmだよ……いっくらなんでも用心しすぎなんじゃあないか?」
と、思わず口に出してしまうほどの重厚な扉が其処に鎮座していたのだ。
恐らく材質は鉄。この時代にこんな一様な厚さの鉄板を製造できる技術なんてあったかしら? と、思ってしまうほど。
さすがに鋼鐵ではないだろうが、それでもこれはなかなかの厚さで均一な厚さを持っている。
この厚さが、俺に一番の威圧感を放ってくるのだ。それはもうさっさとここからお暇したいほどの。
まあ、映姫は恐らく男からの視線……俺もそうだけども、結構気にかけられることが多いだろうから、その対策もあってのことかもしれない。
しかし、其れを加味したとしても
「ああ、早く帰りたい…………いや、其れでも話を聞かなきゃね。せっかく手伝ってくれてるのだもの」
そう、さっさとお暇したいのだが、映姫が罪の軽減を手伝ってくれるのだから、出ていくことなんて言語道断。部屋を変えてくれと申し出ることも、強く明確な理由がないし、映姫を傷つけてしまいかねない。
俺にもうちっとどっしり構えていられるような気楽さがあればいいのだけれどもねえ……
まあ、仕方がないと言えば仕方がない。
俺はそう自己完結しながら、座るように勧められた椅子に座り、映姫の帰りを待つ。
しばらく座りながら、部屋の構造を見ていたり、自分の罪について考えていると、扉が開かれる。
重厚な金属の擦れる鈍く重い音。しかし、盆を片手に持った映姫は涼しげな顔で。まるで俺が障子をあけるような気軽さを持った顔で。おまけに盆の上に乗った飲み物を一滴も溢さないというウェイトレスびっくり物の安定さを持って。
なんつー力をお持ちですか映姫様。
そんな事を思いながら、映姫に礼を言う。
「ありがとうございます映姫様。お手を煩わせてしまいまって」
というと、映姫はニコニコしながら、返答してくる。
「いえいえ、構いませんよ。実を言うと、初めての客人ですので、私としてもうれしいのですよ」
「そう思っていただけるのなら、幸いです」
と、無難に返す。
その言葉に満足したのか、映姫はテーブルの上に盆を置き、上に乗った黄色みかがった透明な液体の入った洋盃を置く。
……この洋盃には見覚えがある。それはすぐに答えが浮かんで来た。ああ、俺が前にあげた奴だったっけ。と。
映姫があんまりにも珍しがるものだから、いくつか適当に見繕って譲渡したのだ。
そして映姫は、俺の表情を的確に読み取ったのか、少し微笑んで左人差し指で頬を掻きながら口を開く。
「ええ、貴方の思ったとおりですよ。これは貴方に貰った洋盃です。いつも大事に使わせていただいてます」
「いえいえ、こちらとしても喜んでいただけたのでしたら、譲渡したかいがあります」
やはりここまでのガラス製品は珍しいらしい。喜んでもらえたら何よりである。本当に。
「ええと……一応蜂蜜水を用意したのですが……飲んでみてください。私が作りましたので……」
と、恥ずかしげに顔を赤くしながら、チョチョイと勧めてくる。
俺はあんまりにも可愛いその姿に、鼻血が出そうになりながらも、変態だと思われないように返答していく。
「ありがとうございます。……では、いただきます」
と、断りを入れて俺は蜂蜜水をゆっくりと味わうように飲んでいく。
蜂蜜特有のしつこさがなく、むしろ水単体よりもさわやかな喉越しにさえ感じる。また、蜂蜜の甘さは非常に安心感を与えてくれるものがあり、俺は思わず頬を緩ませてしまうほどのものであった。
そして俺は思う。……俺がどんなに必死こいて作ったとしてもこんなに美味しいのは一生できないよねこれ。と。
「映姫様……ものすごく美味しいです。……口下手で申し訳ありませんが……とにかく美味しいです」
だが、いざ口に出すとこんな陳腐な回答しかできない、ダメな俺。
それでも俺の驚きが伝わったのか、映姫は俺に微笑んでくれる。
が、次の瞬間には真剣な顔になり、俺に対して口を開いてくる。
「では、本題に入りたいと思います。……先ほどの大きな罪。これはまだ話すのは先になりますが、それは本当に大きな罪であるという事を認識したうえで話を聞いて下さい。良いですね?」
俺は、その言葉に対して反対する理由は無く、また彼女の気迫に押されてしまったためか、首をコクリと一回盾に振ることしかできなかった。
映姫は俺の動作に頷き、再び言葉を発する。
「大正耕也。……先ほどの話の続きですが、貴方はこれから死ぬ事が無いと言っても過言ではないでしょう。しかし、万が一もあります。その不確定要素が極めて多い未来では、貴方が死んでしまうという事もあり得るのです。もしそうなった時、貴方はどうなるか? これはすでに話の雰囲気からでも分かるでしょう。そう、貴方は地獄行きとなるのは確実です。例え、これから私が毎日説教をし、貴方が善行を積もうと努力したとしても、その背負っている罪は消えることはありません」
そして、一気に映姫は俺に言葉を挟ませずにまくしたててくる。
「耕也……そこで、私に提案があります。重要な提案です。これがその大きな罪を解消させる方法です」
そして、映姫は一度眼を閉じて深呼吸をし、再び口を開く。
「私の補佐官になりませんか?」
……補佐官? 俺の頭に浮かんできた感じと映姫の言っている言葉が合致しているとすれば、俺は映姫の裁判時における補佐、及び雑務をするという事である。
いや、別に雑務などの働くという事に文句があるわけではないのだが、少々そこには障害がある。
俺はすでに酒屋に就職しているのだ。最後の最後でやっとこさ漕ぎ着けた就職場所。化閃の酒屋。
つまりは、……正直この誘いは苦しいが、断らなければならない。やっと見つけ、軌道に乗り始めた仕事をいきなり放棄するという事は、俺の中では考えられない。
「補佐官と言うと……どういった仕事をするのですか?」
すると、映姫は俺が補佐官と言う仕事に興味を持ったと勘違いしたのか、眉を浮かせながら嬉々として話はじめる。
「はい、補佐官と言うのは、重要ではないと思われがちですが、非常に重要な仕事なのです。少なくとも貴方にとっては。常に裁判時の記録を取り、雑務をする。閻魔を補佐するという事は紛れも無く善の行動であり、貴方の罪も必ずや消える。そこまで多くはありませんが、給金も差し上げますし、休日も差し上げます。条件としては悪くは無いはず。いかがでしょうか?」
と、言ってくる。これにどうしても納得がいかないのは、間違ってはいない筈。何故閻魔の補佐をするという事が大きな罪を消しさるほどの大きな善に繋がるのか? 俺には分からないが、おそらく彼女の頭の中で複雑なシステムが構築されていると見るべきか。
俺は大きな罪の解消という事が、不明瞭な部分が多いため、理解しかねているが、一応これだけでは伝えておかなくてはならない。
「映姫様。申し訳ございませんが、補佐官に着くという話はお引き受けする事ができません……」
と、俺が言言うと、その言葉が映姫には予想外だったのか、木製特有の軽く渇いた音を出しながら、席を倒して俺に詰め寄って来る。
「な、何故ですか! これほど高効率に罪を解消できる方法など無いのに。貴方は地獄に行っても良いのですか!?」
と、いつもの映姫らしくない程の、焦りを出しながら大声で反論してくる。これは、まるでさとりの屋敷であった事件の時と同じように……。
俺は何とも嫌な予感がしながら、此方の言い分を述べていく。
「映姫様。私は旧地獄で働かせていただいております。当然、人間などが就職できるような環境ではありません。しかし、やっとの思いで。最後の最後で手にする事の出来た職場である化閃の酒屋。化閃さんはこんな私を雇って下さり、仕事のノウハウが分からなかった私に手取り足取りで教えて下さったのです。ソレなのにも拘らず、このような短い期間で転職をしてしまうのは裏切りに等しい事だと私は思っております。ですので、申し訳ございませんが、このお話しは引き受ける事ができません。……誠に申し訳ございません映姫様。どうかご理解のほどを宜しくお願いいたします。そして、不遜な態度を取ってしまい申し訳ございません」
と、俺は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。申し訳ございませんの羅列のようなものだが、申し訳ございませんしか今の状況から、口に出す事ができなかった。
何とも偉そうなことを言ってしまった俺だと自分に対して腹が立ってくるが、今の状況でソレを表情に出す事ができない。
俺は頭を下げ続けて、映姫の反応を待つ。
しばらく待つ。この空気がとてつもなく不味く、そして俺の不安感を煽るのには十分すぎるほどの状況であったため、ポタリポタリと汗が垂れ、視界が歪む。そして、一瞬ではあるがクラッと頭がズレ、身体のバランスが崩れる。
どうしてこんな時にバランスを崩すのだろうか? という疑問が出てこないうちに、本能的に身体が補正を図り、小さなテーブルに手を着かせる。
自分でもこの原因は分からぬうちに、身体を崩してしまったことへの焦燥感の方が先に出てくる。
謝罪している最中だというのにもかかわらず、身体のバランスを崩し、テーブルに手を着く事。これがどれだけ相手に失礼な行動に値するか。
考えたくもない。
が、ソレを考えようとした時に、また頭がクラリとしてくる。
身体がこの空気、緊張感、焦燥感などに耐えられなくて異常をきたし始めたか? という考えが浮かんでくる。
なんだってこんな時に! と、思った瞬間に映姫から声が掛かる。
「ふふ、もう良いですよ。貴方の真剣さは私に伝わりましたから。十分に。……ですから、もう楽にしていいです」
と、俺の体調を気遣ってくれるような口調で言ってくる。
それに俺は疑問を持つ余裕も無いまま、重力に身体を任せるように椅子に腰を下ろす。
そして、項垂れるような姿勢で座った俺が、顔を上げると、映姫の顔は今までで一番綺麗な笑顔だった。
……また頭がクラクラしてくる。本当にクラクラクラクラしてくる。
それは経時的に酷くなっているようで、もう自分の頭がまともに機能していないような気もしてくる。
そして、このクラクラとした感覚。同時に瞼が重たくなるような感覚。これは非常に眠気が強い時に起きる現象……。
「耕也……やはり私は貴方を手元に置きたい。でもそれは叶わない願いでしょう。貴方は酒屋で働くという事を強く望んでいる。……ならばどうするか」
と言って、映姫はあの重厚な鉄製の扉に向かう。鍵を閉めに行くのだ。いや、閂をしに行くといった方が正しいか。
映姫は長い鉄製の閂を持ってくると、扉の差し込み部に差し込み、閂を捻じ曲げる。
「……これで良いですね」
俺は力が入らない身体に鞭を入れ、無理矢理立ち上がる。そして、数歩進む。
「……待って…………」
そこまでであった。何故かよく分からないこの強烈な眠気は、俺の身体から自由を奪うには十分な威力を持っており、立つ事が不可能なまでに俺の身体を蝕んでおり、そのまま倒れる。
が、倒れかかる身体を抱きとめたのは、映姫であった。
そして、最後に聞こえたのは
「耕也……貴方の大きな罪は、閻魔であるこの私をこのような気持ちにさせ、行動を取らせた事ですよ……?」
完全に寝てしまったか……。
私は抱きかかえる腕と、胸の中で眠る耕也の寝顔と呼吸を確かめてそう思う。そして、彼の領域とやらの作用で力が抜ける事も実感し。
彼を此処まで手元に置きたいという思考、気持ちになってしまうのか。彼の普段の行動が一番の原因であろう。
余りにも自然な感じで接してくる耕也。今回は真面目な話であったばかりに、敬語を使われてしまっていたが。
まるで彼は蝋燭の光であり、私は蛾。そんな印象すら抱く。だが、彼に感謝しているのには変わらない。日々の愚痴を聞いてもらい、そしてすとれすの解消にも協力してくれる。
そして、彼には申し訳ない事をしてしまった。本来なら長い年月を掛ければ、罪はある程度解消されるというのに。私は嘘をついてしまったのだ。閻魔失格である。
だが、どれもこれも耕也が悪いのだ。私の要望を断るという事が分かっていたから。
「閻魔様も、結構えげつない事をするのですね……?」
と、後ろから声が掛かる。もちろんこの口調、声、突発的な出現は八雲紫しかあり得ない。
「貴方がたは私よりもさらにえげつないでしょう……。 それで……本当に良いのですか?」
と、私が過去の事を思いながら尋ねると、紫は分かっていたかのように間髪入れずに答える。
「ええ、……彼を繋ぎ止めておくのは多人数であればある程望ましい。愛と肉欲の無間地獄に溺れさせ、決して、絶対に抜けさせないようにするのが最も効率的なのです。もちろん、本妻は幽香。私達は妾。それに変わりはありません」
と、紫は意味のわからない言葉を言ってくる。…………繋ぎとめる?
「繋ぎとめるとは……どういう事ですか?」
耕也がずり落ちないようにしっかり腕と胸で支え直しながら尋ねる。
紫は「ふふふっ」と胡散臭く静かに笑いながら、口を開く。
「これは、私の長らく考えた結果の一つ。最も可能性の高い答えの一つ。……閻魔様。いいえ、映姫にも話すわ。彼と身体を重ねた後に……ね?」
と、私がそれに返答するのを待たずして、スキマを閉じてしまう。
「全く……少しは人の話を聞くという事ができないのかしら?」
と、一人呟きながら、耕也を抱きかかえて寝床に運ぶ。
私は、寝ている人間を襲うという事自体が、とんでもなくはしたない事だと分かってはいるのだが、どうしてもこの身体の疼きを止める事ができない。
耕也が悪い。全部耕也が悪い。
そして私は
耕也に全ての肉欲を、溜まりに溜まった欲望をぶつけた。