食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ)   作:ヨマザル

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プリモ・ピアット(主菜)

「ふぅ……ついに完成ねッ」

 ヴェルジーナは、完成したテラス席をすっかり満足して見回した。

 

 席の周囲には白い玉砂利が敷き詰められ、置かれたテーブルとイスはそれと対をなすように真っ黒に塗られている。どちらも、昨日タクミと涼子が一生懸命に塗ったものだ。そして玉砂利の先には芝生が青々と広がっている。

 テーブルの上には、赤い椿の花を浮かべた盆が置かれている。

 他に、ヴェルジーナが調達してきた季節の草花がシェードの縁に飾り付けられていた。そして席の周囲からハーブの香りが軽く漂ってくる。

 テラス席の上には薄茶色のシェードがはためいていた。

 座席に座ると、日本の秋の山河を写し取ったような日本庭園が広がっているのがよく見えた。

 

 気持ち良い風が吹き、作業を終えた4人の間を抜けていった。

 4人はテラス席の出来栄えに、すっかり満足していた。

 

「ベネ。さっそく明日からはこの席も使って、営業を始めまショウ」

 トニオは満足げに言った。すぐにでも働きたいという感じで手をこすり合わせている。

「明日からは今よりモットモット忙しくなりマスね……タクミ君、涼子さん、頑張りましょうッ」

 

「ハイっ!」

 

「それと、もう一つ……次の課題について確認させてくだサイ」

 元気よく答えたタクミと涼子の二人に、トニオは三本目の指を上げてみせた。立てた指は、スタジェール期間中に二人に託された仕事の数だ。

 一本目の指は、ちょうど今終えたばかりのテラス席の設営。二本目は、日々の仕込みや調理補助。そして三本目は、弁当作りであった。

 

「そろそろ、お弁当作りを考えてもらわないといけませんネ」

 何かアイディアは出てきましたカ? トニオがたずねた。

 

「えぇ……一生懸命頑張っています……けれど……」

 涼子は顔を曇らせていた。

 

 タクミの顔も暗くなっていた。

「実はメニューを決めるのに苦戦しています。ずっと考えてはいるのですが……イタリアンにはお弁当の文化は無いですからね。お弁当にできるような、時間がたって冷たくなってもオイシイものをどうやって作ろうか……と悩んでいます」

 

「ナルホド……大変な問題です。考え抜かなければなりませんね」

 トニオは大真面目にうなずいた。

 

「原価は、少し奮発してもいいからね──、1食500円くらいまでなら大丈夫よ」

 家計をあずかるヴェルジーナが言った。

「お祭りなのだもの、儲けの方は度外視しても奮発しないとねっ」

 

「そうですか……ありがとうございます」

 タクミは頭を下げた。

 だが、その顔はこわばったままだ。単価を上げることは、プライドが許さなかった。もちろん一食500円も使えたら、高級な弁当を作ることができる。目安として原価の三倍を売値と考えれば、大体1500円位の高級弁当を仕立てることができるはずだ。

 しかし一方、今回の弁当は一食900円で売ることが決まっている。

 もうけを度外視して本来1500円の弁当を900円で売れば、売れるに決まっている。だがそれはタクミ達が目指すべき弁当ではないのだ。

 

「二人には期待していますよ」

 トニオがニコニコと言った……だがその眼は、まったく笑っていない。

「……あと三日で『必ず』何か見せてくださいネ」

 

「まかせてください」

 タクミと涼子は真剣な声で返答した。

 

 

◆◆

 

 その夜。

 1日の営業を終えたトラサルディ―の調理場で、タクミと涼子はさっそく弁当の試作を始めた。

 

「さてと……では、まず『にじむら』のお弁当を試食してみましょ」

 涼子が提案した。

 二人の前には、さきほど億泰が届けてくれた『にじむら』の弁当があった。

 

「そうだね。僕らの作る弁当は『にじむら』に置いて販売するのだから、まずは比較される対象を知らないとな」

 タクミは目の前の弁当を一つとった。

 牛丼だ。だが、ただの牛丼ではない、S市名物の牛タンが中心配置され、さらに黄色い錦糸卵、赤い漬物が添えられた。目にも鮮やかな豪華な牛丼であった。

 

「あらオイシソウね。こっちはどうかしら」

 涼子がもう一つの弁当のふたを開ける。それはオーソドックスな幕の内弁当であった。俵型に盛られた白米の隣に、色々な色の小さなおかずがギュウギュウに詰められている。

 

「よし、いただきますッ」

 二人はにじむらの弁当に箸をつけた。一口、口に入れ、ゆっくりと味わう。すぐにそのレベルの高さに気が付き、思わず顔を見合わせた。

 

「美味しいわねッ」

「ああぁ、これはイイ……っ、細かなところまで、丁寧な仕事がされているな」

「しっかりした、和風のお弁当ね。飽きのこない、いいお味だわ」

 

 一口、一口味わいながら、涼子が言った。

「ホントにオイシイ……でも、面白い名前のお弁当よね……『ジューシー牛丼 そして笑いが込み上げる』…………『幕の内弁当 笑う門には福来たる』……ですものねぇ」

 

「……きっと、店主の趣味なんだろうな」

 タクミはため息をついた。

 

「そうでしょうね……でも、こんなレベルが高い日本の定番の味を食べに来る人に、わたし達はイタリアンのお弁当を出すのね……」

 大丈夫かしら……涼子はぶるっと震えた。

 

「しかも『トラサルディーの味』を再現しなくてはならないんだからな」

 むぅ……と、タクミが腕を組んだ。

 

「…………とにかく、まず思いついたものを作ってみましょ。イタリアンなのだから赤や白、緑で華やかに仕上げて、にじむらの弁当との違いを作ってみたらどうかしら?…… まず、プチトマトのカプレーゼは使えるわよね? それに……」

 涼子は腕を動かし始めた。

 

 きっと正解だ。あれこれ考えるより手を動かしたほうが、答えが見つかることも多いのだ。

 隣でタクミも動き出す。

 

(日本のお弁当に入っているものをイタリアンに置き換えてみるか……)

 卵焼きのかわりにイタリアンのオムレツ、フリッタータ。揚げ物のかわりに、フリッター。

 そして各種チーズ、牛タンを茹でたもの(レッソ)……

 タクミもあまり考えずに、幕の内弁当に詰められた多くのおかずを、思いついたイタリアンのモノに置き換えていく。

 

 そして一時間後、一応イタリアン弁当と言えそうなものが何箱か二人の前に並んでいた。

 

 

◆◆

 

 早速試食してみる。

 

「……フム、中々美味しいじゃない」

 涼子が安心したように言った。

「それに彩りもきれいだわ」

 

「ああ、思ったより上手く行ったな」

 タクミも声を弾ませた。

「ちゃんと味のバランスもいい、色々入っているから食べあきないな」

 

「でも、ねぇ……」

 涼子は腕を組んだ。

 

 タクミは、うつむいた。

「あぁ……」

 

 二人は顔を見合わせ、ため息をついた。

 確かに美味しい。だが一言でいえば『足りない』のだ。この弁当たちがトラサルディーの名前で売り出せるレベルかと言えば、それはノーだ。

 

「そう言えば秋の選抜のときに、ソーマ君とアリスちゃんもお弁当で対決していたわよね……」

 涼子がボソッと同級生の名前を出した。

「あのとき、アリスちゃんは手毬寿司をつくったっけ、そしてソーマ君はのり弁だったわね……」

 

「ああ、そうだったな」

 タクミは半分目をつぶって天をにらんだ。あのとき奴(ソーマ)は見事な発想で暖かな弁当を作って見せた。だが……

「奴と同じ手は使えない。それに、あんな立派な弁当箱を仕入れたら大赤字だ」

 

「……そうよねぇ」

 涼子は、ため息をついて試作品の山を眺めた。

 

「弁当は色々な食べ方ができるからな……それが難しい」

 タクミは頭をかいた。

「すぐに食べる人がいれば、電子レンジで温めて食べる人もいる……人によっては家に持って帰って、一晩冷蔵庫に入れておいた後で食べる人もいるだろうな。でも、どんな食べ方であれ、おいしく食べてもらわなくてはならないんだ」

 

「……お寿司風イタリアンとか、のり弁風イタリアンとか、ダメかな」

 

「悪くないさ……でも、奇をてらったものはトラサルディ―のお弁当としてふさわしくないような気がするんだ」

 

「……そうよねぇ……」

 涼子は、もう一度ため息をついた。

 

 

◆◆

 

 翌日、ついにテラス席がオープンした。

 これで客席が4卓増え、トラサルディ―の席は合計で7卓となった。席の数が一気に二倍以上になったのだから、当然その日は猛烈な忙しさとなった。

 

 客が二倍に増えても、トニオは変わらなかった。相変わらず訪れた客の一人一人に直接対面し、丁寧に挨拶をする。そして彼らを良く『観』て一人一人に最適なコース料理を見定め、調理をしていく。

 提供する料理こそ定番中の定番、と言ったものばかりだが、すべての料理が極上の味であり、しかも即興で組み立てられている。それは、まさに驚異的な仕事ぶりであった。

 

 しかしトニオの仕事が驚異的でも、この来客数ではとても一人では対応しきれなかった。タクミ、涼子、そしてヴェルジーナは、客が爆発的に増えたレストラン『トラサルディ―』を支えるために必死に働いた。

 

 当初、タクミにはトニオの料理を支えるための下ごしらえと、前菜の盛り付けを一人で切り回すことが命じられていた。

 だが店はどんどん忙しくなっていく。

 徐々にタクミはオーダーのペースに対応できなくなり、ついには手が遅れ始め、トニオの要求レベルに合わせて時間通りの仕事こなす事が難しくなってしまった。そしてついに、パンクしたのだ。

 

 そこで、これまで接客を担当していた涼子も急きょ調理に入ることになった。

 

 と、言っても、涼子がイタリアンのプロ料理人であるタクミの代わりを完全に務めることは出来ない。彼女は、これまでどおり食前酒の提供、そして野菜の下ごしらえと洗い物を担当することとなった。

 

 そして涼子に代わって、ヴェルジーナが新たなテラス席も含めた全体の接客担当を引き受けていた。

 

 つぶれかかっていたタクミは、涼子に仕事に一部を任せる事が出来たためようやく人心地付くことが出来た。タクミは、出来た余裕で前菜とサラダの盛り付けと、肉料理の下ごしらえ、そして……パスタを茹で上げることを託された。

 

「タクミ、羊のもも肉をッ!」

 厨房でトニオが叫ぶ。

 叫びながらもトニオの手は止まらない。

 その手はチャッチャと動き、イカをさっとおろしていく。一切の無駄が無い芸術のような手際だ。

 

「ハイっ!」

 タクミは大急ぎで、だが細心の注意を払って、羊のもも肉をカットしていく。

 

 その横でトニオはあっという間にイカを3パイさばき終えていた。

 そして、そのイカの入ったボールに、水でさらしたタマネギや、レタス、トマトの薄切り、そしてトニオ特製のドレッシングをあえていく。

 そのボールをタクミの前に置く。

「もも肉の下処理が終わったら、6皿、この皿のモノを盛り付けてくだサイッ」

 

「わかりましたッ」

 そう言いながら、タクミはようやく下処理を終えた羊のもも肉をトレーに乗せ、差し出した。

 

 トニオは、その皿をチラリとみてうなずく。

「ベネッ! その盛り付けが終わったら、次に……」

 タクミに向かってヤギツバヤに指示を出すと、今度は涼子に向かった。

 

「涼子ッ、テラス席にいらしたお客様お二人に……サマー・デ・ライトをお出ししてくださいッ!」

 

「はいっ?」

 サマー・デ・ライトとは、ライム、グレナデン・シロップ、砂糖と炭酸水を混ぜたすっきりしたノン・アルコールカクテルのことだ。

 

 ノンアルコール? と、首をかしげる涼子に、トニオは片目をつぶって見せた。

 

 

◆◆

 

 テラス席の端のカップル席で、二人の若者がひそひそと話をしていた。

《ちょっ……ちょっとぉ……大丈夫なの》

「何を心配しているんだ?」

《なにを心配しているってぇ……そりゃあアンタ『天下のお回りもの』お金に決まっているっての……アンタ、ちゃんと持ち合わせあるんでしょーねェ? 自慢じゃあないけれどワタシ今月キビチィーのよ……アニキが出張中だから『小遣い』もらえねぇーしィ》

 

 ショートカットの健康的な美女が、センの細いメガネをかけた若者に話しかけていた。若者はフン……と鼻を鳴らした。

「ハン……そんなことか、大丈夫だ。ちゃんとトニオさんの店のコストは把握しているし、必要な金は準備している……けれど、お前こそ大丈夫なのか? 年下の……しかも一人暮らしの僕にそんなに頼りきりで」

 

「バッ、ウッサいわねッ! だいたい誘ってきたのはアンタのほうからだっての……この、メガネこぞ──ッ。アンタがトニオさんのところでご飯が食べたいってゴネルから、付き合ってあげてんでしょ──がッッ」

「ハッ……タダメシが食えるからって、ホイホイ誘いに乗っかってきたくせに……この、グラサンが……だいたい店の中でもグラサンを頭にかけっぱなしなのは、ちょっとバカっぽいぞ」

「なっ、ウッサいわねぇ──この、ムッツリメガネ」

「憎まれ口が陳腐だな、グラサン……」

 

「お待たせしました……これは『お店から』のサービスよ」

 ヴェルジーナはテラス席の隅に座るかわいらしいカップルに向かって、涼子から受け取ったサマー・デ・ライトを差し出した。

 

「ひぇぇっ、すみません。悪いっすねぇ……」

「ああ……ヴェルジーナさん、お久しぶりです」

 つい先ほどまでメガネ呼ばわりされた少年が、そそくさとノン・アルコール・カクテルに手を伸ばした少女の手を軽くはたいた。そして自分はすっと立ち上がって頭を下げる。

 何、急に態度を変えてるのよ……と不満げな連れの女子高生もペコリとヴェルジーナに頭を下げた。

 

「『OOO ちゃん』も久しぶりね……」

 ヴェルジーナは微笑んだ。

 ショートカットの頭にサングラスをひっかけたその女性は、ヴェルジーナとトニオの知り合いだった。二人の共通の友人の妹なのだ。年は確か涼子とタクミの一学年上だ。

 

「いえ……ところで、ニーノくんとルチアちゃんの二人は、元気ですか? ……確か中学生でしたよね……いやぁ……ギリギリ、メガネの後輩になっちまってアンラッキーでしたねぇ……?」

「オイ……なんだそりゃあ?」

 

 再びギャーギャーとけんかを始めた二人に、ヴェルジーナは苦笑した。

「フフフ……XXXXX 君も、OOO ちゃんも、元気そうね……」

 

 

◆◆

 

 昼の営業が終わり、再び仕込みと掃除を終えると、休む暇もなく夜の営業が始まった。

 夜もまた大忙しであったが、その日は普段と違い、数時間営業しただけであっという間に店じまいとなった。

 

「どうしたんですか? もうお店を閉めてしまうなんて……」

 タクミの質問に、トニオとヴェルジーナは首をすくめた。

 

「あぁ、説明していませんでしたね……お店はまだ閉めませんよ……でも今日はこれから貸切のお客様を迎えますからね」

 

「貸切……結婚式の二次会か何かですか?」

 何の準備もしていないのに……青くなったタクミと涼子を見て、ヴェルジーナはクスっと笑った。

 

「フフフ、大丈夫よ……これから来るお客様は、トクベツなの」

「トクベツですか」

「そうよ。楽しみだわぁ〰〰。まぁタクミ君と涼子ちゃんは驚くでしょうね」

「どういうことですか?」

「それは、来てからのお楽しみよ♡」

 

 その時、トニオの店に近づいてくる車の影が見えた。黒塗りのリムジンだ。

 リムジンが車輪を鳴らしてトニオの店の止まると、バタンとトビラが開き、二人の筋骨隆々、屈強な大男が車から降りてきた。

 

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

 近づいてくる人が誰だか気づき、タクミと涼子は真っ青になった。

「嘘……だろ」

「あの人たちが、どうして……」

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 

 見間違えるわけもない、やってきたのは二人が良く知る遠月学園の超重要人物だった。

 一人目のパリッとスーツを着こなした精悍な人物は、遠月学園のOBであり歴代最高得点で卒業した男だ。そして今は、遠月グループのリゾート部門 料理長兼、執行取締役を務めている、堂島銀。

 そしてもう一人の、威圧的なオーラを放つ和装のマッチョな老人は、遠月学園総帥であり、食の魔王と称される、薙切仙左衛門その人であった。

 

「フハハハハ……トニオ・トラサルディーどの……久しいな」

 仙左衛門はトラサルディ―の扉を開けると、トニオに向かって片手を差し出した。

 

「おぉ──、ナギリさん……お久しぶりです」

 トニオが仙左衛門の差し出した手を握った。

 

「フンッッ」

 仙左衛門の上腕二頭筋がピクピクと動き、手の筋肉が膨れ上がる。

 握手の手に猛烈な力を込めているのだ。老人とはいえ、まるでプロレスラーのような強靭な体つきの仙左衛門が、その膂力を振り絞って手を握り締める……

 

 しかしトニオもさるもの、苦痛を感じている様子はなく、握手に応じている。

 その額に汗は浮かび、腕の筋肉も一回り太く膨れているようだ。だが涼しい顔のままだ。

 

 二人の手がピクピクと震え……

 次の瞬間……二人は手を離し、大声を上げて笑い合った。

 

「やるのぉ、トニオ殿」

 仙左衛門が嬉しげにバンバンとトニオの背中を叩く。

 まるで密に詰まった太鼓を思いっきりたたいているような大きな音が、店中に響き渡る。

 

「いや、仙左衛門どの……あいかわらず手加減が無いですネ」

 トニオは苦笑した。

「仙左衛門どのの握力、ものすごかったです……料理人の命の手がつぶれてしまうかと思いました。あぶなかったですよ……」

 

「何を言うか、貴様、余裕たっぷりであったろうが……」

 仙左衛門は楽しげに笑う。

「一週間も前から、おぬしの食事を楽しみにしておった……堪能させてもらうぞ」

 

 仙左衛門に続いて店内に入ってきた堂島銀も、トニオに向かって懐かしげに笑いかけた。

「久しぶりだな……ウチの学生を引き受けてくれたこと、礼を言う」

 唖然としているタクミと涼子を軽く睨み付け、にやりと笑う。

「うちの生徒がお前に迷惑をかけてないとイイのだが」

 

「いやタクミ君も、涼子ちゃんも、スバラシイです……ギン、君は本当にいい料理人を連れてきてくれたよ」

 トニオの称賛に二人は顔を赤くした。

 

「こんな遠くまで、ワザワザ来てくれてありがとウ」

「なぁにトニオ……お前の料理を食べるためなら、どこにだって顔を出すさ」

「ハハハ……それは嬉しいですね。でも、今度は君がごちそうしてくださいね」

「心得た」

 

 トニオと堂島銀は、戦友のようにガツンと拳を突き合せた。

 

「タクミ、涼子……厨房に戻りますヨ。薙切仙左衛門様と堂島銀さまにコース料理を振舞わなくては」

 

「ハイっ」

 タクミと涼子の二人はトニオを追って厨房に向かった。

 

 その時、堂島銀と薙切仙左衛門の二人はヴェルジーナの案内でテーブルに着いていた。そして長旅でこわばった体をほぐすために、これ見よがしに体を伸ばし、ポージングを決め始める。

「タクミ・アルディーニ……榊 涼子、君たちがこのスタジェールで何を身に着けたのか、合わせて審査させてもらうぞ」

 厨房へと消えていくタクミと涼子の背中にむかって、堂島銀が重々しくいった。

 

 

◆◆

 

 テーブルに向き合ったまま、堂島銀と薙切仙左衛門は一言も口を利かず、押し黙っていた。

 ただ黙って目をつぶり、先ほど完食したアンティパスト:五色のパテのクロステイーニの味わいに集中している。

 

 クロスティー二とは、カリカリに焼いたパンの上に、パテを盛り付けた前菜だ。

 トニオとタクミは、一つ一つのパンを小さく切り、特製の香りを付けたオリーブオイルに浸し、それぞれに色が違う5つのパテ……黒(レバーとチョコレート)、白(チーズとマッシュルーム)、緑(アンティチョークとオリーブ)、赤(乾燥トマトとニンジン)そして、黄(オレンジとオリーブ)……を盛り付けたものを作り上げ、二人に提供していた。

 それは前菜とはいえ、とても手が込んだ、まさに珠玉の一品であった。

 事実、その前菜を食べた堂島銀と薙切仙左衛門は思わず体を震わせ、上半身の上着がはちきれんばかりに筋肉を盛り上げ……二人して派手なボージングを決めたほどだ。

 

 だがトニオは、どうしてこれほどまでに手の込んだ前菜をだした次の皿に、このシンプルな品を選んだのだ……

 

 皿を運ぶ涼子の手が震える。

 コトリ……

 涼子はカラカラに乾いた口を湿らすために、生唾を何度も飲み込んだ。そして、震え声を抑えるためにギュッと手を握り、意を決して口を開いた。

「お持ちしました……プリモ・ピアット……です」

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 

 その皿を見た二人は、驚きのあまり目を見開いた。

「ほっ……」

「これは、意外だな……だが、自信の表れ……といったとこかな」

 

 無理もない、二人の前に置かれた皿は……何の変哲もない、ただのペペロンチーノだったのだッ! 

 

 ペペロンチーノ、それはイタリア料理の基本中の基本だ。それは、ただパスタに唐辛子、ニンニク、オリーブオイルをあえただけの、シンプルを極めたパスタなのだ。

 

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

「いただこうッ!」

 

 クルクルクルッ

 

 堂島銀と薙切仙左衛門はフォークを回してパスタを巻き取り、それを口の中へ放り込んだ。

 すると……

 

 バシュッッ

 

「うぉおおおおおお────ッ!!」

 

 ペペロンチーノを口にした二人の体が、心なしか膨れ上がる。

 もう一口、もう一口と、パスタを巻く時間さえももどかしそうに、ペペロンチーノを食べ続けるッ! 

 一口、一口ごとにその体がパンプアップしていき、今や二人のボディはハリハリに膨れ上がっているッ! 

 

「これは……ウマいッ! このパスタの完璧な茹で加減、塩加減……そして、この薫り高きオリーブオイル……そして、ニンニクの香りと、赤唐辛子の辛みッ!! これは、最高だッ」

 堂島銀はさすがトニオ……と大きくうなずく。

 

「ウム……」

 薙切仙左衛門が満足げにフォークを置く。

「我を忘れて食べきってしまったわ…………鼻に抜けるさわやかなオリーブオイルの香りが、パスタを口に近づけただけで感じられるのはスバラシイな……そして、口に入れると、そのオリーブオイルの香りとニンニクの香りが混然一体となって口の中を襲いよる……」

 

 フンッ! 

 

 仙左衛門は上半身の服をはだけ、グイッと力強いポージングを決めた。

 

「そして、この完璧な弾力のパスタをかみ切るときの触感……次に続くパスタの小麦粉の味、塩味……それにトウガラシの辛みッ」

 堂島銀もフォークを置いた。皿は空っぽだ。

「何も奇をてらったことはしていない……至極まっとうな……《普通の》ペペロンチーノだ……だが、このパスタは俺がこれまでに口にしたパスタの中でも一二を争う旨さだ……」

 

「フフフ……堪能してもらえましたカ」

 いつの間にか現れたトニオが、二人に話しかけた。

 

「いや感服した……さすがじゃ」

 

「濃厚なブルケッタのあとに、このシンプルなパスタを持ってくるとは……やるな。これで、次のセカンド・ピアットに向けて舌をリセットすることも出来るってわけだ」

 堂島銀が言った。

「お前の狙いは、食べているうちにわかった……なぁ、このオリーブオイルとパスタは、どこで手に入れたんだ? ……できればトオツキリゾートでも同じものを手に入れて使ってみたい」

 

「本当は秘密なのですが、ギンの頼みならば少しは融通できますよ……」

 トニオはニコニコして言った。

「どのオリーブオイルが知りたいですカ? 私は20種類のオリーブオイルを使っています……ペペロンチーノ用のオリーブオイルは、フルーティなチリ産、トスカーナ産、それからグリーン(草や葉のようなさわやかなカオリ)な日本産のオリーブオイルを4種類、ブレンドした物なのですが……その中でメインに使っているトスカーナ産の仕入れ先を、教えましょうか」

 

「ああ悪いな。ブレンドについては俺も考えがあるからな」

 

「それからパスタの方も粉から特注です……麦は、栃木県産のユメカオリと、カナダ産の品種を、知り合いの農家から直接分けてもらっています……製粉は懇意にしている腕のいい粉屋さんでやってもらっていますが、その粉を私が乾麺に仕立てて使っています……」

 パスタの方は、ちょっと教えられませんね。トニオは首を振った。

 

「ああ、スマナイ……そちらは、超企業秘密だろう? 聞かないさ」

 堂島銀は頭をかいた。

「あまりの旨さに我を忘れてつい聞いてしまったが……悪かったな」

 

「ハハハハ、構わないさ。ギンが私のやり方をそのまま使うことは無いってことは、知っているから」

 トニオが肩をすくめた。

「ところで『杜王町のクロアワビ』がギンのところに回ってきませんか……ワタシには手に入れられないのデス……もし手に入るのならば少しワタシのところにも回してくれませんか」

 

「ああ、『杜王町のクロアワビ』か……たまにまわってくるが……」

 堂島銀は首をすくめた。

「だがあれは、玉数が少ないから安定しては手に入らん……そっちに回せるとしても、月に二個……と言ったところが精いっぱいだが? それでいいのか」

 

「……1か月に一つで、十分です。クロアワビを私のところに回してもらえませんか?」

 もちろん正当な代価を払います。

 トニオの依頼に、堂島銀はしっかりとうなずいた。

「モチロンだ……協力しよう」

 

「……それは良かった」

 トニオはニコニコした。

「では、私はセカンド・ピアットの仕上げに入ります……楽しんでくださいね」

 

 

◆◆

 

 トニオはその後、次々に二人に皿を出していった。

 最終的に二人に出した本日のコースは、以下であった。

 

 メイン(セカンド・ピアット)として、仔牛すね肉のミラノ風煮込み(オッソ・ブーコ)

 付け合せの野菜(コントルノ)として、白タンポポのサラダ

 トニオ特製のチーズ

 デザート(ドルチェ)として、イタリア風プリン(パンナ・コッタ)

 

 二人の体は皿を食べ進むごとに膨れ上がり、最後にエスプレッソを手にしたころには、完全にパンプアップした鍛え抜かれた肉体が、二人の上着のボタンをほとんどはちきれさせていた。食べ終わった二人は、雄たけびを上げながら、エスプレッソを口に運んだ。

「ぬぉおおおお──」

 ジジイと中年のおっさんが、叫ぶ。

 

 二人の脳裏に浮かぶイメージは……

 

────────────────

 

────────

 

────

 宇宙(そら)を舞う二人の周囲を、星が瞬いている。

 太陽、地球、月……慣れ親しんだ星々の中、蒼い宇宙(そら)を二人は駆けていく。

「フォオオオオ────ッ! 見えるッ見えるぞッ!! 刻が……ワシにもッ」

 薙切仙左衛門は黄色いポンチョ風の服を波打たたせながら、ささやいた。

 

「ああぁ……俺にも見える…………」

 ピチピチのツナギに白いヘルメットをかぶった堂島銀がつぶやく。まるで、宇宙服をまとっているような格好だ。

 

 二人の間を、星が駆け抜けていく……

 

 そこに突然登場する、赤い奴……

 黄金色に輝き、背中からは、炎で出来ているかのように翼をはためかせている……そう、それは……トニオだ。

 天使……トニオの周囲には、プチトマトに顔が付き手足が生えたような食の妖精たちが舞い踊っている。トニオは二人の目の前で翼をはばたかせながら回流した。そして、二人に向かって手を伸ばす……

 

 その手を、二人がつかむ……

 

────

 

────────

 

────────────────

 

 幻影は去った。

 この場には再び、仙座衛門、堂島、そしてトニオがいた。

「私の料理を食べて、その程度とは……お二人とも《肉体のメンテナンス》は完璧なのですね、感服しましタ」

 トニオがペコリと頭を下げた。

 

「ふぅ……」

 薙切仙左衛門は、すかさず上半身をはだけ、満足げに二度目のポージングを取った。

「さすがじゃ……堪能させてもらったぞ」

 

「恐れ入ります」

 

 薙切仙左衛門と堂島銀はトニオの料理をすっかり堪能し、帰宅の途に就いた。

 その帰り間際に、堂島銀はタクミと涼子に一言だけ声をかけた。

「どうだ……トニオの店は、厳しいだろう?」

 

「ええ」

「あの……堂島シェフは、トニオ殿をご存じだったのですね」

 勇気を出して涼子が訊ねた。

 

「ああ……」

 堂島銀が、ふっと懐かしげな顔になった。

「俺がまだ遠月の学生だった頃にな……」

 

「あのころは、ワタシも若かったですからね」

 トニオも、会話に加わった。

「今思い返しても、ムチャでしたかね」

 

「ウム……突然学園に訪れて我らに果たし状を突きつけた男は、今も昔もトニオ殿1人よ」

 薙切仙左衛門が懐かしそうに言った。

「よく無事に帰れたものよ」

 

「トニオが殴りこんできた後、俺と城一郎と、さんざん食戟をやったな……あれは、楽しかった。そして、あれからいろいろあったな……お互いに……」

 堂島銀は、ホッと切なげにため息をついた。

 

「ええ、色々ありましタ。でも楽しかったですね……どころでジョーは元気ですカ?」

 

「いや、アイツは…………ゆくえも知れん。元気だと思うが、今頃はいったいどこをフラフラしているのやら……」

 堂島銀が嘆いた。


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