食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ)   作:ヨマザル

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アベリティーヴォ(食前酒)

(……ズイブン気難しそうなお客様ね……)

 涼子は緊張しながら、岸辺露伴とその連れの編集者を予約席に案内した。

 

 露伴達が着席すると、すかさずヴェルジーナが席にやって来た。露伴にペコリと頭を下げて手にした花を差し出した。

「……露伴さん…………主人から話を聞きました…………あの……あ」

 

 露伴は少し慌てて、ヴェルジーナが言いかけた言葉をさえぎった。

「止めてくれヴェルジーナさんッ……ボクはえーーと……ただ面白そうだったから、取材のネタになるかと思ったからトニオさんに付き合っただけさ。悪いけれど『あの時』は君のことなんかこれっぽっちも考えてなかった」

 

『あの時』とは、露伴とトニオが命をかけて『神々の食材』である黒アワビを採った時のことだ。地元の漁師が厳重に管理し、うかつに訪れたものには『死』の罠が待ち構えている黒アワビの漁場。そこに露伴とトニオが命を懸けて忍び込み、黒アワビを『密漁』したことがあったのだ。

 

「…………」

 ヴェルジーナが困った顔をした。

「でも、確かにあなたは私を助けてくれました……」

 

 昔、ヴェルジーナは不治の病におかされていた。

 トニオのスタンド:パールジャムは『料理を食べると、食べた人の体を健康にする』能力を持っている。そのパールジャムの能力が及ばないほどヴェルジーナの病は酷いものであった。脳に、グレープフルーツ大の悪性腫瘍ができていたのだ。

 

 もし露伴とトニオが、命を懸けて『神々の食材』を手にいれてくれなければ……もしトニオが『神々の食材』を使って最高の料理を作ることに成功していなければ、彼女は確実に死んでいた。

 

 だが、露伴はかたくなに礼を受けることを拒否している。

 続く言葉に困り、露伴とヴェルジーナは黙りこんでしまった。

 

 沈黙をやぶるように、女編集者 ──予約帳には、泉京花とかかれている── が場違いな事を口に出した。

「あらあら、穏やかじゃないですね…………先生がここのレストランのオーナーシェフの奥さまとお知り合いだなんてね…………ウフッ、どういうことなんですか? …………『逆取材』しちゃっても、いいですかぁ」

 泉はパチっとウィンクした。

 

 露伴は閉口して泉をたしなめた。

「オイオイ、泉君はちょっと黙っていてくれたまえ。君が絡むと話が面倒になる……それに、これは君には関係のない話なんだッ」

 

 泉がぷうっとふくれた。

「ちょっとぉ……そんな事悲しいこと言わないでくださいぃ、ひっどいわぁ…………これは『秘密のベールに包まれた人気漫画家のプライベート』にせまるチャンスですッ、編集者としてはのがせないですぅッ」

 

「『ですぅッ』……じゃあないッ! 勘弁してくれよ…………」

 露伴は参った……とばかりに天をあおいだ。

 少し離れたところからその様子をうかがっていた涼子と、露伴の目が合う。

「……そこの色っぽい君ッ、客が困っているんだぞ…………助け船のひとつも出したらどうだ、全く」

 岸辺露伴はヤレヤレとふんぞり返って、クイクイと手を動かし、涼子を呼び寄せた。

 

 まさか自分に矛先が向くとは…………涼子は少し慌てて、露伴と編集者の前にたった。

「……なにかご用ですか?」

 

「オイオイ、勘弁してくれよ……君は『何をするにも誰かに指示をもらわなきゃあならないタイプ』なのかね?」

 

「 …………」

(…………なんだこの人、サイテーだ)

 腹をたてながらも、涼子は笑みを絶やさず厄介な客に話しかける。

「お客様、ではアベリティーヴォ(食前酒)をお持ちしましょうか……」

 

 泉が答えた。

「…………ウフフ…………では、私はピンクシャンパンを……」

 髪を掻き揚げ、気取って話す。その態度が少し鼻につく……

 

「申し訳ありません、お客様…………本日はベリーニをお出しせよと……トニオから申し使っておりますので……」

 涼子はペコリと頭を下げた。

 

「…………なによ、客のオーダーがきけないってぇの?」

 きぃっと泉が眉毛をしかめ、涼子を睨みつける。ぷくっと膨らませた頬が、わざとらしい。

 

「君ッ、さっき説明しただろ、ここはそう言う店なんだ……全く」

 露伴がヤレヤレというふうに、首を振る。

 

 泉は納得いかなそうであったが、不承不承黙り込んだ。

 

「フフフフ……」

 ヴェルジーナが微笑んだ。

「露伴さん、あなたが何と言おうと、私はあなたの事を、『命の恩人』だと思っています……あなたがいなければ、ワタシも、トニオも、いまこうして無事にここに立っていられなかったのですから……でも、それは私たちの一方的な気持ちなのデスね」

 

「いっ……イヤ……僕はただ、そういうのが、苦手なんだ」

 

「知っていますよ……ですから、私たちの『気持ち』は、これからトニオがお出しする『料理』だけに込めることにします」

 どうぞごゆっくり……楽しんでくださいね。

 そう言うと、ヴェルジーナは優雅に会釈をした。露伴から突き返された花束を水差しにいれフロアの入口に置く。そして、ゆっくりと席を離れていった。

 

「さて……じゃあ、そのトニオさんお勧めのアベリティーヴォをいただこうか」

 露伴が気を取り直して言った。

 

「では、お持ちします……お2つで良いですね」

 涼子はさっと厨房に戻り、グラスを2つ取り出した。

 

 まず涼子は材料をテーブルに並べた。そしてトニオから指示を受けていた通りに、慎重に、調合を始めていく。

 まずグラスに軽量カップに入れた赤いシロップを注ぐ。このシロップは、グレナデン・シロップと呼ばれる、ザクロのシロップだ。

 次にスパークリング・ワインを決められた分量に計りとり、そっとその上に注ぎ入れる。

 一旦落ち着かせて、一回し、カクテルをかき混ぜる(ステアする)。

 そしてあらかじめ冷蔵庫で冷やしていたピーチのピューレを、スプーンで2すくい、グラスに落とす。

 すると、あっという間にグラスの底に赤い色が溜まった、そして美しいカクテルが出来上がった。

 

「……いいですね」

 気がつくと、トニオが涼子の横に立っていた。

 トニオはグラスに鼻を寄せてカクテルの薫りを確認し、次に手のひらを上にかざして温度を確かめた。

 そして『合点が言った』というようにうなずく。

 取り出したローズマリーを両手の平でパンと打ち付け、薫りをたたせた。

 それをグラスの上に差し込む。

 もうひとつのカクテルには、ラベンダーの花を散らし、さらに何かよく分からないオレンジ色のリキュールを、数滴振りかける。

「……これでいいでしょう……涼子、ラベンダーの方を、あの編集者の方に、ローズマリーの方は露伴さんに、サーブしてください」

 

「……わかりました……」

 涼子はカクテルグラスを盆にのせ、露伴たちのもとへ戻った。

「ザクロとベリー……白桃のベリーニです」

 

「ベリーニ? カクテルかしら……綺麗ね」

 泉が、へぇ……と興味津々な顔で、カクテルを眺めた。それから顔を固くして、涼子の方を軽く睨み付ける。

「これ、シャンパンがベースのカクテルなんじゃないの? ……本当は、シャンパン、あるんでしょ?」

 

 涼子は説明を始めた。

「ええ……ベリーニは、スパークリングワインのカクテルです。グレナデン・シロップで色を付けて、白桃のピューレが入っています」

 美味しいですよ……お試しあれ……微笑む涼子に、泉は少し気圧されたのか話題を逸らした。

 

「グレナデン・シロップ?」

 

「そうです……これは、ザクロのシロップです。そこに、トニオが各種ベリーを混ぜてアレンジしています」

 涼子はニッコリ笑い、説明を続けた。

「付け合せたハーブは、ラベンダーとローズマリーです。ラベンダーには、心を穏やかにする効果があります。一方、ローズマリーには、頭脳を明晰にさせる効果があるのです……露伴様は、『今日が締切り』という事でしたから、寝不足で頭がぼうっとしていることもあるかと思い、トニオが選んだものです」

 

「へぇ……キミ、にわか仕込みの割には、ちゃんと覚えたもんだね」

 露伴は鼻を鳴らした。

「まぁ、僕は『締切前に徹夜する』ほど、スケジュール管理ができない漫画家じゃあないが、でも作品を作るための集中から解放されて、ホッとしているのも事実だな……トニオさんのお気遣いは、ありがたいね」

 

「恐れ入ります……」

 

「では、『いただこう』」

 露伴は自分のカクテルグラスを掲げ、乾杯をするまでもなくグラスに口を付けた。くっと一口飲む。次にマドラーを手にして、白桃のピューレをすくい、口にいれる。

 目をつぶり…………

「…………う……美味いっ!」

 また、目を見開いた。

 すぐさまもう一口、グラスをすする。

「うむっ!」

 

「ホント……いいィッ……これ、イイわぁッ!」

 泉も矯声をあげた。

 ほほを染め…………一気にカクテルグラスを空にするッ! 

「この…………スッキリしたスパークリングワインの味ッ! それがじわっっと、ザクロのシロップの酸味、甘味に置き換わるのッ…………そして…………この白桃のピューレの……ほ、芳醇な旨みがぁ……」

 あまりの美味しさに、泉の瞳に涙がたまっていく。

「おっ、美味しいわ……」

 泉は懐から綺麗なハンカチを取り出すと、何度かまぶたにあて、涙をぬぐった。

 

「ウム……一杯で三つの味わいが楽しめる……しかも、この全ての味が、全て異なっていながら、互いに繋がっていく」

 露伴もまた、その瞳から涙が盛り上がり始めた。

 そして露伴も、あたりもはばからず、大粒の涙を流し始める。

 

「フフフフ……この三つの味を繋いでいるのは、『白ブドウのジュース』デス」

 いつの間に現れたのか、トニオが厨房から顔をだして言った。手にしたハンカチを、露伴に渡す。

「実は、ブドウ作りの天才が、杜王町にいるのデス。最近知り合いました……まだ、20歳の若者なのですが、それはジューシーで深い甘みのあるブドウを作ります。これは彼女が育てたナイアガラと言う『白ブドウ』の品種から作ったジュースを入れているのです」

 

「ほう……」

 

「彼女が作った『白ブドウ』の中から、選りすぐったブドウをつぶして、ジュースにしていマス。そのジュースを、スパークリングワインと、白桃のピューレそれにザクロのシロップにつなぎとして混ぜ、味をなじませています」

 

「なるほどね……」

 露伴がうなずいた。

 その眼からいつの間にか涙が消えている。

「ベリーニをいただいたおかげで、眼も、頭もすっきりしたよ……ありがとう」

 

 トニオは満足げに微笑んだ。

「では、次にアンティパストを用意しましょう……涼子、タクミ君のところへ、皿を取りに行ってください」

 

「ハイっ」

 涼子が厨房に戻ると、そこではタクミが、最後の盛り付けを行っているところであった。

 その顔が鬼気迫っている。

 そして、その頬には、涙が伝わっていた。

 

「タクミ……クン?」

 一体何があったのか、涼子は戸惑い、恐る恐る尋ねた。

 

 涼子の声にタクミははっと我に返った。

「クソッ!」

 タクミはゴシゴシと目をこすり、涙をぬぐう。

 そしてさわやかな笑みを浮かべて、涼子に出来上がったばかりの皿を渡す。

「完成ました……トニオ先生、チェックをお願いします」

 

 同じく戻ってきたトニオが皿をチェックし、皿の上に振りかけられたスパイスを、少しだけ取り除く。

 そしてウンとうなずき、笑みを浮かべた。

「……これで合格です。このままお客様へ出してくだサイ」

 

「よし……お客様のところへ……このプチトマトのカプレーゼを」

 タクミが言った。その声は少し、震えていた。

 

◆◆

 

 4時間前:

 

(手が早すぎる……)

 皿洗いをしながら、タクミは厨房で働きはじめたトニオの仕事を覗き見て、戦慄していた。

 トニオの舞うような動き、そこには一切の無駄が無いのだ。まさに、完璧な動きだ。

 自分の動きと比べれば、それこそウサギとカメぐらいの差があるだろう。

 

 タクミとて、故郷のフィレンツェでは大衆食堂タラットリア・アルディーニで働く料理人として、実践の場を経験している。

 大衆食堂の昼、ピークタイムの忙しさは殺人的だ。

 タクミと弟のイサミも、そんな戦場のような厨房で生き抜くための手際を、子供のころから身に着けている。

 

 だが、そんなタクミをもってしても、トニオの動きについていけない。それは……トニオの動き、速さは、異次元であった。

 

「いつまで洗い物をしているのですカッ」

 気が付かぬうちに、食器洗いの手が止まっていたタクミに、トニオの叱責が飛ぶ。

「早く終わらせて、アサリの下ごしらえに入ってくだサイ」

 

「スミマセンッ」

 タクミは残った洗い物をさっさと済ませると、ザルにアサリをぶちまけ、そこに流水をかけはじめた。

 

「何をやっているのですかッ!」

 トニオがどなった。

「そんな乱暴な仕事をしたら、せっかくの身がすべてダメになってしまいますッ」

 

 トニオは、ザルに入ったアサリを、タッパーに移した。

「……これは、もうお客様に出せません……手本を見せますカラ、やり直してください」

 

 そういうと、トニオは自らアサリの下ごしらえを実演して見せた。岩塩を溶かし込んで作った塩水をボールに溜め、そこにアサリをそっと落とす。

 そして落としたアサリを、まるで数珠をジャラジャラとならすように、両掌に挟み込み、モミしだいていく。

「イイですね、これを、10人分です」

 

「ハイっ」

 

「その後、タコを叩いてください……完璧に柔らかくなるまで、お願いします」

 

「ハイっッ」

 

 タクミは必死に、トニオの指示に従ってアサリのもみ洗いを始めた。そんなタクミに、次から次へと叱責の声が飛ぶ。

「遅いッ! 本気でやっているのですカ? 最後まで集中してください」

 

「申し訳ありませんッ!」

 タクミは、トニオの指示についていこうと、必死に働いた。これまで経験したことが無いほどの厳しい現場だ。

(クッ……なんて厳しい要求だッ……だが…………)

 タクミの顔に笑みが浮かぶ。

(望むところだッ! 俺は……このスタジェールを乗り越えて次のステージに上がるッ……奴らに追いつき、追い越すんだッ)

 認めたくはない。だが、秋の選抜の結果は、今の自分の立ち位置を痛烈に思い知らされていた。

 あの時、自分は一回戦で美作と言う男に完敗をきっしてしまった。一方、自分がライバルと思い定めた『あの男』は、決勝戦まで勝ち上がり、そこでも素晴らしい料理を披露している。

(そうだ、ここで腕を磨き、ボクは……ボクはぁぁ……)

 

  ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 

 タクミの脳裏に、浮かんでくる。この天使のような料理人の技を身につけた自分が、『遠月学園』の、月天の間に佇む姿が……

 

────────────────

────────

────

 天井が割れ、月が顔を出す。

 月明かりが、まるでスポットライトのようにタクミの視線の先を照らす。

 スポットライトに照らされた先に男がいる。『アイツ』だ。

 食の魔王の力さえも手にいれ、いまや怪物と化した『アイツ』がしゃがみこんでいる。

 その背中からドラゴンのような漆黒の翼が飛び出し、揺れる。

 下半身が黒い獣の毛皮でおおわれていき、鞭のような尻尾が伸び、おぞましく蠢く。

 

 うつむいていた『アイツ』の顔が上を向く。その唇がニヤリと歪む。

 悪魔の翼を模した髪の毛が、顔の横に生えてくる……

 赤い隈取りを施されたその目が赤く光る……

 

 相対するタクミは、『天使から譲り受けた翼』をゆっくりとはためかせる。手にした黄金の剣を向ける…………

 

 そうだ……『天使』と『悪魔』、俺が『光』……奴は『闇』……いま俺たちは、雌雄を決するべきときが…………

────

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 ブンッ

 

 と、タクミの目の前のまな板に何かが飛んできた。

 それはまな板に突きたち、ブルブルと震えている…………包丁だ…………

 

「タクミッ、目の前の仕事に集中シナサイッ!! 『ぶっ殺し』ますヨッ!!!  」

 

「すっ、スミマセン」

 タクミは妄想の世界から戻り、慌ててアサリの下処理を終える。

「チェックお願いしますッ」

 

 トニオはひったくるようにアサリの入ったかごを手に取り、タクミの仕事をチェックする。

「!? ベネッ、すぐタコに移ってください。そのあとニンニクを…………」

 

「ハイッ」

(そうだ、ここで『原点』を、鍛え直す…………そして、そしたボクはぁ…………ぁ)

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……

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 グイッ…………

 

 再び妄想に入りかけたタクミは、乱暴に揺さぶられ、我に帰った。

 

 気づくとトニオがタクミの胸ぐらをつかみあげていた。額をゴリゴリとタクミに擦り付けるようにして、ボソッと呟く。

「次にやったら『ぶち殺します』…………」

 

「…………ハイ…………」

 

「……タクミ、ではあとの盛り付けを頼みマス。今のやったように、丁寧に盛り付けてください」

 トニオはそう言うと、客の様子を見るために、ホールへと出ていった。

 

「ハイッ!」

 残されたタクミは、緊張しながら目の前の皿に取り組んだ。

 まず、一口大に丸く固めたモッツァレラ・チーズの土台に、小さく切ったミケッタ(イタリアのパンの1つ)を差し込んでいく。

 ミケッタは、あらかじめ表面をアブってカリカリにして、そこにオリーブオイルをしみこませてある。

 

 差し込んだリケッタを花芯に見立て、まるで花びらのようにバジルの葉をあしらう。

 

 プチトマトの皮を手でむき、注射器を使って、中の果汁をほんの少し抜き取る。

 

 抜き取った果汁の代わりに、あらかじめ冷やしていた濃厚なトマトピューレを注射する。

 手を加えたプチトマトは、突き出たミケッタの上に、差し込む。

 仕事はまだ終わらない。さきほど注射器で抜いた果汁をさっと煮詰め、調味したソースをかけていく。

 最後に岩塩、胡椒やコリアンダーシードをすって、パラパラと振りかける…………

 

 皿の上には、緑の花びらを持つ赤い花芯の花達が、咲き誇っていた。

 インサラータ・カプレーゼ、イタリアンの超定番アンティパスト(前菜)だ。

(…………よし、完成だ…………ムッ……)

 手元には、ほんの一口ぶんだけ、カプレーゼの材料が残っていた。

(……チャンスだ、味を確かめてみよう)

 タクミは周囲を伺い、そっと残った材料を口に含んでみる。

 

 バシュッ

 

 タクミはその味にただ戦慄した。イタリアンの定番中の定番であるカプレーゼ…………だがどうして、これほどまで超絶的に美味いのか。どうしてここまで、自分の店で出しているものと違うのだ……

 いつしかタクミは、トニオの『天使のような技』に感動して、思わず涙を流していた。

 まさか、日本の一地方都市に、これほどまでのイタリアンの料理人がいるとは、思いもよらないことであったのだ。

(スゴイ、スゴイぞっ、こんなスバラシイ経験ができるなんて…………)

 そうだ、何としてもこの人の技を学ぶのだ……ここで、自分のルーツであるイタリア料理の腕を再び鍛え直すのだ…………

(そして…………『アイツ』に食戟を申し込む…………一対一の、決闘だ……)

 

「タクミ……クン?」

 その様子を目にした涼子が恐る恐るタクミに声をかける。

 

 涼子に続いてトニオが厨房に戻ってきた。

「どうですか?」

 

(ハッ、イカン)

 タクミはゴシゴシと目をこすると、完成した一皿を二人の前に差し出した。

「出来ました。チェックをお願いします」

 

 

◆◆

 

 コトリ……

 涼子は、ニコニコ笑みを絶やさず、露伴と泉の前に、皿をおいた。

「お待たせしました。プチトマトのカプレーゼです」

 

 待ちきれないとばかりに、フォークを持つ手もおろそかに、大慌てで皿の上の『花』を口にした二人は、一時動きを止めた。

「綺麗っ! 美味しいっ!」

 泉が、目をキラキラと輝かせた。

「なんて美味しいのッ、トマトとチーズが…………合うわッ…………サイッコーの取り合わせよ」

 

「そうだな……バジルの薫りが、トマトの爽やかな酸味を引き立てている。そしてモッツァレラ・チーズがコクをプラス……食感の取り合わせも……イイ」

 

「そうよ、この組み合わせの妙……例えて言えば……」

 

 マンガ家とその編集者は、無我夢中な様子で食べ続けている。その様子を見て、涼子は、少しほっとしていた。

 ヨシ……涼子はタイミングを見計らい、次の皿をサーブする。

 

 カタリ

「カキのペペロンチーノです」

 

「うむ、ペペロンチーノの辛さが、カキの濃厚な味わいをさらに引き立てている。こいつも美味いッ」

「あぁ……なんて素晴らしいの……『美しい青空を見て、歌いたくなる』ように、幸せよっ」

 

 ゴト

「オッソ・ブーコ(子牛の煮込み)です」

 

「……感服する…………トニオさん、アナタは最高の料理人だ」

「まっ、まるで…………私の体までも……この子牛のように柔らかく……惚けてしまうわぁ……」

 

「サラダです」

 

「シャキシャキ、シャキシャキだッ」

「フフフ、私のお肌も、まるでこのサラダみたいに、シャキシャキになる気がするわ」

 

「チーズはいかがですか? シェフの手作りです」

 

「これは……絶品だな」

「ほっっんとぉおに、うっまぁ────いワッ」

 

「リンゴのソテーとアイスクリームです」

 

「甘さと香り、熱さと冷たさ……最高だッ」

「アぁ……足腰が立たなくなりそう♡」

 

 時に身もだえし、料理に対する感嘆の言葉を発しながら、岸辺露伴と泉は食べ続ける。

 そんな二人に、涼子は最後の品をサーブした。

 エスプレッソだ。

 先ほど二人が飲んだものとは、味わいが異なる物だ。

 

 最後のエスプレッソを飲むと、泉は時計を見て顔色を変えた。

「あら、もうこんな時間ッ…………しまったわ」

 

 そう言うと、泉はそそくさとハンドバッグを抱え、立ち上がった。

「……露伴先生……スミマセンッ実はこの後、別の予定がありまして…………申し訳ないのですが、先に帰りますぅっ。あの……タクシーを呼んでおきますから…………お代は出版社のほうに回していただければ…………オホホ」

 露伴の反応も待たず、泉はさっさとレストランを出て行ってしまった。

 

 まるで嵐のように慌てて泉が出ていくと、店内にはもう露伴の他に客はいなかった。

(…………あらら…………困ったわね……)

 気難しい客と二人、どうやってこの沈黙を埋めようか……

 残された涼子と、露伴は、しばし沈黙した。

 

「……お料理、いかがでしたか?」

 話題に困った涼子が尋ねる。

 

「えっ、あぁ……旨かったよ。トニオさんの料理はあいかわず素晴らしいね」

 

「…………それは、よかったです」

 ちょうど厨房からでてきたトニオがニコニコとして言った。

 その後ろにはタクミと、ヴェルジーナもいた。

 

「ああトニオさんッ……今日も美味かったよ……感服した」

 

「それは光栄ですネ」

 

 露伴とトニオ、時々ヴェルジーナが、親しげに会話をかわしていく。

 穏やかな時間が流れていく。

 

 その様子をタクミと涼子は、少し離れたところから見ていた。

 

「そうだ紹介しましょう」

 そんな二人に気がつき、トニオがタクミと涼子を露伴に紹介した。

 

◆◆

 

「……なるほど…………遠月学園からの研修生ねぇ……」

 露伴は へぇ…………と二人を見返した。

「……遠月リゾートには泊まったことがあるけれど、系列の料理学校があるとは、知らなかったな。僕は『料理の世界』のことはうといからな…………どんなところなんだい?」

 

 露伴に問われるままに、タクミと涼子は『遠月学園』のことを語った。

 露伴は明らかに興味を引かれた様子で、『遠月学園』のしくみ、エピソードを二人に向かって事細かに質問してきた。

「なるほど……これはおもしろいなッ」

 露伴はすっかり料理を忘れて、タクミと涼子を質問攻めにした。手帳を取り出し、あれこれと書き始める。

 

 その後、小一時間くらいは、話しただろうか。

 タクミと涼子がすっかりくたびれた頃、露伴はようやく満足したのか、取材ノートをしまいこんだ。

 

 その時ヴェルジーナが軽く頭を押さえた。

「ウッ……」

 

 トニオが慌ててヴェルジーナの肩を支える。

「ヴェルジーナッ……」

 

「……あぁ、大丈夫よ、トニオ。ちょっと眠くなっただけ」

 大袈裟ね…………

 元気にふるまうヴェルジーナの姿をみても、トニオの顔は冴えない。

 

「フフフフ……本当に大丈夫よ。でも、アナタを心配させるのも悪いし、もう寝るわね…………露伴先生、今日はトラサルディに来ていただいて、ありがとうございました」

 ヴェルジーナはそう言うと、トニオに付き添われて自室へ戻っていった。

 

 その場には、露伴とタクミ、涼子の三人だけが残された。

 

「……しまったな…………疲れさせてしまったか」

 珍しく露伴が他人を気遣うようなことを口にした。

「僕としたことが、つい取材に夢中になって、彼女の体のことを配慮することを忘れてしまったよ」

 トニオさんに謝っておいてくれ…………

 そう言うと、露伴は店を出ていくようなそぶりを見せた。

 

「あっ、あの…………サインをいただけませんか?」

 涼子はまさにドアから出ていこうとしている露伴にむかって、勇気を出して頼み込んだ。

「……えっと、私の友人が、『ピンクダークの少年』の大ファンなんです。単行本も全巻読ませていただいていて……もちろん、私もファンです」

 

「サインか、もちろん喜んで書かせてもらうよ」

 露伴は快くうなずき、足を止めた。バックからサインペンを取り出す。

「君も欲しいかい?」

 タクミの方をみて確認する。

 

「えっ、あぁ……そうですね、いただけますか」

 タクミはコックリとうなずいた。

 正直、タクミは今まで漫画家、岸辺露伴のことは知らなかった。日本に来てから二年半も経っているのだが、これまでのタクミは料理以外の事にほとんど興味が引かれなかったのだ。だが、ここでサインを断るのも、逆に失礼だ。

『ピンクダークの少年』は、どうやらイタリア語に翻訳されているようだし、もらっておいても損は無いだろう。日本文化に興味津々らしい弟のイサミにあげたら、喜ぶかもしれないし……

 

 タクミの返事を聞いて露伴は何故かニヤリと笑った。スケッチブックを広げ、手をタクミと涼子にむかって伸ばす…………

 

 

◆◆

 

 あれ? 

 

 タクミは気がつくと椅子に座っていた。隣の椅子には、同じく涼子が座っている。

 いつ椅子に座ったっけ? 

 戸惑って涼子と視線を見交わす。まばたきをしたわずかな瞬間に何が起こったのだろう。

 

 と、二人の前には、いつの間に戻ってきていたのか、トニオが立っていた。

 

「露伴先生……『それ』は駄目ですよ…………」

 トニオがニコニコしながら言う。

 

「…………取材のためだ。『遠月学園』は、面白い。僕は彼らの経験を良く知る必要があるんだ」

 

「その気持ちは、わかりマス…………でも、ダメですよ」

 トニオが答えた。

 

  ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

 タクミと涼子には、見えない。だが…………

 ────────────────────

 ────────────────────

 トニオの背後からは、スタンド:パールジャムが出現していた。

 プチトマトにカートゥーン状の顔がついたような形状のそのスタンドは、トニオの周囲に次から次へと出現して、周囲を覆っていく。密集したそのすがたは、まるでオレンジ色のカーテンのように、露伴の目には見えていた。

 

 そのうちの一体が、露伴の目の前に浮かび上がる。そして、口を開いた。

 

『彼らは私のところにやって来た、研修生デス……勝手な真似は、許しませんよ』

 パール・ジャムは、トニオの『心の声』を露伴に伝えた。

 

 露伴も、スタンド:ヘブンズドアーを出現させ、トニオに語りかける。

『マンガと料理…………同じくなにかを創造するものとして、トニオさん……僕はアンタに共感を感じてきた』

 ヘブンズ・ドアーを経由して、露伴は言葉を選び、トニオに必死に話しかける。

『いいかい、僕にとって大事なのは《面白いマンガを書き、人に読んでもらう》それだけさ。だから、そのためなら何でもやらなくちゃあならないんだ。料理にすべてをささげてきた君には、僕の考えを理解できるはずだ……』

 

『……』

 トニオは答えない、だがパールジャムは首を振った。

 

『そうか……話し合い決裂と言うことかな、では仕方ない……ヘブンズドアーッ!!』

 トニオの不意を突いて、ヘブンズ・ドアーは目の前のパールジャムの一体に触る。

 するとそのパールジャムが《本》に変化した。

 目の前のパールジャムが、本と化してパラパラと崩れていく。

 

 ヨシッ

 露伴は本と化したパールジャムを、慎重につまみ上げた。

 

 その間、トニオはただ立っているだけだ。

 パールジャムは群生型のスタンド。一体を本にしたところでトニオにはほとんど影響がないのだろう。

 

 だが、スタンドに命令を書き込めば、それは本体のトニオにも影響があるはずだ。

《10分間意識を失い、その前後の記憶を失う》

 小さなパールジャムに、露伴はそう書き込んだ。友人であるトニオを傷つけるつもりは一切ない。だがこれならば……問題ないはずだ。

 10分……いや、5分もあれば、二人の記憶からより細かな情報を得ることができるだろうッ! 

 興味があるページがあれば、もらってしまえばいい…………

 

『…………ムダですよ』

 そのときトニオ:パールジャムが、口を開いた。

 

『なっ……なぜ意識を失わない? しゃべれるッ』

 露伴:ヘブンズ・ドアーが、叫ぶ。

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 

 気が付くと、新たなパールジャムが、露伴の目の前に数体出現していた。そのうちの一体が、露伴が本にした一体に触れる。

 すると……

 

『なっ、なんだとォっ』

 露伴が手にしているたパールジャムが、本から元のスタンド・ビジョンに戻ったのだ。

『どういう事だ』

 

 いぶかしがる露伴に、トニオが言った。

『さきほど言いましたね……《アナタと私が似ている》……と……私もそう思います』

 

『なっ……』

 

『…………ワタシのスタンド:パールジャムは、私の作った料理をおいしいと喜んでくれる気持ちをパワーに、その方の体を健康にしていく能力っ……しかし、スタンドによる攻撃ならば……ワタシの味と波長が合う人ならばッ……料理を食べてもらわなくても、そのスタンドによる攻撃の効果を《治せる》のですッ』

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 タクミが見ている目の前で、二人はしばらくの間にらみ合っていた。

 だが不意に、露伴の方が肩をすくめて立ち上がった。

 

「もう遅くなってしまった。呼んでおいたタクシーも来たみたいだし、そろそろ帰るよ……」

 露伴はそう言うと、さっと店を出ていった。

 

「…………さてと」

 トニオがニコニコしながら、二人にエスプレッソを手渡した。

「後片付けを始めますか…………涼子はマカナイを使って下さい。タクミは店内の掃除を、お願いします…………チリ1つ無いようにして下さいね」


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