食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ)   作:ヨマザル

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――番外編 その1――
マイアミのユキヒラ


 よっ

 君たち旨いもん食っているか? 

 

 俺の名は幸平城一郎。

 料理人だ。

 

 こう見えても料理に関しちゃあ、中々の腕前だぜ。

 しかも、ただの料理人ってだけじゃねェ。小さいが結構いい店のオーナーシェフよ。

 

 ……まぁ、俺の店はお高級なレストランじゃなくて、息子と二人で切り盛りしているちょっとした定食屋なんだ。だが、けっこう評判はいいし、繁盛してんだ。息子と一緒に厨房に立っているのも、そりゃあ楽しい経験だった。また戻りたいね。

 

 だが今はわけあって……その思い入れのあった店を休んで……まっ、いわゆる『出張料理人』ってぇ奴をやっている。

 依頼を受けりゃあ、世界を飛び回って何処でだって飯を作る。それが今の俺の仕事だ。君たちのところにも行くぜ? 依頼してくれれば、世界中、どこにでも行く。

 

◆◆

 

 ブルルゥ──ン……

 今俺は、フォード・ピックアップトラックを気持ちよく運転している。

 カーラジオからは、ご機嫌の80’S後半のサントラが流れてくる。俺がまだコーコー生だったころの、セーシュンの曲だぜ。懐かしいね。

 窓から見える光景にひかれ、運転席の窓を開けてみると、海の匂いが飛び込んでくる。

 そりゃあそうだ、ここは南国マイアミ・ビーチなんだからよ。サイコ―だぜ。

 

 マイアミ・ビーチ……おセレブ達が数多く住む明るい南国のビーチ……それが、俺の今回の仕事場だ。

 

 楽しいドライブは終わり、俺は目的地の水族館についた。ここで明後日、開設10周年のとある水族館の記念パーティって奴が開かれる。俺はそこの飯を作るために呼ばれたってわけだ。

 駐車場に車を止め、外に出た俺は、ピュッと口笛を吹いた。

 

「へぇ……」

 

 当然、会場の近くはいかにも『マイアミ』って感じの『さわやかな』場所だった。

 キラキラした太陽と青い空、海、さわやかな風……ケッ! 健康的過ぎて、逆に体に悪そうな気さえするぜ。

 だが、こんな場所に来たのだから、楽しまなければ損でもあるな。

 そう思い直した俺は、開き直ってそのオサレな空気を胸いっぱいに吸い込んでみた。

 むぅ……

 潮の香りと、サンオイルの甘い香りがまざった何とも言えないカオリがしやがる。

 

 水族館は真っ白のピカピカした外見だった。アメリカ人の親子連れや、恋人同士がキャッキャ言いながら、その水族館の入口に飲み込まれていく。やっぱり、ちょっとムカムカするか……

 まず俺は、観光客の列に律儀に並んで水族館を見学させてもらうことにした。職場に乗り込む前に、少し情報収集しても悪いことなどないハズだぜ。

 

 ワチャワチャと興奮しているガキどもに混じって、水族館の中をあちこち見て回って行く……実は俺は、水族館が大好きなんだ。ハッキリ言って、ガキどもと俺と、興奮具合はほとんど変わらなかったかも知れねェな。それくらい、水族館は楽しかったぜ。

 

 だけどこの水族館には、メジャーどころの魚がほとんどいなかったのが少し残念だった。

 イルカやサメ、ウミガメと言った水族館の顔はまったくいねぇ。ペンギンもだ。

 代わりにタコ、イカなどの軟体生物やヒトデなどのマニアックな海産物が、細かな説明書きと共に、ところ狭しと陳列されていた。もちろん、タコだ、イカだ、ヒトデだと馬鹿にしちゃあいけねェ。モノすげぇ毒のあるタコや、ピカピカのイカ、ヒトデなど、いくら見てもゼンゼン見飽きねぇぜ。

 

「へぇ……ずいぶんと特色のある水族館だな、こりゃあ」

 意外と面白いな……俺は結構感心して、水槽を見て回った。どの水槽も、工夫して展示されている。しかも、マニアックな珍しい魚がいっぱいだぜ。

 では、俺もこの展示にあやかって、今回はこの水族館の展示と連動させて、タコ尽くしのディナーでもやるか? しかも、珍しい種類のタコを集めてよ。

 

 俺は、そんなことを思いながら込み入った館内をボ──っと歩いていた。

 すると、いつのまにか明後日の会場である食堂まで来ていた。食堂の入り口には金髪で、健康的で、スーツを着たさわやかイケメンが立っていた。その男は、プラプラとやってきたオレを見て、はっと慌てた様子を見せたが、すぐにニコニコしながら近寄ってきた。

 

「幸平様ですね……良くいらっしゃいました。マイアミにッ!」

 イケメン君は、まるでポストカードの写真を切り取ったみてぇなウソクセェ笑みを顔にハッつけて、俺に手を差し出してきた。

「私は、ディヴ……ディヴ・ムスティンです。明日のパーティの責任者です。アナタの作られる料理が、このパーティの目玉なんですから、よろしくお願いしますよ」

 

「おお、よろしくなぁッ」

 ちょっと鼻につくヤロウだ。昔のとがっていた俺なら、その手を払っていたかも知れねェな……

 だが、『大人』って奴になった俺には、奴の鼻につく態度の裏っかわに、そいつが笑みの裏に必死に隠そうとしている、疲れ、痛み、守んなきゃいけねェもんとか……そういうもんがチラチラ見えやがる。

 

 つまりコイツは見た目ほどやな奴じゃあねェってわけだ。そういう『背負ってる』もんが背後に見える奴は、悪い奴じゃあねェ……

 

 だから俺は、友好的な笑みを浮かべて、ヘラヘラとディヴと握手を交わしたってわけだ。

「じゃあ、さっそく厨房を見させてくれや……その後で、食材の仕込みに出なきゃならねェ、案内してくれるんだろうな」

 

「モチロンです……食堂は、当水族館自慢の設備なんです。ごゆっくり確認ください」

 

「そうかい、そりゃあいい……頼むぜ」

 俺はポンとディヴの肩を叩き、厨房に案内させた。

 

 料理人にとっては厨房は戦場だ。戦いの前には、いろんなものをチェックしなきゃなんねぇ。厨房の大きさ・流しのサイズ・コンロの火力や水の出方って基本のとこだけじゃなく、作業のスペース・下ごしらえをした食材の仮置き場・皿が置いてある場所……チャックして頭に叩っこんでおかなきゃならねェことは無数にある。

 

 厨房はまさにかき入れどきって雰囲気をまとわせていた。どいつもこいつも、あわただしくはたらいていやがる。

 皆が真剣に目の前の一皿に向き合っている。

 

「オイッ……そこのステーキの焼具合を見ろッ!」

「注文っ! 注文ッ!」

「今手が離せないッ! お前がやれッ」

「チェックお願いしますッ」

「よし、次は……」

 

 厨房は活気があった。

 イヤ、活気があるだけじゃねェ。焼き場・揚げ場・鍋の前・まな板の前、それぞれのパートの仕事が完璧に仕上げられ、無駄なく次の工程に受け渡されていく。まるで、厨房全体で巨大な化学反応が起こっているかのようだ。

 ……みな、悪くねえ目付きをしてやがる。

 

 いい厨房じゃねぇか。……なのに、なぜわざわざ出張料理人を呼んだ? 

 そんな俺の疑問は、この厨房の責任者らしき男がやって来たことで解決した。

 

 綺麗な金髪を七三に分けたその男は、いかにも自信たっぷり……と言う顔つきをしていた。まあ、その若さでこんなに気合の入った厨房を立派にきりまわしているのだから、自信たっぷりでも当然か。

 

「……この店のメインシェフの、マーティ・フリードマンです」

 デイヴがその男を紹介してくれた。

 

「ムッシュ ユキヒラ、お目にかかれて光栄です」

 俺と握手しながら、マーティは挑発的に言ったね。

「ムッシュの名声は、聞き及んでいますよ…………で、その『伝説の腕前』を勉強させてほしくて、今回は無理を言って貴方にメインシェフをお願いしたのですよ…………いゃぁ、楽しみですよ……噂がどこまで『本当』で、どこからが『嘘』なのか、この目で見られるのですから……」

 

「へぇ……しっかり楽しんでくれよ」

 オレは負けじとニヤニヤ笑いながらマーティの手を握った。

 

 俺の後ろではディヴのヤツがオロオロしていて、正直少し面白かったぜ。

 

 

「さて……と」

 マーティの『とっとと出ていけ』と言う視線を完璧に無視して、俺はキッチンの様子を丁寧にチェックしていった。

 中々いい……このキッチンの出来栄えに、俺は満足していた。かなり火力の強いガスが付けられているし、調理スペースも広い。細々としたものも含めて機材も一通りそろっている。何より清潔だ。

 マイアミはちゃらちゃらしたところだが、なかなかどうして味のわかるヤツが多い。

 マーティも……あの生意気なガキも、やっぱりいい料理人なんだろうし……な。

 

「さてと……じゃあ、市場に行くか……」

 コンロの火をけし、振り返った俺は、背後につっ立っていたデッカイ日本人の男とあやうくぶつかりそうになった。

「!? ウォッ」

 

 デカい男だ。190cmは超えているか……なんだかトッポくて、だがずいぶんと気合が入っていそうな野郎だ。

 

「……スマナイ、驚かせてしまったか……」

 まるで学生帽のような帽子をかぶったその大男は、俺に向かって軽く目を下げた。何だ? ワビのつもりか? 

 俺はジロジロとそいつの事を観察した。

 コイツの年齢は俺と同じか、少し年上くらいか? 奇抜な服装のくせにその立ち振る舞いが妙に『お堅い』。変な男だ。

 

「アンタは幸平シェフだな……明後日はアンタがここで料理をふるまってくれると聞いた」

 

「ああ、そうだ。城一郎って呼んでくれ。で、アンタは誰だ?」

 俺は右手を差し出す。

 

 その男は、俺の手をグイッと握り返してきた。フム……中々の握力だ。

「俺の名前は空条承太郎……海洋学者って奴だ。この水族館の客員研究員でもある……」

 

「おっ、そうか。じゃあお客さんだな」

 同じ日本人同士、しかも俺たちの名前はジョウイチロウとジョウタロウ……一字違いだ。

 名前かぶりかよ……俺は何となく嬉しくなり、奴にそこはかとない親近感を抱いた。

 

 だが、それが間違いだったぜ。

 

「……幸平シェフ、アンタはとんでもない腕の料理人だと聞いた……そんなアンタを見込んで、たのみがあるんだが…………」

 そう承太郎が言って俺に頼んだ依頼は、そりゃあぶっ飛ぶような話だったんだからよ。

 

◆◆

 

 結局奴の、ジョウタロウの依頼を聞くことは聞いたぜ。で、一旦ジョウタロウと別れた俺は、ディヴを連れて市場へ買い出しでかけることにした。

 何を作るにしても、いい食材を手に入れることが第一歩だからな。

 

 だが……

「……やられたぜ……」

 市場を一通りチェックした俺は、少し頭を抱えていた。

 ここの食材は、なかなかバラエティに富んでいた。本来なら、イイ飯が作れたはずだ。

 ……本来ならな……

 だが俺は、すでにここ数日分の良い食材が、すべて何者かに抑えられていることを発見したのだ。残っているのは、どれも旬を少し過ぎた二線級の品ばかりだ。

 店の人間に聞くと、七三分けの生意気な若造が、その店の極上の品をあらかた買い取っていったことは、すぐに分かった。

 けっ……マーティのやつ、姑息なことをするじゃねェか…………

 七三のヤローが調子に乗っている様子が思い浮かぶ。

 

「これは……」

 ディヴの奴はオロオロしている。

「ばかな……なんで……どうしてこんなことが出来る?」

 

「ハッ……面白れぇじゃあねェ──か」

 隣でオロオロしてやがる奴をしり目に、俺は燃えてきていた。難しい条件だからこそ面白れぇってわけだ。

 

 だがどうするか……俺の頭が、高速で動いているのがわかる。

 ひとつわかっているのは、ここに残っている二線級の食材を単純にメインにしちゃあ、あの生意気なガキをうならすことは、難しいってことだ。

 

 少し離れた別の市場に行くか……

 少し考えて俺はそのアイディアを却下した。ちょっとフロリダを離れれば、いくらでもいい食材は見つかるだろう。だがそれは……つまらない。

 

 市場にいい素材が無いのなら、自分で素材を調達してしまえばいい。そのほうが、おもしれぇじゃねぇか。小生意気なマーティの顔を、言い訳できないくらいにぺしゃんこにしてやれるしな。

 

 俺の頭の中に、一つのアイディアが思い浮かんでいた。

 突破口は……ジョウタロウ……イヤ、タノジの奴の依頼か。

 

 皮肉だが、奴のぶっとんだ依頼を満足させるためにやらなきゃならねェことが、この状況を打破する為の突破口になるかも知れねェな……

 

 俺は携帯電話を取り出し、ジョウタロウへ電話をかけた。

 

◆◆

 

 一時間後、俺はジョウタロウと一緒に、船の上にいた。

 漁船だ。市場に食材が上がらねェのなら、かってに食材を調達しちまえばいい。それが俺の戦略だった。

 

「ハハハハッ! ご機嫌だな、お前たちッ!」

 船長のニックが、俺達に親指を立てて見せた。

 

「フン……頼んだぜ、ニック」

 ジョウタロウが、ニックの肩に手をかけた。

「このエヴァーグレイズの湿地帯をこのスピードで走れるのはアンタだけだ。頼りにしているゼ」

 

「ハッ、ドクター・クウジョー……このあたりの魚介の生態を知り尽くしているアンタと一緒なら百人力だぜッ! 大漁といこうぜ」

 ニックが拳を突き上げる。

 

「オオッ! うまい食材を大量getと行こうぜッ!!」

 負けていられねぇと、俺も拳を突き上げた。

 

 ニックがニカッと笑う……

 

 バシッッ

 

 ニックと俺は大きく手を上げてハイタッチをした。

 

 周囲には緑色の海のように、マングローブのジャングルが一面に広がっている。水路は、その緑の海を切り裂くように、縦横無尽に走っている。マングローブの根っこが俺たちの周りにウネウネと波打っている。川の波もなかなかのもので、俺達の漁船はめちゃめちゃに揺さぶられている。

 

 目の前は緑の壁でふさがれているように見える。だが船を走らせていくと、緑の壁には切れ目があり、そこから別の水路が続いている。

 ニックが運転する漁船は、そんな入りくねった湿地帯の水路をグングンと進んで行く。

 

 ここはエヴァーグレーズ。マイアミ近くにある、アメリカの大湿地帯だ。ジョウタロウ曰く、総面積が二万平方キロメートルもあるらしいぜ。とんでもねぇところだ。

 

「ストップだ、ニック」

 と、さっそくジョウタロウが船を止めさせた。

 

「なんだ? ジョウの字?」

 俺の質問に答えないまま、ジョウタロウはパッと湿地に飛び降りた。

 

 オイオイ……こんな泥地に飛び降りたら、腰まで泥にうずまっちまうぞ……

 と思ったら、ジョウの字のヤロウ……地面につく前に頭上の枝を掴んで、器用にマングローブの根の上に着地しやがった。立ち振る舞いがいちいち「カッケ―」ヤツだ。コイツは……

 

「ユキヒラ……来るなよ。このあたりを良く知らないお前が飛び降りたら、首まで泥に埋まっちまうぜ」

 そんなことを言いながら、ジョウタロウのヤツはデコボコのマングローブの根の上をスタイリッシュに飛び回り、何やらゴソゴソと探ってやがる。

 

 で、俺はすることがなくなっちまった。

「おぉ──い……何を探しているんだ?」

 船の上で退屈しかかっていた俺は、湿地帯に立つジョウタロウに声をかけた。まぁ、泥の中にいる物……なんて、予想はついているがな

 

 だがジョウタロウは、オレの質問に答えやがらなかった。

 奴はしばらくの間湿地のマングローブの隙間に首を突っ込み、這いずるようにしてあちこちを探ってやがる。時折、泥の中に肩まで手を突っ込んだりしている。

 

 そして、やがてジョウタロウは満足した様子で船に戻ってきた。その手には、膨れ上がった袋があった。もぞもぞとその袋が蠢いている。

「フン……中々の首尾だったな」

 そういって、ジョウタロウが袋を開け、中身を俺に見せた。するとそこには、とんでもねェほどデッカイ爪をもつカニが、ウジャウジャといた。20匹ぐらいか? 

 

「おぉ……ストーンクラブか?」

 

「そうだ、今は産卵前だから、身が詰まって良く太っている。これだけ生きのいいカニが取れたのはラッキーだったな」

 ジョウタロウはクールにそういってのけると、袋の中に手を突っ込んだ。そして、俺の手のひらぐらいの馬鹿でかい鋏を持つカニを、一匹引きずり出した。

 

「こりゃあ、タップリ太っていて、うまそうだな」

 

「……そうか? それは良かったぜ」

 ジョウタロウは、顔色一つ変えずにそういうと、ペキッとカニの爪を折り取った。

 そうして二本の鋏をもぎ取ったカニは、マングローブの泥の中に投げ捨てる。

 

「オイッ! ……何を…………おおっと……そうだ、そうだったな」

 ここはフロリダで、コイツはストーンクラブだ……はっと気が付いた俺も、ジョウタロウと同じようにもう一匹のカニの鋏を折り取り、再び泥に反していく。一匹、もう一匹とポンポン鋏を取り除き、本体は泥に返す。

 乱獲保護の為に、ストーンクラブは鋏だけを取って、本体は海に帰してやらなければならないのだ…………すっかり忘れていたぜ。

 

「……早いな……さすが料理人……と言ったところか」

 見事な手さばきだ。

 ジョウタロウは、俺の下ごしらえのスピードを見て、驚いたように言った。

「それに、カニに与えるダメージを最小限にとどめている……オメ―、やるじゃあねぇか」

 

「はっ、このくらいどうってことないぜ」

 俺は肩をすくめる。

「だが、あまり時間がないからな……とっとと続きをおっぱじめようぜッ」

 

「……さて、では釣りを再開するか」

 自分の分担ぶんのカニの下ごしらえを終えたジョウタロウは、竿を片手に北北西の方角を示した。

「ニック船長、こちらの方角へゆっくり進めてくれ……マングローブの根っこで出来た、小さな湾がある……そうだ、そこだ」

 

 ジョウタロウは、俺達をマングローブの入り江に案内していった。

 

「おっ……よさそうなところじゃねェかっ!」

 俺は、その水路の水の流れるようす、色、におい……それにもちろん周囲の木々の茂る様子などを観察して、その水底がどうなっているか想像する。

 たぶん、湾の奥から、深いところが一筋伸びている……右手に急な駆けあがりが、その先はゆっくりとしたのぼりになっている……その色が濃くなっているところには、たぶん折れたマングローブの木々が重なって水没している……

(感じろ……魚は今どこにいる?)

 

 俺はニックから竿を受け取ると、自分の感覚を信じて竿を振るッ! 狙い通りッ! 

 そこは駆け上がりの始まり……しかも俺が感じ取った海底の地形によると、少し針を引くと、その手前には岩があるはずだ……

 

 錘が底につくのを感じながら、ゆっくり引いていく……

 

 コツっ

 

 竿先が揺れ、小さな振動がオレの手首に伝わる。

 魚が突っついているのだ……だが、まだ針にはかかっていない……

 

 コツコツ……ツン……

 

 グッ

 不意に、竿が生きているように動き出す。魚がかかったッ! 

 

「ヨシっ!」

 竿を立てると、猛烈にドンッと重たい手ごたえがあった。俺は、はやる心を抑えて慎重に、慎重にリールを巻き、かかった魚を引き寄せていく……

 かかった魚は、のっしりと思い手ごたえのまま船べりまで引き寄せられていく。中々でかいサイズだ。

 

「やったぜ」

 釣り上げた獲物を確認して、俺は歓声を上げた。

 かかったのは、中々よい形のヒラメだった。コイツはどんな料理法でも旨い、いい素材だ。

 

「ほぅ……やるじゃあねぇか」

 ジョウタロウがにやりと笑った。自分も竿を投げ、ゆっくりと引いてくる。

 二度、三度と投げると、奴の竿にも魚がかかった。釣り上げたのはレッドスナッパー、赤い体色の30cmぐらいの魚だ。フエダイとも言う。鯛に似た、うまい魚だぜ。

 

「フム……悪くないな」

 ジョウタロウは、俺に向かって言った。

「ここから、河口に向けて、釣りながら移動しよう……これからの潮汐の動きを考えると、その方がいい結果になるはずだ」

 

「ああ、頼むぜ……色々な魚を手に入れておけば、食材のバラエティも出せるしな」

 

 俺の言葉に、ジョウタロウがうなずく。

「わかっているぜ、ユキヒラ……ニック、こちらを抜けて、灯台の方向にゆっくり移動してくれないか? 今日の波と潮流の動き、風の強さを考えると、今はそのあたりに食用となる魚が、多く集まっているはずだ」

 

「ハイよッッ! ドクター・クウジョー」

 ニックが親指を立てた。

 

◆◆

 

 釣りを始めてから5時間後、俺達はようやく河口まで到達していた。

 

「ウワッハッッ、大漁だぜェ」

 俺は、再び釣り上げた魚を取り込んだ。釣り上げたのはスヌーク、スズキの仲間だ。これで、15匹目の魚だ。

 俺は少し休憩しようと、釣竿を船縁に立て掛けた。

 大きくのびをして、釣り上げた獲物を確認する。

 

 釣り上げた魚はすぐに絞めて、冷凍保存している。そうしないと、南国のフロリダではすぐに腐敗が始まっちまって、味が落ちるからな。

 

「どうだユキヒラ? 足りそうか?」

 ジョウタロウが訊ねてきた。

 

「……もうちょっとってとこだな……だがこの調子なら、なんとかうまい飯が作れそうな目途がたってきたぜ」

 

「そうか、それは良かった」

 

「もう少しだ。もう少し釣ったら、引きあげようぜ…………!?」

 と、灰色のぼんやりとした影が、水底からぶわっと浮き上がってくるのが見えた。

 何だ? と目をやった俺は、ピューっと口笛をふいた。

「おいっ、ありゃあもしかして?」

 

 ジョウタロウがうなづく。

「そうだ、マナティだな……こうやってすぐ近くで見つけられるのは、貴重だぜ」

 ジョウタロウはそういうと、竿を置いて双眼鏡に手をやった。

 釣りを止め、熱心にマナティの動きを観察し始める。

 

 灰色の塊が、俺たちのボートの下に潜り込む。

 翠がかった透き通った海水は光をよく透し、海草が生い茂る海底の様子までよぉくみえる。マナティは、落ち浮き払った様子で、その海草のなかに頭を突っ込み、何やらモグモグと『食事中』のようだ。

 

「ふえぇ──、こうしてみると、象やカバ見てえだな……これが人魚の正体なんだろ?」

 信じられねぇーよな

 

「半分正解、半分間違いだ」

 ジョウタロウは双眼鏡から目を放し、言った。

「マナティは近蹄類ジュゴン目に分類される。近蹄類には、長鼻目……象だな……も分類されている。系統的には、象とマナティは近しい動物だと言える」

 

「へぇ──」

 

「だが、人魚に間違われたのは、ジュゴンの方だ。マナティじゃあない」

 

「へぇ──」

 

 ……正直、なにいってるのかさっぱりわからねェ……

 

 首をひねっている俺をしり目に、ジョウタロウは双眼鏡を下した。そしてパッと上着を脱ぐと、海に入って行く。

 すっと抜く手をきって、マナティの方へ泳いで行く。

 

「おっ、乙だねェ」

 俺も混ぜてくれよ。

 ニックの制止を振り切ると、ジョウタロウの後を追って俺も海に飛び込んだ。泳いでマナティに近づいて行く。

 そして、その気になればてを伸ばしてマナティに触れらる位置まで、近づく。

 

 マナティは、俺たちが近づいたことなど、全く気にも留めていないようだ。ただその巨大な図体を、ゆったりと動かし、優雅に泳いでいる。泳ぎながら、ときおり海底に生えている海藻をモリモリ食っている。

 ……うまそうに食っているな…………

 俺はすっかり興味をひかれて、海底にもぐっていった。

 マナティが俺を見る。俺と、目が合う。

 ……優しそうな眼だ。

 俺がそっと頭をなぜると、マナティはそのつぶらな目をつぶり、『うっとり』している。

 

 へへへ……

 

 息が続かなくなった俺は、満足して船上に上がった。最後にもう一目……とマナティの方を見た俺は、目を丸くした。

 

 マナティの背後に、ワニが……それもでっけぇ恐竜みたいなワニがいたのだ。軽自動車並みの重さがありそうなワニだ。ワニは、ゆっくりとマナティに向かって泳いでくる。……ありゃあ、マナティを食う気だ。

 

 マジィ……助けないと

 

「おいっ!!」

 俺は大声を出した。だが、ジョウタロウのヤロウは、まだ海の底に潜ってやがる。気づかねぇ。ワニ公もマナティも、知らん顔だ。

 

 船上のニックと目が合う。だが、ニックは黙って首を振った。

「シェフ……これが自然のおきてだぜ……ここで食われちまうんなら、このジュゴンはそれまでの運命だったのさ……」

 

 オイオイ、冗談じゃあね―ゼ。

 ホッとけねぇつてぇの……目の前でマナティがワニに食われるところを指加えてみてろってぇのか? 

 

 俺は慌てて船上を見回した。すると、デッカイ銛が、操舵室の屋根に縛り付けられているのが目に留まった。大マグロみてぇな大物がかかった時に、銛をぶっさして船の上に引き上げるためのもんだ。

 俺は、その銛を手に取る。中々重いが、この重さが無ければワニ公の鱗を貫通できないはずだ。

 コイツを、使ってやる。

 俺は、銛を握り締めた。

 

「おいっ、バカなことは止せ」

 ニックがオレの手を掴む。

 

 俺は、その手を払う。

「うるせぇな……ちょっと脅かしてやるだけだ」

 俺は銛を構え、狙いを定める。二度・三度と大きく深呼吸すると、ワニに向かって銛を投げつけたッ! 

 

 バゴッ

 

 だが…………投げた銛は、まるで鎧みてぇなワニの鱗にはじかれた。

 

 とは言えちょっとは痛かったのか、ワニ公はイラただしげに首を振り、俺の方を見る。

 ……ワニ公は、ゆっくり、こっちに向かって泳いできやがる。

 まるで車一台分はありそうな、信じられそーもねぇぐらいデッカイ体のワニだ。

 

「チッ……」

 ニックが懐から銃をだし……またしまった。銃をしまった理由は、すぐに分かった。船とワニのちょうど中間に、ジョウタロウが浮いてきやがったのだ。

「ドクター・クウジョー……ウソだろ……」

 

 マジいぜ……

「おい、タの字の……早く上がってこいッ!」

 

 俺の警告を耳にした様子もなく、ジョウタロウは、ゆっくりと泳ぎ、船べりに手をかけた。俺が必死に声をからして説得しても、涼しい顔だ。

 その背後から、ワニが近づき……襲い掛かるッ! 

 

 バカ野郎ッ! 

 俺は、ジョウタロウを大急ぎで引き上げるべく、その手を掴んだ。

 

 次の瞬間……

 

 ドガァァッ!! 

 

 ワニのヤロウが急にぶっ飛んで、宙を舞った。水しぶきを立てて、再び海面に落ちる。

 

「なっ……」

 唖然とする俺に向かって、ジョウタロウがクールに言いやがった。

 

「ヤレヤレ……だ。ハンドバックを腐るほど作れそうだな……ところでユキヒラ、お前はワニ肉の料理は出来るか?」


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