食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ)   作:ヨマザル

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I want freaking spice

 それは、杜王町でスタジェールに参加している者が料理試しに臨む一日前のこと……

 

 一足先にスタジェールを終えた黒木場リョウは、まだお嬢こと薙切アリスが帰ってきていないことにちょっと驚いていた。屋敷の使用人たちに尋ねると、なんでも『やんごとなき事情』ゆえにアリスのスタジェールの日程がチョッピリ伸びる……という連絡が5日前に運営からあったらしい。

 

「そうっすか」

 黒木場は自分の部屋に帰った。そしてちょっと拍子抜けした気分で荷物をゆっくりと片付けた。次に部屋の掃除をして、読みかけの本を読み切ってしまうと……やることがなくなってしまった。

 さて、何をしようか。

 ベッドに寝っ転がってボーッと窓の外を眺める。

「まっ、俺も休暇を取るってことにするかね」

 結局黒木場はベッドでグダグダしながら読書にふけることにした。一瞬シャキッとするのは3度の食事の時だけ。だらぁつと本を読み、眠り、目を覚ますとまた本を開く。

 そんな至福の時間を取りたいと、ずっと思っていたのだ。

「ここんとこずっと忙しかったからなぁ」

 黒木場は手元にあった料理雑誌を手に取った。

 

 …………

 

 と、そんな穏やかな時間は、けたたましく鳴る携帯電話の音で破られた。黒木場はディスプレイに表示された発信者を確かめると、ことさらゆっくりと読みかけの本をたたみ、鈍くさと携帯電話に手を伸ばす。

「……なんすか? お嬢」

 

 けたたましい声が受話器から響く。

『あっ、リョウ君。ちょっと処理が難しい甲殻類を扱っているの。で、念のため処理方法を確認したいのよ』

 

「甲殻類? いったい今何をやっているんすか。運営からはやんごとない事情でお嬢のスタジェールが伸びたって話は聞きましたケド。なんなんすか?」

『うふふっ。内緒よぉ』

「はぁ、そうっすか」

 

 黒木場リョウはワザとらしく大声でため息をついた。そしてお嬢:薙切 アリスに甲殻類の基本的なサバキかたを説明していく。

 いつしか彼の抱えていたモヤモヤはすっかりと晴れていたのであった。

 アリスとの電話終えたころには、窓の外は夕焼け色に染まっていた。

 

◆◆

 

 ザリガニのボルドレーズ:

 (1) にんじん、玉ねぎ、エシャロット、パセリ、タイムとローリエでミルポワをつくり、

バターでさっと炒めてから蒸し煮。バター、洗って背ワタを抜いたザリガニ、調味料で味を調えソテーする。

 (2) コニャックと白ワインを入れて煮詰める。魚のヴルーテ、フェメを加えて仕上げ、蓋をして10分煮る。

 (3) 残りの汁を煮詰めてスプーン一杯のグラス・ド・ヴィアンド、バター、みじん切りのパセリを入れてソースを仕上げる。

 それがル・ギッド・キュリネールに書かれたオリジナルのルセットだ。

 

 その古典的フランス料理のアレンジに、アリスと丸井は真摯に取り組んでいた。

 まず、イクローの手によって完璧に泥抜きされたウチダザリガニを丁寧に洗う。

(ウチダザリガニは特定外来種に分類され、一般人は飼育が禁止されている。だがイクローは外来種の飼育許可をとっていたので、合法的に泥抜きが可能ッ)

 ウチダザリガニをグラッパに漬け込みながら更に丁寧に洗い、シメつつ殺菌する。

 それから黒木場に教わった要領で丁寧に甲羅をむき、内臓や背ワタを破かないようにしながらはずす。

 オリーブオイルでさっと上げた後で、あらかじめ煮詰めていたトマトソースやほかの具材と絡めて皿に盛る。

 

 それで完成だ。

 

 由花子は魔物のような形相で若きシェフ達を睨み付けていた。そのこめかみには青筋がたちマブタがピクピクと波打っている。その動きに合わせて髪の毛が揺らめいて見えるのは、彼女の尋常ではないほどの迫力からくる錯覚だろうか。

「アンタ達ッ。この私に変なもの食べさせたら、『その口から手を突っ込んで、ウ○コ引っ張り出して食わせて殺(や)る』からねッ!!」

 

「フム、今のところ臭いは感じられんな。由花子どの。まずはいただいてみよう」

「そうね。食べてやるわッ」

 

 由花子はまるで戦いに赴くような形相で、そして恵心はどことなく小バカにしたような笑みを浮かべながら、それぞれ皿に手を伸ばす。

 と、皿を手に取った恵心の目が見開かれた。

「ムッ、この甲羅は?」

 

「ハイッ、パスタを甲羅の形に焼き上げたものでございます♡」

 アリスがニコニコしながら答えた。ちなみに隣の丸井は、ゲストの発するただ事ではない殺気に当てられ、まるで『ゴーゴンに睨まれて石になった』かのようにカチコチに固まっている。

「ウチダザリガニの甲羅を砕いてセモリナ粉と混ぜあわせて生地を作りました。それをザリガニ状に整形し直して、オリーブオイルでカラっと揚げたものです」

 

「こ、こここ甲羅ごとっ、お召し上がりくださイッ!」

 丸井が甲高い声で捕捉した。その膝はプレッシャーのあまりブルブルと震えっぱなしだ。

 

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

 ゲストの二人はパスタでできた甲羅を割り、何度も臭いを嗅いだ後で一口大のウチダザリガニを口の中に放り込む……

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 

「なるほどな」

「ヘェ、そうなの」

 

 すぐさま二人の口内に広がる濃厚な甘みと酸味、香ばしさ……

 二人は目の色を変えて食べ始めた。

 

「チッッ」

 由花子は大きく舌打ちし、いかにも不承不承といったようすだ。だがフォークをつかみ、口に運ぶ手の動きはどんどん早くなっている。

 

「ううっ」

 恵心などは号泣し始めた。

「あんまりだぁぁっ。あんまりにも、うんまぁぃぃぃいいいいいいッッ!」

 泣きわめきながらも、食事をとる手だけは止まらないッ! 

 

(フフフ。ザリガニの臭さなんてゼロよっ。完璧にさばくやり方を教えてくれたリョウ君に感謝ね。でも本当は次の品が私達のコースの最高傑作なのよ。食べて腰を抜かしなさいッ)

 ゲストの満足げな様子を横目にしながら、アリスと丸井は次の料理に取り掛かった。

 

◆◆

 

 その頃……

 

 トニオは蜜柑の皮を丁寧にむいていた。下処理を終えた蜜柑を、パッドに入れて若者たちへ手渡していく。

「ミカンの処理は終わりましたヨ」

 

「ありがとうございますッ! マエストロッッ」

 涼子はトニオから受け取った蜜柑を眺め、息を飲んだ。蜜柑は惚れ惚れするほどツルツルに剥かれている。

 よく見れば、薄皮に隠し包丁が施されている。これは、ただ生で食べても相当美味しいはずだ。

 フライパンにバターを落とし、蜜柑の ひとつぶ ひとつぶ に一瞬だけ熱を加える。

(ここッ!)

 火入れを終了し、蜜柑をパッドにあける。

 試食してみると、焼きの加減はバッチリであった。

(イケるかもっ)

 涼子と吉野は、パンとハイタッチした。

 

 涼子と吉野の取り組んでいるコースは……

 アンティパスト:涼子のクロスティーニ:吉野の山菜ディップを添えて

 プリモ・ピアット:塩納豆パスタ

 セコンド・ピアット:柚子味噌風味のミートボール

 ドルチェ:蜜柑のマチェドニア

 という構成だった。

 

 これまでに出した皿、アンティパストとプリモ・ピアットの評判は上々だった。

 次の皿(セコンド・ピアット)の準備もかなり進み、涼子は平行して最後に出すドルチェの下準備に取りかかろうとしているところであった。

 

 だが好事魔多し

 

 カサッ

 

 涼子は近くの岩に、何か『黒いモノ』が蠢いているのを見つけてしまったのだ。それを目にした瞬間、これまで涼子が感じていた高揚感は一瞬にして冷めた。変わって、『凍り付いた泥水を首筋に押し付けられた』ような嫌悪感が涼子を襲った。

(?! ヤダッ、『ヤツ』かしら)

 

 それは黒く、テカテカと光り、カサカサ音を立てて動く『ヤツ』。一匹みつけたら、その10倍はいると言う『ヤツ(G)』か……

 

 涼子はそっと岩に近づき、影をのぞきこむ。すると、たしかに黒い『ヤツ』が岩影に隠れているのが見えた。

(ウッゲェ──)

 涼子は顔をしかめ周囲を見渡した。地面に置いていたダンボールを見つけて引きちぎる。

 そしてそれをくるっと丸めて棒を作る。そして、一歩、一歩、忍び足で『ヤツ』に近づいていく……

(……なにか奇妙ね?)

 涼子は目をパチパチとさせた。ヌラヌラと黒光りするその『黒いモノ』が、異常に大きいことに気がついたのだ。なんと涼子の手のひら程もあるように見える。

 

 と、『ヤツ』が涼子の方を向いた。小刻みに身を震わせているが、逃げだす様子はない。

 むしろ大きく羽を広げ、涼子に向かって飛びかかってきたッ。

(ウソ、早いッ!)

 涼子は大慌てで手にした棒を振り上げる。だが、すでに『ヤツ』は涼子の顔面に迫っていた。

 間に合わないッ

 

 惨事を予想して涼子は目をつぶり、両手で顔を覆った。

 ふいに、その体が乱暴に引き倒された。

 涼子はバランスを崩して背後に転倒するッ。

 

 だが地面に激突する前に、涼子はそっと抱き抱えられ無事であった。

 ブワッと、むせるほどのムスクの香りがした。

(どっ、どうなったの?)

 混乱した涼子が恐る恐る目をあけると、そこにはグィード・ミスタの顔があった。

 それまで姿が見えなかったのに、いったいどこにいたのだろう。

 

「お嬢さん、すまねぇッ。怪我していねぇか?」

 

「はっ……はい。大丈夫デス」

 少し顔を赤くして涼子はそそくさと立ち上がった。

「スミマセンッ」

 

「イヤ、こっちこそ嬢ちゃんを巻き込んでしまって、すまなかったなッ。……トニオさん、料理チームに迷惑をかけちまって面目ねぇ。こんなことは起こらないはずだったんだがな、ちょっと不安に思われちまったかな」

「イぇ、大丈夫ですよミスタさん。ワタシはお二人を信頼していますし、なんの心配もしていません」

「そう言ってくれのは、ありがてぇんだがよぉ……」

 と、周囲の様子に目を向けたミスタは舌打ちをした。イタリア語でぶつぶつ言いながら立ち上がる。

「オイ静、なにやってんだテメェ」

 

 と、いつの間にいたのか、境内の中央にセーラー服を着た少女が立っていた。サングラスを頭に引っ掛けた、短髪の美少女だ。涼子と同年代だろうか。トニオの店で食事をしているのを見たことがあるような気がする。

「ゴメンよッ。頑張ったのよ……テヘっ」

 静と呼ばれた少女は、ポリポリと頭をかいた。

 

 と、その境内の中央、静の背後に、もう一匹『ヤツ』が現れた。静は気が付いていない。

 ミスタは舌打ちして、涼子をちらっと見た。

 そしてため息をつくとパチンコを懐から取り出し、『ヤツ』に向かって撃った。

 

 どうやったのかパチンコの弾は空中で複雑な軌道を描いて飛んだ。

 そして静の背後の『ヤツ』に命中した。

 

「テヘっ……じゃぁねえってぇのッ」

 パチンコをしまいながらミスタが毒づく。

「背後にもっと気を配れッ」

 

「イヤ、でもさぁ……百匹よ、もう百匹は退治したッつぅーの。頑張ったでしょうが……」

「足りねぇーんだよ。こうゆぅーのはよぉ、ゼロか100かでしかねぇんだよ。中途半端はゼロなんだよ」

「そりゃあ、わかってるけどぉ」

「じゃあよぉ。そんなところで突っ立ってグチュグチュ言っとらんで、さっさとコードーしろよ。おジョーちゃん」

 

「ちょっとッッ! アタシをそういう風に呼ぶんじゃあないわよっ!」

 不意に激高した静が鼻息荒く森に駆け込んでいく。その姿は森に入った途端あっという間に『消えた』。

 

「へぇ……兄弟で怒りっぽい奴らだぜ」

 ミスタはぼやくと、涼子達に向かってウィンクをした。

「それじゃあお嬢さん。おれはまた『蟲』どもの退治に戻るぜ。もうお嬢ちゃんのところに『蟲』はでてこねぇから、安心して料理しなよ」

 ミスタはそう言って、静が『消えた』のと反対側の森へと入っていった。

 

(ヤレヤレ……だわ。なんだったのかしら)

 涼子は二人が消えた後もしばらく『G』を探し続けた。ようやく納得した涼子が調理場に戻ると、そこには真っ青な顔の吉野がいた。その隣でトニオがやさしく吉野の背中をさすっている。

「ゴメンっ、やっちゃったわ」

 

「やっちゃったって何を……」

 と、涼子も真っ青になった。

 

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

そこに見えたのはひっくり返ったフライパンと、地面にぶちまけられた蜜柑であった。

 ドルチェの下ごしらえが、すっかりダメになっている。

 

「いや、その……調理場に向かって蟲が飛んできてさ……夢中で追い払ったら、その……気が付いたらこうなっていたの」

 吉野は膝に頭が付きそうなほど頭を下げた。

「本当にゴメンなさい……」

 

「涼子、ユウキは悪くないよ。彼女は蟲から料理と食材を守ろうとしたのです。少なくとも、彼女はメイン料理は守りました」

「やってしまったものは仕方ありません……」

 トニオが慰めた。

「ここから 今ある材料で何が作れるのか、それを考えましょう」

 

「そっ、そうよ。もう一度作り直せばいいのよ」

 涼子が尋ねると、トニオがゆっくり首を振った。

「残念ですが、材料がアリマセン。蜜柑は残り一つです」

 

「そんな……」

 吉野はしゃがみこんでしまった。

 

「ユウキ、元気出して。一緒にどうするか考えましょッ」

 涼子はしゃがみこむ吉野をそっと抱きしめた。そして、すがるようにトニオを見る。

 

 だがトニオはしかめっ面で首を振った。

「私を頼ってはダメ。あなたたちが考えるのデス」

 

 涼子はガッカリしたが、無理やり自分を鼓舞して笑顔を作った。それにトニオの言うことが正しいのだ。なんといってもこれは、自分たちの試練なのだから。

「残りの食材は、これだけよ」

 そういって吉野がクーラーボックスから取り出したものを見て涼子は内心頭を抱えた。使えそうなものは

 ハチミツ

 柚子

 白ワイン・日本酒

 薄切りのパン

 蜜柑一切れ

 はっさく 一玉

 各種調味料

 ぐらいだったのだ。

 

「足りないわよねぇ……」

 固まっている涼子に、吉野が語り掛ける。

 

「そうね。それに調味料ももう少し……」

「うぅ〰ん、ここが親方と修行していた山だったらなぁ。そうすれば食材なんて簡単に手にできる……」

 

 と、吉野が言葉を止めた。その目に力が戻ってくる。

「涼子っ、トニオさんっ、セコンド・ピアットの仕上げをお願いネッ。私はちょっと食材を調達してくるわねッ!」

 吉野は止める間もなく駆け出し、勢いよく境内から続く階段を駆け下りていった。

 

◆◆

 

 一方のタクミ

 

 パンツァネッラをゲストにサーブしたあとのこと。

 調理場にもどったタクミは、待ち構えていたニーノに胸倉をつかみあげられていた。

 いつもならば仲裁に入るルチアもその様子を冷ややかに見つめている。

 サポートの億泰は「お前たちで解決しな」とその様子をニヤニヤしながら静観している。

 ニーノが絡んできたのは調理場の影の部分であった。幸いなことにゲストからは、二人がもめているのは解らない。

 それを確認したタクミは、あえて一度だけ、黙ってニーノのされるがままになることにした。

「なんだお前? 納得したんじゃあないのか? 自分たちの気合を見せるんじゃあないのか?」

「そうじゃねぇよ。チャンとやるさ。だがてめぇ……今やっている料理は『作り直せ』よぉ……」

 

 ニーノは低い声で脅す。

「俺だって、子供のころからパパに仕込まれていろいろやっているんだよ。俺がやっている仕込み方が、これがトニオ家の、イタリアンの『正しいやり方』なんだよ。それをてめぇ……勝手ばかりよぉ」

「何のことだ?」

 

「全部だよっ!!」

 ルチアもタクミに駆け寄ってきて、言った。

「全部よ。アンタが指示する全部のやり方がなんか『気持ち悪い』のよっ」

 

「例えば?」

 

「わからねぇのかよ」

 ニーノがタクミをますます締め上げた。

「例えば、これだ。なんでオッソ・ブーコに付け合せるのがサフランライスじゃあねぇんだよッ。それにこんなにトマトをぶち込みやがって……」

 

「パパなら絶対にやらないことだわ」

 ルチアがうなずく。

「私たちのパパは世界一の料理人なのよッ。なんで、パパと違った風に作るのよ」

 

「そうだぜ、こまけぇ所をネチネチとよぉ……挙句に俺が親切に『やり方が間違っている』って教えてやったのによぉ……」

 

「訂正はできない」

 タクミは、ニーノの手首をつかんでゆっくりと引きはがした。体こそ小さいがタクミもいっぱしの料理人だ。仕事をこなすための筋肉は人並み以上についている。

 ニーノを容赦なく押さえかえして、首を振った。

「もう一度言うぞ。グダグダ言うな。料理はこのままでいく。俺はマエストロ・トニオと全く同じことはできないし、やっても失敗するだけだ。だから俺のやり方でやるんだ……お前たちも『こんな程度』で泣き言をいうんじゃあないッ!」

 タクミは鼻を鳴らした。

「ルチア、ニーノ、いくらマエストロ・トニオの料理を日々食べていたとしても、本格的にこの世界に入っていないお前たちが知っている料理は、狭い世界だ。まず黙って俺の言うとおりにやってみてくれ」

 

「……」

「その結果、料理がうまくいかなかったとしたら、それは俺の責任だ。何を言ってくれてもいい。だが今は俺の言うとおりにしろ」

「へぇ、そうかよ」

 

 タクミとトニオの子供達はしばらくにらみ合った。最初に視線を外したのは、トニオの子供たちであった。

「チッ……俺は、警告したからな」

「……わかったわよっ」

 ルチアがギロリとタクミを見ながら言った。ニンジンを乱暴につかみかけ……大きく深呼吸した。そして今度は、そっと丁寧にニンジンを洗い始める。

 

「そうだ。食材に対する『敬意』を忘れるなよ、ルチア」

 タクミは『トニオの娘』にそういうと、今度は『トニオの息子』をにらみつけた。

「君はどうする。尻尾を巻いて逃げかえるか、腹をくくるか」

 

「チッ……もうとっくに腹はくくってんだよ。わかった、やってやるよ……オメーのやり方じゃあ大惨事になると思うが、俺が少しでもマシなもんにしてやるよ」

 

「よし」

 タクミは大きくうなずくと、近くにいた億泰に声をかけた。

「虹村さん、ポレンタを彼にやらせてくれませんか」

 

「おおっ、まかしとけよ〰〰」

 億泰は自分がかき回していたポレンタ(コーンミールを粥状に似たもの。ドロドロしていてかき回すのは大変)の鍋の前にニーノを立たせた。木べらをニーノに渡すと「一秒間に一回、必ず回すようにするんだぜぇ〰〰。ひとかけらも底を焦がさないようになべ底をこそぎ続けなぁ」

 と命令した。ポレンタは熱するごとに粘り気を出し、木べらに絡みつく。それを一秒に一回も回すのは、ただ事ではない重労働だ。だがニーノはブルブル震えながらも黙って木べらを受け取り、鍋の中で回し続けた。

 

 タクミはその様子をしばらく眺め、首を振った。

「遅いっ! きさまミュージシャンになりたいのだろう? リズムをしっかりとるんだ」

 

「鍋の底の同じ部分だけを回すんじゃあないぞッ」

「火の大きさを見るんだ。その周りがなべ底で最も熱が通る部分だ。ここを3回、そのほかの部分を2回、その割合で回し分けろ」

 

「チッ」

 ニーノは、タクミに聞こえるようにボソッと言った。

「相変わらず細けぇことをネチネチとよぉ。パパに散々シゴカレた仕返しかよ、てめぇ……これが終わったらボコボコにしてやるよ」

 

「汗を鍋に落とすなッ。一滴もだぞ」

 タクミは脅し文句を無視して、タオルを取り出すとニーノに放った。

 

 次の作業に取り掛かるべきときだ。

(よし……集中しろッ)

 タクミは目をつぶり、これからの段取りを思い起こした。今から作るのは奇をてらわない王道のイタリアンのコースだ。だがスタンダードな品の細かな部分にアレンジを入れることで、自分の個性を表現する。

 王道ゆえに一片のミスも、見逃しも許されない。

 

 まるでよく研いだカミソリで顔をそる時のように、心を落ち着けて集中していく。

 

 すると再びタクミの横に想像上の『イサミ』が姿を現した。イサミは黒髪をクルクルと指に巻き付けながらタクミに尋ねてくる。

『おにぃちゃん。何をすればいい?』

(お前はルチアとニーノを見ていてくれ。きっちりやれるか確認してくれ。もし奴らがやり通せたら、次の指示は……)

『わかった。だけれど彼らにやり通せるの? かなりレベルが高い仕事だと思うけれど』

(大丈夫だ。だが細かなところをミスると思う。気を付けてやってくれ)

『わかったよ』

 そういうと、イサミはルチアとニーノのことをじっと観察し始めた。

 

『火が弱いよ。あと小指一本太くするべきだよ──』

「火をもっと強くしろ、ニーノ。そう、小指一本分だけ火を太くしろ」

 

『時間をかけすぎだよ──。もっと早く指と手首、肘、肩を動かさなくちゃ』

「ルチア、時間をかけすぎだ……いいか、体全体を使うんだ。肩、ひじ、手首と連動させて指を動かせ。指の動きはもっと早くだッ」

 想像上のイサミが口を開いた直後に、タクミが二人を叱責していく。

 

 その様子を横目で見ながら、億泰は楽しそうに料理の下ごしらえを続けていた。

 

◆◆

 

 ドルチェ、ピーチ・メルバ

 それは桃とバニラ、フランポワーズのピュレである。

 フランス料理の聖典:ル・ギッド・キュリネールを著したオエスコフィエが考案し、ソプラノ歌手ネリー・メルバの名をとって作られたそのドルチェは、濃厚なバニラアイスと桃の甘さにラズベリーの甘酸っぱさが加わることで、初恋を思い出すともいわれる魅惑の味わいだ。見た目にもバニラアイスの白色、桃のピンク色、ラズベリーの濃い紫色のグラデーションが美しい。

 実は今回のコースを作るにあたって、アリスと丸井が最初に決めた品目が、このピーチ・メルバであった。

 だが桃は夏の食べ物。もちろん冬の今も手には入るが旬は過ぎている。そこでアリスと丸井が桃の代わりに採用したのは今が旬の『柿』であった。

 流通の問題で日本ではなかなか見ることがないが、本来真っ赤に完熟した柿は桃以上に柔らかくジューシーなのである。あまりにも柔らかいので、イタリアでは皮を手で剝きスプーンで中の果肉を救って食べるほどだ。二人が今回使用する柿も『完熟』したものだ。

 

 それだけ柔らかければ、下処理は難しい。だが、二人をサポートするのは遠月リゾートの総料理長 堂島。彼にとっては児戯にも等しい作業であった。

 いとも簡単に柔らかな柿を荒い、ヘタと皮をむき、丁寧に下処理をした柿はアリスが煮詰め、固めていく。

 

 その横では、丸井がコーンシロップ・水あめを混ぜたものに卵白を混ぜ入れ、必死に泡立てていた。卵白を泡立てる作業は重労働だ。丸井の目からあっという間に生気が消え、虚ろになっていく。

 

(むっ……)

 堂島はボールに塩を振った氷水を張り、丸井に渡した。

「丸井君、ダレル前にこれで冷やしながらやりなさい」

 

「はっ、はひっ」

 丸井はへなへなであった。

「もっと体全体と手首を使って早く泡立てたほうがいい。そのスピードでは、ただ疲れるだけだ」

「ははひっ」

 丸井がカクカクと首を上下させた。その顔は真っ白だ。

 ただでさえ、ホイップを立てることは重労働なのに、昨晩ほとんど寝てない状態で、すでに半日吹きさらしの野外で調理を続けている。当然丸井の体力は尽きかかっていた。

 

 卵白を泡立てることなど、もし堂島がやれば一瞬で終わるだろう。だがここは彼が自分でやりきることが大事だ。堂島は心を鬼にして丸井を見守った。

 

 丸井は、震える手と膝を強引に押させこみ、精一杯のスピードで卵白を泡立てつづける。フラフラだが、スピードは何とか十分なスピードを保ったまま、丸井は頑張り続けた。

 

(フム……彼も成長したな)

 堂島はなんとか耐えている丸井の様子を確認して、ひそかに胸をなでおろした。体力は鍛えればすぐにつくというわけではない。今回のスタジェールを経て彼がこの試練を乗り切るのに必要な体力を身に着けることができたかどうかは、未知数だったのだ。だが彼は何とか賭けに勝ち『間に合った』ようだ。

 

 丸井はフラフラしながら、必死に泡立て続ける。

 やがて泡だて器を上げると、ちゃんと角がプルっと立つようになった。丸井はラストスパートとばかりに理想の硬さになるまでクリームをかき混ぜ続けた。そして……

「おっ……終わったぞ」

 丸井は息も絶え絶えにしゃがみこんだ。その唇は酸欠で紫に染まっている。そのままひっくり返って、金魚のように口をパクパクさせた。

 

「あら、アリガト」

 アリスは出来上がったクリームをひとなめすると、そこにミルクフレーバーとバニラエッセンスを加えて更に泡立てた。

 さらに、マシュマロを焼いてできたどろどろの流動物に、そのクリームを落とし入れ、さっと混ぜる。

 

 マシュマロクリームの完成だ。

 本来、ピーチ・メルバにはアイスクリームを入れる。だた冬の寒い時期に、しかも野外でゲストにアイスクリームを食べさせるわけにはいかない。二人はその代わりにマシュマロクリームを焼いて、温かいがソフトクリームのような味わいを生み出すことにしたのだ。

 

 そして柿を煮詰めて作ったピューレを器に盛り、その上にマシュマロクリームをたっぷりと乗せ、バーナーで表面を焼き上げていく。そこに山ぶどうを煮詰めたソースをかけまわしたら完成だ。

 

 アリスは待ち構えている二人のゲストに向かって、完成したばかりのドルチェをサーブした。

「お召し上がれ。名付けて『冬のホット・メルバ』……ですわ」

 

「あら、見た目はまともなのね」

「ほうっ」

 

 アリスが出したその逸品を見て、ゲストたちの目がひと時だけキラリと輝く。

 グラスの底には、濃いオレンジ色の柿のピューレがあたたかな色を放っている。その上に白いマシュマロクリームが乗っており、その表面にはほんのり焼き色が入っている。そして赤紫色の山ぶどうのソースがアクセントとなり、目にも美しい一品だった。

 

(フム……『冬のホット・メルバ』か。この冬空の下で客に『出すべきもの』をしっかりと分かっている。しかも野外で得意の化学調理器を使わずともこの出来栄え。得意の分子料理のエッセンスも盛り込んでいる。フム……二人とも間違いなく『成長』したな)

 堂島は誇らしげに二人の生徒たちを見やった。もっとも丸井は地面に寝ころび、完全に気絶しているが……

 

「……見た目は最後を締めくくるにふさわしいな。しかし味わいはどうかな」

「今回はまともそうな料理ね。でも、ピーチメルバなら私も作ったことがあるわ。あの組み合わせは本当に繊細なバランスの上で成り立っているのよ。それを秋の果物で再構築するなんてずいぶん冒険したものね……その挑戦が成功したのかどうか確かめてあげるわ」

 

 三太と由花子は、ほぼ同時にスプーンへ手を伸ばした。

 

◆◆

 

「プリモピアットは二皿出してくれ」

 突然の三太のオーダーに、タクミは耳を疑った。

「お客様、今なんと」

「だからプリモピアットは二皿、別々の品を出してくれ……とそう言ったのだ。二度とは言わんぞ。できるだろ」

 三太は尊大そうな口調で命令した。

 

「……かしこまりました」

 

(おいおいっ! なんで受けるんだよッ)

 タクミの脇腹をニーノが小突いた。

 

(そうよっ、こんな野外の調理場で急な追加オーダーだなんて、受ける義理はないわよ)

 ルチアもタクミに詰め寄った。

 

(大丈夫、それに客のオーダーに答えるのは我々の当然の務めだ。ここにいたのがマエストロ・トニオだったとしても、当然ご要望を受けたはずだ)

 

(そりゃあ、パパだったらね)

(ハッ、おめぇ、オヤジと同格のつもりかよ)

 

(そんなことは思ってないッ! だがマエストロ・トニオ同じように真摯にゲストに向き合い、ご要望にお応えして、ゲストを観て、そして料理を出したいんだッ)

 それがトラサルディのやり方だろ? 

 タクミがそう言うと、二人も不承不承うなずいた。

 

「……で、実際どうするのよ」

「それは今から考える」

 タクミは腕を組んだ。

 

 ちょっと……大声を出そうとしたルチアとニーノの頭を、億泰がポンとなぜた。

「おたおたすんなよ。落ち着いて『考えれば』なんとかなると俺は思うぜぇ」

 

「そりゃあ、おっくんならそうだろうけどさぁ」

 ルチアが少し甘ったれた口調で億泰のそでをひっぱる。

 

「おいおい、コイツはけっこうやる奴なんだぜぇ。信じて待ってろよ」

「そうかな、俺にはそうはみえねぇけどなぁ」

 

 自分の周囲で交わされているそんな会話さえ、すでにタクミの耳には全く入っていなかった。タクミはすべての集中力を動員して次に作るべき品を考え始めていたのだ。

 アンティパスト:パンツァネッラ

 プリモピアット:パッパ・アル・ポモドーロ

 セコンドピアット:フィレンツェ風オッソブーコ

 コントルノ:ポレンタ

 ドルチェ:ウォーヴォ・フリッタータ・バンビーノ(いたずらっ子の目玉焼き)

 

 これが、当初タクミが組み立てていたコースであった。

 

 アンティパスト:パンツァネッラ

 堅くなったパンを水、ワインビネガー、オリーブオイルに浸し、フレッシュトマトやスライスオニオン、バジリコ、キュウリなどで和えたもの。トスカーナの夏の定番冷製料理で、タクミがイタリアの実家で厨房に立っていたころからの得意料理だ。

 

 プリモピアット:パッパ・アル・ポモドーロ

 トマトのパン粥。フィレンツェの名物料理だ。同じく硬くなったパンをトマトとブロード(出汁)で煮込んでいく。こちらはすでに出来上がり、火からおろして寝かせているところであった。一度寝かせることで具材がなじみ、味わいが深まるのだ。伝統的な作り方よりもパンの量を減らし、その分野菜を増やすことで爽やかさと軽さを増す工夫をしている。

 

 セカンドピアット:オッソ・ブーコ(仔牛のすね肉の煮込み)

 オッソブーコはミラノ風が代表的で、ワインと香味野菜で煮込んだすね肉をサフランライスを添えていただくものだ。だが今回はあえて、フィレンツェ風のオッソ・ブーコを作ることにしていた。トマトピューレをたっぷりと使い、仕上げにすりおろしたレモンピールとバジルをつかった素朴だが深い味わいの品だ。

 

 さらにコントルノとして、ポレンタをオッソ・ブーコに添えている。

 ポレンタとは、トウモロコシの粉に水と塩を加えて甘みが出てもっちりした触感になるまで煮詰めた、いわば粥だ。シンプルな料理ではあるが、じっくりと火を通すことで糖化がすすみ甘みも触感も増していく。

 

 そして最後に、ドルチェ:ウォーヴォ・フリッタータ・バンビーノ(いたずらっ子の目玉焼き)

 トニオのアドバイスを受けて、杜王町の面々に提供したものからさらに改良を加えた自慢の一品だ。

 

 タクミの地元であるトスカーナ・フィレンツェ地方の品で構成された、考え抜いた構成であった。(当然、父親のルーツであるナポリ風の構成ではないことにルチアもニーノも不満たらたらであった)

 

 だが、残りの材料も少ない中でもう一品作る……

 いったいどうすればよいのか。

 

 たぶん同じ材料を使い、似たような味わいの料理なら作れるだろう。それならコースのバランスも崩れない。

 

 しかしそれでは、わざわざプリモ・ピアットを二皿作る意味がなくなってしまう。

 

 まったく違う味わいの品を作りつつ、コースのバランスを取りなおす。それが求められていることであった。

 

 準備しているプリモピアットは、パッパ・アル・ポモドーロ(トマトのパン粥)

 トマトとブロードをベースにしたさわやかで軽い品と対比させるとすれば……それは食べ応えのある一品……という事になる。

 だがコース自体は、ここで軽めの品が来る前提でち密に組み込まれている。

 ならば……

 

「ねぇ、あんまり時間がないよっ」

 焦るニーノとルチアをしり目に、タクミは目をつぶってじっくりと考え続けている。

 

 そこに三太が近寄ってきた。

「わがまま言ってすまんな……だが、これも我ら一族からの『試し』と心得よ」

 顎を上げ、文字どおり若きクォーコ(料理人)達を見下しながら和彦が言った。まるで、地面に落ちたキャンディーに群がる蟻を見ているような冷たい視線だ。

 

 その視線に少なからずムッとしながらも、タクミは丁寧に答えた。

「いえ、ゲストの希望に答えるのは我々クォーコ(料理人)にとって当たり前のことですから」

「フム……頼もしいな。だが食材は足りるかね? こちらからえりすぐった食材をいくつか提供しよう。いいか、それらを3点以上、確実に料理に組み込んでいただきたいのだ」

 有無を言わせない口調だ。

 

 それも今タクミたちが直面している『試し』の一環なのだろう。タクミがそう考えてうなずくと、三太は大きく手をたたいた。

「鉄継ッ 別宮 鉄継(ベツグゥ カナツグ)ッ! ここに出てこい」

 

 三太が声を張り上げると、境内の外、山に上がる道から何かを引きずる物音がした。そして、つんつんスパイクヘアーの男がスチロール箱を持って息せき切って駆け下りてきた。

「お持ちしましたズラ」

 別宮と呼ばれた男は、はぁはぁと息を荒くしながら言った。ケースのふたを開けて中身を見せる。

 そこには、肉厚のマイタケ、にんじん、ゴボウ、セロリ、ショウガ、それにギョウジャニンニクがあった。

 

(げげっ、こんなのイアリアンの食材じゃぁないわよ)

(ニンジンとセロリぐれぇか……あと1品をどう選ぶか、厄介だな)

 

 ひそひそ声で話し合うニーノとルチアをしり目に、タクミは目を輝かせていた。むんずと食材をつかみ、弾力を確かめ、においをかぎ、ちょっと齧って味を確かめる。

 そこにひょっこりと億泰も顔を出した。億泰も興味深げに食材をチェックしてみる。

 

「これは、いい食材ですね」

「おぉ〰〰。こりゃあ、市場では見たことがねぇぜ。どこの食材だぁ?」

 

「わが村でとれたものだ」

 三太がわが意を得たり、とうなずいた。

「好きなものを心置きなく使うがいい」

 

「そりゃあいいなぁ、タクミィ、どうすんだ?」

 

 タクミはうなずいた。

「もちろん、全部使わせていただこうと思いますッ」

 

 ピュウッと、億泰が口笛をふいた。


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