食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ)   作:ヨマザル

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メランゾ(間食)

「では億泰サンお願いしますッ!」

「オオッ!」

 トニオと億泰はすぐさま動き始めた。

 

 億泰はマグロの頭の部分から、スプーンで肉を掻きとり始める。

 トニオはその様子をじっと眺めた後で、一言、二言、億泰に話しかけた。

 

 億泰はそのトニオの指示に素直にうなずいた。そして、一すくいでかきとる肉の量を先ほどより少なめに調整した。

 億泰とて一国一城の主、それなりの修行を積んだイッパシの料理人だ。だが億泰は、そんなプライドは微塵も見せない。トニオの指示に忠実に従っていた。

 

「では私は……」

 トニオはトリッパを作るためにマグロの内臓を取り出した。さっと冷水で洗い、さらにイタリアンワインをボールに開け、そこに内臓を浸す。

 簡単な仕事だ。なのに一切の無駄がない為、『天使が舞う』ような華麗な動きに見える。

 

 一方、一生懸命動き出したトニオと億泰をしり目に、タクミと涼子はほとんど身動きもせずに何を作るべきか考え続けていた。

「涼子さん……ズッパとコントルノ、どっちがいい?」

 タクミが尋ねる。

 

「……できれば私はコントルノがいいわ……タクミ君が良かったらだけど」

「なにを作るか、決まったの?」

「まだよ、まだ決心がつかないの」

 

 でも……考えがあるの。

 涼子は真剣な顔でノートを開き、これまでの研修中にまとめた箇所を真剣に読み始めた。

 

 何を作るべきか、タクミにはほとんど迷いがなかった。

「わかった、じゃあ俺はズッパを作るよ」

 タクミはそう言いながら鍋をとりだし、すでに仕込まれていた鶏肉と野菜のブロードをすくい、その鍋の中に混ぜ合わせていく。

 さらにイタリアンセロリなどの香草を刻み、合わせたブロードに放り込む。

 次にタクミはアーモンドを取り出した。それをから焼きして香りを立たせ、さらに細かく挽いていく。

 

(いいぞ。素晴らしい香りだ……だがまだだな、これではまだ『普通の料理』だ。奴の料理に比べたら…………)

 少し考えたタクミは、もう一つ食材を手に取った。それは普段料理に使われることが滅多にない、特異な、だが当たり前の食べ物だッ! 

 今のタクミだったら、扱いの難しいこの食材を扱う事が出来るハズだ。

 

(やるぞッ! 俺はこのスタジェールで、今までのオレをぶっ壊して前に進むんだッ)

 ……

 その時だ。タクミは自分を見つめる厳しい視線を感じたような気がした。

(……観られている……)

 その感覚……それは、タクミが破れた秋の選抜料理会の準々決勝の時を思い起こされた。

 

 あのときタクミは、対戦相手の美作卓の執拗なストーキングによって戦略を丸裸にされ、全く同じ料理を出されて負けた。

(パーフェクトトレース……誰かが俺を観察している…………)

 タクミはぶるりと身を震わせ、そんな考えを頭から追い出した。

(……考えろ…………アイツならどうする…………)

 タクミは一旦止めていた手を再び動かし始めた。

 その脳裏から美作の姿は消え、代わりにタクミがライバルと見込んだ『あの男』の背中が浮かんでいた。

 

◆◆

 

 来客者たちはほぼ集まり、パーティはゆっくりと始まっていた。広いとは言えないトラサルディの店内は閉められ、トニオはテラス席と、テラス席に面した庭、そして庭から外階段でつながっている二階の居間を、パーティー会場として開放していた。

 

 涼子は何を出すのか決心がつかないままに厨房を出て、ヴェルジーナを手伝っていた。客を『観』れば、少しは考えが固まると思ったからだ。

 

 涼子は食前酒を調合し、来客者たちに配って歩く。

 よく見れば来客者の半分は見覚えがあった。一度か二度、トラサルディ―に顔を見せたことがある人物の様であった。

 あの長髪の小柄な男は、確か名前は『はまだ』だったか、『ハマサダ』だったか。

 

『ハマサダ』は、むっつりと不機嫌そうにワインをすすっている岸部露伴にむかって、あれこれ一生懸命話しかけていた。だがモチロン岸辺露伴の方は『ハマサダ』を完璧に無視していた。一生懸命なのに完璧に無視されて、ちょっとかわいそうな感じがする。

 

 そしてさきほど涼子を助けてくれた青年、広瀬康一はゴージャスな美女を連れて、あちこちに話しかけていた。彼は皆に好かれているらしく、どこに行っても歓迎され、仲良さげに話しかけられている。だが大抵の来客者が、康一にはフランクに話しかけるのに、一緒にいる美女をちょっと警戒しているように見えるのは、どうしてだろうか? 

 

 部屋の隅でなにやら噴上に怒られている角刈りの小柄な男は、見たことが無い。

 でも、その噴上をいさめようとしている、頭にサングラスを乗せた少女は見たことがある。その隣のひょろっとしたメガネ男子もだ。

 

 近くによると彼らの声がいやでも耳に入ってきた。

『……ちょっと、早人センセーも言ってやってよッ!』

『えっ、いゃ……噴上サンと玉美サンのお二人のお話にボクが首を突っ込むのも、ちょっとね……』

『早人サンッ! そんな事を言わずに、チョッとアッシにフォローを入れてくださいよッ』

『フォローだあ? 何言ってんだ玉美ィーこの俺のショーカイが気にくわねーのか?』

『そ、そんなこと言っても、その(女の)ヒト、たっ……体重90kgだって言うじゃあねぇっすか。アッシのダブルスコアっすよぉ』

『バッかオメ~いいか、スケの価値は外見じゃあねェ。わかってねぇなぁ……』

『そっ、そんなこと言ってもモノには限度ってもんが……』

『なぁに言ってるの? カッワィィ──じゃないの、この娘ってばぁ』

『静……口調が嘘クサイゾ』

『うっさいわね、クーキ読みなさいよ、このムッツリメガネッ』

 

 あらあら……涼子は肩をすくめてその横を通りすぎる。

 脇を通るときに、噴上の腕をつかんでいた明美と目が会う。明美はペロッと舌をだし、涼子に向かってウィンクを決めてくれた。

 

 次に涼子が向かったのは……

 長髪を金色に染めた、ハデな男の近くだ。そのとなりにはウェーヴのかかった紫色の髪を伸ばし、ギターを抱えた男が落ちつかなげに立っている。

 男が話しているのは広瀬康一だ。

 

 アノヒト達だ……涼子は胸をときめかせた。そっと近寄り、黙って食前酒を差し出す。

 

「ああ、ありがとう」

 真っ先にグラスを受け取ってくれたのは康一だ。涼子にニッコリと笑いかける。

「さっきは大変だったね」

 

「助けてくださって、ありがとうございました」

 

 イヤイヤ大したことしてないよ……と康一が肩をすくめた。

 替わって康一のとなりに付き添う美女が涼子に話しかけてきた。その美女は誇らしげに自分のことを“広瀬”由花子と名乗った。

 だが、涼子に話しかける口調は少し固い。

「……アナタ、どうしてトニオさんのところに、もぐ……働くことができたの?」

 

「いえ、実は私は料理学校の学生でして……」

 涼子はそういうと、自分が学校の行事で『研修生』としてトニオの店に修行に来ていることを説明した。

 

「へぇ……料理学校ねぇ……じゃあ、貴方も料理をするのね」

 どれ程の腕前なのかしら……

 由花子がボソッと言った。

 

「あの……実は一品、私も料理を作らせてもらいます」

 

「あら、それは楽しみねぇ」

 少し嘲るような口調なのは、間違いなかった。

 

 涼子は反感を精一杯隠しながら、由花子に微笑んだ。

「ハイ。まだまだトニオさんの足元にも及びませんが、がんばります」

 

「そう……」

 何か言いかけた由花子の腕を、康一が引っ張った。

 

「何? 康一サン」

 

「由花子サン……ええと、庭に出てみないかい? 月がきれいで、ロマンチックだよ」

 

「あら、素敵ねぇ」

 由花子の仏頂面が、パッと華やぐ。そして康一の腕を取り、早く見に行きましょ……と自ら引っ張っていく。

 康一は、涼子だけに見える角度から、パチっとウィンクをして見せた。

 

◆◆

 

 由花子と康一去り、目の前には、例の二人だけが、立っていた。

 なんて話しかけよう……

「……その年で自分の行く道を決めているなんて、感心です」

 と、長髪の男の方から、声をかけてくれた。

 

 ドキン

 

 涼子の胸が、高鳴る。

 話しかけてくれたのは、ミキタカゾ・フロム・ジ・マースのボーカル、ミキタカゾだ。

「何を作ってくれるのですか?」

 

「そっ、その……まだ悩んでいるんですッ」

 

「悩んでいる? どうしてですか」

 ミキタカゾは首をかしげて見せた。その表情が不意に茶目っ気たっぷりにかわる。そして傾げた首が90度以上に折れ曲がる。

 はたから見ていると、頸椎が折れているようにさえ見える、異様な角度だ。だがモチロンそんなことはない。これはミキタカゾの名を一躍有名にした『宇宙人』パフォーマンスのひとつなのだ。

「余計なことは考えない。決めたら走る……それが地球人のスゴイところでしょ」

 

「……あっ、いえ……それはそうなんですが……」

 

 尚もモジモジする涼子に、ミキタカゾがゆっくり話しかけた。その声が少し力を帯びる。

「舞台に上がるまでは、悩むのもイイと、思いますよ。でも、舞台を目の前にしたら、もう迷ってはだめです。そこまで行ったら、後は思いっきりやるだけですヨ…………涼子さん、アナタはもう厨房にお戻りなさい。今アナタがいるべきなのは、ここじゃあないでしょう」

 

 と、その時だ。

「じゃあ俺も舞台に上げてくれよ」

 涼子の背後から、押し殺した低い声がした。

 振り返ると、そこにはギターを抱えたニーノが立っていた。少し離れたところでルチアも腕組みして壁に寄りかかっている。

 

 ミキタカゾがにっこり笑った。

「おお、ニーノ、ルチア、三年ぶりですか? 大きくなりましたねぇ……中学生ですか」

 

「14歳になったわ」

 ルチアが言った。腕組みを解いてニーノに近づくと、その肩に手をかける。

 ニーノはルチアにうなずきかけた。そしてゆっくりとギターをわきに置き、膝をつく。がばっと手をつき、頭を床にこすりつけた。

「ミキタカゾさんっ、オレ……音楽をやりたいんですっ。アンタの今度のツアーに連れていって欲しいんです。どんな下働きでも、何でもしますッ! 俺にギターを教えて下さいッ!」

 

「ニーノ……そんなこと、止めて下さい。立ち上がって、少し話をしましょう」

 ミキタカゾがひざまずき、ニーノの肩に手をかけた。

「君はまだ学生です。学校を休んでツアーに帯同してもらうことは出来ませんよ。それに君のお父さんとお母さんが許してくれませんよ」

 

「おっ、親父とおふくろはカンケ―ねェっす。これは俺が……俺がしたいことなんす」

 

「私からもお願いしますッ!」

 ルチアも、ニーノの隣で両手をついた。

「ニ―ノはずっと一生懸命練習してきました。彼の夢を、かなえてあげて下さいっ」

 

「ルチアまで……困りましたね」

 ミキタカゾが天を仰いだ。

 

 騒ぎを聞き付け、母親のヴェルジーナが駆け寄ってきた。

「二人とも、お客様の前で、止めなさいッ!」

 そう言って二人を立たせようとするヴェルジーナに、ルチアがくってかかる。

 

 しばらくして、呼び出されたトニオが目にしたのは、

 旧友の前で土下座をする息子

 その隣で、かしましく口喧嘩をしている母娘

 おろおろしている涼子

 ……そしてその様子を面白そうに見ている杜王町の仲間達だった。

 

◆◆

 

「……成る程……」

 関係者から話を聞いたトニオは、無表情にうなずいた。

 そしてトニオは、ギロリ……と我が子:ニーノ・トラサルディーを睨み付けた。ニーノは日本式の正座をさせられていた。その手が、小刻みに震えている。

「つまりニーノ、お前はお客様を困らせた……そういうことですカ」

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 

 ニーノはトニオと視線も会わせず、答えようともしない。

 

「ニーノ……何故、黙っているのです」

「……」

「なるほど、つまり君は『罪は認めている』だが、『謝る気はない』そういうことデスカ?」

「……」

 

 その様子に黙っていられなくなったルチアが、口を挟もうとする。

「パパ、ニーノを……」

 

「ルチア……今は黙っていなさい。君も同罪デスよ……君の話はニーノとの『話し合い』が終わった後で、やりましょう」

 

 ユラリ

 とトニオが立ち上がった。そっきまでの手の震えが、今は止まっている。その拳が強く握り込まれ二の腕の筋肉が盛り上がっていく。

 

 マズイ……その様子を見て、トニオの妻ヴェルジーナが顔色を変えた。そっとトニオに寄り添い、その二の腕に自分の手を添える。

「あなた、許してあげて……ニーノも反省していますカラ」

 

「……イヤ、ヴェルジー……彼は君の言う通りに『反省』はしていると思う。でも、『タリナイ』。それが、問題デス」

 トニオは、優しく妻をけん制した。そうして、もう一歩、もう一歩、ゆっくりとニーノに近づく。

「ニーノ、今から君に、罰を与えます。解っていますね、この罰はワタシの『愛』からくるものだということを……」

 

 その時……

 

 ザシュッ

 

 苦虫をかみつぶしたようなトニオの腕を、再び掴む者がいた。

 億泰だ。億泰はニカッと笑いトニオの肩をたたいた。

「トニオさんよう……イヤ、アンタの家族のモンダイに口を突っ込むツモリはさらさらねぇんだがよぉ~~ちょっとイイか? 先に『俺の問題』を片付けさせてくれや」

 

「…………ドウゾ」

 トニオは一瞬いぶかしげに眉を吊り上げかけた。だがすぐに引き下がった。何故かその顔からは怒りが消え、代わりに少しだけ心配げな表情が、浮かんでいる。

 

 だが、億泰はニーノを通り越した。そのまま歩き続け、ミキタカゾの隣に突っ立っているギタリストの目の前に立った。

 怯むギタリストを下から舐めつけるようにして、ギロリと、すごんで見せる。

「よぉ……久しぶりだなぁ~~『元気』かよぉ? 音石ィ~~」

 ギタリストはビクッと震えた。

 この男の名は『音石 明』。

 凄腕のギタリストで、かつて億泰の兄を『殺した』男であった。これまで別の罪で服役していたが、つい半年間に出所したばかりのこの男を、ミキタカが自分のバンドにスカウトしたのだ。

 

 億泰が、声を張り上げた。

「オヤジぃ~~、那由多ァ~~」

 

「あぎゃぁっ?」

「あっ、パパ……お仕事終わったの?」

 億泰に呼ばれ、億泰の父と娘がトコトコとやって来た。やってきた二人は、億泰に言われるがままに、ニーノの隣にちょこんと座りこんだ。

 そして億泰は、ポケットに手を突っ込んだまま目の前のギタリストにメンチを切る。

「ニーノ……親父ィー那由多ァ~~、この兄ちゃんがギターを引いてくれるそうだぜェ」

 

「ぎゃっ!」

「ホント? 何を引いてくださるのですか?」

「えっ?」

 

「!?」

 固まる音石、その手首を億泰が軽くねじりあげた。

「オイ……おめぇ一曲やれや……聞いてやるぜ。そしてこの子に……トニオさんとこの倅に、プロの腕ってぇのをを見せてやりな」

 そういって、ニーノの方を顎でしゃくった。

 

 自分の名前が呼ばれニーノは顔を上げかけた。

 

 億泰はこんどはニーノの元へやってきた。しゃがんでいるニーノの肩を両手でガシッと掴む。その手に力を籠め、強引にニーノを立がらせた。

 

「なんだよォ……オクさん」

 

「よお~~オメェ~~、ギタリストってよぉ。マジなのかよ」

 

「おっ、もちろんっすよ」

 

 へぇ……

 億泰は、ジロリとニーノを睨みつけ……一転して笑顔になった。笑顔のまま、ニーノの頭をポンと叩く。

「本気だったらよぉ~~~『オメェ』もコイツの後で、弾いてみろや。聴いてやるぜ」

 

「おっ、おう…… 」

 ニーノがカクカクと首を傾ける。

 

「じゃあ、始めろや。音石よぉ」

 

「わっ、わかった……わかったよ」

 音石は懐からマスクを取り出した。灰色の無表情なデスマスクだ。音石は『ミキタカゾ・フロム・ジ・マース』のギタリストとして活動するときは、必ずこのマスクを被って、活動しているのだ。

 音石はマスクを広げ、そこに顔を突っ込む……

 その時

 

 パシュッ

 何故か音石が被りかけていたマスクが『消え』た。

 

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 ────────────────────

 

 手にしたマスクが掻き消え、音石は動揺した。

 その体から黄金に輝く爬虫類のようなビジョンを出現させ、周囲を警戒する。

 そのビジョンは、ボロボロの壊れかけた人形のような姿だった。四肢やボディーのアチコチが、崩れている。

 

『ううっ……これは』

 その人形……レッド・ホット・チリ・ペッパーの頭が、がっしりと掴まれた。

 レッド・ホット・チリペッパーを掴んだビジョンもまた、スタンドだ。それは、右手で触れたものを削り取る能力を持つ億泰のザ・ハンドであった。

『よぉ……いつまでも”こんなもの”つけてねェで、素顔でやれよ』

 ザ・ハンドは、『左手』でレッド・ホット・チリ・ペッパーの頭を締め上げながら、口を開いた。

『今は《音石明》として演奏しろや……本気でよ、トニオさんとこのボーズに伝わるようによぉ~~』

 

『あああ……』

 

 音石はコクリ……とうなずき、ギターを構えた。

 

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 ff ♪ ♬♬……♪ ……

 音石の指が弦の上を踊り出す。指の動きに会わせ、ギターが狂おしい音をかなで始めた。それは、圧倒的な音だ。大したボリュームでもないのに、その音色からは、物理的な圧力さえ感じられるようだ。

 その音色は、超攻撃的な繰り返しのビートを刻みながら、だが確かにそのうらにメロディアスな旋律が隠されている。それは、圧倒的な技術に裏打ちされ、聴く者の感情を激しく揺さぶるリズムであった。

 

(すごっ……)

 涼子は、思わず息をのんだ。

 

 そのリズムはどんどん早くなっていき……

 

 そしてミキタカゾが、歌い始めた。

 極低音から、徐々に段階を上げて超ハイトーンまで音程が上がっていく。それはまるで、歌声と言うよりも『楽器』のように聞こえるほどだ。

 皆、会話を止めた。そして、目をつぶったり、旋律に合わせて体を揺らしたりと、思い思いに音楽を楽しんでいた。

 

 攻撃的なリフにのせられたミキタカゾの声を聴くうちに、自然と心が高揚していく……

 

(…………)

 そんな中、ニーノは、ただ一人真っ青な顔で立ち尽くしていた。

(俺、おれ、こんな曲の後で、弾くのかよぉ…………)

 

◆◆

 

 ひとしきりミキタカゾの歌を聞いた涼子は、そっと厨房に戻っていった。

(私は、私の場所で戦わないと……)

 何を作るべきか、意思は固まっていた。

 ……そうだ、今こそ殻を破るときなのだ。

 もう一度ノートを開き、これまでの研究成果をまとめた箇所を丹念に読みふける。その後目を閉じ、大きく息を吸い込む。身体中から、必死に勇気をかき集める。

 

 涼子は冷蔵庫の中を開けた。

 冷蔵庫の中から目を付けていた野菜を取り出していく。

 野菜の皮を薄くむき、キンキンに冷やした塩水でさらす。

 晒した野菜は、繊維とほぼ平行な向きに切っていく。

 可能な限り細胞をつぶさないよう、丁寧に、だが手早く、心を込めて切っていく。

 その上に、水気をとったトマトを指で潰し、ほぐしながら入れる。

 トニオの菜園からルッコラやケールなどの、野性味が強い野菜を取ってくる。それをザクザクと手でちぎり、オリーブオイルをまぶしていく。

 最後に『トニオ秘伝のドレッシング』をうっすらかけ、さっと合えていく。

 ずっと横目で見ていたトニオの仕事、基礎のレベルが高すぎて、下手に涼子がチャレンジしても上手くいかないだろう。だが、このサラダなら……

 これまでさんざん仕込みをしてきた『ソフリット』その技法を最大限に生かすことができる。トニオには及ばないまでも、及第点が取れるだけの仕事が出来ているはずだ。

(よし、ここからよ)

 涼子は、冷蔵庫から小さなタッパーを二つ出した。

 緊張で、心臓がバクバクしている。二つのタッパーは、ここ数日、涼子がずっと試していたものだったからだ。

 特製のパンを薄く切って、カリカリに焼いたトーストにする。

 トーストに、オリーブオイルを振りまわす。そのオリーブオイルには、ハーブの香りがしっかりと浸みこまされている。トニオ特製のオイルだ。

 そしてタッパーを開け、涼子がこの日のために仕込んでいたものを取り出す。

『それ』を取り出し、サッと冷水で洗う。

 薄く切りわけ、トーストに乗せる。

 先ほど作ったサラダと、それから軽く戻した干しブドウを、トーストの間に挟む。

 涼子の顔が、少し微笑んでいた。

 

◆◆

 

 一方のタクミは脇目も降らず、一心不乱に働いていた。

 タクミが作っているのは、アーモンドのズッパ(スープ)。アーモンドの薫りが立ち上る、深みのある味わいのスープだ。そこにタクミが考えたオリジナルの工夫を盛り込んでいく。

 まずは基本のブロードを調合し、ベースとなる味わいを組んでいく。そこにさっとローストしたアーモンドを細かく挽いたものを加え、煮出していく。

 となりのコンロに小鍋をのせ、ピーナッツ油を温めておく。

(負けてたまるか……)

 タクミの脳裏には、『とある光景』が浮かんでいた。

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 ────────────────────―

 それは、一対一の料理勝負:食戟の場だ

 俺と向き合っているのは、アイツだ。

 

「タクミ、じゃあ、戦るか……俺とお前、どっちが勝つのか、勝負だな」

 アイツはそう言って、俺を指差す。

 こちらも、望むところだ。あの合宿の日、つけることが出来なかった俺たちの決着を、今、つけるのだ。

 

「初めっ!」

 掛け声とともに、俺達は料理に取り掛かる。

 俺が作るのは、やはりイタリアンだ。正統派のカルボナーラ……パスタにパンチェッタ、生クリーム、それに生卵をたっぷりぶちこむ。シンプルだが、日本で言う「卵かけご飯」のような直接的に美味いパスタだ。

 しかしそのパスタには、このスタジェールで学んだ日本料理の技法、イタリアンの技法を駆使して、複雑な下味を施してある。シンプルだが奥深い。俺が目指すのは、そんなパスタだ。

 

 そして、仕上げだ……

(コイツで見た目にも美しく、複雑な味わいを作り出してやるッ!)

 俺は『カリアリ梅』を取り出した。細かく刻んで、粒胡椒を荒く挽いたものと混ぜ会わせる。

 出来上がった赤と黒……酸味、辛みと芳香をたっぷり称えるつぶを、皿の上に回しかける。

 

(完璧だ……勝ったな)

 出来上がった皿は、真っ白なクリームソースの上に黒と赤のつぶが舞っている。我ながら、美しい一皿だ。

 満足した俺は、背後を振り返る。料理中のヤツの背中を、眺める……

 

「へえ……キレーな皿、つくるじゃあねーか」

 ヤツが振り返り、ニヤッと笑う。

「さっすがタクミ、おっしゃれーだな……『そこに痺れるアコガレるぅぅ──―ッッ』てな」

 けひっ

 …………

 ……

 あれ? 

 

 ヤツは、あんなゲスな笑いをするヤツだったか? 人が真剣に作った皿を見て、それを茶化す男だったか? 

 しかも、心なしかヤツの体が『大きくなっている』気がする。

 ヤツの背中が、細かく震えている……

「けひっ」

 ……

 なんだ、その不愉快な笑い声は……

 ヤツらしくないぞ。いったいどうしたんだ。

 

 俺は、奴の背中を睨みつけた。

 やはりだ、見間違いではない。

 奴の体が、ぐんぐん大きくなっていくのだ。

 

 一体どういう事だ……

 あれは……

 

 何時しか、奴の体はプロレスラーのような巨体に膨れ上がっていた。

 その体は、尚も不自然に膨らみ続ける……

 

 パンッ

 

 そして奴の体が、はじけ……

 中から美作が現れた。

 美作 昇。あの秋の選抜の料理コンテストで俺と対戦し、俺を破った男。

 弟を侮辱した男。

 対戦前に執拗に俺をストーキングし、コンテストの場で『俺と全く同じ料理』を作って見せた男……

 俺と弟の絆、メッザルーナ(イタリアンで用いる半月状の包丁)を奪った男……

 

「クケケケケ……アヒャヒャヒャ」

 振り返った美作は、俺を嘲った。

「見ろよ、あるでぃーにィ……」

 笑いながら、美作が自分の皿を見せた。

 美作の名称はパーフェクト ストーカー 

 奴の皿は、当然 俺が作っているものと同じ、カルボナーラだ。

 

 だが、 違うところもある。

 俺の皿に乗っている色は 白、黒、赤だ。

 

 だが奴の皿には、真っ白なクリームの上に、ピンクと黄色、そして黒い粒がちりばめられている。

 これが、アレンジ。奴は対戦相手の料理をコピーし、そこに『ほんの少し』だけアレンジを加えるのだ。

「アヒャヒャヒャヒャッ」

 美作は、嗤う。

「俺が使ったのは、ピンクペッパー、陳皮、コリアンダーシードだぜぇ……濃厚なクリームの中で、辛み、酸味、それに渋みが複雑なアクセントになっている。お前のシンプルなアクセントじゃあ、おれのカルボナーラにゃ、かなわねぇぜぇ……」

 

「ケケケケケケ……なんだよこりゃ、カリカリ梅ぇ? 幸平のまねっこかよ……つまんねぇなぁ」

 おまえ、劣化したんじゃあないかぁ

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 ────────────────────

「……クン? タクミ くん?」

 

「えっ……ああ」

 すっかり妄想の世界に使っていたタクミは、涼子に腕を揺さぶられ、我に返った。

 

 良く見ると、いつの間にか厨房には『来訪者』が来ていた。良く知っている友人に良く似た、『ボロキレ』のようなもの……がぐったりと座っていたのだ。

 いや、それはぼろきれではない。やはり、友人たちの様だ。

「吉野さん……丸井クン……」

 

「へへへへ……タクミッち、ひさしぶりぃ……」

 力ない笑みで、吉野が手を振った。ぷくぷくだったハズのその頬が、こけている。吉野は、ぶつぶつとひとりごちた。

「あぁ、ここは夜風が入らないから……あったかいなぁ……」

 

「り…………た……く……」

 もう一人の男、丸井に至っては、まるでミイラの様だ。疲れ切って、声もほとんど出ていない。

 

 と、厨房の外から、ヴェルジーナの声がした。声はかなり怒っている。パーティ会場にされていない、締め切った客室のほうから、その声は聞こえてくるようだ。

 客室をのぞくと、そこには橋沢育朗とスミレの二人が、ヴェルジーナの説教を受けているところであった。

「まったく、イクローさん、スミレちゃんッ! 何を考えているのッ!」

 

「……いや、面目ない……」

 

「非常識ですッ! いくら『修行』とはいえ、まだ高校生をここまで追い込むなんてッ!!」

 

「……」

 

 憤ったヴェルジーナが、イクローとスミレに延々と説教を続けていた。

 それを聞いていられなくなったトニオが、仲立ちする。

「ヴェルジー、気持ちはわかりますが、せっかくのパーティなのだからこのくらいにしておきましょう。それに、丸井クンと吉野サンは、思っていたより元気そうですよ。私の『特製スープ』を飲んでもらったので、一晩すれば元に戻りますよ……」

 

 トニオの後を追って、億泰が吉野と丸井を肩に担ぎあげ、客室に連れてきた。その後を追って、涼子とタクミも客室に入った。

「まっ、ここに寝かせておいてやろーぜ。二人とも、イイ寝顔で寝てるからよぉ……」

 億泰が言った。

 

「そうね、ここなら暖かいし、十分休めるわね……」

 ヴェルジーナはジロリとイクローとスミレをにらみつけると、ふたりの寝床を準備するために二階に上がっていった。

 

 ヴェルジーナがさり、少し静かになった。

 億泰が、ポツリとトニオに尋ねた。

「ところで、ニーノとルチアの二人はどうしたい?」

「……二人なら、トイレにこもっていますよ。今晩はトイレから出られないでしょう」

「おお、何か変なものでも食べたのか?」

「トラサルディに、『変なもの』などおいてませんよ」

 トニオは涼しい顔で答えた。

「でも、彼らはワタシの目の前で『ツバを飲み込みましたから』……今日やった『馬鹿な真似』の報いを受けさせることにしました。……これで、彼らも懲りることでしょう」

 

 二人の話を聞いていたスミレが、肩をすくめた。

「ねぇトニオさん、アンタんちの話に首を突っ込む気はないけど……ほどほどのところで許してやんなよ」

「もちろんです。彼らが『反省』したらすぐに解放してあげますヨ……」

「ほどほどにね……」

 スミレは、吉野と丸井をぼろ雑巾のようになるまでしごいた張本人だ。そんなスパルタのスミレが、少しニーノとルチアの兄弟を憐んでいるようだ……

 

 と、涼子がタクミの袖を引っ張った。

「……タクミ君、そろそろ料理を出す時間よ」

 

「ああ、そうだな」

 タクミは震える手で、汗をぬぐった。涼子と二人、皿の準備をするために厨房に戻る。

 丸井君と吉野さんは、あの調子なら大丈夫だろう。今は、自分たちの仕事に集中すべき時だ。

 

 と、タクミの手が一瞬止まった。

 美作も、ヤツも、ここにはいない。

 しかも、今タクミが作っているのは、アーモンドのズッパだ。カルボナーラではない。

 先ほどのイメージとは状況が違う。それはわかっている。 

 だが『観られている……』再びそう感じて、タクミは体の芯がヒヤリ……と冷えるような思いがしていた。

 

◆◆

 

 フランス料理とは異なり、イタリア料理にはズッパ(スープ)と出す個別のコースは無い。ズッパは、プリモ・ピアットとして提供するのが、一般的だ。

 

 コトリ

 タクミは、腕の中にずらりと並べたスープ皿を、会場の中央にしつらえられている大テーブルに並べた。

「どうぞ、アーモンドのズッパです」

 

 タクミの持ってきた皿を見て、杜王町の住人がどっとどよめいた。

 それは、アーモンドの薫り高い一品だ。中央部にはパスタを香ばしくカリッと焼き色が付くまで揚げて作った台が置かれている。その上にあるのは、白いアイスクリームだ。

 アイスクリームも、普通のモノではない。白米をドロドロに茹で、下味をつけてアイスクリーム状に固めたものだ。

 

「あら……オッシャレー」

「ふうん……悪くないな……アーモンドの香りが立って、美味いな」

「もちろん、トニオさんのペスカトーラ(漁師風 魚介のパスタ)は、サイコーだぜ。だが、コイツも悪くない……」

「イヤ、彼はまだ高校生だよそれを考えると、これは驚異的だよ。見た目も斬新だし」

 

 森王町の住人達は皆、目を輝かせてタクミのズッパを口に入れた。皆、口々にその味をほめたたえる。

 その中の一人、小柄なチンピラ風の男がタクミに近づいてきた。その男はタクミの腰をなれなれしく叩いて、友好的な口調で話しかけた。

「いや、トニオサンの皿とは全然違う味付けで、最初食べたときはチョットびっくりしたけど、単品で喰えばこりゃあうっめぇっすよ……オメ―才能あるよ……おおっ、このまま頑張って修行すりゃあ、もしかしたらトニオさんに負けず劣らねェぐれぇの凄腕になんかも知れねェ……アッシはそう思ったね」

 

「グラッツェ!」

 タクミは頭を下げた。

「マエストロ・トニオの皿にはまだ全然届きませんが、これからも修行を続けます」

 

「おお、頑張れよォ」

 チンピラ風の男は近寄ってきた噴上を見つけたので、あわててその場を立ち去りながら、言った。

 

 だがタクミは、チンピラが吐いた『ある言葉』が気になって、少し浮かぬ顔になっていた。

 

◆◆

 

 タクミが出したズッパの後で、トニオが作ったセコンド・ピアットが提供された。

 セコンド・ピアットは二品で、どちらか好きな物を選べるようになっている。

 

 マグロのトリッパは、マグロの腸をトマトソースで煮込んだもので、酸味のあるさっぱりとしたトマトソースに、コクのあるマグロの腸のコリコリした触感が楽しいひと品だ。

 マグロの色々焼き(グリリア ミスト ディ トンノ)は、マグロの頬肉、尻尾、大トロ、赤身……マグロを色々な部分に切り分け、岩塩、オレガノ、クローブ、オリーブオイル、胡椒等、それぞれの部位に最適な焼き加減、味付け、香りづけを施して焼き上げたものだ。

 

 皆、思い思いの皿を手に取り、がっついている。

 

 そして、その付け合せとして、涼子が作った一品が添えられていた。

 涼子が作り上げた皿は、二種類のオープンサンド(クロスティー二)であった。

 

「……これは……このクロスティー二はカプレーゼ(チーズとトマトを重ねた超定番サラダ)みたいだね。へぇ……カプレーゼをアレンジして薄切りのトーストに乗せ、トマトの代わりにチーズを主役に持ってきた……と言う訳か」

 やせっぽっちのメガネ少年が、考え深げに言った。

「……しかし、これでは……このトマトとチーズの組み合わせの配分では、酸味と塩味のバランスが、どうしても崩れると思うのだけれど……」

 

「ヘッエェ──―アンタ、イっちょマエにイタリアン なんて語っちゃうの? グルメさんなのぉ~~?」

 額にグラサンを乗せた少女が、バカにしたように言った。

 

 二人とも、涼子と同い年ぐらいであろうか。

 涼子は、そんな二人に微笑みかけた。

「そうね、でも考えがあるの……きっとうまくいった……と思うわ」

 

 ちょん……と涼子の作ったカプレーゼをつついたトニオの表情が、変わる。

「しかし……これは……普通のモッツアレラチーズではないのですね。アレンジを効かせてきたと…………」

 

「……そうです。これは……『私の』……カプレーゼ・クロスティー二です」

 涼子は、胸を張った。だがその唇は血が出そうなほどにギュッとかみしめられている。少し、肩も震えていた。

 

「そうですか……とにかく試してみましょう……いただきます」

 杜王町の面々は、涼子が差し出した皿を受け取った。

 トニオの作ったセコンド・ピアットの合間に、『涼子のクロスティー二』を口に運ぶ。赤、白、緑と美しい色の、クロスティー二だ。

 

 皆、クロスティー二を口に入れた次の瞬間、驚きのあまりその目が丸く開かれた。そして、一口……もう一口と、どんどん食べ進めていく。

 

 トニオの顔も、ちょっと驚いたような表情を見せている。

 

 自分の分をすべて平らげたタクミが、顔を上げる。その目に浮かぶのは……尊敬の目だ。

「涼子さん、このクロスティー二に乗っているものは……これはもしかして……アレかい? 涼子さんがこのスタジェール初日からずっと取り組んでいた……」

 

「ええ……」

 涼子は微笑んだ。背中に隠して持ってきていた二つのタッパーを見せる。その蓋を開け、少しだけ残っていた『白いモノ』に、それぞれ人差し指と中指を『プチュッ』と突っ込む。

 唇を開き、チロッと赤い舌を出して二本の指を舐め上げた。

「そうよ……こっちは『モッツアレラチーズの白味噌漬け』よ……コクがあってクリーミーだけれど癖のないモッツアレラチーズを、白みそにつけてみたの……そしてもう一つのこれは、チーズじゃないの……これは豆腐なのよ……『豆腐の塩麹付け』よ。一晩かけて水気を良くきった豆腐を『塩麹』でつけてみたの……ちょっとこれだけを食べてみて……さっぱりして甘い、微かに和風な香りがする、でもまるでチーズのような触感でしょ」

 

「ウン……これは、素晴らしいよッ」

 タクミがうなずく。

「しかも、この豆腐とトマトの間に入っているのは……」

 

「マグロの燻製よ」

 涼子は、少し頬を染めながら言った。その脳裏に浮かぶのは、燻製料理を得意とする、ぶっきらぼうな同級生の貌か。

「実は、燻製も私なりに勉強していたのよ。でもうまくいかなくて、結局、伊武崎クンに電話してね。熱燻のやり方を教えてもらって、やっと何とかなったわ。これで、しっとりした触感と香りをプラスし、そしてコースのテーマと合わせたの」

 ***熱燻とは、高温の煙に短時間だけ晒して風味をつけるやり方。このやり方で燻しても保存性が高まることは無いが、風味はつける事が出来る***

 

◆◆

 

 タクミと涼子の二人の作った料理は、好評だった。

 

 皆、最後のデザートを食べ、締めのエスプレッソを飲む。杜王町の住民たちは、一様に幸せそうな笑みを浮かべていた。

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 いつの間にか、トラサルディーの壁には、ピカピカの錠前がぶら下がっていた。

 そこを、緑色のトカゲのような獣が撫でていく。すると、その錠前に『ガランガランッ』と言う書き文字が浮かんだ。

 その錠前に、髪の毛のような、黒く細くうねうねする『何か』が近づく。そしてその『何か』は黒い人型の姿となり、錠前を揺する。

 すると、錠前が『ガランガランッ』と一斉になりだした。

 

 その音に合わせ、ペラペラと音を立てて宙を舞う足跡、蝶、本のページ……そのページが、不意に透明になり、消えていく。

 シルクハットをかぶった少年が、その本のページを追いかけていく。

 

 カクカクと奇妙に動く、木のデッサン人形。その周りを、武者姿の子供を肩車した筋肉隆々のレスラーのような幻影が、回る。

 

「バルバルバルッ!!」

 腕から刃を伸ばした怪物が、蝶を追いかける。

 

 時折、小さな花火のような電気がパチパチとはぜる。

 

 そして、そのすべての間を縫うようにして、小さなプチトマトに手足と顔を付けた精霊のような幻影が多数あらわれ、舞い、踊る……

 

 ミキタカゾの手から、花弁が現れた。

 ミキタカゾは大きく口を開け、歌う。

 

 やがて、

 錠前が

 髪が固まって出来た幻影が

 爬虫類が

 足跡が

 本のページが

 デッサン人形が

 消えたり現れたりする蜂のような幻影が

 いかついレスラーのような幻影が

 小柄な日本武者のような幻影が

 腕から刃を出現させた怪物が

 シルクハットをかぶった幻影が

 蝶が

 稲妻が

 そして、トマトの聖霊たちが

 

 ミキタカゾの歌に合わせ、踊り、歌いだした。

 ────────────────────

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 幻影は去った。

 

 そして、タクミと涼子は杜王町の住民から万雷の拍手を受けた。

 

◆◆

 

 その後、満足した杜王町の住民達は帰っていった。後片付けを手伝ってくれた億泰も店に戻り、またいつものトラサルディーに戻った。

 タクミと涼子は営業が終わった店をきれいに掃除して回っている。

 

 そのすぐ近くで、トニオは二人が作った品を改めて口にしていた。

 まずは、涼子の作ったクロスティー二だ。

「面白いですね……この組み合わせ、合っていなくも無いですね……なるほど……」

 トニオはうなずいた。

「正直、このアレンジ自体はよくある物です。でも、この漬かり具合、元となる麹と白味噌の味わい……素材の選定方法……ここは卓越していますね…………なるほど、これが『あなたの』カプレーゼだという意味を、理解しましたよ……スバラシイ……アナタは塩麹や味噌の扱いに関して、素晴らしい研鑚を積まれているのですね」

 

「そんな……私なんて、まだ、まだまだ……です。でも、ありがとうございますッ」

 涼子は掃除の手を止めると、頬を染め、ペコリと頭を下げた。

 

「切り方、味付け、バランス……まだまだ甘いところはあります……でも、この品については、私が細かく言うのはやめておきましょウ」

 トニオは涼子の肩をたたいた。

「この品は、涼子……アナタが試行錯誤しながら、完成させていくべき品です……足りないところを自分で考え、貴方だけの料理として完成させてください」

 

「しっ、精進しますッ!」

 涼子が再び頭を下げると、トニオがウンウンと嬉しそうにうなずいた。

 

「涼子……アナタの努力を見せてもらいました……イイですネ。この調子で、研鑚を積み続けてくださいね……そしてこの出来なら、文句なしです。4番目の仕事に挑戦する権利を認めます……今日はもういいですよ。帰って休みなさい」

 

「ハイっ!」

 高揚感が、涼子を包んでいた。

 

 正直、料理の腕ではタクミに及ばないことはわかっている。このスタジェールでも、思い知らされてばかりだ。そのことについては、ずっと苦しんでいた。悔しかった。

 ……でも、自分は自分……胸を張って自分なりに前に進んで行けばいい……

 そんな思いが、少しずつ涼子の胸に生まれ始めていた。

 

◆◆

 

 トニオはニコニコとしながら、涼子が出ていくのを見守った。そして涼子が出て行ったのを確認してから、残ったタクミに向き直る。

 その顔は、少ししかめられている。

「タクミ、アナタの料理もおいしかった。でも……これから私が何を言いたいのか、わかりますか……」

 

「ええ……」

 タクミは、唇をかみしめた。ペコリ……と頭を下げる。

「すみませんでした」

 

 次の瞬間、まるで『圧力釜から蒸気を一気に抜いた』時のように、トニオの口から叱責の言葉が次から次へと吐き出された。

「タクミッ! なぜコースの流れを無視した味付けをしたのですかッ! なぜ、周りを『観ない』!!」

「すみませんでした!」

「謝るべき相手は、ワタシじゃあないッ! お客様ですッ! …………」

 

 ひとしきり説教した後で、トニオはタクミの料理が「不合格」だったことを告げた。そしてラストチャンスを与えた。

 明日のゲスト:ジョルノ・ジョバァ―ナと東方仗助に出すコースのドルチェを作ること。

 そこでゲストとトニオを満足させること。それが、タクミが四番目の仕事に挑戦するためのラストチャンスであった。

 

◆◆

 

 そして翌朝……

 1人の女が杜王町近くの海岸に立っていた。

 その女は数時間前── 東北のローカル線を走る黒い列車に乗っていた……

 時刻表に乗っていない、黒い列車に……

 

「ふぅ……ついに来たわねェッ!」

 その女、薙切アリスは海が見える高台の岩場にちょこんと座り、満足げに海を眺めていた。

「本当にきれいな海ねェ……見ていてまったく飽きないわ。ちょっと、デンマークの海にも似ているわ……」

 そういって、大きく胸をそらす。その銀髪が太陽の光に照らされ、輝く。

 このあたりの海は、肌を斬る程に寒い。だが、北欧育ちのアリスにとっては、むしろ慣れ親しんだ寒さだ。

 

「ここが、私の『杜のレストラン列車』の終着点なのね」

 アリスは感慨深げに言った。

 彼女のスタジェール先は、杜王町に向かう東北のリゾート列車だったのだ。

 彼女はこの一週間と言うもの、リゾート列車のライブキッチンで調理を続けていたのであった。

 

 と、彼女の携帯電話が鳴った。慌てて懐にしまっていた携帯を取り出す。画面に表示された発信者の名前を見て、ニコニコして話しかける。

「ハイ、ギンおじさん……えぇ、ちゃんとついたわよ。それで、話ってなぁに? ……えっ……どういうこと? ……うん……ホントっ! 信じられないわ、科学的じゃないもの……でも、ううん……そうね、確かにおもしろい話ではあるわねッ……わかったわ。私も参加するッ!」

 そういうと、アリスは電話をきり、携帯を懐にしまった。そして、断崖絶壁の上で大きな伸びをした。

「では行きますか……杜王町にっ!」


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