食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ)   作:ヨマザル

11 / 25
プランゾ(昼飯)

 その夜のこと

『トラサルディー』には少々厄介な客が訪れていた。

 

 その客は見るからに落ち込んだ様子でうつむきがちに入ってきた。だが店に入ると突然、店の端っこにしつらえられた『予約席』に座らせるよう、大声でごね始めたのだ。

「俺は、『今日』この席で飯が食いたいんだッ、この席で食べることに、意味があるんだあッ!」

 

「……お客さま、ですから、このお席は……」

 接客に出ていた涼子は、必死に客をなだめていた。

 

 男は糊の効いていない白いシャツに派手な色のネクタイをだらしなく合わせている、40代のサラリーマンだ。男は涼子の肩を掴み、ぐいっとゆさぶる。その目はなぜか涙目だ。少し酔ってもいるようだ。

「そんなこと言うなよッ! 俺ゃあ、俺はよぉ……トニオさんの料理をそりゃあ楽しみに来たんだよォォ」

「この席でお食事されたいのでしたら、明日ならどうですか?」

「だぁかぁらぁぁッ、明日じゃあダメなんだよ。今日、この時間であることに、意味があるんだ」

「お客様、落ち着いて話を聞いて下さい」

「落ち着けだぁ? これが落ち着いていられるかよッ」

 男が涼子の腕をつかみ、ねじりあげようとした。

 

「痛いっ」

 その痛みが涼子のクサクサしていた心に、火をつけた。

(ダメ……お客さんだと思って丁寧に接客しようと思っていたけど、もう限界よ)

 涼子は乱暴に捕まれた腕を振りはらった。男をにらみつける。怒りがどんどんこみあげてくる。

 

 涼子の目のはしに、ヴェルジーナが小走りに近づいてくるのが見えた。涼子に向かって両手をゆっくり動かしている。その口が声を出さないまま動く。口の動きで『落ち着いて』といっているのがわかる。

 タクミとトニオも、厨房から顔を覗かせている。

 何が起こっているのか把握したトニオが、タクミを下がらせ、険しい顔で厨房から出てくるのが見えた。

 

 涼子にもわかっている。

 客商売において客を怒鳴りつけるなど言語道断。

 だが、これまでに色々な思いを抱えいた涼子の感情はすでに臨界を越えていた。

 もう怒りを止めきれなかった。

 涼子は感情の赴くままに男を怒鳴り付けてやろうと、一歩踏み出て、大きく息を吸い込んだ。

 

 その時だ。

「待ちなよ」

 背後から『落ち着いた』声がかけられた。

 同時に男の手が、涼子からゆっくりと引き剥がされていく。

 

「ちょっと落ち着きませんか。そんなに大声を出したら他のお客さんに迷惑ですよ」

 そこにいたのは童顔の小柄な青年であった。小柄なタクミよりもさらに少し背が低いだろうか。

 だが背こそ小さいが『大きい』……そんな只者とは思えない雰囲気をその青年は漂わせていた。

「そんなに必死になるなんて、何か理由があるんでしょ。もう少し落ち着いて下さい。そしてボクに貴方がこのレストランで食事をしなくちゃあいけない理由を話してくれませんか」

 青年は親切そうな態度で、きっぱりと言った。

 

「な…………なんだ、オメー。突然でしゃばってきやがって」

 男が顔を真っ赤にした。捕まれた腕を反対の腕で掴み、全身の力を込めて引っ張る。

 

 だが青年はピクリともしない。力をいれているそぶりさえ見せずに、自分より体格がいい男を軽々と押さえつけている。小柄なのに驚くべき力だ。

 

「康一さん……」

 青年の背後には、いつの間にか厨房から出てきたトニオが立っていた。

 

 康一と呼ばれた青年はペコリと頭を下げた。

「ご無沙汰でした、ちょうどいま仕事を終えて来たところなんです。ところで余計な真似をしてすみませんでした」

「いえ、助かりました」

 

 康一はトニオがぎゅっと握りしめている『良く焼けたフライパン』をチラリと見て、かぶりを降った。半歩、トニオから距離を取る。

「……いや、ヤッパリ余計なお世話でしたね。スミマセン」

「とんでもない。助かりました。お仕事も忙しいのに、ワザワザ トラサルディーに来てくれたなんて、嬉しいです。しかし、申し訳ないのですが今晩は座席がすべて埋まっているのでス」

 

 康一が、申し訳なさそうに言った。

「……それは、ある意味大丈夫です。実は『彼』から連絡があって、トニオさんと……ジョルノ・ジョバーナ氏への『伝言』を託されているんですが…………」

「ほう」

「『彼』からの伝言を伝えさせて下さい。”申し訳ないけれど、今夜のトラサルディーの予約をキャンセルさせて欲しい……キャンセルの連絡が遅れたこと、直接謝れないことは『本当に申し訳ないッス』”って言っていました」

 

 それは残念……とトニオは自分のこめかみを指で押さえた。

「彼らにぜひ食べてほしい一品を準備していたのですが」

 

「えっーと、それ、それなんですけれど」

 ポリッと康一が頭を掻いた。

「代わりに僕と由花子さん……それからお忍びで来ている僕の友人達とで、そのお料理をいただくことは出来ませんか?……モチロンこの人の後で……」

 康一は掴かみっぱなしだった男の手首を離して、言った。

 

「お忍び? 誰がですか……」

「ミキタカ君と……音石君です」

「なるほど……大丈夫ですよ。元々ジョルノ・ジョヴァーナ殿の依頼で、これからは貸し切りになりますからね。他のお客様のご迷惑にならなければ、それはもちろん大丈夫ですヨ」

 

 トニオはそう言うと、ポンと手を叩いた。

「ソウダ、せっかくですから久しぶりにみんなで集まりませんか? パーティーにしましょう」

「……いいんですか? 確かに皆忙しくなっちゃって最近会えていないから、みんなが顔を出せるのは嬉しいですけれど……でも今から準備を始めなきゃいけないトニオさんが大変すぎるんじゃないですか」

「ハッハッハッ、最近、優秀な新人が二人もいるんです」

 トニオはニコニコと言った。

 

「ワタシも、皆さん全員と久しぶりにお会いできるのは、嬉しいです」

「じゃ、じゃあお言葉に甘えちゃおう……かな」

 

 ドーゾドーゾ

 トニオはそう言うと、康一が取り押さえていた男に目をやった。そしてアレッ? と驚いた顔つきになり、今度は男をマジマジと眺めて話しかける。

「おや、どなたかと思えば望月さんじゃありませんか。奥さまはお元気ですか」

 

「とっ、トニオさんッ」

 望月と呼ばれた男はトニオの腕を掴み、そでにすがり付くようにして、訴た。

「ああ、妻は……晴瑠子は元気だよ。アンタの作ってくれたカッポン・マーグロ(ジェノヴァ料理:魚介と温野菜のサラダ)だっけ? あれを食べてスッカリ体調も回復したし、もう大丈夫だ。だが……た、頼むよッ、トニオさんここで飯を食わせてくれよォ!」

 

◆◆

 

「……聞いてくれよ……む、娘がよお~~手塩にかけた娘が……亜貴が結婚すんだよ。で、今日はお相手のヤローが俺たちをゴチソーすっから……とか抜かしてよぉ」

 望月はしくしくと泣き出した。

「そりゃあメデテーよなぁ。だがよぉ、今日は俺と晴瑠子の結婚記念日なんだぜぇ」

「なんと……」

「今頃俺の家族は奴と一緒に飯を食いに行ってやがる……俺は、独りぼっちってわけだ」

「愛娘の門出だ。素直に祝福できねー俺は小っせー男よ。だがよぉ、口にできねー深ぁい思いってのが俺にもあんだよ、俺にもよォ」

「わかります。わかりますよ」

 

 グスッ

 望月の隣でトニオが言った。なぜかその目が、潤んでいる。グッと望月の手を握りしめる。

「望月サン。同じく娘を持つ父親として、アナタの気持ちは痛いほどワカリます」

「わ、わかってくれるかぁ……」

 

 家族を愛する父親同士が『わかりあった』。二人は互いの手を握り、微笑みを交わす……

「ええ。そんなあなたにゼヒ食べて欲しい一品があるんです。家族を愛するあなたにぜひ食べてほしいです」

 グスっと鼻をすすり、トニオは立ち上がった。

 

 結局、康一のとりなしでキャンセルされた予約席に座った男、望月昇 は何故かトニオと意気投合していた。

 自分の子供(特にムスメ)について熱く語らう二人……

 

 そんなトニオのところにタクミがやってきた

「……マエストロ、出来上がりました。チェックと仕上げをお願いします」

 少しだけあきれ声になっているのは、仕方がない。この忙しい中、トニオは10分以上も望月の隣に座り、『娘を嫁に出す男』の話を聞き続けていたのだ。

 

「オオ。ちょっと待ってください」

 トニオは大慌てで厨房に入った。石窯オーブンを開け焼いていたタルトを取り出す。

 何とも言いようがない。柔らかい、温かい匂いが、キッチンに広がっていく。

 

 それは米とレーズンをミルクで煮こみ、そこに柚子の皮を削ったもの、溶かしバター、杜王町郊外の有機農園でとれたての卵、ココナッツシュガーを混ぜ合わせた生地で出来ていた。トニオはその生地をタルト型に入れ、パン粉をまぶしている。

 パン粉でさえ特製だ。タルト用のパン粉にするために、わざわざ粉の配合を調整して作った特別なパンを日に当てて乾かし、砕き、作ったものなのだ。

 

 ブティーノ・ディ・リーゾ(お米のタルト)だ。

 

 それは、バターたっぷり、しっとりと、それでいてパリッと焼き上げられた生地の中に、ふっくらとしたクリームが詰められているタルトだ。

 粥状になったお米が持つ繊細でふくよかな甘み。そこにミルクの優しい風味が加わり、クリームのふっくらとした触感はまるで生まれたばかりの赤ちゃんの頬の様だ。

 

 そのクリームをほおばり、望月はほうっとため息をついた。

「ああ……うまいなぁ」

 望月はもう一口、ほおばる。ぶちゅっとした優しいクリームが、口の中いっぱいに広がった。

 目をつぶると、望月の脳裏に愛娘との幼き日々がよみがえる。手づかみで離乳食を食べ、ホッペをミルクだらけにしていた娘。その幸せそうな笑み。それを見ていた自分が確かに感じていた、柔らかくてあまい気持ち。

 

 望月はしばしうなだれ……そして、決然と立ち上がった。

 

 ヴェルジーナが望月に優しくほほ笑みかけた。

「お客様、行かれるのですね」

 

 望月はポッと頬を染めて、うなずいた。

「えぇ、行きますよ。娘を祝福して、そしてこれまで私を幸せにしてくれたことに心から礼を言わなくては」

 決然とした口調だ。

 そしてトラサルディーを出て、望月は歩き出す。

 その背中に、満月に少し足りない月の明かりがかかっていた。望月が月を見上げると、その表面に現れた『月のウサギ』の模様がニヤッと笑っているように見えた……

 

「…………ああ、立派ですぞ。同じ父として、尊敬します」

 その後ろ姿を見て、なぜかトニオがハンカチを瞼にあてていた。

 そしてそんなトニオを見て苦笑するヴェルジーナがいた。

 

◆◆

 

 望月氏を見送り、トニオは厨房へ戻ってきた。

 

 トニオはすぐさまタクミと涼子の仕事ぶりを厳しくチェックする。さきほどの涙もろい顔は、もうどこにもない。今は厳しいプロの顔だ。

「タクミ、火入れの見極めのタイミングが5秒早いです。もっと集中して、肉の温度を感じながらシゴトをしてください」

「涼子、野菜を切るときはもっと素早く、丁寧に。葉脈や筋の入りかた、肉厚、色合いを『良く観る』そうすれば、『どのように切ればよいのか』を野菜の方から教えてくれるはずです」

「ハイっ」

 

(会心の出来だと思ったのに、これでもマエストロにとっては不満なのか)

 ダメ出しを受けたタクミは、トニオの指示を守るべく集中して肉に取り組んだ。

(クッ、なんてシビアな火入れのタイミングだ……)

 そこまでシビアなタイミングがホントに解るものなのか。若干疑いをいだきながら5秒だけ肉を炒める

 だがトニオは正しかった。

 言われたとおりに5秒だけ火に戻し、肉の焼け具合を確認したタクミは、その五秒で肉の焼け具合が完璧になっていることを知った。このたった五秒で、料理のグレードが格段に跳ね上がったのだ。

 

(これは、まさに完璧な状態じゃないか。中はジューシーだが表面は香ばしい…………少し離れたところから一目でそのタイミングを見極めるとは、さすがマエストロ・トニオだ)

 火入れ──ただ肉を焼くだけではない。それはわかっていたつもりではあった。だが、これほどに繊細なことであるとは思ってもいなかった。タクミは己を恥じた。

 

 肉を焼くことにたけた知り合いが一人いる。もし彼女がこの肉を焼いていたら、トニオは一発で合格点を出しただろうか。

 出したかもしれない。

 

 タクミは焼く前の温度を慎重に確認してから、フライパンに次の肉を投入した。精神を集中させ、肉がフライパンからの入熱で焼かれ、温度が上がってくるさまを感じようと試みながら肉を焼いていく。

 肉以外が視界から消えた。

 周囲の声も消える。

 そこにあるのは、ただ熱々のフライパンの上で焼かれた肉、空気……そして自分だけだ。

 タクミは、肉の内部にじっくりと熱が入っていく様子をイメージしながら、フライパンと炎、肉の置き方を微調整していく。

 すると、肉の表面から汗をかいたように丸っこくまとまった肉汁が、ポツポツ染み出てきた。

(もう少し、か?)

 その時、タクミは背後にトニオの視線を感じた。

 

「ダメです。火をもう一回り小さく……」

「どうしてですか?」

 少しムッとして尋ねたタクミに、トニオはかぶりをふった。

「タクミ、フライパンの周囲の温度が、少し前よりチョッピリ上がっているハズです。このままでは肉に火が入りすぎてしまいますよ」

「えっ?」

「良いですか? 火入れのタイミングは良く『観』て判断しなさい。肉の厚さ、脂肪の入りかた、温度。フライパンの厚み、材質……気温、空気の動き。そして。いつ肉を休ませるか……すべてが肉の温度を決めます。肉にストレスを与えすぎず、しかし完璧な温度分布になるように火を入れ続けるのです」

 

「……わかりました」

 タクミはうなずき、火をチョッピリ小さくした。これで効果があるのか、正直、未だによくわからない。

 わからないのは、経験の差か、それとも知識の量か、才能か……だが教わってわかるモノではないはずだ。実践あるのみ。

 タクミはさらに精神を集中させた。左手をあちこち動かし、肉の周囲の温度を感じようと試みる。そして『良く観る』。肉の側面と表面の色、にじみ出る肉汁、フライパンに落ちる肉汁の跳ね具合、肉が焼けるおと、たち昇る香り……

(ここかっ!)

 一瞬フライパンを上げかけ……

 

「……タクミ、いいタイミングです。でも後10秒熱を入れてッ!」

「ハイッ!」

 再びフライパンを戻した。

(くそッ、もっとだ。もっと集中しろ)

 タクミは自分を鼓舞し、再び肉に意識を集中させた。

 

◆◆

 

「では、ここでいったん肉を休ませて、最後にパッと片面を焙ったら、皿に載せてください」

 トニオは、しばらくタクミが肉を焼くのを監督してから、涼子のもとへやって来た。

 涼子が切った野菜を一キレつまみ、そのハリを確認する。

 

「ど、どう……ですか?」

 涼子が、おずおずと尋ねた。

 

「悪くありませんよ……でもアナタなら、もっと上手に出来ると思いマス」

 トニオはニコッと微笑んだ。そして自らニンジンを手に取り、さっとツマを作って見せた。

 そして作ったツマを3つの束に仕分け、「噛ってごらん」と涼子に差し出す。

 

 パリッ

 そのニンジンを食べ比べた涼子は目を丸くした。それぞれの味わいが全く違うのだ。もちろん涼子とて名門・遠月学園の生徒だ。野菜の切り方でその味わいが変わることなどわかっている。

 だが、その変化のレベルが違いすぎるのだ。

 

「野菜の繊維を剥がすように切るか、裁ちきるか、それとも斜めにきっていくか……どんな大きさで切るのか。作りたい料理に合うきりかたはなにか? 食べるかたの体調、顎の強さ、お好み……野菜の切り方一つとっても、考えることはたくさんありまス……精進してくださいね」

「はい」

 

 少し恐縮して肩を縮める涼子を見て、トニオは微笑む。

「いえいえ、アナタの態度は素晴らしい……そう思いますよ、貴女が野菜の切り方を毎日飽きることなく工夫し続けているのを見てきました。素晴らしい……そう思っていますよ」

 

「そんな、私はただ必死なだけです。それにトニオさんのこの一品と比べたら、私の切った野菜なんて……」

 涼子はほほを染め、うつむいた。

 

「涼子、この調子で、一つ一つのシゴトを丁寧にやり続けてくださいね。……良いですか? 料理のみちは『果てない坂道』です。研鑽を止めた瞬間から、アナタの料理人としての劣化が始まってしまうのです」

「はい……」

「ところで、今日はもう野菜は十分です。切った野菜をまとめたら、次はアフォガードの準備をやってください。まずはエスプレッソの用意をッ!」

「ハイッ」

「今晩は大仕事ですよ。頑張っていきましょう」

 トニオが朗らかに言った。

 

◆◆

 

 望月氏が帰った後は、一旦店に客がいなくなった。

 次の客は、貸し切りなのだ。元々はジョルノ・ジョヴァーナがゆっくりと会食するために、貸切ったのであった。

 だがその会食はキャンセルされ、代わりに『パーティ』が開かれることになっていた。

 

 その貸し切りの『パーティ』が始まる一時間前、始めにやって来たのは先ほど店に来た優しそうな青年、広瀬康一だ。

 その隣には『ゾッ』とするほど美しい長髪の女性と、もう一人……

 

「よぉ、コゾーどもッ!」

「噴上サン!」

 見知った顔を目にして、タクミと涼子が顔をほころばせた。

 

「今日はなんの集まりなんですか?」

「おおっ、聞いてないのかよ? 今日はよぉ、俺たちの『仲間』うちのドーソーカイって奴だ」

 なぜか噴上がふんぞり返った。

「まだ予約の時間にゃ少し早いが、俺たちゃ下準備に来たって訳よ」

 

「高校の同窓会ですか? ずいぶんたくさんの皆さんが集まるんですね……二十人…………ですか」

 タクミが尋ねた。

 

「おお、トニオさんとコゾーどもにゃ、ちっと忙しィーことになっちまったが…………まっ、これお前らにとっちゃあ修行だ。そう思ってガンバレや、なっ」

 

「ハイ…………」

 涼子が答えた。その顔は固い。予定になかった二十人の客に対するコース料理を『あと2時間で』作らなくてはならないことを、ついさっき聞かされたのだ。それは大変な仕事になることが簡単に予想できる。

 まず食材をどうするのか……

 

「そんな顔すんなよ、オジョーちゃん」

 涼子の気持ちを知ってか知らずか、噴上がニヤリと笑った。

「今回はトクベツな集まりでよォ、久しぶりにヤツが顔を出すのよ。知ってんだろ? “ミキタカゾ・フロム・ジ・マース”。あのバンドのボーカルとギターの奴も顔を出すぜ」

 

「えっ!?」

 涼子が声を弾ませた。“ミキタカゾ・フロム・ジ・マース”は、5年ほど前から人気が出てきたバンドだ。自称『宇宙人』の超絶美形ボーカルのミキタカゾと名前、容姿共に非公開の超攻撃的ギタリストが織り成す楽曲は日本国内にとどまらず、広く海外でも支持され始めている。しかし、かたくなにメジャーデビューを拒否していると言う、不思議なバンドだ。

 

「ホントですカッ! あの“RisingGrateDays”を歌っているバンドですよねッ!」

「おうっ。今回は普段アチコチ出ていて、中々返ってこれねェー奴等がたまたま杜王町に集まったからな……盛大にやることにしたのさ」

 そう言うと、噴上はなぜかちょっと声をおとして付け加えた。

「とは言っても、肝心要の『アイツ』は顔を出せない見てーだがよぉ」

「『アイツ』?」

 

 だが噴上は、『アイツ』のことはそれ以上口にしなかった。そして一緒に来た美女と康一の三人でなにやら話し始めた。割り込む隙はなさそうであった。

 

「トニオさん。噴上さんが言っている『アイツ』って、誰のことですか?」

 涼子の問いに、トニオは柔らかく笑った。

「ああ、彼のことですね。彼になら明日にでも会えますよ。さて、おしゃべりはこれくらいにして我々は仕事に戻りましょうか」

 

◆◆

 

 続けてやってきたのもまた、タクミと涼子が知っている人物であった。

 億泰が小振りなマグロを何匹か担いでやって来たのだ。

 

「オオッ、トニオさんお邪魔するぜェ」

 億泰は大きなドラ声でそう言うと、調理台のど真ん中にドンとマグロを置いた。マグロにしては小振りとは言え、50cmはある大きな魚体だ。それを5匹。どれも良く太った、ハリのあるいい状態だ。

「今日は俺も手伝わせてもらうぜぇ……へへへっ、アンタの厨房に入って仕事ぶりを拝ませてもらえるなんて、ラッキィだぜ」

 億泰はトニオに向かってヒョイっと片手を上げた。

「コーイチの野郎が、バカなことを言ったせいでアンタにまで迷惑をかけちまってよぉ」

 

「イエ、オクヤスさん。私はワクワクしていますよ。皆さん全員に料理を食べていただけるなんて、光栄です。こちらこそ今日はよろしくお願いします。それに、これはマグロですか。ベネッ。素晴らしい鮮度ですね」

「へっへぇ~~そうだろぉ? どんなもんだい。トニオさんよぉ……オレの知り合いの漁師が釣り上げてくれた、近海の釣りモノだぜぇ」

「それは、貴重なものですね……これで、最高の料理が作れまス」

 トニオは、億泰が担いできたマグロの肉質をチェックして満足そうに言った。

「オクヤスさん、内臓ももらってきていますか? あればトリッパを作りたいのですが」

 

「あたぼうよっ」

 億泰が胸を張った。担いできていたクーラーボックスを開けて、中を見せる。

 ハツ、胃袋、腸……綺麗に洗ってジップロックに小分けされている内臓をチェックして、トニオが笑みを浮かべる。

「これはイイ……タクミ、億泰さんを補助して、マグロをさばいてください。涼子は私と一緒に、ブロード(イタリアンの出汁)を完成させるのを手伝って下さい」

 

「ハッ、はいっ!」

「了解です。マエストロッ!」

 タクミと涼子も、走る。

 

「オクヤスさんっ! よろしくお願いしますッ」

 タクミがあいさつすると、オクヤスはにっかぁっと笑った。バンバンとタクミの背中を叩く。咳き込んでしまうほど強くだ。

 

「タクミィ~~おめぇ、マグロさばいたこと、あるか?」

「いえ、ありませんっ」

「そぉかぁ~~じゃあ、この虹村億泰さまの腕前を、よぉく見てろよぉ……」

 

 そう言うと、億泰はマグロを持参してきたまな板の上に乗せた。巨大なマグロは、まな板の上からはみ出さんばかりだ。

「マグロは六枚におろすんだぜ。まず始めは頭を落とすぜ……」

 

「あっ億泰さん、しっぽのところは筒切りにしてくださいね」

 背後からトニオが注文を付ける。

 

「がってん承知ィ!」

 ズババッ

 億泰は包丁を握り、あっという間にマグロを解体していった。自信たっぷりのよどみない手つきだ。

 

(さすがはマエストロ・トニオのご友人だけある。まるで腕が三本あるかのような、正確さ、それにスピードだ)

 改めて億泰の腕前を目の当たりにしたタクミは、その包丁さばきを見逃すまいと、目を凝らした。

 

「知ってんだろぉ~~マグロは頭にウメェところがあるからよぉ。頭は大事に使わねェとなぁ」

 億泰はタクミにむかってそう説明しながらも、手を止めることはない。手際よく頭を複数の部位に分解していく。

 

 やがて、きれいに解体されたマグロの部位がまな板の上に並んだ。

「おしっ、パットを持ってこいや、コイツをしまい終えたら……次のサバキはお前がやってみィ~~や。タクミよぉ」

「ハイッ!」

 タクミは自分の出刃包丁を手に取り、ワクワクしながら小ぶりなマグロに向き合った。

 

「俺は黙ってみているからよぉ、さっき俺がやったみてぇにやんな」

 

「わかりました……」

 タクミはそういうと、力を込めて一気にマグロの頭を落とした。そのままヒレを落とし、背骨にそって刃を入れていく。刃が入った断面は、美しくピンと立っている。

 故郷のフィレンツェは内陸なので、魚料理は少ない。だが遠月で、そして前回のスタジェール先の日本料理店で修業を積んだタクミのサバキも、かなりの腕前だ。

 

 横で見ていた億泰が、その手つきを見てピュ──ッと口笛を吹いた。

「きれーにさばくじゃあねぇか。おめぇ、やるなぁ」

 

「いえ、まだまだです……」

 タクミは同期の一人を思い浮かべながら言った。魚介料理を得意とする男、黒木場リョウ……あの男ならもっと手早く、綺麗な仕事をするはずだ。

 タクミの脳裏に、ふっと、あの屈辱の光景……黒木場を含む三人の男が臨んだ秋の選抜料理会決勝戦の様子が目に浮かぶ。決勝に出れなかった自分は、その三人の男たちが一位をかける戦いを背中から見ていることしかできなかった。あの時の悔しさを思い出し、タクミはさらに集中して次のマグロに取りかかった。

 

「ミナサン、手を止めずに聞いてくださいッ!」

 珍しくトニオが大きな声を上げた。

「これから、今日のディナーにお出しするメニューと、皆さんにお願いしたい担当を発表しますッ! タクミ、涼子ッ。これは、アナタ達二人が、この研修でお願いしたい4つ目の仕事に取り掛かれるかどうかの、試験でもありまス。集中して取り組んでください」

 

 来たッ…………

 タクミと涼子は視線をかわし、グッと拳をぶつけあった。

 

「では説明します

 まずはアンティパスト:

 タルタリエ ディ トンノ フレスコ(マグロのタルタル)

 

 プリモピアット:

 ペスカトーラ(漁師風 魚介のパスタ)

 

 セカンドピアット:

 マグロのトリッパ(マグロの腸を煮込んだもの)

 マグロの色々焼き(マグロの頬肉、尻尾、大トロ、赤身……マグロを色々な部分に切り分け、それぞれの部位に最適な焼き加減、味付け、香りづけを施したもの。イタリア風にしてみると:グリリア ミスト ディ トンノ)

 

 ドルチェ:

 ブティーノ・ディ・リーゾ(お米のタルト)

 

 これが、これからつくるコースです……そして皆さんにお願いしたい作業ですが……」

 トニオは、一息ついてつづけた。

「まず、オクヤスさんは下ごしらえ全般を助けてください」

 

「オッケーだぜ」

 億泰はバンと胸をたたいて見せた。

 

「マエストロ、僕たちは……」

 

「タクミと涼子は、このコースに入れられるコントル(つけあわせ)とズッパ(スープ)のどちらかを一人一品で考えて提供しなさい」

 

「?!っ。わかりました!」

 

 たちまち厨房は、戦場のような忙しさとなった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。