食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ) 作:ヨマザル
露伴とジョルノの会談は続く。
露伴は眉間にシワを寄せ、ジョルノを睨み付けていた。
対するジョルノの方は涼しい顔だ。
にらみ合う二人を横目に、残る一人、ミスタはそっと座席から離れようとした。
その手を露伴がつかむ。
「グィード・ミスタ……ダメだ。僕のスタンドの射程距離の外に出ることは、許さない」
「ハぁッ?」
ミスタがあきれ顔で腰に手をやった。
「許さないィ?? 誰が? お前が? ……それとも俺がか?」
「僕に脅しは意味がないぞ……ミスタ、君が距離を取ろうとするなら、僕は帰る」
「オイオイそんな『ワガママ』が通じるかよ……いいか、お前はここに座る。そしてちょっとばかし俺たちと『お話し』する……」
続けて何か言いかけたミスタをジョルノが制した。
「……ミスタ、座ってください……」
「…………いいのかよ」
「ええ、構いません」
再びミスタが着席する。少し不満げだ。
しばらくしてから、ジョルノがゆっくりと話し始めた。
「……露伴さん、そんなに怒らないでください」
爽やかな口調だ。
「……拳銃を突きつけて『やりたくないこと』を強要してきた奴を相手に『お友達』みたいにニコニコしていろっていうのか? ゴメンだね」
露伴は鼻を鳴らした。
「おあいにくだな。僕はキライな奴にはキライだとはっきり言ってやるのさ。『ニコニコ笑って裏で拳銃を向けあう』ってヤツは、『政治家』か、『ヤクザ』に任しておけばいいんだ」
ジョルノは肩をすくめた。
「それはお互い様です。出会い頭の僕に『ヘブンズ・ドアー』を仕掛けようとしたのは貴方じゃあないですか」
「……取材の為だ」
露伴がブスッと答える。
『取材』……それをあたかも絶対正義のように言ってのけた露伴に、ミスタがあきれ顔で首を振った。ジョルノも苦笑いをするしかない。
だがジョルノはすぐにその笑みを消し、代わってテーブルから身を乗り出した。露伴の腕をつかむ。
「露伴先生……僕にも『理由』があります……聞いていただけませんか」
フーッと、露伴は大きなため息をついた。
「…………取材に来たと言ったろう? 話せよ……聞いてやるから」
その夜…………
営業を終えたあと、いつも通りマカナイの準備を始めていた涼子は、少し打ちひしがれていた。閉店間際におかしてしまったミスがまだショックなのだ。
その日涼子は、タクミに代わり初めて焼き場をまかされたのだ。だが最後の最後でグリルの焼き加減を失敗してしまい、あやうく半生の肉を客に提供してしまうところだったのだ。当然、最終Checkのときにトニオがそのミスを見つけた。そして怒り狂った。
涼子は数十分にわたって怒鳴りつけられ、すぐに焼き場の担当を外された。そして最後の一時間は洗い場に行かされ、ひたすら洗い物と厨房の掃除をやらされたのだった。
屈辱だった。
なにより自分が許せなかった。せっかくトニオが焼き場を任せてくれたのに、これでまた信用を失ってしまったに違いない……
落ち込む涼子の腹が、グゥ……となった。昼からずっと食べていないから腹が減っているのだ。
……人はどんなに落ち込んでいても飯は食べなくてはならない。料理人は、料理を続けなくてはならない。
涼子はうなだれたまま、マカナイを作るために厨房に立った。
その日、涼子が作るつもり予定にしているのは『スパゲティ・ポヴェレッロ(貧乏人のパスタ)』と呼ばれるものだ。
それは固めに茹でたパスタをフライパンに落としこみ、そこへ半熟卵を潰し入れ、その日に残ったチーズの削りカスをかけまわして皿に乗せる……そして半熟の目玉焼きをパスタの上に乗せ、最後に荒く刻んだローズマリーとバジル、黒胡椒をふって味付ける……というシンプルな一品であった。
簡単に作れ、かつボリュームもあるのでマカナイには最適なのだ。
前回作ったときは大好評で、タクミも、トニオも、そしてヴェルジーナも、そのパスタを嬉しそうに食べてくれた。
しかもその時トニオは、パスタの茹で具合と半熟卵の焼き加減、それに調味料のバランスについて、涼子へ詳細なアドバイスをしてくれたのだ。だからそのアドバイスを生かせば、今から作るパスタは前回よりもさらにうまく作れるはずだった。
だが、そのアドバイスを書き留めたノートをめくりながらも、涼子は迷っていた。
自分はこれでいいのだろうか?
思い起こせばスタジェールが始まってから、予定の半分の日程が過ぎていた。今までにトニオから学んだことが一つ一つ頭をよぎる……
圧倒的に手の込んだ下ごしらえ
ホールに出て目の当たりにした客の反応
作ったマカナイにたいしてトニオから受けた、アドバイス
どの経験も、確かに勉強にはなっている。
……だけれど……
めくったノートを涼子はうっかり落としてしまった。
ノートを拾おうとしゃがみこみ、床に片手をつく……
確かにトニオの下で学ぶことができて、自分の実力は上がっている。それは確信できていた。
だが力を付けているのは、他の場所にスタジェールに出ている他の生徒たちも同じだ。今の自分が彼らに追いつけているのか、それとも引き離されているのか……
それはわからなかった。
自分は一生懸命料理に取り組んではいる。だが『秋の選抜』の本選に出場できた生徒たちに比べれば、見劣りするような気もする。
本選に出場した彼ら以上に必死に、自分を追い込んで料理に向き合っているかと言うと、正直その自信は無かった。
必死さが、それとも料理に対する情熱が足りないから……か
涼子の脳裏に、あの時…………遠月学園一年生の中で料理の腕前を競う『秋の選抜』の予選会で惜敗した時のことが頭をよぎった。
優勝したものの貌、負けたもの達の貌……よい貌だった。自分はあんな貌をして料理に取り組んだことがあっただろうか……
自分はこれで、このままで、良いのだろうか……
一生懸命やっていたツモリだ。でも、さっきだって、まさかあんなにつまらないミスをするなんて……
ノートを拾い上げゆっくりと立ち上がる。
気が付くとトニオがなにやら説明を始めていた。
いつも通り、トニオが今日一日の二人の働きぶりについて振り返って、それぞれの改善すべき点、良かった点などの指導を始めてくれていたのだ。
トニオの教えは一言たりとも聞き逃すべきではない。涼子は賄いを準備しようとしていた手をいったん止めた。ノートを手にトニオのアドバイスを書き留めはじめる。
涼子の横では、タクミが同じようにノートを広げている。
クールな見た目だがおっちょこちょいで熱血漢のタクミ……彼は何を考えているのか顔に出やすく、ちょっと観察しただけでその感情がすぐにわかる。今も彼がトニオの説明に感心し、すっかり興奮しているのが一目瞭然にわかる。
(……うらやましいな…………)
涼子はタクミのそんなわかりやすいところを見るたびに、よくそんなことを思っていた。
オッチョコチョイで熱血漢のタクミ。それに対して涼子は皆から、よく『落ち着いてしっかりした性格』だと言われている。皆、それは褒め言葉でのつもりなのだろう。だがその言葉は涼子のコンプレックスであった。何か、『冷めている』、『情熱的ではない』、『料理がそれほど好きではない』と言われているような気がしてしまうのだ。
確かに自分は感情の起伏が少ない方なのかもしれない。でも自分だって『料理をすること』は大好きだし、情熱を持ってやっているつもりなのだ。
…………そうは思っていた。だが確かに涼子は、これまでのカラを自分で破る必要を感じてもいた。その思いは遠月学園の極星寮の仲間たちと交流しているうちに、このトラサルディ―のホールで杜王町のちょっと奇妙な住人たちと交流しているうちに、少しずつ強くなってきた思いであった。
だが、これまで自分が16年以上生きて築きあげてしまったカラは、固い。
いや、もしかすると、カラは固くないのかもしれない。むしろカラを破ろうという自分の気力が弱いのかもしれない……
涼子は浮かび上がってきたそんな思いを、慌てて押し殺した。
トニオの説明は続く。
涼子は物思いにふけきらないように、トニオの説明をしっかり聞くように自分に言い聞かせた。
説明を逃さないように、一生懸命ペンを走らせる。
「……という事です。タクミ、リョウコ、わかりましたカ?」
「ハイッ」
「ええ、ありがとうございますッ」
涼子も頭を下げた。
だが……まだ迷っていた。
私は、このままでいいのだろうか
……私は、料理人を目指していい人間なのだろうか。
翌日:
『杜王町祭りッ!』それは日本三大祭り……には含まれていないが、県外からも多数の観光客が見にやってくるほどの名物祭りだ。
飛鳥時代から続いていると称される杜王町の鎮守、六壁神社(むつかべ神社)。『杜王町祭り』の一週間、その神社から、飾り立てられた山車、神輿が毎日市内を練り歩く。町には屋台が立ちならび、名物の牛タンの味噌漬けが大盤振る舞いされる。山車や神輿の間を縫って武者行列や、まるでサンバのような『モズ踊り』が盛大に繰り広げられる……
そして圧巻は、杜王町を貫いて流れる一級河川、一小川の河原で大々的に開かれる、芋煮会だ。
芋煮とは、東北地方の伝統食。サトイモを他の具と一緒に大鍋に放り込んでふつふつと煮込んだものだ。その鍋の味付けは各地方、各家庭ごとに少しずつ異なり、それぞれの家庭の自慢の味を、野外で煮炊きして仲間たちにふるまう……それが芋煮会だ。
この『杜王町祭り』中は、杜王町だけではなく近隣の市や町からも自慢の芋煮のレシピをもった人々が、町内を流れる一小川に集結し、互いの芋煮を食べあうのだ。
杜王町地元風の味噌で味付けした豚汁風芋煮、村上地方のすき焼き風芋煮、ジャガイモや魚介を醤油で味付けした寄せ鍋風、地鳥を使ったとりすき風芋煮、きりたんぽが入ったモノ、それぞれのスタイルの折衷モノ、若者が作るカレー味やエスニック風芋煮など、出される芋煮はどれも絶品。
本来芋煮会とは皆の為のイベントである。料理人は出店せず、芋煮を作るのはすべて一般家庭の素人だという事が絶対の決まりであった。
だから料理人は芋煮会に出席しないのがきまりだ。
芋煮会の醍醐味は、『家庭の味を野外で味わう』その非日常を楽しむことなのだ。プロの料理人が技巧を凝らしたものは、必要ない。
そういうわけで『杜王町祭り』の開始前日、タクミと涼子の二人は『にじむら』で『芋煮会とは全く関係がないもの』……弁当づくりに精を出していた。
二人がトニオのアドバイスを受けて作り上げた二品……牛丼風リゾーニと 七黒米のサラダと魚介のフリットを挟み込んだパニーノ。二人が『にじむら』の厨房を借りて作った品の出来映えを眺めた億泰は、ピュゥッと口笛をふいた。
「へぇ……こりゃあ、いいじゃあねぇか」
億泰は、タクミと涼子が運んできた弁当をひょいっと一セット取りあげた。
「えぇと……二つで1450えんかぁ?」
「いぇ、お代なんて要りませんよ」
「ダメダメ……だぜ。そーユーことは、キチッとしねぇとモノゴトがおかしな事になっちまうんだぜ」
「しっ、しかし……」
「このヴォケ……お前の店じゃあねーだろ。こりあトニオさんの店の売り上げだぜ……黙って売上につけとけ」
「はい…………」
「よしよし、まっ……わかれば良いんだぜ……どれ……」
オクヤスは、まずはパニーニを手に取った。ためらうことなく大口を開け、かぶり付き、感嘆の声を上げる。
「やっぱりうめぇーな…………例えていやぁ、こりゃあ……『若者が海辺でパーティーをしている』ような味だなぁ……元気があって、楽しいぜ。さっぱり、サワヤカだしよぁ……」
「いや、私達のなんて、まだまだです……億泰さんのお弁当こそ、ものすごく美味しかったです」
涼子が言った。
「へぇ……オレの弁当を食べて、どう思ったよ?」
「……確かな技術と経験に裏打ちされた、素敵なお弁当だと思いました。僕たちは、億泰さんの作られたお弁当を研究したんです。だから、この味が出せたのだと思います…………」
タクミが答える。
「あったりめぇだ……オリャア『プロの料理人』だぜェ?」
億泰はふんぞり返った。
「そりゃあ、トニオさん程の『超』料理人じゃあないかも知れねぇがよお……まっ、ケンキューしてもらえて、コーエーだぜ」
「お父さぁ──んッ朝ごはんできたってぇッ!」
と、店の外から女の子の声がした。その声を聴いた億泰の顔がパッと明るさを増す。
「おぉっナユタァ────ッ、ちょっと待ってろよォ」
オクヤスは店の外に向かってそう叫ぶと、パパッと厨房の片づけを始めた。
「えっ……もう時間ですか」
「おお……お前たちの作ったこのベントーなら、大丈夫だよ。信用したぜ……」
オクヤスはニカっと笑い、タクミと涼子の背中をドンと叩いた。
「合格だぜ……今日から、店に置くとするぜ」
「ゲホッ……あっ、ありがとうございます」
「いや、イイってことよ……聞いたぜ。このベント―はトニオさんじゃあなくて、お前たちが考えたんだろ? テェーしたもんだ……俺がお前たちと同じコーコーセーのころはよぉ……ただダチとバカばっかりやってたからなぁ……」
「イエ……私たちだって」
涼子は頬を染める。実は、褒められなれていないのだ。
「私達も、寮の友達とバカなことばっかりやってます……聞いてくださいッ、同級生には、ゲソとイチゴジャムを和えてゲテモノ料理を作る人だっているんですよ」
「ウワッ……ソイツはヒデェ、くいたかねぇーな……いや、ちょっとキョーミがあるかぁ?」
オクヤスは、ガハハハッと豪快に笑った。
「よぉ……もうすぐ朝メシだってさぁ……オメ―等も、喰ってけよ」
「いえ……せっかくの家族の団らんなのに、悪いですよ」
「私たちのことは、気にしないでください」
「なにを『水くせぇ』ことを言っているんだぁよ……俺はお前たちを『信用した』っつーたろぉ? つべこべ言うな」
オクヤスはしぶる涼子とタクミを追い立てて、店舗に隣接した自宅の食卓に連れて行った。
食卓は清潔で、暖かな雰囲気の8畳間の中心に安物のダイニングテーブルがデンと鎮座している。その上に、幼稚園か小学生か……と言う年齢の幼い女の子と、その母親とが、協力して朝食を並べているところだった。
「あら……オックン……」
料理を並べていた母親……オクヤスの奥さんだろう……が、入ってきた三人を見て、ちょっとびっくりしたように言った。ショートカットの健康的な美人だ。
「フフフ……ずいぶん可愛らしいお客さんね……」
「おお……トニオさんのとこで、修行中なんだわ、コイツラ……いい腕してるぜ」
「初めまして。タクミ・アルディーニですッ。お世話になりますッ!」
「お邪魔しますッ」
「こちらこそ、よろしくね」
オクヤスの嫁はペコリと頭を下げてくれた。
「青葉です……この、億泰の嫁をやっています」
「オハヨーゴザイマス」
ペコリ……と女の子が頭を下げた。おそらく彼女がナユタちゃんなのだろう。
ナユタちゃんは頭を上げると、オクヤスに向かって少しモゴモゴした物言いで
「……オジーちゃんが、起きてくるよ」
と言った。
「おぉ──そうだな、ちょっと説明しておくか」
オクヤスは、頭をボリボリとかいた。
「アぁ──……エェ──…………オレの『親父』なんだがよぉ……ちょっと体を悪くしちまってよォ……うまく話せねぇんだ……それと、ちょっと皮膚とかに問題を抱えててよぉ……だから、ちょっとばかし親父の見た目が変でも……まっ、抑えてくれよ。親父、ああ見えて傷付きやシィーのよ」
「……はい……」
「お病気なのですカ……それは、大変ですね」
タクミと涼子の顔が深刻になる。
オクヤスは鼻をごしごしとこすった。
「おおっと、そんな顔をすんなよ~~オヤジは元気で幸せにやってるんだからよぉ」
ズリッ……
何かが引きずられる音がした。
「あっ、オジーちゃんだ」
「おっと、イケね……親父ィッ! 悪ィが『ネコ』は置いてきてくんな。客人が来ていてテーブルが空いてねーんだわ」
オクヤスがドア越しに語りかけた。
ガリっッ
ドアの向こうで、何か、引っ掻くような音がした。
「アギャッ」
「ギィヤースッ…………フゥ──ッ!」
「ギャギャッ」
続けて、ネコが狂暴に抗議するうなり声と、それをなだめているらしき……少し人間っぽくない声が、聞こえた。
《なんだか、狂暴なネコちゃんみたいね》
《……ああ、慣れていない僕らが会ったら、手ひどく引っ掻かれそうだ》
ドアが開いた。
現れたのは……
デップリと太った小柄な人物であった。
いや、その人物は……控えめにいっても、異容であった。
彼は白く清潔で、仕立ての良さそうなシャツを着ていた。だがその内側がパンパンに膨れ上がったり、奇妙なほどダボッッとたるんでいたりと、どことなく奇妙に膨れ上がっている。シャツからでている顔面も、腕も、ところどころ醜くふくれ上がっていた。しかも……その肌が緑色に染まっているのだ。
まるでアメコミの敵役に出てきそうな、そんな風体なのだ。
彼はピョコピョコと落ち着かなげに身を揺らしながら近づいてきた。
だが、そんな彼の風体も、一緒に暮らす家族にとっては日常なのだ。
「おっ、オヤジいッ、今日も元気そうだなぁ」
オクヤスは父親の前に手のひらを突き出した。
オクヤスの父も手を上げた。オクヤスの手にヨタヨタと自分の手を打ち付ける。
ハイタッチだ。
「オハヨー」
「お義父さま、おはようございます」
「あぎゃっ」
オクヤスの父は、あいさつの声をかけてくれた孫娘と義娘に向かって、プイッと手を振った。手を振るとシャツがめくれ、たぷたぷとした腹肉がこぼれ出たのは、ご愛嬌だ。
その目がタクミと涼子の上に落ちる。子首をかしげ二人をじっと見る。
「ハッ、初めましてッ!」
タクミと涼子は、腰を九十度に傾けるほどのしっかりとした礼をした。
「お邪魔していますっ!」
「アギャ……」
戸惑う父に向かって、オクヤスが優しく話しかけた。
「オヤジィ……コイツラは、トニオさんとこの研修生だぜ。ちょっとうちに来て働いてくれたから、飯でも……と思ってよぉ」
そう言うと、今度はタクミと涼子に向き合う。
「りょーこ。たくみ……オレの親父……亥(ガイ)を紹介するぜ」
「ギャッ……」
亥は、二人をじっと見つめた。緑色の、『腐りかけたソーセージ』のような指を自分の口にくわえる。
タクミと涼子はオズオズと笑いかけた。なんという反応を示していいか、わからなかったのだ。
やがて亥はチュポッと指を口から出すと、タクミと涼子に向かってニッと歯をむき出した。二人に笑いかけてくれたのだ。
タクミと涼子には、醜くふくれた顔の下からのぞくその目の奥から優しい男の姿が見えた……ような気がした。
亥がピョコピョコ身を揺らしながら歩き、テーブルに着く。
ポンと、青葉が手を叩いた。
「みんな席に着いたわね……さぁッ! 召し上がれッ」
その声を合図に、皆一斉に箸を取った。
「はい、いただきます……」
「おっし、食うぜェ」
「アギィッ」
「いっただっきまぁ──すッ」
「いただきますッ!」
オクヤス一家に混じって、タクミと涼子も朝食を取った。
それはシンプルな朝食……ハムエッグ、バターでソテーしたホウレンソウ、レタスとトマト……それから味噌汁とご飯。
だが、旨い……優しい味だ。
ひとかみ、ひとかみごとに、その優しい味わいに包まれた栄養分が体に染み込んでいくようだ。
皆、おしゃべりをしながら口と喉も動かし続け、食べ続ける。
涼子も隣で食事を取っているナユタに話しかけた。
「ナユタちゃんは、小学生なの?」
ナユタは箸を動かすのを止めた。念入りに、口の中のモノを飲み込んでから返答する。そのほっぺに米粒がくっついているのが、ご愛嬌だ。
「ハイっ、イチネンセー……デス」
少しはにかみながら、涼子を上目づかいに眺めている。
「そうなんだ」
可愛いなぁ……涼子はクスッと笑った。
「どう? 小学校は楽しい?」
「ハイっ! 友達もいっぱいデキマシタ」
「そうなんだ、友達と遊ぶの楽しい? どんなことして遊ぶの」
「…………えーと……ワカルカな」
ナユタちゃんは小首をかしげた……
そして少し、『奇妙なこと』を言った。
「楽しい遊びは『山おろし』ごっこ……です」
「『山おろし』? なぁに、それ」
「えっと、それはねッ……」
そのナユタの言葉を突然立ち上がったオクヤスが遮った。
「……なぁ、ナユタ」
オクヤスは、愛娘の頭にポンと手を乗せた。
「ガッコーの話を聞かせてくれるんならよぉ……この間のテストのこと教えてくれや」
「えっ」
「アギ……」
ナユタは少し焦った顔をしている。
「オジーちゃんまで……ねぇ……その話は後にしよーよ」
「どーしてだ? んんん? なんで後回しにすんだよ」
オクヤスは、ニコニコしながら尋ねる。
「おとーさんッ! 今は話したくないのッ! …………お客さんの前だし…………」
愛娘の抗議にオクヤスはニコニコしながら答えた。
「そーか……じゃあ後回しでいいぜ……ガッコーのハナシは後でな」
「ハァ──い」
ナユタはぷうっとふくれながら言った。……が、すぐにニコニコして涼子に何か話しかけようとして、また少し『奇妙な』ことを口走った。
「ねぇねぇ、おねーっちゃん……見せてくれる?」
「見せる? 何を」
「だからぁ……」
と、再び、オクヤスがナユタの前にしゃがみ込んだ。
「ナユタぁ……それも、ダメだ……リョーコとあるでぃーにはちょっとばかし違うんだ。俺たちとは……」
パムゥ
小さな音が涼子の耳に聞こえた……ような気がした。
「えっ?」
ふくれっ面だったナユタが改めて涼子を見た。その顔が『しまった』とでも言いたそうな表情になる。涼子が何も『見えていない』ことがわかったのだ。
「なっ、わかったか」
オクヤスがニコニコしていった。
はたから聞いていると、全く理解できない父娘の会話だ。
だが、ナユタのほっぺからいつの間にか米粒が消えてなくなっている。
きっと優しい父が、そっととったのだろう……
「あっ、いけないッ」
と、涼子はトニオから手渡されたとある『包み』のことを思い出した。オクヤスに断わると、慌てて厨房に戻りテーブルに置き忘れていたザックをとり上げる。
ザックを開け、中にしまっておいた茶色の紙袋を取り出して食卓へ持ってくる。
「これ……トニオさんから渡されたものです」
「おぉっ! いつもいつも、アリガテェッ」
オクヤスは喜色を浮かべながら紙包みを開けた。包みの中に手を突っ込むと、中からクルミ大の大きさの丸いクッキーのようなモノを一掴み取り出す。素朴な色合いのまぁるいクッキー……それはマカロンの起源とされているイタリアの焼き菓子、アマレッティだ。
「オヤジィ……デザートだぜ」
「ハイっ、どうぞ♡」
青葉が、皿にアマレッティをうずたかく盛り上げ、義父に差し出す。
「アギッッッ」
亥は待っていましたとばかりに皿を掴み、ボリボリと菓子を口に入れはじめた。夢中だ。
両手で菓子を掴み、次から次へとアマレッティを食べていく……そして、あっという間に皿を空っぽにしてしまった。
食べ終わった直後に、亥はブルブルッと身を震わせ…………全身をかきむしりながら、トイレに駆け込む。
タクミと涼子はその現象に見覚えがあった。それはトニオの料理が食べた人とシンクロしたときに起こる、『食べたものの体を健康にする』現象に違いなかった。
「へへへッ……」
オクヤスが満足そうに言った。
「今日の菓子はまた、うまそうだったなぁ」
「そうね……お義父さん、うれしそうだったわ」
青葉も満足そうだ。
しばらくたって、亥がまたトイレから出てきた。なんだか少しだけ落ち着いた様に見える。
「あっ……あぎ」
亥は少し恥ずかしそうに席に戻ると、コップを取り上げ、中のミルクを飲み干した。それまでのピョコピョコした動きがほとんどなくなっている。
その様子を見ているオクヤスと青葉が、幸せそうな表情を浮かべた。
「オヤジ……少しずつ良くなっているんだぜ……これがトニオさんの料理の力ってヤツだぜ……」
ぼそっとオクヤスがつぶやく。
「うんめぇ『料理』は誰かを幸せにする……おりゃあトニオさんが作るみてぇな、そんな料理を作りテェって、ずっと思ってんだよ……」
その呟きは、迷っていた涼子の耳に長いこと残っていた。
「……おかーさん、おかわりっ!」
ナユタが元気そうに皿を突き出した。
その日……
弁当をにじむらに届け終えた二人が帰ってくると、トニオの子供、ルチアとニーノがヒーヒー言いながら店の床にモップをかけているところだった。
「あら、お店の手伝い?」
「……感心だな」
二人に向かってルチアがベーッと舌を出して見せた。
「バイトよバイト……私は見返りのないロードーはしないのっ」
「あらあら、しっかりしているわね」
「でもクタクタよぉ……」
ルチアがぷぅっとふくれた。
「オトーサン、細かなところまでうるさいのよ」
「フフフ『マエストロ』トニオは清潔にも妥協しないからね」
日々の調理場の徹底した掃除を思い出した涼子が、すこし苦笑いしながら言った。
「…………」
タクミは、黙ったまま、肩をすくめてその横を通りすぎようとした。
その袖を、双子の片割れニーノが引っ張る。
「……なんだい?」
「……………………お前、俺たちのことをバカにしなかったか?」
低い声だ。
「ちょっと、ニーノ……」
「ルチアは黙っていろ……こりゃあ、コイツと俺の男同士のハナシなんだから……おぉ? なんか言えよ」
ニーノは、タクミの貌に頭をこすりつけるようにして詰め寄った。
「ニーノ君、ちょっと落ち着いて……」
「涼子さん、いいよ……彼とはボクが話すから」
「……乱暴は、ダメよ」
「わかっているさ」
「あぁっ? オメ―が俺に、ランボー……ねェ?」
ニーノがせせら笑う。
「そんなことしないさ……それに、君をバカになんてしていないよ…………」
タクミは、袖をつかんでいるニーノの手を軽く払った。
「悪いけれど『忙しいんだ』。これから昼の営業の仕込みに入らないといけないんだよ、いいかな……」
タクミは自分が今朝であったナユタぐらいだった時のことを、思い出していた。タクミの実家はイタリアの大衆食堂(トラットリア)を営んでいる。だからタクミは、ちょうどナユタくらいの年のころから弟と一緒に厨房に出て、料理の下ごしらえをしたり、ソージをしたり……小さなイタリアの大衆食堂(トラットリア)を支えるため、一生懸命働いてきたのだ……
それに比べてこの子供たちは……
どうしても、そんな思いが頭をよぎってしまう。その思いが顔に出てしまう。
「……それだ……それが、その態度が『バカにしている』って言うんだよッ!」
タクミの考えを知ってか知らずか、ニーノはなおもからんでいく。
「おいチビ……おりゃあ、しみったれた飯をあくせく作ってその辺のオッチャンやババァに仕えるような暮らしは、まっぴらごめんなんだよ」
「……そうか」
タクミはニーノの挑発にも構わない。
「で、君は『料理人』ではない具体的な『何か』を目指しているってわけかい?」
ムッ……と、ニーノが言葉を詰まらせた。
「てっ……てめぇ……」
その拳が、ぎゅっと握りこまれる……震えている。
「ねっ、落ち着いて話し合いましょ」
その様子を見て、慌てて仲裁しようとする涼子の声は、二人の耳に入らない。二人はまるで不倶戴天の敵のように、互いを睨み合っている。
(ちょっと、ホントに喧嘩する気ぃ?)
「……離れろ…………」
「テメェこそ、離れろ」
「断る」
「んんだとぉ、テメェッ!」
ニーノが激昂する。拳を固め、後ろに引くッ!
だがそのとき、二人の間にルチアと涼子が割って入った。
ルチアは、驚いているニーノの頭を思いっきり平手ではたいた。
「ってッ! なんだよ……ネェーチャンッ!」
「アンタっ! いい加減にしなさいよっ!」
眼を三角にしたルチアが、どなった。
「ウチにしゅぎょーに来てくれた人に、なんて口きいてるのよッ! ジョーシキをもちなさい、ジョーシキをッ!」
「ちぇっ……なんだよ」
ニーノはブツブツ言いながら、最後にタクミをジロリと睨みつけた後、また掃除に戻って行った。
「まったく……涼子さん、僕たちも行こうか」
タクミは冷静だった。
その日、昼の営業時間のこと
おかっぱ頭に両脇を借り上げるという奇妙な髪形の男、まるで海兵隊のような帽子をかぶったトボケた男と、花がらのスカートをはいてちょっとカマトトぶった女子大生風の女性が、3人でテラス席に座っていた。
「麦刈さま、香西さま……お待たせしました。サルサ・ヴェルデ(パセリのソース)と生サーモンのペンネ、トニオ特製ボロネーゼ(トマト少な目のミートソース)、それに……キノコのカルボナーラ(生クリーム、チーズ、生卵のソースを使ったパスタ。コショウとパンチェッタ(イタリアのベーコンみたいなもの))です」
涼子は微笑みながら、3つの皿をテーブルに置いた。
三人組は、待ちかねたとばかりに皿に食いつき、食べ始める。涼子より少しだけ年上の彼らは、それは豪快にそれぞれの皿にかぶりついている。ちょっと見苦しいほどだ。
奇妙な髪形の男はボロネーゼを、花柄のスカートの女性はサルサ・ヴェルデを、そして水兵帽の男がカルボナーラに、食らいついていく。
「ウンまぃなぁ──────恭帆ちゃん、これちょっと味見してみてよ」
水兵帽の男がカルボナーラをくるっとまいて、恭帆と呼んだ女性に突きだした。
「オィ、定文……おまえ、ナレナレシィゾッ!」
奇妙な髪形の男がどなる。口からボロネーゼが飛び出しそうな勢いだ。
「ジョーシュー、おまえコーフンするなよ……他の客もいるんだぞ」
「そーよ、ちょっと大きな声を上げるのはやめてよ。常秀」
そう言いながら、恭帆は差し出されたカルボナーラをパクッと口にした。
「あら、本当に美味しいわね……なんていうのかしら、クリーミーで、濃厚で、でもさっぱりしているわ……不思議」
「なっ、恭帆っ……パクッ……て……なんでそんなことを」
「ちょっと、ジョウシュウ、アンタうるさいわよ……」
「ソーダ常秀……お前ちょっと静かにしろよ」
「うぅうううぅ……」
「なによ、イジケナイデよ」
だが恭帆は、パパッと自分の皿のサルサ・ヴェルデをとりわけ常秀に差し出す。
「……ほら、食べてみなさいよ……まったく」
「あぁ……ヤスホ……やっぱりヤサシィなぁ……ウへへへへ」
常秀はサルサ・ヴェルデを口にし、うっとりとした。
「ウンまぃなぁ……あっまいぞぉぉ……ペンネの穴にたっぷりと詰まったソース……パセリの香りの下に、あっまい香りがするぞぉ。それにこのぷりぷりの生サーモン…………かっ、官能的だぁ」
《きっ、キモィイイ……やっぱキモイわ……ジョーシュー》
「ほっ、ホントに上手いぞぉ………………おっ、オイこら、何してんだ定文ッ」
「なにって、見りゃあわかるだろ? お前のボロネェーゼを食ってるんだよ」
「勝手にくうなぁ!」
「いや、肉の味が良くする……どっしりとした味で、香りもいい……うまいなぁ、これ」
「だから勝手にクウなッ!」
「ウッせぇなぁ……いいだろ、お前は恭帆ちゃんからもらえたんだからよォ」
「……まっ、そうだな……仕方ねぇな…………少しやるぜ、食え」
「おう……ありがとな」
「ウへへへへ」
三人は口げんかしながらも、ズビズビっという音を立てながら仲良くパスタを食べ終えた。
そんな三人へ次に涼子が運んだのは、デザートだ。
「マチェドニアです……リモンチェッロのジェラートを載せています」
マチェドニア……それは、デザートグラスに季節の果実(イチゴ、リンゴ、キウィ、黄桃、洋ナシ)をぶつ切りにして盛り上げ、そこに柚子とレモン、ローズマリー、ハチミツを混ぜた特製ソースをかけまわしたものだ。
その上に、やはり今が旬のレモンを漬け込んで作った自家製リモンチェッロ(レモンのリキュール)を凍らせ、ジェラート仕立てにしたものを載せている。
「へぇ……どこの果物だろ……親父のところかな?」
「爽やかで、いい匂いが香るわね」
三人はマチェドニアにスプーンを突っ込み……幸せな表情で、ただ大粒の涙をこぼし始めた。気持ちがよさそうだ。
その様子を見ていた涼子は、心がボッと熱く燃えるのを感じた。
「フフフ……いいわね」
三人の楽しげな様子を見ているうちに、涼子の気持ちは少しずつほぐれ、気力も戻りかかっていた。
だが、そのことに涼子自身はまだ気が付いていなかった。