食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ)   作:ヨマザル

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杜王町へ、ようこそ

「やったぞ、やっと着いたぞ『杜王町』にッ! しかし長かったなぁ…………」

 何度も電車を乗り継いだ末に、ついにタクミ・アルディーニはM県S市杜王町 杜王駅のホームに降り立った。

 

 タクミ・アルディーニ……名前が物語るように、この男は日本人の父とイタリア人の母を持つハーフである。

 両親のいい部分をうまく受け継いだのだろう。町を歩けば、通りかかる女子の10人中9人は思わず息をのむほどの美形だ。普段は身だしなみもピシッとしており、どこから見ても(口を開けなければ)おしゃれな好青年だ。実際、校内には彼のファンクラブがあるほどなのだ。

 だがそんな美形のタクミも、今は長旅で憔悴しきっていた。足取りも身なりもヨボヨボだ……

 

 それには理由があった。

 残念なことに、タクミは天性のおっちょこちょいなのだ。

 例えば自宅のドアを開けっぱなしで外出する。チャックを閉め忘れたままトイレから出てくる。買い物に来たのに、財布を置き忘れたことに店に入ってから気づく……等々、一人では日々何かしらのチョンボをやらかしてしまう身だ。でも彼にはしっかり者の双子の弟がいたから、いつもは実生活の全てを弟に頼りきることで『かろうじて』生活を成り立たせていたのだ。

 

 そんな男が『一人で日本の電車に乗った』。

 当然その道中は『やらかし』の連続であった。駅を乗り過ごすのは基本行動、間違った駅で降りたり、環状線をぐるぐると回ったり、挙げ句のはてには、反対方向に進む電車に乗ったり……とにかく散々な旅だったのだ。

 せっかく前日入りする予定で早めに出発したのに、結局目的地に到着したのは予定日の早朝と言うアリサマであった。

 予定では8時間程度のハズの乗車時間が、なんと15時間を超えているのだから『やらかし』の程度も酷いものだ……

 

 リリリリ

 

 と……リュックに突っ込んでいた電話が鳴った。

 タクミは慌ててリュックの底からスマホを掘り起こす。その画面に表示された名前を見て顔をほころばせた。

 それは双子の弟:イサミ・アルディーニからの電話だった。

 

「どうした、なにか困ったことがあったのか」

 タクミは格好をつけ、兄ぶって電話に出た。

 しかしイサミは、べつに何か困ったことがあって電話したのではなかった。

 

『あぁ、お兄ぃちゃん。昨日、連絡が無かったから、心配したんだよ……ちゃんと電車に乗れた? 無事についた?』

 電話の先からイサミがのほほんとした口調でたずねた。

 

「モチロンだ」

 

『あぁ……よかったー。でもお兄ちゃんのことだから、乗り過ごしたり、切符なくしたりして困ってない? ちゃんと手荷物を確認するんだよぉ──』

 

「なっ! 何を言っているッ!」

 タクミは、顔を赤くしながらとても快適な旅だったと力説する。その口調が少し口ごもっているのが、ご愛嬌だ。

 

 失礼なことに、弟は兄の言葉を真に受ける様子もなくフンフンと聞き流していた。そして唐突に全く違う話を始める。

『ところでお兄ぃちゃん……“忘れ物”だよ』

 

「えっ?」

 

『うん……お気に入りの枕を忘れているよ……あのスヌーピーの枕が無くても、ちゃんと眠れる? なんなら宅急便で送ろうか?』

 

「なっなななッ! 何を言っているんだッ! そんなもの、いらないぞッ」

 

『えっ……でもお兄ちゃん、あれが無いと寝むれないんじゃあ……』

 

「そんなことは無いッ! 大丈夫だッ!」

 タクミは耳まで真っ赤になった。あわてて通話を切る。

 

 その背後からクスッと笑う声が聞こえた。

「フフフ……タクミ君は相変わらずねェ」

「よっ! タクミッチ! 君も杜王町かい。仲良くやろうぜッ」

 

 そこに立っていたのは、タクミの知り合いの二人の女性であった。

 一人は榊 涼子(さかき りょうこ)。黒髪の大人っぽい美人で、誰が呼んだか『発酵屋本舗榊一家』の二つ名を持つ、発酵食品のスペシャリストだ。

 そしてもう一人は、吉野 悠姫(よしの ゆうき)。ツインテールの健康的な少女だ。彼女の二つ名は『禽獣の森の赤ずきん』。ジビエ料理(野生の動物を食材とした料理)を得意とする料理人だ。

 二人とも、タクミと同じ学園の生徒であった。

 

 二人はホームの反対側からタクミに向かって手を振った。

 タクミも手を振りかえすと、ホームを下りて改札の方に向かった。すぐに涼子と吉野も合流してくる。

「あら……髪を切って気合を入れたのね……」

 何でもよく気が付く涼子が、タクミの髪形を指摘する。

 

「……まぁね」

 タクミは短くなった金髪をくるくると回し……指に巻きつけた。実は『とある決意』を示すために思い切って切ってみたのだ。

「ところで、君たちも実地研修(スタジュール )をここで?」

 タクミの質問に二人はうなずいた。

 

 実地研修(スタジュール )とは、タクミ、涼子 そして 吉野が在籍している『遠月学園』のカリキュラムの一つであった。実地研修の名の通り、『遠月学園』の一年生たちが町の料理屋、旅館などに4週間の修行に出るカリキュラムだ。

 遠月学園は非常に厳しい選抜制の学校であった。この実地研修期間の行動も、すべて遠月から派遣された検査員に厳しく採点されている。その採点の結果、学園にふさわしくない行動を取り、不合格とされた生徒はその時点で退学になってしまう。その合格率はほぼ50%、非常にシビアなカリキュラムであった。

 

 もちろん三人とも退学になる気などさらさらない。

 このスタジュールも、正面から乗り越えてやる……そう決意していた。

 

「いやぁ──、でも本当に長い旅だったわねェ……嫌になっちゃったわよ」

 涼子がこぼした。

 

「私たち昨晩は福島で泊まったのよ……で、始発でここまで来たってワケ……タクミッチは、昨晩はどこに?」

 吉野が元気よくたずねた。

 

「あ……あぁ、僕は駅のホームで泊まったんだ……ど……どこの駅だったかな」

 

「へぇ、さすがは男の子ねぇ……中々たくましぃじゃあない」

 涼子はクスリと笑った。

 

「ハハハハ……も、もちろんさ」

 タクミは汗を拭いた。真実は、そんなに恰好良くもない。うっかり予約したホテルの名前が書いてあった地図を捨ててしまっただけだ。そのために迷子になったタクミは、出たくともホームから出られず、仕方なしにホームで夜を明かした……というワケだった。

 

「それにしても、本来スタジェールは一か所に一週間、それを四か所回るはずでしょ……なんで私たちだけ、三回目の研修先の開始時期が早いのかしらね……」

 吉野が小首をかしげた。そう、今はスタジェールが始まってから12日目、まだ道半ばの時期であった。

 

「そうよね……私なんて一回目の研修先も、二回目の研修先も5日間だけだったのよ……」

 涼子が言った。

 

 吉野も全く事情は同じであった。

 

 タクミなどは、二人よりもっと無理があるスケジュールであった。

 なんと一回目の研修先(メイド喫茶)はたった1日だけだったし、その次の料亭『藤雨』では逆に10日間もの研修期間であった。変則もいいところだ。

 

『藤雨』ではギリギリまで仕事をしていたので、杜王町まで来る移動の時間もギリギリだった。研修が終わったその足で大慌てで電車に駆け込み、なんとか指定された時間に杜王駅に到着することができたのだ。

 

「しかも、僕なんて、杜王町での実地研修(スタジェール)は二週間になると聞かされたよ……つまり僕の研修先は4か所ではなくて3か所なんだ」

 

「それ……ワタシ達も同じよ……」

 涼子の言葉に、三人は首をかしげた。

 

「まさか……」

 タクミは深刻な顔つきになった。この三人の共通項目と言えば、ついこの間行われた一年生同士の料理の腕試し大会:『秋の選抜』での惜敗。まさか学園が、三人の選抜での出来に不満で、『特別授業』を計画したというのだろうか……

(そうだとすれば、この杜王町でのスタジェールは、これまでとは比べ物にならないほど過酷なものになるかもしれない……)

 

「まあ、とやかく考えても仕方がないよ。ワタシ達は頑張るだけよッ」

 

 吉野の開き直った言葉に、タクミもはっと我に返った。

 吉野の言うとおりだった。自分たちはただ与えられた課題に全力で挑み、乗り越えるだけだ。

(そうだ……今頃、我がライバルも研修先で力をつけているに違いないッ! 僕だって、負けないッ!)

 タクミの脳裏に、この場にいない『ある男』の顔が浮かんで、消えた。

 

 迎えが来るまでの時間をつぶそうと、改札を出た三人は立ち話を始めた。

 

「クッ……うぅ……」

 そんな三人にヨロヨロと近づいてくるものがいた。

 同じく遠月学園の同級生、丸井善二だ。

 丸メガネをかけた細身の丸井は、なぜか大量の荷物を抱えていた。

「ハッ……ハァァ──────…………」

 大荷物をかかえた丸井は、なんとか三人の元にたどり着くと、抱えていた荷物をドサッとおろした。そして息も絶え絶えに地面に突っ伏した。

「榊、吉野……も、持ってきた……ぞ…………アぁ……タクミ君か、君も来たんだね……」

 今にも死にそうな声だ。

 

「まっ……丸井君ッ、君もいたのか……それで、その荷物はいったい、どうしたんだ」

 タクミが驚いてたずねると、涼子がにっこりと笑った……

 

「丸井君、さすが……ジェントルマンね」

 涼子は、ポンポン……とうなだれている丸井の頬を叩く。

 

「何をへばっているのよ……それくらいで、だらしがないなぁ……」

 吉野はガハハハっと笑い、地面に突っ伏している丸井を、無理やり引き起こした。

 

 引き起こされた丸井の顔は、蒼白だ……

 

「恨むなら、ジャンケンで10連敗した自分の勝負運を恨みなさいよ……」

 吉野が笑った。

 彼ら三人は『極星寮』という同じ寮にいる友人同士だ。おそらく三人は、小学生さながらに道中ずっと『じゃんけんをして負けた人間が全員の荷物を持つ』と言う遊びを続けながら、旅をしてきたのだろう。

 バカバカしい……とは思う。だが、バカバカしいことでも真剣にやるのが『極星寮』の流儀。アパートで弟と暮らすタクミには、そのノリは少しうらやましくもあった。

 

「まぁ……それにしても、迎えはまだ来ないのかな……」

 タクミはコホンと咳払いして、話題を変えた。

 

 四人は連れだって杜王駅の改札を出て、辺りをキョロキョロと見回した。小ぶりながらも清潔で、中々発展した駅前だ。

「思っていたよりは都会だけれど、やっぱりどこかのどかな町よねぇ……」

 吉野は大きく気を吸った。

「うぅ〰〰ん♡。空気もおいしいわッ」

「そうねっ、明るくて綺麗な町よね」

「ああ、これだけ空気がきれいなら、きっと美味しい食材が沢山あるに違いない。こりゃあ、今回の研修は楽しみだね」

「…………」

 物珍しそうに、初めて見る杜王町を眺める高校生四名。

 彼らは知らない。彼らがまだ生まれて間もないころ、この町には超凶悪な殺人鬼が潜んでいたことを。

 そして、この町の北方の集落が正体不明の怪物に壊滅的な被害を受けたことを。

 それらの事件を、人知れずに解決した高校生たちがいたことを……

 

「おっ……あれかな?」

 吉野が、近寄ってくる一台の軽トラを目ざとく見つけた。

 

 その古ぼけた軽トラは、駅のロータリーに侵入してキキィ──っと音を立てて止まった。すぐにドアが開き、四人の目の前に運転手が顔を出した。イケメンの渋いオジサマ(吉野目線)だ。

 オジサマは、タクミ達4人を見て顔をほころばせる。

「やぁ……遠月学園の生徒さんかな? 杜王町にようこそッ」

 長髪のそのオジサマは爽やかに言うと、手に持っていた写真を眺めた。そして悠姫と丸井に話しかけた。もちろんその顔には爽やかな笑みが浮かんでいる。

「キミが吉野悠姫さん……そして君が、丸井善二君だね……初めまして」

 

 颯爽と手を差し出すオジサマに、吉野の目がハート型になった。

「は……初めましてッ! よろしくお願いします♡」

 

「……よ、よろしくお願いします……」

 あいさつの段階で、すでに丸井はボロボロだ……

「スミマセンが、どこか休めるところに……」

 

 だが丸井の訴えは、オジサマの耳には全く入っていなかった。

「こちらこそよろしくッ! じゃあ、さっそく行こうか……『野宿(キャンプ)の用意』はできているね?」

 

「えっ?」

 吉野と丸井は、怪訝そうに顔を見合わせた。

 

「『遠月學園』からの連絡によると、キミたちは僕たちの『熊狩り』に同行してくれるんだろ? さぁ……行こう。妻が山で待っている……そうだ、鉄砲は使えるかい? マッチなしで火を起こしてみたいかい? 大丈夫、僕がゼンブ教えてあげるよ……(ちょっと大変だけど)」

 

「えっ? えっ……」

 

「今回の狩猟では、君たちが賄をしてくれるって聞いている……いや、助かったよ。ところで、蛇の調理は出来るかい? ……木のうろにいる、カミキリムシの幼虫もうまいよ……調理したこと、ある?」

 

「えぇぇ!」

 

「大丈夫、それから料理のお礼に、罠のしかけ方、熊のしとめかたを、ボクが教えてあげるよ……大丈夫、すぐに上手くなる……(危ないけど)」

 

「ええっ! 狩りができるんですかッ それはすごい」

 ジビエ料理のスペシャリストとしての腕が騒ぐのだろう。吉野は目を輝かせている。

 

 一方、体力のない丸井は、話を聞いただけで、死にそうな顔つきになっている。

 

「ハハハハ……善は急げ、早速行こうかッ」

 イケメンのオジサマは、あっという間に吉野と丸井をトラックの荷台に乗せ、颯爽と去って行った。

 トラックの荷台の上には、吉野の喜々とした笑みと、丸井の絶望に満ちた顔がのぞいた。そして二人の顔が、あっという間に小さくなっていく……

 

 そして後には、タクミと涼子の二人が残された。

 

「ハハハ……吉野クンも、丸井クンも、大変そうだね」

 去っていく軽トラを目で追いつつ、タクミが言った。

「そうね……丸井クン、無事に過ごせるといいけど……」

 涼子が、心配そうに言った。

 

 ……二人は知らない。知れば二人は『不安』を通り越して『恐怖』を感じていたであろう。

 実は吉野と丸井を連れて行ったオジサマは、その身に核兵器にも匹敵するという生物兵器:バオーを身に宿している男なのだ。彼はとある事件の後長い眠りについていたのだが、彼を助けて再起動させたのが、かつて殺人鬼を退治した高校生たちであった。

 ……そして時は流れ、当時の高校生たちはみな『大人』になり、それぞれの道を歩んでいた。

 

 不意に、タクミの顔が険しくなった。

 

 ド ド ド ド ド ド ド ……

 

 いつの間にかタクミの背後に、見るからにヤンキーじみた格好の男が立っていたのだ。その男は自転車に乗って、二人をじっと見ていた。鋭い眼だ。

 

「あら……」

 その男の発するただならぬ気配に、ゴクリ……と涼子がつばを飲み込んだ。

 

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

「えっと……さかき リョーコさんと……タクミ・あるでーにさん……かい?」

 男は、たどたどしく言った。

 

「そっ、そうだが……」

「ええ、涼子です……」

 

 二人が名乗ると、その男は、にかぁ……と笑った。第一印象よりも『いい人そう』な笑みだ。

「へへへ……アンタ達、トオツキっつー料理学園の生徒さんだろぉ? いっやぁ~~見つかってよかったぜぇ……オレの名前はニジムラ オクヤスッ よろしくぅッ」

 

「あ……あなたが、私たちの研修先なのですか」

 

「おお……まぁ、俺のところでもよかったんだがよぉ……ああ……説明がメンドくせーな、リョーコ、あるでーに、とにかく行くぜ……自転車に乗りな」

 

「へっ?」

 

「ほら……乗れよ……ジョウチャンが、荷台に座りな……アルデーニはスタンドの上に立ちな」

 

「えっ……えぇぇ?」

 

「ほら、しっかり掴まってろよぉッ!」

 虹村億泰は、涼子とタクミを荷台に乗せ、三ケツで猛然と自転車をこぎ始めたッ! 虹村億泰:かつて杜王町に潜んでいた殺人鬼を退治した高校生の一人。大人になった彼は今、料理人になっていたのだった。

 

◆◆

 

 三人乗りの自転車は驚くほど速く進み、三人をあっという間に一件の瀟洒なレストランの前に連れて行った。

「『イタリア料理』トラサルディー……」

 涼子が看板に書かれた店名を読んだ。白塗りの、暖かそうな外観の木造家屋を改装して作られた『隠れ家風』レストランだ。

 

「おお、ここだよぉ……ここが、アンタ達の研修先だぜぇ……」

 億泰は、のほほーんと言った。タクミと涼子の二人を乗せて何キロも自転車を走らせたのに、さほど疲れた様子も見せない。驚異的な体力だ。

「おぉぉ……そうだ。あんたと一緒にいたジョウチャン・ボッチャンは、橋沢のところに行ったようだな……アイツは真面目な顔してキッツイゼェ……それに比べて、まぁ、アンタ達はラッキーだぜ……なんたって『天使』のような料理人の元で、働けるんだからなぁ……」

 

 ガチャッ

 

 そのときレストランのドアが開いた。ドアの奥からイケメンなイタリア人の顔が、のぞく。

「来ましタネ……待っていましたヨ」

 

「タクミ・アルディーニですッ! よろしくお願いしますッ」

「榊 涼子です。頑張りますッ」

 

 最敬礼する二人に、オーナーシェフのトニオ・トラサルディーは微笑んだ。爽やかな笑顔だ。

「こちらこそ……二週間、よろしくお願いしますヨ」

 

「ハイっ!」

 二人は元気よく頭を下げた。

 

「トニオさぁん……じゃあ後は、よろしくなぁ~~」

「えぇ。オクヤスさん、また来てくださいね。一緒に新しいレシピの研究をしましょウ」

「そりゃあアリがてぇッ。アンタと仕事ができるのは、いつだって大歓迎だぜぇ~~」

 そういって騒がしく億泰が去ると、トニオは二人を店の中に案内した。

 その店は、こじんまりとした店であった。机も二卓しかない。だがイタリアのセンスのいい家具があちこちにしつらえられ、清潔で、居心地のいい雰囲気の店であった。

 

「では、さっそくお願いしまス。まずはコックコートに着替えて、掃除をお願いしマス……調理場にバイキンは禁物でス……徹底的にお願いしますよ」

 トニオはにこやかに言った。

 

 

◆◆

 

 その二時間後:

 二人はすっかり『疲労困憊』していた。

 トニオ・トラサルディーの清潔に対するこだわりが、並ではなかったのだ。

「ダメッ! やり直しデスッ。さっしに埃がついていますよッ!」

「ここっ! まだシミが落ちてませんよッ」

「ここもっ」

「この隅は、ちゃんと拭きましたカッ?」

「……」

 

 こんな調子で、店内にホコリ一粒逃さない勢いで徹底的な掃除をさせられたのだ。

 

「……いいでしょう」

 ようやくトニオが満足する出来栄えとなったころには、二人は息も絶え絶えになっていた。

 

「あっ……ありがとうございます」

 

「しかし、まだ納得いかないところがありマス。明日はもっとしっかりやってくださいネ」

 

「は……はい……」

 

 へたり込む二人を見てトニオがクスリと笑った。そして二人の前に椅子を引きずってくると、椅子の背を前に腰を掛けた。

 二人を見るその顔から、笑みが消える……

 

 ド ド ド ド ド ド ド ……

 

「では……二人の力を見てみましょうカ……」

 トニオの目が、凄みを帯びた。

「今から一時間アゲます。その時間内にワタシに『食べさせるべき』一皿を、それぞれツクリナサイ」

 

◆◆

 

「……タクミ君、どうする」

 厨房に立ち、涼子が途方に暮れたようにたずねた。

 

「…………まだなにも思い付かない……でも、やるしかない」

 タクミは自信たっぷりに聞こえることを祈りながら、そう答えた。

 

「ところで、二人で相談しながら作るのは禁止デスヨ。私は、この課題を通してアナタ達一人一人を良く知りたいのですかラ」

 トニオが二人が相談しているところを聞きつけ、くぎを刺した。

 

「ハイッ」

 

「それから、食材は右の冷蔵庫に入っているものなら、何でも使ってイイですよ」

 トニオが言った。

「でも、左側の小さい冷蔵庫のモノには、手を付けないでクダサイ……それは、今晩の大事なお客様のために、取っておかなくてはイケナイノデ……ああ、機材は何を使ってもいいですヨ……」

 

 トニオの目が光った。

「どんなものを作ってくれるのか、楽しみにしていますヨ」

 

 その言葉を聞き、タクミはプレッシャーで冷や汗をかいた。

(くっ、イタリア料理の本格派シェフに、下手なものは出せない…………どうする?)

 横目でチラリと見ると、涼子はすでに作るモノを決めたらしく、タクミよりも先に動き出していた。

(考えろ……今ある材料で、この一時間の間に作れるもので、トニオさんに出すべき一皿を……)

 タクミは必死に思いを巡らせた。

 

 冷蔵庫を開ける。

 するとそこには、しっかりとした食材がぎっしり詰まっていた。

 

 タクミの地元フィレンツェでは、トスカーナ料理と呼ばれる地方料理が有名である。農家の料理を元に発達した、シンプルで豪快な料理が特徴であった。

 対するトニオの地元は、話し方から考えるに、ナポリだ。ナポリの料理は、新鮮な海鮮と、トマトを使った料理が特徴である。

 

 その2つを組み合わせる……とすれば……タクミの頭のなかで、どんなものを作るべきか、次第にアイディアが固まってきた。

 

◆◆

 

 一時間後:

 

 出来上がった二人の皿を見て、トニオは満足げに微笑んだ。

「なるほど……二人とも、考えましたネ……では、まずはタクミ君の皿をいただきましょうか。フム……おいしそうなスープですね」

 

「パンとトマトのスープです……ブオン・アッペティート(めしあがれ)!」

 タクミは緊張していた。

「少しバジルを効かせて、さらにセージとパセリを散らしてあります」

 タクミは皿をトニオと涼子の前に並べた。

 真っ赤なトマトのスープに、緑色のバジルが並んだ、目にも鼻にも美しい一品だ。

 その横に茶色いパンを添える。

 

「フム……」

 一口飲み込んだトニオの顔が至福の表情に染まる。

「なるほど……トマトは二種類使っているのですね。スープに使われているものと、具材の一部として入っているカットトマトからは、それぞれ異なる味わいが感じられマス……」

 

「トニオさんの冷蔵庫には、4つのトマトがありました。サンマルツァーノ、シシリアンルージュ、麗夏トマト……それに、キャロルセブンです。そのうち、シシリアンルージュの皮をむき、軽く下味をつけてキンキンに冷やしました。その表面だけさっとあぶって、塊のまま入れてあります。トマトソースには麗夏トマトを絞ったモノを使わせていただきました」

 タクミは胸を張った。これが、今の自分が一時間で作ることのできる最高のひと品だ。トニオを満足させる自信は、あった。

 

「フム……トマトの使い分けは、的確ですネ。暖かいスープと、冷たいトマトの温度差も楽しい……ところで、このスープの風味は?」

 

「中華ハムです。きちんとブィヨンを取る時間が取れないので、冷蔵庫にあった中華ハムを使わせていただいて、出汁を取りました」

 

「スゴイわぁ……タクミ君」

 涼子は添えられているパンを食べようと、手を伸ばした。

 その手を、タクミが抑える。

 

「涼子ちゃん、そのパンはそのまま食べるんじゃないんだ」

 

「えっ?」

 

「このパンはねぇ……」

 タクミは手に持ったスプーンで、パンをポンと叩いた。

 するとパラパラパラパラと、パンがサイコロ大に崩れていく。

 

「これは……トスカーナの塩無しパンですね」

 トニオが目を丸くした。

 

「そうです。我が故郷、トスカーナの塩無しパンです」

 タクミは自慢げに鼻をこすった。

「……実は僕の私物で、電車のなかで食べようと思って持っていたモノです……でも、このパンはそのままでは、とても固いので、包丁で賽の目に斬ってあります。それを、スプーンですくって、パンの中に入れて下さい」

 

「こう、かしら……」

 砕いたパンをスープに浮かべ、再び口にした涼子は……その味に一瞬にして、虜になった。

 ひとたびのその濃厚な味わい感じたならば、それは食べた者に着ているものを全て脱ぎすて、裸になったかのような錯覚を引き起こす。生々しい濃厚な味の奔流が、涼子を、トニオを、襲うッ! 

 

「あっ……あっ あぁああああ~~~んんッ!!!」

「うぅぅうっッ!!!」

 

 あまりにもの味の奔流に飲み込まれ、二人はその快感にもだえ、萌え苦しみ、しばし呆然となった。

 

「美味しいわ……」

「スバラシイ」

 

「グラッツェッ!」

 タクミが胸を張った。

 

 気を取り直したトニオが、フォークを手に取った。

「……コホン…………スバらしいデスね。では、次に涼子さんの皿をいただきましょうか……ふむ……これは……」

 

「フフフ……お口にあいますかしら?」

 涼子の作り上げた皿は、パスタだ。白と黒のプリッとしたアサリが、やはり真っ白なパスタに、映える。

「スパゲッティ・アッラ・ヴォンゴレです」

 涼子は、妖艷に微笑んだ。一皿をトニオに、そしてもう一皿をタクミに差し出す。

「頑張って作りました。お気に召すといいのですが……タクミ君も、どうぞ」

 

「ドレ……」

 トニオとタクミはクルクルッとパスタを巻き、口にした……

 プリプリのアサリを口の中で噛み切り、中のエキスを解き放つ。

 

 口の中で『旨味』が、爆発した。

 

「これは……和風パスタッ」

 タクミは、パスタをがっついてほおばりながら言った。我ながら行儀が悪いことはわかっているが、どうしても、食べるのを止めることができないっ

「スバラシイ……このアサリの濃厚な香り、官能的な味が、一口ごとに口いっぱいに広がるッ! ……しかも……このパスタからうっすらと立ち上る香りは……」

 

「これは、しょっつるです……ハタハタで取ったしょっつるを、杜王町に来るまでの旅で、手に入れていたの……」

 涼子は、懐から小さな小瓶を取り出し、振りたてた。

「これも、立派な発酵食品ですからね……私の研究対象なのよ……」

 

「ああ、なるほど……わかりました。パスタから感じるこの甘味と香気は……」

 トニオがポンと手を叩いた。

「これは、あれを入れましたね……にほ……」

 

「いえ、『お米のジュース』ですワ」

 涼子はトニオの言葉を途中で遮った。強い口調だ。

「このパスタは、お店の物を使わせていただきましたが、一番初めに、『ちょうど持ってきていた』このお米のジュースに、パスタをタップリ浸してから茹で上げて、ボンゴレに使いました」

 

「ディッモールトォッ!」

 パン、パン、パン……

 

 二人の皿を試食しトニオが手を叩いた。

「君たち二人ともスバラシイ料理人デスね。その若さで素晴らしいです……私のお店の新しいメニューの、ヒントになりましたヨ」

 

「恐縮デスッ!」

 

「では、素晴らしい一皿を振舞っていただいたお礼に、私からも一品ツクリマショウ」

 トニオはスッと、厨房に立った。

「お二人がスープとパスタを作ってくれたので、私はドルチェを……」

 そう言いながら丁寧に手を洗う。

 そしてリンゴを取り出す。

 真っ赤な赤色が光り、リンゴの芳醇な香りが辺りを漂う……

 トニオはそのリンゴを人さし指に乗せて、クルリと回転させた。

 

「えっ?」

 

 すると不思議なことに、リンゴの皮がくるりとむけた。

 トニオは皮のむけたリンゴを、トレイパッドに置く……

 と、そのリンゴがパラリとほどけた。

 いつの間に包丁を使ったのか、リンゴはきれいに八等分に分けられている。

 

「なっ……なんて動き……」

「まるで天使のような……」

 トニオの動きを見ている涼子とタクミの口から、称賛の声がこぼれる……

 そう、その軽やかな素早い動き、一切無駄のない動き、それはまるで『天使が舞う』かのようだ。

 

 パリッ

 

 トニオは卵を三つボールに割りいれ、カラッと泡だて器をなんどか回す。そしてタッパーの中から粉を取り出し、重さをはかった。

 驚くべきことに、その頃には、いつの間にか泡だて器が洗い終わって、きれいに片づけられていた。

 一体、いつの間にその作業をしたのだろうか……

 どこかのタイミングでトニオが片づけたに違いないが……でも……

 

 やがてトニオは、さっとフライパンを振ってクレープを焼き上げた。

 次にバターで炒めていたリンゴの上にワインと、ハチミツをふりかけ、一瞬だけ火を入れ、クレープにまきこんでいく。

「できましたよ……リンゴのクレープです」

 トニオはニコヤカに皿を出した。その隣にグラスに入った水をそえる。

 

 それは、本当にシンプルな、何の工夫もなさそうなクレープ……

 だが、そのクレープを口にした二人は……そのあまりの旨さに飲み込まれ、息をするのも忘れてクレープを食べまくった。

 甘い、そして濃厚な香りと微かな酸味……

 ふわっと暖かいクレープの皮に包まれた、リンゴのさわやかな味わい……

 涼子とタクミは、時折グラスの水を飲み、喉をしめらせると、再びクレープを口の中に詰め込む。

 この水も、ただの水とは思えないほどの鮮烈なおいしさだ。

 

「ハァ────っ、ハァァ──……」

「なっ、なあんのて 『ンまぁああ~い』のぉっ♡」

 

 二人が感じたのは、まるで『ルネッサンス期の絵画のように』天使の翼をまとうトニオ。トニオが天から舞い降り、地上にいる二人を天国へ誘っていく光景だ。そして、三人の周囲には、まるでトマトに手足をつけたかのような『奇妙な』聖霊たちが、笑い、踊り、そして歌声をかなでる。

 そんな光景が二人には確かに感じられる…………

 

「美味しかったデスか?」

 トニオが真剣にたずねた。

 

「はい……♡」

「なっ……なんておいしさだ……こんなにシンプルな料理なのに……」

 

 なおもむさぼりつくようにクレープを食べつづける二人に、トニオが静かに言った。

「……君たちに『上着を脱ぐこと』を勧めマス」

 

「えっ?」

 

 異変は、その直後に起こった。

 

「なんだ? 目がかゆいな……それに、なんだか肩も、変な感じだ……」

 タクミは、何か『奇妙な』感覚に襲われた。

 

「私もよ。肩が、痒いわ……それに、なんだか火照ってきたわ」

 涼子は悩ましげに肩をかきいだき……ボリボリと肩を、首を、かいた。

 

 そういえば僕も……そう考えていると、不意にタクミの両目から涙があふれ出した。同時に肩が熱く火照りだす。我慢できず、タクミもまた、涼子と同じように肩をかきむしり始めた。

 

 奇妙な状況だ……だが、どうしても涙も、肩をかきむしることも、止める事が出来ないッ! 

 

 そんな二人の様子を、トニオはいたって平然と見ている。

 

 すると……

 

「あらっ! 私の肩こりが……感じないわ!?」

 涼子は意外そうに顔をほころばせた。

「『前』が重くて、ずっと凝っていた肩が……今はくにゃっくにゃよ……肩こりが無い状態って、なんて楽なの……」

 

 ようやく涙が収まったタクミも、気が付けば寝不足でショボショボしていた目がすっきりしていた。そして、先日駅のホームで寝たために痛めていた関節の節々も、すっかり楽になっているようであった。

 

 トニオが満足げにうなづいた。

「フフフ……ヨーロッパでは昔から『一日一個のリンゴで医者いらず』と言う言葉がありマス。それに、リンゴに含まれている有機酸やビタミンC、ミネラル類は、疲労回復の効果がアリマス……どうですか? 杜王町までの長旅の疲れは、取れましたカ? それと、タクミ君は、昨日寝不足でしたネ……目覚ましの水を飲んで、目が覚めたデショウ……?」

 

「えっ……ええ」

 トニオの料理を口にした後、二人は体の具合が絶好調になっていることに気が付いた。まるで魔法にかけられたのかのようだ。

 

「アナタ達の料理を堪能しましタ……さすが遠月の生徒さんですね。感心シマシタ」

 トニオが言った。

「デモ、ヤハリ学生さんです。まだまだ修行が必要ですネ」

 

「どういう事ですか?」

 タクミは少しむっとして尋ねた。

 

 カタリ

 

 トニオがユラリと立ち上がった。その顔が……いつの間にか『凄味のある』表情に代わっている……

「……ワタシは、ワタシに『食べさせるべき』一皿をツクリナサイと、いいましタ……そうですネ?」

 トニオが淡々と言った。だが、その淡々とした言葉使いの陰には、恐ろしいまでの『迫力』が感じられた。

「でもお二人が出してくれた料理は、『自己紹介』のつもりで作ったものですね……それも間違いではありません。確かに、私はアナタ達の事を知りたいと思っていましたカラね」

 でもね……トニオが続けた。

「それは『アナタたちが出したかった料理』デショウ……デモ私は、今の貴方たちの体が『欲している』物を探りとり、テイキョウしましタ……『アナタたちに、出すべき料理』を出したのデス。なぜなら人は、体が本当に欲しているモノを食べた時に、最高の美味しさを感じるのですカラ」

 

(しまった) 

 トニオの言う通りだ。タクミは青ざめた。自分は確かに、『自分の腕をトニオに認めさせるため』の料理をした。

 トニオが食べたいものは何か、など考えもしなかった。

 

「イイですか? 料理の世界ではお客様のご要望を何となく『聞く』のではなく、良く『聴く』事が大事です。……お客様のご様子をマンゼンと『見る』のではなく、良く『観る』ことです」

 

「うぅぅ」

 涼子が下を向く。

 

「肌色を見れば、アナタ達が、長旅で疲れていたことはわかります……それに、涼子さんはその『挑戦的』な体格のオカゲで肩こりに悩まされているのは、その肩の動かしかたを良く観れば、わかります。タクミ君が寝不足なのは、目を観れば一目瞭然デス」

 食べる相手の事をよく観るとは、こういう事デス……

 トニオは手厳しくいった。

 

「すみませんでしたッ!」

 タクミは頭を下げた。

「おっしゃる通り、自分は『自分の腕をわかってもらうために』料理をしましたッ!」

 

「いえ……君たちはまだ若い料理人デス……学ぶことが多いのは当然です」

 トニオはにこやかに言った。

「色々言いましたが、どちらの皿も素晴らしかったです……イイデショウ……君たちは合格です。このスタジェール期間は、我がレストランのスタッフとして働いてくだサイ……そして、貴方たちには『4つの仕事』をお願いしマス……」


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