あとで途中の作品と分けます。
エレオノーラ・ノーランド・フォン・ドラク卿は吸血鬼である。
見た目は十数の少女なのだが、実際の齢は約一世紀にも及ぶのだ。
彼女は、始祖ドラクルが生まれし始まりの地:ルーマニアの奥地にて、
多くの吸血鬼貴族の中の一人として生を得た。
ノーランド家に生まれた彼女は、数えで十と二つの時にその才を示した。
自国の民に迫る魔物や魔獣を、多くの騎士たちを連れ、先陣を切ってこれを討滅した。
それにより、民からの信頼も厚く、彼女を慕う騎士たちも多くいる。
彼女の容姿と振る舞いはまさに優雅を形作り、周りの者たちの目を奪った。
その経緯ゆえか、彼女は周りからは『蠱惑公』と呼ばれた。
しかし彼女の活躍は、周りの貴族からの嫉妬や猜疑心の目を向けられることに繋がった。
彼らは、彼女の優雅な振る舞いと蠱惑的な姿を皮肉り、『毒華公』と陰で囁いた。
他者を魅了し、その姿に吸い寄せられたが最後、その毒を吸って身を滅ぼすという、
まさに魔性の女という意味で恐れたのだ。
もちろん、人の口に戸はたてられるわけもなく、言葉というものは疫病の如く拡散するものだ。
この話を耳にした臣下や民は大いに怒りを燃え上がらせるも、
エレオノーラの一言によってその矛を収めた。
彼女の民を憂う言葉、彼女の優雅への信念、そしてその美しき姿に触れ、
臣下たちは彼女への陰口など気にもしなくなったのだ。
今日も彼女の民や臣下たちは、彼女の姿に勇気や激励を受け、今日も仕事に励むのだった。
ちなみに彼女の両親は、
彼女が後を継いだらさっさと隠居し、離れた場所で領民と共に農業をしている。
新しい家族が出来るぞ、との手紙が送られてきた際は、エレオノーラは机に頭をぶつけ、
なにをしているのですか、お父様、お母様!?と荒れた文を叩き付けに行った。
さて、エレオノーラの住まうルーマニアであるが、
彼女の他にも多くの吸血鬼貴族などが存在している。
その中で最も大きな勢力となっているのが、『ツェペッシュ派』と『カーミラ派』である。
この両派、ツェペッシュ王家の争いや思想の相違などで、醜悪なまでに仲が悪いのだ。
男を真祖と尊ぶツェペシュ派と、女を真祖と尊ぶカーミラ派、
考えの違い故に、互いを理解する気もなく、互いに睨み合っているのだ。
そもそも、吸血鬼における両派は悪魔にも勝る純血主義を掲げており、
純血以外の存在などには、恐ろしいほどの差別意識を示す。
また純血思想に染まらずとも、自身の欲望を優先するほどの貴族足りえない存在もいるのだ。
それ故か、純血ではない者:ハーフヴァンパイアの扱いは、純血とは天地の差が生じる。
それこそ、人か物かの認識にまで及ぶ。
だがエレオノーラは、そんな純血意識もなければ、卑しき欲望の亡者に堕ちる望みもない。
そもそも、ノーランド家は確かに貴族ではあるが、
彼女の意向でツェペシュ派にもカーミラ派にも属していない、中立の立場なのだ。
時折、両派から使いが訪れ、後ろ盾になれという命令が来るも、
彼女は丁重に迎え、丁重にお断りをしている。
まぁ、使いがころころと変わるのを見ると、少しいたたまれないが、
だからとて自治領をツマラナイ諍いに巻き込みたくもないし、興味もないのだ。
ただ彼女の望みは、『民や時代、世界の移りゆく様を見ること』だ。
彼女は約一世紀の時を過ごした。
それゆに、多くの儚き命を宿す民の死を、残酷な時の流れに翻弄される様を、
意志によって築かれる世界を、見続けていた。
だがそれと同じく、儚き人の大いなる輝きや、変わり続ける時代の盛衰、
そして消えては生まれる新たな世界の姿を見てきたのだ。
ああ、なんて素晴らしいのだろう。
彼女は長命の吸血鬼であるが故に、永き時を過ごしたが故に、
その激しくも暖かく、煌びやかで仄かな輝きを持つことが出来ない。
自分たちよりも脆く、儚く、短命でありながらも、
その火を燃やすその姿を、彼女は愛おしくてたまらない。
ああ、なんて素晴らしいのだろう。
ゆえに彼女は世界を見続ける。
変わりゆく流れに中で、それでも生きていく生き物の姿を見るために。
こうして彼女は、公務を行う自室の机に座りながら、
部屋の窓から見える民や臣下の姿を微笑ましく見つめているのだ。
さて、もはや万を超えて数えるのを辞めた日課の公務であったが、今日は少し違うようだ。
エレオノーラが机の上に重ねられている羊皮紙に目を通していると、不意に戸が叩かれた。
「なんじゃ?我は今執務じゃが、何か起きたのか?」
彼女の言葉に扉が開かれ、侍女長のクラウディアが姿を現す。
「執務中申し訳ありません。エレオノーラ様にお客様でございます。
なんでも、前に会う約束をしていたとか」
クラウディアの言葉にエレオノーラは問い返す。
「クラウディア、その客人の名は?それと容姿は?」
「はい、エレオノーラ様のご友人と申しておりましたが。
それと、容姿はエレオノーラ様に近い子供でした」
その言葉に、エレオノーラは「そうか、では迎えに行かなくてはな」と立ち上がった。
この前、貴族間で行われた晩餐会で、自分は約束をしたのだ。
その晩餐会は、開催者による、他の貴族に向けての力の表明であった。
エレオノーラ本人にとっては、会ったこともない貴族故に気乗りはしないものの、
招かれたならば無下にする訳にもいかず、渋々出席したのだ。
彼女の予想通り、晩餐会の雰囲気は彼女にとっては醜悪極まりなく、
ツェペッシュ派とカーミラ派から漂う腐臭に似た空気を漂わせていた。
これでは、せっかくの美食も美酒にも食指が動かないというものだ。
ゆえに、彼女はグラスの中の液体をくゆらせながら、外のベランダに佇んでいたのだ。
晩餐会から漂う、笑えもしない貴族たちの演劇から目を逸らし、
外の綺麗な星空を見上げていると、不意に声をかけられた。
「あの・・・君も、星を見ていたの?」
エレオノーラが顔を向けると、そこには童がいた。
月の光を浴びて輝く金色の髪に、ルビーを溶かしたような赤い目、
そして何か怯える様な、小動物のような姿が、彼女の目に映った。
「そうじゃ。我にはこの晩餐会は些か退屈でな。
つまらん物を見るよりも、こうして月の映える空を見る方が好きじゃ」
「そ、そう・・・なんだ、ね。ぼ、ぼくも、空を見る方が好き、なんだ」
童の言葉に、エレオノーラはクスリと笑みを零す。
「すまんな、名乗るのが遅れた、我はエレオノーラ・ノーランドじゃ」
「ギャ、ギャスパー・ヴラディ・・・です・・・」
ギャスパーと名乗った童に、エレオノーラは目を細める。
その名をどこかで聞いた覚えがあるからだ。
だがどんな名であろうと、彼女はそれを気にしない。それは彼女の美学に反するからだ。
「してギャスパーよ、おぬしは何ゆえ震えておる?
いくら夜とは言え、まだ風はそこまで冷たくはないぞ?」
「え、えっと・・・」
ギャスパーが赤い目を逸らすのを見ると、エレオノーラは事情を察した。
ギャスパーの纏う雰囲気と、自身の勘からして予想はつく。
「まぁ、答えたくなければよいぞ。我は気にせん。
それに、同じ夜空を好む相手に巡りあえたのじゃ。無粋なことはこの夜空を汚す」
エレオノーラの言葉にギャスパーは首を傾げるも、彼女は気にしない。
「そうじゃギャスパー、ここで会ったことは必然。
故に、我の友となってはくれぬか?我は繋がりというものを好んでおるのじゃ」
「え、えええええ!?そ、そんな!?ぼ、僕なんかが友達になれるわけ・・・」
「ばか者、我が友になれと言ったのじゃ。ギャスパーは素直に頷けばよい。
これは逃れられぬ宿命じゃ」
「そ、そうなの・・・かな?」
エレオノーラの言葉にギャスパーは首を傾げるも、結局は強引に頷いてしまう。
「でだギャスパーよ。我の屋敷に訪れるがよい。
我は忙しい身ではあるも、友との時間なぞいくらでも作れる」
「う、うん。ありが・・・とう」
「なに、気にすることはないぞ?」
か細い声で感謝するギャスパーに対し、エレオノーラは笑う。
すると、「ギャスパー!」と、呼ぶ声が聞こえてきた。
どうやら、ギャスパーにはお相手がいたようだ。
「ほれ、お主のお相手が探しておるぞ?迎えに行ってあげよ」
「うん。ありがとうね」
「では、また会おうぞ、我が友よ」
部屋へと戻っていくギャスパーを見ながら、
エレオノーラはワイングラスの液体を飲み干した。
少しだけ、美酒の味を感じた気がした。
思い出に浸りながらも、エレオノーラはギャスパーの待つ部屋へと足を速めた。
後には侍女長のクラウディアが続く。
「よくぞ我が屋敷に参られたな、友よ!改めて自己紹介をしよう。
我が名はエレオノーラ・ノーランド・フォン・ドラク!
ノーランドを自治とする領主なり!」
勢いよく扉を開き、愛しき友へと自己紹介するも、
彼女が見た光景は、勢いよく開いた音に気を失ったギャスパーだった。