「ヴァイス、お前は学校に行け」
「はい?」
ファレグさんの言葉に、私は首を傾げた。
今のファレグさんは、黒い革の椅子に腰を下し、新聞の方に目を向けている。
彼女の出で立ちは、出会った時のような軍服ではなくアンダーウェアだけである。
はっきり言って痴女だ。そして酷いのが、この人は大抵がこういう姿だ。
だがファレグさんにあまりの堂々とした姿に、毒気を抜かれてしまうのだ。
その姿に妖しさや艶めかしさなどはない。
「なぜ恥ずかしがる必要がある?。この屋敷の持ち主は私だ。ならば私が自由にしても問題はないだろう。そもそも住んでいるのは私とお前だけだぞ?私の物であるお前の前で気取る必要もその意味もない。客人に対してはちゃんとした服装で対応している。もう一度聞こう、どこに問題がある?それにだ」
ファレグさんはこちらを見てニヤついた顔をする。まるで私の反応を楽しむように。
「大抵の悪魔など、私よりも下品で、色欲に溺れた者ばかりだ。
それこそ私の知っている奴等は、何人もの愛人や奴隷やペットがいるぞ?
種族の繁栄の為に必死にその義務を果たしているなぁ。それこそ『精を出してな』」
何が面白いのか、ファレグさんは堪えていた口元を三日月のように歪める。
「これだけならば、貴族の役目をちゃんと行っている素晴らしい領主だがな。
彼奴らの大半は、そのたまりにたまった欲望を、弱者にぶちまけるのが好きな奴等だ。
年端もいかぬお前からすれば、見れば卒倒する様な事をする奴等だっている。サディストやマゾヒストなぞ優しいものだ。年上、年下にしか欲情しない奴もいてな、丁度お前くらいのがストレートだった奴もいたぞ。まさに万魔殿も真っ青で逃げるほどの阿鼻叫喚だ」
そして私を上から下を見ながらこう言ったのだ。
「良かったなヴァイス、私にその手の趣味は一切ないぞ」
一度、どうして普段もその姿ですか?恥ずかしくないんですか?と聞いた時の返答がこれだ。
私に対し、ファレグさんは遠慮はしない。それこそ平気な顔で直球な発言をする。
色々と真っ黒な情報を聞かされたのは置いときまして、その返答に私は諦めることにしました。
多分ですが、この人はこう人なんだろう、と思った切っ掛けでもありますが。
そんなことは置いといて、私はファレグさんに学校へ行かせる意図を聞いてみた。
「なぜ、急にそんなことを?」
「魔王様の妹君が、人間界で一領主になるようでな。そのために色々と補佐が欲しいんだろうさ」
私の問いに、ファレグさんは新聞を見ながら事もなげに言った。
「それに魔王様には借りがあってな。お前には言ってはいなかったが、お前を保護する際になにかと便宜をはかって貰った。ここらで借りを清算するいい機会だからな、私には断る理由がない。それにだ、これはお前にもいい機会だと私は思った」
新聞を畳むと、ファレグさんの朱い瞳が私を見つめる。
「私以外と手合せするのも、なかなか乙なものだぞ?それこそ、私では知ることのない知識を得ることも出来る。私は私の知っていることしか出来ん。様々な経験を積むことは大切だぞ?今の自分を知るためにもな。ようは、貴様を武者修行の旅に出すという話だ」
テーブルに置かれている珈琲を一口啜る。
「それにだ、人間界で言うには貴様は学生に当たるらしくてな。そう言った子を学ばせるのは、保護者の義務だとさ。私とて馬鹿を臣下にするつもりもない。それに人間界の知識に私は大変興味がある。出来ればそう言った物を持って来てほしい」
何を思ったのか、ファレグさんの顔が苦々しいような、拗ねたような顔をする。
珈琲が苦かった訳じゃないだろう。
「私が直々に教えても良いのだが、こう見えて私は忙しい。それに両親や姉に兄から止められたよ。家族の一員である貴様には、せめてまともに育ってほしいとな。全くもって失礼な話だ、皆して私をどう思っているのだ」
ヴァイスさんの持っている珈琲がボコボコと沸騰した。
多分、皆さんの思いは一致してると思います、私も含めて。
「私の意見は・・・・・・無理でしたね。貴女は言い出したら聞かない人でした」
「分かればよろしい」
そう言うと、ファレグさんはアンダーウェアの姿からいつもの軍服を纏う。
「では、今日はいつもの倍で挑ませてやる。頼まれごととは言え、貴様を送る相手は魔王様の妹君。何かあったら大問題に発展するだろう。それに私の名で貴様を送るのだ、生半可な実力で送っては失礼にあたる。
安心しろ、手加減はしないが加減はしてやる」
「全然安心できません」
ファレグさんの『安心』は、私にとっては『不安』でしかない。
溜息を吐きながらも、私は一呼吸して気を引き締める。
彼女が軍服を纏うという事、それは彼女なりの敬意の表れ。
この人に新しい名前を与えられ、臣下になった日から私は、何度も組み手をしている。
曰く、「金剛石だろうと宝石だろと、磨かなければただの石ころだからな」らしい。
組みと手と言いつつも、実際には一方的な蹂躙。
私の拳は受け止められ、彼女の拳が私にめり込む。
酷い時は普段着のまま片手間で、それこそアンダーウェアで打ち負かされた。
私はこの人に打ち負かされっぱなしだ。折れてない骨などそれこそ頭くらいだろう。どれほど身体中の骨を折られただろうか。
そしてはこれから始まるのは、それを越えた彼女の本気の一端。
恐い。
正直、出来る事ならこのまま逃げ出したい。身体が、心が震えるのを自覚する。打ちのめされ続けた記憶が、身体中を駆け巡る。私はこの人に勝てない。そんな想いが身体を重くする。
でも私は逃げない。この人の前で、そんな無様な姿は見せられない。
私がこの人に見せるのは、逃げる醜態ではなく、無様に足掻く姿だから。
「お願いします」
私の言葉に、ファレグさんは宝物を見つけた子供のような笑みを零す。
「今の貴女はとても素敵よ。大好き」
その屈託のない女の子の笑みに、私は綺麗だと思ってしまった。
そして私は後悔した。この人は本当に容赦がなかった。
熱で炙られ、打撃を避け、走り回り、転がり、蹴り飛ばされ、叩き付けられ、引き摺られ、水分が、酸素が減っていく。それでも私は足掻き続けた。目潰しに砂をかけ、死角からの急所突き、不意打ち、出来ることを全てをやった。嫌っていた力さえも、心が擦り切れる思いで使い潰した。そうしないと、目の前の彼女は納得しなかったから。
「やっぱり素敵よね、命って」
渾身の拳を受け止められ、真っ赤に染まった視界に映るのはファレグさんの顔。その顔は、手に入らない物を羨ましがるように、慈しむように微笑んでいた。そしてその笑みのまま、彼女は私を地面に叩きつけ、腹部へと拳を思いっきり振り下ろした。
身体がくの字に曲がり、肺に中の空気を一気に吐かされる。もはや身体は動かず、脱水と疲労と失血で意識さえも朦朧とする。
「終わりだ」
ファレグさんは容赦なく、その拳を私に振り下ろす。それでも私は心だけは、心だけは折らない様に足掻く。
これで終わりでも、それでも最後まで目だけは逸らしたくない。そして振り下ろされた拳は、私の顔に向かいそして、
「合格」
目と鼻の先で止まった。
「戦いに関しては合格は言わんが、お前は最後まで私から目を逸らさなかった。それだけでもお前は充分強くなったよ」
そう言ながらファレグさんは、胸元から液体の入った小瓶を取りだす。私の傍に寄り添い、私の身体をゆっくりと起き上がらせ、その中身を私に飲ませる。するとボロボロだった私の身体は、何事もなかったかのように元通りになる。体中の傷も、折れ曲がった腕も、まるで何事もなかったかのように。
「流石フェニックスの涙だな、よく効く」
空の小瓶を服のポケットにしまうと、ファレグさんは私の身体を抱える。
「毎回言いますけど、お姫様抱っこは止めてください」
「阿呆。傷は涙で塞いだが、失血や脱水や疲労で動けんだろうが。やり過ぎたとは思っているが、仮に戦場ならばお前は死んでる。負けたお前は、素直に抱えられていろ」
そのまま私を抱っこしたまま、私たちは屋敷へと戻る。抱えられている間、私はこの人の圧倒する強さを羨ましく思う。何もかもをねじ伏せる強さに、私は心を惹かれている。もしも私に力があったなら、この人のように力があったなら、そう思うようになっている。
あれ、なぜでしょうか。視界が滲んでしまいます。なんで、なんで、どうして私は・・・。
「心を殺すなと言ったはずだ。泣きたければ泣け。そして強くなれ。そんな涙を流さないように」
「・・・はい」
私は彼女の胸元に顔を埋め、屋敷に着くまでずっと、その胸元を濡らし続けた。
ファレグ「では、頑張ったご褒美に洋菓子店に連れてってやる。好きなものを頼んで良いぞ」
ヴァイス「一生ついていきます」