思いついたことを書いてみた   作:SINSOU

31 / 43
ヴァイス・カツェ

「じゃあね」

 

その言葉が、今も楔のように私の心に突き刺さっている。

あの人は私を置いて去っていった。あの真っ赤に染まった世界に、私だけを残して。

真っ赤に染まった世界に私だけを残して、あの人は目の前から消えた。

そしてあの人の行った業が、私の身に降りかかったのは変えられない事実だ。

 

あの人は何の理由か、自分が仕えていた主を殺した。

周囲からは、力を振るう快楽に溺れ暴走した、なんて言っていた。

だがそんなことは、私には関係なかった。

私にとっての事実は、私はあの人に置いていかれ、あの人の業を背負わされたことだ。

 

あの人の行いによって、私の人生は変わった。

周りからの罵倒、敵意、憎悪、恐怖、殺意、嘲り、嘲笑、罵声、エトセトラエトセトラ。

まるで巨大な波に呑まれたように、私は悪意の波に打ちつけられ、その海に沈んだ。

 

『殺せ、死ね、化け物め、処分すべきだ、死ね、首を斬ろう、処刑だ、死ね、

化け物、惨たらしく殺そう、死ね、見せしめに四肢を捥ぐべきだ、殺す前に犯そう、

殺せ、殺せ、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』

 

光もなく、狭く真っ暗な闇の中、私はその言葉を聞かされ続けた。

手足に残る冷たい感触、壁に打ち付けられた鎖が、私の縛り続けた。

石の冷たい感触に包まれ、日の光すら見られなくなえい、もはや時間の感覚さえ分からなくなった。

汚れて異臭を放ちだす身体、腰まで伸び続けた髪、それでも私は生きていた。

でも、それも長くは続かなかった。それほどまでに、私は悪意の海に沈んでいた。

 

『もう、いいや』ぽつりと、私は呟いた。

 

『私は生きていてはいけないんだ。私は死ぬべきなんだ』

 

もはや何も思えなくなっていた。

私を捨てたあの人のことや、私自身の命さえも興味を失くしていた。

このまま死のう、生きていても意味なんてない、このまま生きるならいっそ死んだ方が・・・。

 

食べることを止め、眠ることを止め、動くことを止め、考えることを止めた。

そしてゆっくりと意識すらなくなっていった私が思ったのはただ一つ。

 

ああ、やっと終わる。

 

そんなことを思っていた私は、汚泥と異臭に満ちた部屋で意識を捨てようとし、

 

『勝手に死なれては困るんだが?』

 

そんな声が聞こえ、轟音と共に光が差し込んだ。

 

 

 

 

 

『上の奴等は揃って馬鹿しかいないのか?いや、魔王様は別か』

 

扉から漏れた光を背に、それは私を見下していた。

 

『危険だから処分しろ?はぐれを生み出さない為に見せしめにするだと?阿呆共が』

 

言葉は微かにしか聞こえないが、とても不機嫌なのだとは分かった。

 

『こんな素敵な、素晴らしい原石を処分するだと?

 磨けば光るだろう、こいつを処刑するだと?全く持って理解出来んなぁ!』

 

ガァアン!と音共に、その人は扉を殴りつけた。

鋼鉄製であろう扉が凹み、拳の形がくっきりと刻まれる。

 

『上がなんと言おうと知ったことか。私は私の好きにさせて貰う』

 

その言葉と共に、その人は異臭に塗れた部屋に踏み込み、私の傍へと寄る。

そして、黒く汚れ、異臭に塗れた私の顔を見据える。

 

その瞳が私を見据え、次に口歪めて笑い出した。

 

『クァハハハハハハハハ!貴様は良い目をしているなぁ!

 貴様は良い!貴様は良いぞ!気に入った!お前は私が貰い受ける!』

 

そう言うと、その人は私を抱きかかえた。

汚れきった私を両手で抱きかかえ、まるで面白い物を見つけた子供のような笑みで私を見つめる。

 

『それは邪魔だな』

 

そういうとその人は、私を縛っていた鎖に触れた。

その瞬間、私を繋ぎとめていた鎖は赤く溶け、ジャラリと鎖の落ちた音が部屋に響いた。

 

『では帰るとするか』

 

その人は、私を闇の中から出してくれた。それが出会いだった。

 

 

『ええい、服を脱がすのも面倒だな。ああくそ、垢やら汚れ塗れのせいでべたつく。

 悪いが、手っ取り早いからその服を燃やす』

 

私の返答を聞かず、その人は服の繋ぎを燃やし、私を裸にした。

 

『まずはその汚れた身体を洗う』

 

そう言うやいなや、私を泡だらけにし、そしてお湯の中に放り込んだ。

 

『私のお古で悪いが、取りあえずはこれを着ろ』

 

着たこともない服を渡され、まるで人形のように着せ替えられた。

 

『まずは寝ろ、そして休め。

 憔悴しきったままで飯は食えんだろうから、しばらくはスープか下手すれば点滴になるか』

 

着せ替えられた私は、そのまま大きなベッドに放り込まれた。

石のように冷たく、硬くもない、暖かくて、柔らかいベッド。

 

『ん?眠れんのなら子守唄でも聞くか?なに?いらないだと?

 ならさっさと寝ろ。安心するがいい、貴様が寝た後も傍にいる』

 

その言葉を聞いたせいなのか、それとも心身ともに疲れ切っていたからなのか、

私の意識はプツリと途切れた。

 

助けて

 

真っ暗な闇の中で、私は叫び続けた。

 

嫌だ、助けて、寒い、怖い、暗い、もう一人は嫌、もう何もない、死にたくない、

痛い、辛い、恐い、助けて、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ・・・!!

 

もう恐いのは嫌、暗いのは嫌、一人になりたくない、見捨てられたくない、

助けて!誰か!誰か私を助けて!叫ぶ私の声は、暗い闇に呑まれていく。

 

お願い、もう一人にしないで・・・

 

ぽつりと呟いた私の言葉。

すると、何かが私の頭に触れた。それは冷たい世界において、ただ温かかった。

それは手だった。その手は、私の頭を撫でるように動く。

その手から感じる温かさに、私は次第に落ち着いていく。

 

『目が覚めたか?』

 

黒い髪の女性が、その朱い瞳で私を見つめていた。

 

 

 

 

 

『フラウロス卿、勝手なことをされては困る!』

 

『ほう?それは一体何のことを言っているんだ?私にはさっぱり解らんのだが』

 

私があの人の下にきてしばらく、ようやく胃が固形物が消化できるまでに落ち着き、

多少なりと歩き回れるようになったある日。

私はあの人と誰かが話しているのが聞こえた。

声の方へ歩いていくと、締まっている扉から声が聞こえてきた。

どうやら、あの人と誰かが話をしているみたいだ。私はそのまま息を殺し、扉に耳を寄せた。

 

『なら言わせて貰おう、なぜあのような危険物を処分しない!

 あれは主を殺したはぐれ悪魔の身内だ!ならば同じようにはぐれ悪魔になるに決まっている!

 我々の意向としては、すぐさま処分するように言った筈だ。

 だが貴様はその意向に逆らっている!これは立派な叛逆行為だぞ!』

 

その言葉に、私は心が凍るような感覚に陥った。

『処分』、その言葉が、あの時の私を思い出させる。胸が苦しくなり、呼吸が荒くなる。

だがあの人は、声をあげて笑った。

 

『ほう、反逆行為ときたか。いやはや、意向に逆らうだけで反逆とは、恐い恐い。

 これでは呼吸の仕方でさえも叛逆行為にされそうだな』

 

『誤魔化すのも大概にしろ!このまま貴様を牢屋にぶち込んでも良いのだぞ!』

 

その言葉に、私は心臓を鷲掴みされた様に呼吸が止まる。

私のせいで、この人が酷い目にあう。そう思った瞬間、私はその場から逃げ出した。

 

 

 

やっぱり、私はいない方がいい

 

夜の帳が降り、真っ暗な道を私は歩く。

あの人と一緒にいる中で、少なからず私は安心していた。

もう大丈夫だと、私は生きていても良いんだと。でも、それは許されなかった。

私のせいで、あの人が不幸な目にあう。

そう思ったら、私はあの人の家を飛び出し、気付けば森の中を歩いていた。

不意に何かに躓き、私は道の上に倒れ込んだ。倒れ込んだまま、私は目に涙を浮かべた。

 

どうして

 

その言葉が心の中に反芻する。

 

どうして

 

その言葉が胸の中に溢れだす。

 

どうして?どうして私は・・・。

 

そう思っていると、目の前の草むらから何かがのそりと出てきた。大きな獣だった。

体中が茶色の毛に覆われ、私よりも2、3倍も大きな巨体。

血のように真っ赤な瞳が暗い中でもらんらんと輝く。

 

目があった。

 

その瞬間、獣は私へ目がけて口を大きく開いて飛びかかってきた。

このままじっとしていれば、私は簡単に死ねる。そしてあの人も助かる。

そう思い、私はそのまま目を閉じようとした。その瞬間、あの人の顔が浮かんだ。

 

 

私は身を動かして獣を避ける。

 

嫌、嫌だ

 

私は何とか身体を起こすと、拙い足取りで駆けた。

 

嫌、嫌、嫌!

 

もう嫌だ、一人は嫌だ、見捨てられるのは嫌だ、あの場所に行けないのは嫌だ。

 

それは私の中に宿った感情。あの人といられなくなることに対する恐怖。

自分から逃げ出しておいて、私はあの人と一緒にいられないことに恐くなった。

他人から見れば、酷く自分勝手なことだろう。でも、それが私の心の声だった。

 

必死に走る私に獣は追いつく。何とか獣の爪を躱すが、その背中に何かがぶつかった。

見れば、大木が私を遮るように立っていた。そして目を戻せば、獣が私に飛びかかっていた。

 

死。それが私が感じた感覚。ゆっくりと獣の牙が迫ってくる。

でも不思議なことに、私に迫ってくる死を、私は冷静な目で見ていた。

仮に牙が刺さっても、その前にその顔を殴ってやる。そんなことを思っていた。

そしてその牙が迫る瞬間、

 

『それは誰の許可を得ての行為だ?』

 

あの人の声が聞こえた。

目を開くと、私の目の前にあの人が立っていた。腰まで長い黒髪が風に舞っている。

あの人の左手が、獣の首を締め上げていた。

 

『独りで出歩くのはあまりお薦めせんぞ。特に今のお前ではな』

 

『どうして』

 

『貴様が話を聞いていたことぐらい、気配で丸分かりだ。

 大方、話を聞いて自責の念にでも駆られたんだろうが、はっきり言って貴様は馬鹿だ』

 

目の前の彼女の声が高くなる。

 

『貴様を貰い受けた時点で、その程度のリスクは先刻承知だ。それでも貴様が欲しくなった。

 故に貴様は私に対し、何も気負う必要もない。それは私への侮辱だ』

 

『でも、私なんて、私なんていなくても・・・!』

 

『ならばなぜ生きようと足掻いた』

 

その言葉に私は言葉を失った。

 

『死にたかったなら、さっさとこいつに食われれば簡単に死ねたぞ。

 いや、それこそ舌でも噛めば死ねるだろうに、貴様はそれをしなかった。

 結局は、貴様は生きたいんだよ。それに気付かず、死にたいなどと言いおって』

 

『私は・・・まだ生きたい・・・?』

 

『ああそうだ。貴様はまだ諦めていない。生きたいとどこかで望んでいるのだ。

 さあ選べ、心を殺して死ぬか、心に従って生きるか』

 

『私は・・・』

 

私の中の心が震えだす。

何も知らず、何もせず、私はこのまま死にたくない。

温かい世界を知った今、私はこのまま死にたくない。

 

『私は生きたい!生きたいです!』

 

『やはり私の目に狂いは無かった!』

 

その瞬間、天まで上る火柱が上がった。

 

 

 

 

 

『では貴様に新しい名をくれてやる』

 

『名前・・・ですか?』

 

周辺を荒れ地にした後、私はあの人の家に帰ってきた、お姫様抱っこをされて。

 

『そうだ、貴様は私の物だからな。だったら、新しい名も必要だろ?』

 

『はぁ・・・』

 

目の前で、革張りの椅子に座り、軍服を着た黒髪の女性は、ニタニタと笑う。

私は話の内容が追いつかず、ただ返事をするだけ。

 

『ヴァイス・カツェ』

 

そんな私を気にもせず、女性は私に向かってこう言った。

 

『ヴぁいす・・・かつぇ?』

 

『そうだ、貴様に流れる血とその見た目、まさにヴァイス・カツェじゃないか。

 うむ、今から貴様はヴァイス・カツェだ!私が決めたぞ!貴様に拒否権はない!』

 

まるで独裁者のように言いだす目の前の女性に、私は言葉を失った。

でも、なんだろう、この強引さ、嫌いじゃない気がする。

 

『ではヴァイス、私の元で懸命に励み、その命の素晴らしさを見せてくれ。

 私の名はファレグ、ファレグ・フラウロスだ』

 

『はい!』

 

ファレグさんから差し出された手を握り、私はその瞬間、ヴァイス・カツェとなった。




ヴァイス『もう、一人は嫌』

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。