降りしきる雨の中、一人の少女が歩く。彼女が歩く道は、寂れた修道院へと続く道。
もはや朽ち果て、廃屋とも違わないみすぼらしさが、黒雲と相まって不気味さを示す。
雷が鳴り響く中、不思議なことに、少女は一切濡れていない。
むしろ、雨粒が彼女を避けるかのごとく、彼女は身綺麗のまま歩く。
彼女の手に持っている物は傘ではなく、自身の2倍近い長さがありそうなハルバード。
それを少女は、まるで棒切れのように軽々と持ち運ぶ。
そして道から少し外れた墓地へと少女は足を変えた。
規則正しくもなく、雑多に建てられた墓標たちには、もはや枯れきった花が飾られている。
と、ある墓標の前で、少女は足を止める。
それは他と比べて真新しい墓標だ。だが、そこには名が彫られていない。
「みぃ~つ~けた!」
少女の口元が、三日月の如く歪んだ。
「今、何て言った?」
あたしはその神父に詰め寄った。
その神父の胸ぐらをつかみ、そのまま片手でそのまま持ち上げる。
「今、何て言った?」
犬歯を剝きだし、目の前の神父を射殺すほどの目で問いただす。
持ち上げられた神父は、自分の体重で首が絞まっていくのか、
顔がどんどんと真っ赤になっていく。
口から泡が漏れ出し、そのまま意識を手放しかける瞬間に、あたしは手を放した。
解放された神父は、ゲホゲホと咳き込み、目に涙を浮かべ、必死に空気を吸おうとする。
あたしは、それを無言で見下すだけ。
「で、ですから、バルパー・ガリレイ神父は、追放処分となりました」
薄らと涙で滲んだ目で、恐怖に慄きながらも、神父はあたしに告げた。
バルパー・ガリレイの追放処分、それが教会の決定だった。
あたしは無言のまま、自分の得物を引っ掴むと部屋から出て行こうとする。
「こ、これは、教会の、け、決定です!」
未だ咽る神父の声を無視して、あたしは部屋を出る。
そのまま教会へと足を進める。
その間、まるでモーセの海割れのように、人々があたしを避ける。
仮に足を止める奴が出てきた場合、
あたしはそいつらを殴り飛ばしてでも進む気だったから、面倒な手間が省けて良かった。
と、目的の部屋の扉が見えてくるが、その場に人影があった。
「何を考えている」
「どいてください、先生」
あたしの言葉を無視するのか、先生は身動きすらしない。
「先生、どいてください」
「断る」
先生の荘厳な声が響く。だが今のあたしにとって、それはただの雑音。
「どけって言ってんだよ!」
あたしは得物を振りかざし、そのまま先生ごと扉をぶち破ろうとして、
「頭を冷やせ、ばか者」
先生に顔を殴られた。
「どうしてだよ」
気付けばあたしは先生の部屋へと運ばれ、そこでありったけの言葉を吐いた。
「どうしてクランが死ななきゃいけなかったんだよ!
あいつはあたしと共に戦うって言ったんだ!聖剣使いになるってあたしに言ったんだ!
あたしを助けたいって、一著前なことを言って!
なのになんで、なんで糞野郎のせいで死ななきゃいけなかったんだよ!」
先生はただ、あたしの吐露を黙って聞いていた。
あたしだって理解はしている。人間に永遠はない。
死ぬことは誰にだってあるし、それは周りを気にせずに唐突に来る。
あたしはそれを、嫌というほどあそこで(スラム)で知っている。
気紛れでパンを分け合った奴が、次の日に冷たくなったいたこともあったし、
勝手に夢を語ってきた奴が、死んだ目で道に転がっていたのも見た。
それを見ても、あたしは何とも思わなかった。
『ああ、弱かったんだな』としか思えなかった。
なのに、今のあたしは泣いている。先生の前で泣き喚いている。
クランが死んだ事に、あたしは泣いている。
冷たくなったクランを抱いた時、あたしは必死に揺り起こした。必死に声をかけた。
でもクランは答えなかった。あたしをフィル姉とも呼んでくれなかった。
クランが棺に入れられる時も、あたしはただ実感が湧かなかった。
そして教会の決定に対し、気付けばあたしは得物を持ちだした。
どうしてだろうか、今のあたしには理解できない。
「今、下手なことをすれば、お前も教会に睨まれる」
先生はあたしに言った。
「今は耐えろ。時機が来れば、主がお前の願いを叶えてくれる」
そう言った先生の言葉に、あたしは何も言えなかった。
「なんで聖女さまが追放されなきゃいけねえんだよ!」
アーシア・アルジェントの追放。罪状は悪魔を癒した行為。
魔女の烙印を押された彼女は、多くの者から疎まれ、唾を吐きかけられ、教会を出て行った。
彼女を見送る先生の顔が、哀しそうだったことは、あたしだけが知っている。
アーシア・アルジェントが悪魔を癒した行為。
それに関しては、あたしは何も言えない。
なぜならそれは、あたしらにとっては看過できるモノじゃなかったから。
でも、だからといって、彼女の行いを全て否定し、
一方的に追放する教会に、あたしはとても嫌な感じがした。
クランが死んだ聖剣についても、今でもその実験は続いている。
あの禁忌とされた虐殺は全て、あの糞野郎がやったことだ。
でも、その実験を破棄するのは惜しかったらしく、『正しい研究』をしようと教会は言っていた。
あたしからすれば、クランが死ぬことになった聖剣も、それを嬉々として関わる奴等も、
みんな、大嫌いだ。
「ゼノヴィアが追放?何の冗談だよ」
斬り姫と謳われたゼノヴィア・クァルタの追放。
それはあたしにとって信じられないものだった。
あいつのことを知っているあたしからすれば、あいつが何かする訳がないと確信出来た。
任務へと向かうあいつと話した時、また模擬試合をしようぜ!と約束さえしたんだ。
あたしは教会に理由を問い詰めようとしたが、
一介のエクソシストに説明する義理はないと門前払いをくらった。
拒絶した相手の目は、まるであたしを下等な存在でしか見てない印象だった。
聖剣の強奪にしても、あの憎き糞野郎が関わっていたことを知り、あたしも同行を願った。
だが教会は、あたしの願いを拒絶し、こともあろうに長期の任務を押し付けてきた。
一介のエクソシストに拒否権などなく、あたしはそれを受け入れざるを得なかった。
そして帰ってきたあたしが知ったのは、あいつの追放だった。
「和平協定?」
天使・堕天使・悪魔との協力体制によって、あたし(エクソシスト)らの役割は形骸と化した。
あたしらの役割ってなんだっけ?
あたしらはなんのために戦ってきたんだ?
クランはなんで死んだんだ?
先生が哀しい思いまでして、あたしが爪が手に食い込むまで耐えた結果がこれか?
なあ、教えてくれよ。
あたしらは、なんのために・・・
「なあ先生、神様って死んだんだろ?」
あたしは先生に尋ねた。
先生は黙ったままだったが、それ故に、あたしには肯定だと確信できた。
「まあいいさ、あたしはそれを知ったところでどうこうする気はないし。
ただ、確かめたかっただけさ」
あたしは先生に背を向けると、そのまま部屋を出た。
多分それが、あたしの最後の分岐だったんだろうな。
「なあ先生、お願いがあるんだ」
「なんだね」
「もう、あたしみたいな奴がこれ以上増えてほしくないんだ。
だからさ、先生。先生が教会を変えてくれよ。
追放されたあいつらや、死んじまったクランのためにも、そしてあたしのためにもさ」
「ああ、約束しよう」
先生の言葉に、あたしは笑う。でも上手く笑えず、ただ口元が歪んだだけだ。
上手く力が入らない。
「良かっ・・・た。あーあ、先生との約束が・・・こんな結果になるなんてなぁ」
あたしは笑う。口からごぼごぼと血を吐き出させて。
「ごめん・・・なさい、先生。あたし、先生との約束、守れなかった・・・」
それだけが、あたしの後悔だ・・・。
「ねえ、知ってるかしら?」
雨が降りしきる中、少女は名もない墓標に語りかける。
その顔は、まるで面白い話をする子供の様に。
「貴女が気にかけていたお友達だけどね、二人とも悪魔になっちゃたの!
それで今では立派な悪魔の犬。教会の戦士としての矜持なんて捨てっちゃったみたい。
えーっとそうね、聖剣使いの方なんて、赤龍帝と子作りしたくて堪らない発情脳になってるの。
未だ悪魔に苦しんでる人たちがいるのを知ってか知らずか、楽しく暮らしているわ」
少女はケタケタと笑う。
「そうそう!エクソシストの皆も、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、なんと反乱しちゃったの!
しかもその主導者が、なんと貴女の先生!凄かったわよ、もう大暴れって感じ?
でも結局、鎮圧されちゃったわ。それでおしまい。
天使のみんなも、他のみんなも、そうなった理由を知っているのに、
だーれもなーんにもしない。みんなみんな、知らんぷり。
いつも通り、自分たちは幸せな生活をしてるわ。苦しんでる人がいるってのにさ。
教会は結局、今も変わらず、天使様も何もしないわ。
あ、それと貴女に朗報よ」
そして少女はニンマリと笑う。
「貴女の尊敬してた先生、悪魔の犬に成り下がったから」
稲光が走り、少女の傍に植わっていた木が燃える。
「なんでも、戦士の血がーとか、私も戦いたいーとかで、自分の欲望を優先しちゃったみたい。
可哀想にねー!貴女には散々耐えろと言ったのに、貴女の思いを受け継いだのに、
貴女の先生は自分の欲に囚われちゃいましたー!
もう貴女のこと、だーれも覚えてないわよ!約束なんてみんな記憶の彼方!
それこそ、貴女が信じた先生も、貴女が大切に思っていた人たちも、みーんな!
貴女の人生、一体なんだったんだろうね?『猛犬』だけに犬死に?」
大声で爆笑する少女。
その声は、その姿からは想像も出来ないほどに、
下劣で品もなく、吐き気すら覚えるほどのだみ声。
「さて」
一しきり笑った少女は、その顔から笑みを消し去り、面のように無表情となる。
「これで負の力は相当溜まった感じかしら。
いやはや、想いもない罵倒をするのも疲れるわね。
まあでも、これで十分な手駒が増えるから寧ろプラスね」
少女は、罅だらけのハルバードを掲げ、声高々に叫ぶ。
「私と契約して、その思いを成就せよ!」
そして彼女は、ニンマリと笑う。
なぜならそこには、
『GRAAAAAaaaaaaaaAAaaAAAaaaaaaaaAaaaAAAAAaA!!』
黒き『猛犬』がいるのだから。