面会謝絶が解かれたその日。今日は午後に2コマあったので現在の時刻は4時半になっており、いつもの並木道を夕日に照らされながらゆっくり歩いていた。
今日の空は綺麗だな。夕日も去ることながら、雲が一つもない、文字通り晴れ晴れとした蒼と紅のグラデーションがそう感じさせる。
なんて、センチメンタルに浸りながら歩みを進める。
今日はいつものお見舞いより少し緊張している。面会謝絶後というのもそうなのだが、俺はそれよりも主治医の診察がどうだったのかが気になって仕方がない。あの後鎮痛剤をうった後はレントゲンをとったはずなので、今日はその結果を知ることが出来る。
もし俺の望む結果が返ってきたならば、少しは希望が持てるからな。
───そんな淡い期待をしておいて、もしダメだったらお前はそれでも普通でいられるのか?
ズシリ、とのしかかる問い。
自分さえも
が、それでも俺が答えるとするならば。
───そん時は、俺も小町について行くから心配すんな。
◇◇◇
「せんぱーい!」
時間にして数分か、そろそろ病院に着くというところで後ろから声をかけられた。あざとく走ってくる姿はいかにも女子走りといえるもので、心の中で苦笑していた。
「ああ、一色。お前も小町のお見舞いか?」
「もちろんですよ!」
「いつもすまんな。学校帰りじゃお友達(笑)とも遊べんだろうに」
「もう、先輩。そういう時はありがとうですよ?」
誰しも1度は聞いたことのある定型文のような言葉に、しかし俺はそれに突っ込むことはなかった。
「…そうだな、いつもありがとうな」
素直にそう答えると、一色は少し嬉しそうにしてはにかんだ。
「いえいえ!わたしがしたくてやってることなので大丈夫ですよー!」
お見舞いに来る人がどんどん少なくなる中、こいつは今もなお来てくれている数少ないやつだ。こういう気遣いが出来るから、俺も惹かれるわけで。
「……あ、そういやお前小町に俺らのこと言ってたんだよな。いきなり言われてびびった」
「んー?はてさて、何のことでしょうか?ちゃんと言ってくれなきゃわかりませんよー?」
「あ?付き合ってることだろ?」
「………そこまで普通に言われるとこっちだけ意識してるみたいじゃないですか」
顔を朱に染め髪の毛をくるくる
……こっちだって意識してるから努めて普通に接したんだよ。
◇◇◇
程なくして俺たちは病院に到着し、いつものように受付で記入をしていた。淀みなく書き始めた俺に、我ながら慣れたもんだと感心する。ここへ通い始めてからはや2ヶ月。初めのきょどり様と比べると、本当に同一人物なのかと疑ってしまうほどだ。
「あら、一色さん!今日も503号室のお見舞いですか?」
「へっ!?(裏声)」
不意に話しかけてきた受付の方がそう問う。そういうの慣れてないんだから急に話しかけるとかほんとやめてくんない?俺が慣れてるのは話さずに名前とか関係を記入することだけで、そういうのは対象外なんだけど。つかめっちゃ変な声出てんじゃん。
「先輩………」
侮蔑と軽蔑の混じるブレンドされた蔑みの目線をこちらに向け、そしてすぐに表情をプラスのものへと変えた。
「どうも!もお、503号室じゃなくて小町ちゃんのお見舞いですよー!ちゃんと覚えてくださいね?」
「そっかそっか!じゃ、いつも通り書いてってくださいね。…それと、その人はもしかして彼氏さんですか!一色さんも隅に置けないなー!」
「か、彼氏ですけどそう直球に言われると恥ずかしいんでやめてください!」
なんて、2人は仲睦まじげに話していた。いつもながらだが、やっぱこいつすげえコミュ力だよな。俺には絶対に無理だ。
そう思っていた矢先、不意に声をかけられた。
「そっちの彼氏さんは比企谷小町さんの知り合いなんですか?」
「え」
「彼女さん、ほとんど毎日きてくださってるんですよ!」
「あの」
「いやー、いい彼女さんを持って羨ましいなあ!私女ですけど」
「えっと」
「あ、そういえばお名前とか伺ってませんでしたね!なんていうんですか?」
………やっぱ知られてないよな。薄々感じてはいたが、こう面と向かって言われるとくるものがある。
なので、俺は目一杯嫌味たらしく答えてやることにした。
「比企谷小町の兄の、比企谷八幡です。2日ぶりですね」
「すいませんでしたッッッ!!!!」
隣からすっごい視線を受けている気がするが、俺は何も知らない。ただこの人が覚えていなかっただけだ。
◇◇◇
「よう小町。元気にしてたか?」
「あ、お兄ちゃんとお姉ちゃん!今は元気だよ!」
「ちょい待て小町。お兄ちゃんはともかくお姉ちゃんてなんだよ」
見ると、後ろにいた一色は少し恥ずかしそうにしていた。それを見て小町は満足そうにしている。
「いやー、今まであんなごみいちゃんだったのに、ついに彼女ができるとなるとさ、感慨深いものがあるね!」
「この際ごみいちゃんには目を瞑るけどよ、その前にお姉ちゃんってなんだよオイ。結婚してねえよ」
本当、女ってのはこの手の話にすぐ食いつくな。撒き餌かってくらい弄り倒してくる。
「あの」
呼ばれた方向に向くと、そこには悲しそうな顔をした様子の一色がしゅんとしていた。
「もしかして先輩…、わたしのこと遊びだったんですか……?」
「んなわけあるかってか小町もなんか言えよ!」
「お兄ちゃんさいてー」
「どの口が言ってんだ!!」
………なんか、余命も残り1週間ほどと言われてるのが嘘のようだな。まるで
「結婚式には呼んでね!」
そういったのは他でもない小町であり、予想外の返答に俺も一色も何も言えずにいた。
「もー、そんな暗い顔しない!じゃあさ、今日は小町の死んじゃう前に行きたいところを考えようよ!逆に開き直ったらちょっとはましになるんじゃない?」
「…ああ。そうだな。一色もそれでいいよな?」
問われた一色はそれまでの暗い顔を振り切って、
「はい!」
と、快活に答えた。
そんなふうにして3人で話していると、不意に扉が開かれた。動作主は小町の主治医で、一礼すると部屋の中へ入ってきた。
「どうも、比企谷さん」
恭しく挨拶する主治医に、小町も続いて元気よく挨拶した。
「こんにちは!」
「今日は少しお兄さんを借りたいんですけど、いいかな?」
「もちろんです!こんなお兄ちゃんでよければ1人や2人、何人でも貸しますよ!」
「誰がアメーバだ。とりあえず、俺は主治医さんについて行ったらいいでしょうか?」
「はい、そうしてくださると助かります」
そう催促され、部屋を出る主治医の方に付いていった。
◇◇◇
「で、またここですか…」
「まあここなら滅多に使わない部屋ですし、誰かに聞かれる危険性もありません。なかなか良いところでしょう?」
いつもの無機質な白い部屋に促された俺は、当たり障りのなさそうな言葉を漏らしていた。
「良いところって言っても所詮はどこまで行っても病院でしょう。俺にとったら出来れば来たくないところなんですがね」
「医者として食い扶持を繋いでいる私からしたら耳の痛い話ですが、確かに来ないに超したことはありませんね」
微笑を浮かべて、どこか他人事のように話す。
「で、レントゲンの結果はどうでしたか?」
「それなんですがね。いや、本当に喜ばしいことです。実はお兄さんの言っていた病気だったんですよ!………、正直な話、小町さんはこのままだと亡くなるのを待つという状態だったんです。それがお兄さんのおかげで希望を持つことができました。本当に、ありがとうございます」
「そう、ですか。……お礼を言うのはこちらの方です。俺なんかの戯言に耳を傾けてくださって、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそですよ。…で、ここからが本題なんですがね」
「今からですか」
今までの話を伝えるのが本題だと思って今のだが、どうも違うらしい。話の流れからしてこれからの治療ないしは成功率といったところだろうか。
「今回のケースだと考案してくださった手でいくとなると、用意に2日程かかるんですよ。無論、2日後には手術を開始できるので2日耐えることが出来たならば大丈夫です。そして成功率なんですが、恐らく30%に満たないほどでしょうか。それを踏まえた上で、あなたは小町さんに手術を受けさせますか?」
その質問は、言い換えてみると小町の死を待つか小町が死ぬかもしれないけど助ける方にかけるかというものだ。
…そんなもの、どちらに賭けるかなんて決まっている。
「はい、お願いします。…ただ、このことは小町には伝えない方がいいですよね?」
下手に希望を与えるのが果たして吉と出るのか凶と出るのか、もしかしたらそれが励みになるかもしれないが気負いすぎてしまうかもしれない。俺にはどちらが良いかなどすぐに判断できるものではなかったので、ここは専門家の指示を仰ぐことにした。
「悩みどころですね………。まあ、今すぐはいいでしょう。手術前に伝えるのはどうでしょうか」
「主治医の方がそう仰るなら、そうさせていただきます」
そこで、俺は立ち上がって向かい合っていた方へ顔をやった。
「どうか、よろしくおねがいします」
「はい、承りました」
優しく笑顔で応じてくれた彼の顔は、僅かな望みを確かな希望へと変えてくれた気がした。
◇◇◇
「えー、でも小町は海とか行きたいなーって思いますよ?」
「この時期に海は流石に寒くない…?って、先輩。戻ったんですね」
俺1人で病室へ戻ると、小町と一色は依然どこに行きたいかという話をしていた。
「ねーお兄ちゃん?小町さ、海行きたい!あとはお花見とかもしたいかなー。今年って開花早いんだからさ、もしかしたらその時まで小町もまだ生きてたら最期にできるかもしれないよね!」
余命が刻一刻と近付く中、張本人のこいつだけは目先のことから何まで全てのことをポジティブに捉えていた。
………もしも手術が成功したら、こいつは前までのようにどこまでも行けるのだろうか。裏に抱いている後ろめたいことなんて考えずに屈託なく笑えるだろうか。
「ねぇお兄ちゃん、聞いてる?海とお花見!行きたいんだけどー?」
小町も一色も、実際には無理だとわかっていて話をしているんだろうな。だがそれでも、俺は希望を聞いてしまったのだ。こいつらの些細な願い事だって叶えられるかもしれない。
「……ん、そうだな。いつか見せに行ってやるよ」
必死に逸る鼓動を押さえつけながら、俺はぶっきらぼうにそう言った。
Life 56/62
前回のLifeの表示を─から55に変えました。
投稿時はその方がいいと思ったのですが、よくよく見返してみるとわかりにくいと思ったからです。