女神官逆行   作:使途のモノ

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第四話

 

 

 

「それでさ、今回の冒険は、どうだった?」

 

 きらきらと目を輝かせて、牛飼娘は彼の傍へ身を寄せた。

 

 ふわりと、甘い牛乳のような香りが漂う。

 

 彼は殊の外素っ気ない声で、言った。

 

「ゴブリンは居なかった」

 

「へえ」

 

 珍しい、とまじまじと彼の横顔を眺める。

 

「あと、サメがいた」

 

「サメ」

 

「ゾンビだった」

 

「ゾンビ!?」

 

 なにそれもうちょっと詳しく! と彼女は彼に飛びついた。

 

 豊満な肉体に組み付かれ、彼はしぶしぶと作業の手を止めた。

 

 柔らかな香りで、辺りが満たされる。

 

「海の、漁村だった」

 

 武骨な語りだしであった。

 

「うん」

 

「近くには半魚人の集落があって、つかず離れずの距離で生活していた」

 

 一つ一つ、心の中に刻まれたものを改めて書き記すような声である。

 

「うんうん」

 

「不漁が続いていて、漁師が半魚人の縄張りに入った、そして追い散らされた」

 

「うわ、大丈夫だったの」

 

「死人はでなかった、だが、別の日には海に出て船ごと消えてしまう漁師もいた」

 

 ああ、よかった、と息をついたところで、うわ、と声が上がる。

 

「それで、村から半魚人の退治の依頼が出された」

 

「ね、サメは?」

 

 話すたびに、耳に息がかかる。その甘やかな匂いを振り払うように、言葉をつづける。

 

「もう少し先だ……それで、村長の所へ行って、村の若手に話を聞いて、次の日に半魚人の集落へ行った」

 

「え、大丈夫なの?」

 

 柔らかな重さの先から、鼓動が聞こえる、とくとくと早く脈打ち、彼の話に聞き入っているのが伝わってくる。

 

「女神官が、半魚人達の言葉を知っていた。それで半魚人の族長からサメが死んでなお彷徨っている、と聞かされた」

 

「……ふぅん」

 

 声が尖り、腕がさらに締め付け体が押し付けられる。

 

「後は、村長に事情を説明し、とにかく餌をかき集め、船からまいた餌でおびき寄せた、そうだな、この納屋二つ分ぐらいのサメを、女神官の奇跡で祓った」

 

「おぉ……」

 

 一転して素直な感嘆の声、もともと素直な娘なのだ。

 

「あとはそのサメの頭の骨を確保して、村人にサメが原因だったと村長が説明して……それで終わりだ」

 

「よかったー」

 

 めでたしめでたしだねー、と力を抜いてもたれかかる。腹を彼の背に付け、太ももを寄せ、肩に顎を乗せ、ちらりと彼の顔を見る。

 

 すう、と息を吸う、汗と埃と、いろいろな薬品の臭い、彼の匂いだ。

 

「ねぇ」

 

「なんだ」

 

「冒険、してるね」

 

 冒険者に、なりたいのだと、思う。彼の想いだ。

 

「……あぁ……そうだな」

 

「ふふー」

 

「……なんだ」

 

 頬を寄せ、わしゃわしゃと頭を撫でる。

 

「よかった」

 

 それは、彼女の心からの言葉であった。

 

 

 

「報酬は一人金貨一袋。来るのか、来ないのか、好きにしろ」

 

「行きます」

 

 どっかとギルド内の酒場の席に腰を据えたゴブリンスレイヤーは、そう言って締めくくり、女神官がやや不機嫌そうに、しかし即座に手を上げた。何故か、空いた手は薄い胸元をぺたぺたとしている。

 

 何やら昨日の晩ごろから機嫌が悪かったが、いくらかは朝になったら機嫌がよくなっていた、と思ったのだが、と長耳をピコピコさせながら、「全くこの二人は」とため息を吐く。

 

 蜥蜴僧侶は尻尾を振ってチーズに噛り付いて、ごきげんな昼食をとっており、

 

 鉱人道士もまた、チョッキの裏地に宝石を縫い付けるのに忙しい。

 

「放っておいたら、二人で行くでしょ?」

 

 「当然だ」、「ええ、まぁゴブリンですし」という言葉に、妖精弓手が顔に手を当てて、やれやれと息を吐く。

 

「ま、わしらに『相談』するだけ大分ましじゃろ、二人とも」

 

「甘露、甘露。……うむ。良き傾向でありましょうな」

 

 お互いの手元を勧めながら事の推移を見守る、といっても、決まったようなものだ。

 

 

 

 水の都

 

 辺境の街から広野を東へ二日ばかり行ったところに、その古い街はある。

 

 鬱蒼と茂った森の中、多くの支流を従えた湖の中州にそびえ立つ、白亜の城塞。

 

 神代の砦の上に築かれたこの町には、その立地から多くの旅人が集う。

 

 船が行き交い、商人と品物で溢れ、様々な言語が入り乱れ、混沌かつ華やか。

 

 ここは中央の西端、辺境の東端。水の街は近隣で最大の都市だった。

 

 法を司る神の象徴が、城門には刻まれていた。

 

「あー……お尻、いったーい……」

 

 長く馬車に揺られて強張った体を解すように、妖精弓手が大きく伸びをする。こっそりと自分も薄い尻をなでる。

 

 様々な料理が、鼻孔をくすぐる。

 

 様々な売り手が、思い思いの売り口上をあげている。

 

「さて、では依頼人のもとへ行きましょうか」

 

「ああ」

 

 そうして妖精弓手を先頭にして法の神殿へ向けて歩き出す。

 

 道行く人の洒落た衣服を見ながら、ふと自分の神官服をみて、ちらり、と彼に目をやる。

 

「居そうですね」

 

「ああ」

 

 そのやり取りに残りの三人が奇妙な顔をする。

 

「ゴブリンどもに狙われた村と、よく似た空気だ」

 

「……空気?」

 

 鉱人道士が訝しげに、その丸い鼻を鳴らした。

 

 彼には、都市の生活の匂いしか嗅ぎ取れない。ゴブリンの巣穴のような、刺すような刺激臭は感じ取れない。

 

 よぉわからん、と鉱人道士がいい、妖精弓手がからかう、それを蜥蜴僧侶がいさめる、いつものことである。

 

 そうして至るのは白亜の大理石をふんだんに使った壮麗な社。

 

 天秤と剣を組み合わせた意匠の掲げられた、法と正義、光と秩序の神殿。

 

 待つのは、剣の乙女、彼女だ。

 

 

 

 法の神殿を訪れる者は、多い。

 

 人の世で司法を兼ねる法の神殿が求め続けられるのは、致し方ないことである。

 

 そのため、どうしても古巣である地母神の神殿よりは、思いつめた人間や表情を曇らせた人間が多い。

 

 そうした人々で満たされている待合室を抜けて、神殿の奥へ奥へと歩いていく。

 

 礼拝堂は、神殿の最奥にあった。人影は粛々と祈りを捧げる一人の女性以外いない。

 

 どうしても、寂しいな、と玄関を開けてすぐに礼拝堂のある地母神の神殿と比べてしまう。自分はあちらのほうが神官と信徒が垣根無く交流できて好きだ。

 

 彼女が不意に顔を上げる。自分たちの到来を聞き取ったからだろう。

 

 豊満な肉体を覆い隠す薄い白衣。陽光にきらめく金の髪。

 

 その目元が黒い帯で覆われているが、それがまたなお神秘的な雰囲気を醸し出している。

 

「――――?」

 

「すみません、お祈りの所、突然に、ほら、ゴブリンスレイヤーさんも」

 

「急ぎの仕事だ。入って構わんのなら、待つ意味がない」

 

 思ってたけど、オルクボルグ、わりとせっかちよね、とわいのわいのと騒ぎ立てる一党へ女が顔を向ける。

 

「あら、まあ……どなた?」

 

「ゴブリン退治に来た」

 

 穏やかな微笑と凛とした良く通る声に、ゴブリンスレイヤーは淡々と言い放った。

 

 礼拝堂の陰から側仕えの女性が近づいてきて彼女に椅子を差し出し座らせる。高位司祭に付き従う随行神官であろう。

 

 肉感的な臀部が固い椅子に収まりきらず、形を変える。

 

 ふぅ、と息を吐くだけで、その肢体がなまめかしく姿を変える。

 

 相も変わらず、目に毒な姿である。

 

「お会いできて、光栄です」

 

 錫杖を立て、空いた手は腰へ、ぺこりと頭を下げる。

 

「戦士様に……それに、可愛らしい女神官様に……」

 

 眼帯を超えて、彼女の視線が撫でていく。

 

「そして、こちらの方々は?」

 

「うむ。一党の同胞でありまする」

 

 その独特の呼気で蜥蜴人と辺りを付けたのだろう、視線が少し上がる。

 

「恐るべき竜を奉じる身なれど、拙僧も及ばずながら、力をお貸ししましょうぞ」

 

 奇怪な手つきで合掌するしぐさは、堂々たるものだ。

 

 礼節を尽くす、その意思を見せる。これが大事である。剣の乙女は微笑を崩さぬまま宙に指を走らせ、十字を切る。

 

「ようこそ、法の神殿へ。歓迎いたしますわ。鱗の生えた僧侶様」

 

 一方、妖精弓手と鉱人道士はぺこりと黙礼すると、天蓋の絵図について、囁き合っている。

 

「ふふ。……冒険者らしい、方々ですね」

 

 五者五様の姿を大司教は薄い笑みを浮かべる。

 

 男であれば、ふと、一歩踏み出して、そしてその先にある底なし沼へ踏み外してしまうような、そんな笑みだ。

 

 その沼は、溺れる者に幸福な笑みを浮かべさせる、そういったものだ。

 

「――」

 

 その姿を、女神官は静かに眺めていた。

 

 

 

「もし……」

 

 事件のあらましを聞き、一党の仲間たちは先に出て行った。

 

 二人残される形となった所で、剣の乙女が女神官に声をかけた。

 

「なにか?」

 

 立ち止まった女神官が首をかしげる。

 

 どこか、戸惑った様子で、朱い唇に付けられていた指が離される。

 

「あなたは……どこかでお会いしたことが、あったかしら?」

 

 ぴくり、と体が動く。盲いたその目は時に、光を映す目よりも真実を映す時がある。

 

 彼の死後の彼女は、見るに堪えないものであった。

 

 救いの後の絶望、それは自分のように復讐に身を焦がすことが、まだ幸福である、と悟らされる有様であった。

 

 盛大に弔われる彼女の虚しさを知るのは、自分だけだ。

 

「……かつて、お姿を」

 

 《看破》を使用されていることを前提とした、どうとでも取れる受け答え。しかしそれは、隠していることがある、という証左でもある。

 

「――ごめんなさい、呼び止めてしまって」

 

 しとり、と布が水にぬれるような声であった。

 

「……失礼します」

 

 立ち去る少女を、女は静かに見送っていた。

 

 

 

 ――――水の街の地下は、もはや完全にゴブリンの巣窟と化していた。

 

「迷宮都市の冒険者なぞは、これが日常だと聞きますがな」

 

 延々と続く探索行に、蜥蜴僧侶が愚痴を漏らす。

 

 無理をしないことと、油断しないこと、それを延々と続ける日々。

 

 それにすら、慣れている様子の女神官を鉱人道士はちらりとみやる。底知れない少女だ。

 

 穴倉は自分たちの領域だが、あのか細いなりでよくもやる、と感心する。

 

 術も使えば、世辞にもたける、その上、右腰に指している山刀だって、いっぱしにつかう。

 

 柄を背の方に向けて指しているのは、一見使いずらそうであるが、何か理由があるのだろう。

 

 その首にある札も、まだ白磁だ、オーガ等、居なかったことにしてくれ、と頼まれた。

 

 どうやら、名声は欲しくないらしい。

 

 雨がこの地下の迷宮を打つ中、雨具を羽織って、円陣を組む。

 

「お腹、からっぽじゃ調子が出ませんから」

 

 簡単なものですけど、といそいそとカバンから出したのは堅く焼いたパンだ。噛むとふわりとした甘さ、これは蜂蜜か、砕かれたナッツに、干した果物、上等な料理だ。

 

 添えられたのは酢漬けの刻んだ青葉で、これも「疲れに効きますから、どうぞ」ときた。

 

 水で薄めた葡萄酒はさっぱりとして、口の中の粉っぽさ、酸っぱさを取り除いてくれる。

 

「やっぱりの。耳長娘よ。お前さんにゃ、こういうとこも足らんのだ」

 

「む、む、む……!」

 

 反論のしようもない。

 

 まぁ、とはいえ恋敵として、これはもう相手が悪いだろう、と耳長にめったにない同情を寄せる。

 

 気立てよく、胆力もある。地母神の加護に厚いとなれば、子宝にも恵まれよう。

 

 儚げな外見は守りたい姫でありながら、手間がかからない質実剛健。

 

 それこそ、ゴブリンゴブリン言っていることと、強い酒が苦手なことぐらいしか、弱点らしい弱点がない娘だ、いや、後者は只人からすれば、むしろ、それがいいのかもしれない。

 

 自分の横で、あの意思を秘めた表情が、赤い顔をしてとろり、と表情をとろけさせられて、もたれかかれでもしたら、目尻の下がらない男はそうそうおるまい。

 

「川魚の揚げ物、仔牛の肝臓と葡萄酒の炒め煮」

 

 かつて食べた料理の名前を先にあげられ、ゴブリンスレイヤーに視線をやる、他の者も珍し気に視線を向ける。

 

「ここへ行くと言ったら、教えてきた」

 

 はてさて、誰だろう、と答えの出ない謎に頭を巡らせ、

 

「む……」

 

 休憩は終わった。それとほぼ同時に、少女も荷物をまとめ始める。

 

 はたして、やってきたのは粗雑な船に乗って来たゴブリンである。

 

 こちらを見つけた小鬼どもはにやり、と醜悪な顔を更に歪ませ、めいめいに手製の弓を引き絞り、

 

「《雷、収束、貫通(ZAP)》」

 

 爆音とともに、白い光に飲まれた。

 

 一直線でのこのことやってきたら、そうもなろう。

 

 こりゃあ、浮気もできんわな。

 

 内心で首をすくめつつ、用意していた触媒をカバンに戻す。

 

「さて、お次は何かしらね」

 

 妖精弓手の言葉に答えるように、水音が近づいてきた。

 

「退くぞ」

 

「はい」

 

 只人二人がそう言った瞬間、濁った河をかき分けて、巨大な顎が飛び出した。

 

「AAAAAARRRIGGGGGG!!!!」

 

 沼竜、竜とはいうが、実態は蜥蜴の仲間。伝説に語られる類ではない。

 

 一党は蜥蜴僧侶と妖精弓手を先ぶれに、迷いなく駆けていく。

 

 只人二人が続き、種族的な手足の長さの関係で、どうしても速さでふるいをかけると鉱人が最後尾にくる。

 

「おい、耳長! お望みのおかわりじゃぞ!」

 

「冗談! 鱗づきあいがあるほうがいいでしょ!」

 

「さて、生憎と拙僧、出家してよりこちら、親戚づきあいもないもので」

 

「ええい、坊主ならたまにゃあ郷里に帰って先祖を供養せんか!」

 

「なにぶん、遠方でしてなぁ」

 

 そして長い尾を一はらいして鉱人道士を巻き上げ、担いで走る。

 

 蜥蜴人特有の瞳が、ぐるりと妖精弓手に向く。

 

「第一、あのような長虫は拙僧の親戚におらなんだよ、斥候殿」

 

「ほ! こりゃ楽で良いわ!」

 

 そうして、しばらく蜥蜴僧侶が地図を確かめながらするするとかけていく。

 

「前から来ます!」

 

 女神官の凛とした声、前から響いてくるのは先ほども聞いた水音だ。

 

「……またゴブリン?」

 

 やれやれ、と弓をつがえる妖精弓手に、ゴブリンスレイヤーは角灯の火を消す。

 

「……おい。この先に脇道はあるか?」

 

 

 

 白沼竜に襲われるゴブリン達の声を聞きながら、これからを相談する。

 

 術もある、矢もある、装備もさして損耗はない、体力だってさっき小休止したばかりだ。

 

 別段、一戦や二戦、まだまだいけるであろう。

 

 だが、それはもう危ないのだ。

 

「一旦撤退する」

 

 そう言い切ったゴブリンスレイヤーはこう続けた。

 

「この小鬼禍は、人為的なものだ」

 


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