「海藻の養殖、ですか?」
冒険者として活動し始めた子が産婆育成部門への寄進を取り付け、それとともにするりと書類をまとめてきた事案について神官長は小首をかしげた。
凜とした妙齢の才女のどこかあどけない様子は男達からすればさぞ鼻の下が伸びることであろう。
実際、ファンというか、神官長への信者というのはかなり居る。
とまれ、真向かいに居る女神官としては予想通りの反応に暖めてきた企画をニコニコと説明を始める。
「基本作物以外にこの地方で交易に使うことの出来る利率と栽培意義の高い作物として、この一年見て回ったところ海藻類がいいように思います」
地母神も寄進だけで運営しているわけでも無く、自前の手持ちで有用な商品作物があるのであれば栽培と販売をしておきたいのだ。
どれどれ、と資料に目を通せば簡略な地図や数値を棒状の長さで表現している図など、とてもわかりやすい。
わかりやすいというか革新的でありながらやたら洗練されている。
宗教的に配慮した長文を読んで自分の頭の中で情報の一覧を再構築する必要が無いというのは非常に快適なものであった。
むしろ、こうイメージすればよかったのか、と目から鱗が落ちる思いだった。
「こちらが内陸で生活する人間の食べる基本的な食品の一覧と沿岸部や比較的沿岸部と物流のある地域の一覧です、内陸での風土病が原因とされるモノの一部はどうやら海藻を食べることによって未然に防ぐことができるようです。どうやらこれは妊婦や幼児、はては家畜にも効果があるようです」
令嬢剣士の寄進を得て、その功績が風化しないうちに案を挙げるだけ挙げておこうと思ったが中々好感触のようだ。
何せ今の自分はあくまで冒険者稼業の神官でしかなく、神殿内での権力というモノは大して無い。
発言できそうなときにしておいた方が良いだろう、ということだ。
「特にこの……昆布ですね、こちらの薬草がどうやら一番滋養があるようでして、この養殖が軌道に乗れば内陸での開拓のスピードも上がるかと思われます」
内陸の風土病と開拓の戦いは昆布などの海の薬草を安定供給できるかどうかの生産と物流がかなりの比率を占めた。
地図のサイズを世界に広げれば、人口の増加や平均寿命の延長、家畜の育成に関わる戦略物資である昆布の養殖には早めに着手しておきたいところだ。
「養殖法は?」
その目は義姉でも義母でもなく、この地域の統括者であり宗教者の色である。
「それはこちらの古代の農業書になりますが、記載があります」
そう取り出すのは私の国での昆布養殖法が書かれた本だ、何のことは無い、自分で執筆して魔術を使って古書に見えるように加工したものだ。
私が知っているのをまとめました、というものよりは古代の書という触れ込みの方が信頼度が高いのだ。
「そう、後で見せてもらっても良い?」
「はい、一応ソレを現代語訳したものがこちらになるので併せてお渡しします、記述を見るに昆布の用法用量はおそらくこれくらいが適正かと」
「……薬効は幾つかの内陸で活動する産婆衆で使ってもらって確認するとして、その後の販売は?」
「借金で首が回らない何人かの吟遊詩人の借金をとりまとめて引き受け、恩を売って謳ってもらうのがいいかと。あまり縛り付けず、村を訪れたら一度は必ず地母神の神官の元を訪れるとか、村を出るまでには一曲は地母神を礼賛する曲を歌う……ぐらいでしょうか。ついでに薬について受け入れやすい噂を浸透させて土壌を作り、後は地母神が太鼓判を押した良薬、ということで内陸に売り込んでいけばゆくゆくは海を持たない国への貿易品に化けるかも知れません」
ほう、と息を吐く。
商魂、もっといえば欲深いだけの宗教者は珍しくない。
商才のある神徳厚い宗教者、これは得がたい人材である。
「物流は交易神さんや酒神さんにお願いすればいいと思います、酒神さんなんかは酒のつまみが増えると聞けば喜んで買って出てくれるでしょうし」
宗教的権威と古来からの実績は人々の信頼を得るのに有用だ。
どこの誰とも知れぬモノがよく分からぬ妊婦向けの薬を売り歩くのと、産婆衆を抱え、農業ノウハウを内包する地母神が太鼓判を押した薬が神殿や産婆からもたらされるとでは信頼度が段違いだ。
「養殖場の目星は?」
「以前仕事で訪れた漁村が海藻食の風習があるところでしたので、そこに人を派遣するか……いえ、村の次男坊三男坊に打診してみるのか、あるいはそこは魚人と穏健な親交にある村でしたので、いっそ魚人に養殖してもらうのもありかとおもいます」
少し前に食べた海藻のサラダを思い出しながら、つらつらと構想を述べる。
かつての未来でも海藻養殖はあのあたりの主要産業だった。
ノウハウを教えれば出来ないことは無いだろう。
「それに、地母神の神殿が儲けのタネをくれる、となればこれまで比較的力が及ばなかった沿岸部での影響力も向上していくかと」
どうしても沿岸部は地母神の神殿の影響が弱い、生計を海で立てる者達はそれこそお産ぐらいでしか地母神に関わらないからだ。
「……そうね、うん、いいと思うわ。もしこの話を進めるときはその漁村との交渉お願いして良いかしら」
女神官の話を聞いて神官長は内心で快哉をあげる。
娘のように親しみを覚えている少女だ。
この一年でかなりモノになっている。
薬効の検証と試験的な養殖を進め、いけそうならある程度規模を拡大していけば良いだろう。
一人勝ちせずに、他の神殿とも協調姿勢をとるところもいい。
どうしても孤児院上がりの人間は世界が地母神の神殿を基本として視野が狭くなる。
冒険者になることによって視界が広くなったのであれば、よい経験を積めたということだろう。
いずれは、この西方地域の地母神の神殿を支える人材になってくれればと思う。
教義的には地母神の枠内でありながら、あまり縁の無かった沿岸部への勢力拡張とも紐がついているのも嬉しい。
「はい、ありがとうございます!!」
対する女神官も内心快哉をあげる。
海藻が行き渡るということは、開拓のスピードがあがるということだ。
それは、この国の西方開拓政策が早く終わることにつながる。
国が、王が、どれだけ有能であろうが、幸運であろうが。
この世が有限である以上、無限に開拓の余地のあるフロンティアと人的資源に余裕がある状態を用意しつづけることなど出来ない。
開拓のスピードが上がれば冒険者に流れる割合は減る、開拓村が自衛できるならなおさらだ。
しかし開拓する余地が無くなれば将来的にはこれまで開拓していった地域から本来の国の枠組みとしては冒険者に流れる者達が急増することにもなる。
だが、その時にはもう今で言う辺境の街へ流れるという、フロンティアへ余剰人口をつぎ込むという芸当は使えなくなる、そんな場所は無いからだ。
上手いこと侵略戦争でも仕掛けることが出来れば話は別だったのだろう。
だが、そうはならなかった。
前回はそこらへんのあぶれた、どこかに行けるわけでも無いふわりとした閉塞感と不満を国に持つ跡継ぎになれない層を私の軍になるように持って行けたが、さて今回はどうであろうか。
王とて革新的な改革など断行すれば“病死”や“事故死”がありうる身の上だ。
かつての未来でも悲しいかな、有効な対策はとれなかった。
フロンティアの枯渇からの閉塞感や体制への不満が湧くだろう。
民衆は、これまでの上り坂が閉ざされて一切不満を漏らさないほどデキたものではない。
どこか、矛先を求める。
そこで、つい、と杖があるところを指せば、そこに向かう。
だから、そうした。
いずれ緑の月でのゴブリン駆逐と開拓、その後の軟着陸が待っているのだ。
宰相となった彼女とこの星と月を一つの森と見立てた森人型の継続性重視型の運営を練っていたが、皇国のその後はどうなっていただろう。
人が人である以上、どうしたって理想からの破綻が出る。
森の中の虫のように我を捨てて生きることは出来ないのだ。
できれば、多くの者が幸福であっては欲しいと思う。
だが、ともあれ民衆の胸中にあるフロンティアへの過度な幻想は、この国と共に死んで教訓となってくれた方が助かる。
多くの滅びを目にさせ、苦痛を経験させねば、民衆に経験を刻み込むことは出来ない。
しゃん、と錫杖が鳴った。