しゃん、しゃん、と錫杖の音が響いていた。
「それで、これはどんな儀式なの?」
現行の開拓村の更にその外縁部太古には村があったのか、砦があったのか、とんと見当のつかない丘の一つで女神官の指示に従い、一党は方々に鳥の羽や木の枝を地面に立てていた。
女神官は女神官で丘をぐるりと回るように錫杖をついて歩いて回っている。
その一突き一突きの度に目を閉じて、錫杖の音に耳を澄ませている様子を見れば只の散歩というわけも無いであろう。
「見てわからんのかい、ちゅーか嬢ちゃんがゆうとったろ、水探しってな」
あきれた様子で鉱人が酒を一あおり。
「そりゃ、言ってたけどさ、こう湖とかにいる高位の水霊とかと直談判してここに水湧かせてー、それならば何何をすればやらんでもない……とか普通そっちを想像するじゃない、後は只人の伝説でいうと何か呪文とか祝詞とか唱えて杖を地面に突いたら水がドバーッ! とか」
「そういった事もあったりはしますが、神殿が行う調査の段階でいちいちそうするわけにもいきませんしね」
地母神の調査、つまりこれは、これから開拓村が作られるあたって農地として良好な場所を探すためのものだ。
開拓民を送り込みました、何にもならず死にました、人材も物資も全部無駄になりました、じゃあ次いってみよう。
さすがに国にもそれほどまでに考え無しに財貨を無尽蔵にばらまくことはできない。
故に、農業をはじめとした各種産業に適した場所を事前調査する必要がある。
それらの実践的ノウハウと人材を持っている場所となると地母神の神殿である。
古来から、錫杖を突いた地母神の神官が大地を突くとそこからこんこんと水が湧き出る、そういった伝説は各所にある。
これはもちろん、錫杖に水をわき上がらせる奇跡であったりとか、水の精霊を服従させる魔術的効果があるわけではない。
「というわけで、お願いできますか」
「おうともさ」
錫杖を鉱人道士に渡して改めての調査を頼む。
「何よ、宗旨替えでもするの? 神よここなる鉱人に恵みを~~って」
「何ゆうちょる、この“器具”は元々鉱人の知恵のもんじゃい」
錫杖とは杖であり、獣除けの鈴であり、そしてある一説では地質調査の器具でもある。
大地を突いて、音を鳴らす。遙か昔の鉱人は大地を突く度にその音色の機微を聞き取り地底の状態を読み取っていたという。
それらの地質学や探査術を大地と鋼に長けた古き鉱人から地母神の神官へ伝授され、時の流れが下るにつれ宗教様化を受けて現在の錫杖へとなっていった、らしい。
当事者の居ない遙か過去のことだ、森人でもなし、確実な証人というモノはなかなかない。
とまれ、錫杖を突いて歩き回り井戸や温泉を探した地母神の技術集団の手腕を信心深い農村部の人間が目の当たりにして、それから何十年かすれば“地母神の神官様が杖を突いたところから水が湧いた”という伝説になっていくのだ。
またこれはネームバリューのある偉人に業績が集約することもあり、私も晩年には世界中に“女教皇様が神から賜った神徳厚い、ありがたい名水・温泉”と銘打たれた名所があふれるのに苦笑を漏らしたものだ。
「ま、地のこと、鋼の扱い、できなきゃ鉱人の名が廃るってな」
そういってしゃんしゃんと地面を突いて歩き回る、歩みが遅くなるのは自分が目星を付けた場所でもあるのでおそらくそのあたりで井戸を掘ればいいのだろう。
「お疲れ様です、ゴブリンスレイヤーさん」
「……守るに易い、良い場所だ」
木の枝や羽根をさし終えたゴブリンスレイヤーに感謝の言葉を贈りつつ、周囲の地形を見やり同意の頷きを返す。
できるだけ防衛に向いた開拓村候補場所の情報を挙げる、それがひいてはゆくゆくのゴブリンをはじめとしたモンスターによる被害を減らす一助となるのだ。
それは、単純にゴブリンを退治するのとは別の視点のゴブリン対策である。
開拓村というものは、非常に脆弱で、それこそゴブリンの襲撃で村として立ちゆかなくなる。
もっと穿った言い方をすれば、国としては村々といったものはそれこそ“ゴブリンでも滅ぼせるぐらい脆弱”であった方が都合が良いのだ。
武力を自弁できて、防衛籠城が可能な防衛力をもった村落が乱立する中央から遠く離れた広大な地域。
そんな地域で反乱を起こされたら、とうてい鎮圧することなどできない。
よしんばなんとかできたとしても、国としては甚大に疲弊する。
だから、無力であって欲しい。
多少は死んで良いから、無力のままでいて欲しい。
だから、私はしてほしくないことをした。
村々が武力と防衛機構、そして相互協力可能な軍事網を持った、地域全体を戦争装置とする統治方式。
何より、この姿は感染力がある。
羨ましがらせやすいのだ。
憧れも、嫉みも、普通の人の感情というモノは地続きだ。
寒さに震え何も持たぬ乞食が心を突かれて嫉むのは、ああなりたいと思うのは、王や大商人ではなく、暖かそうな襤褸切れをもった乞食の姿なのだ。
あいつらは、自分らで武器を持って毅然と自分を守っている。
自分たちは、身を削って出した金で守ってもらっている。
この生活はいつまでつづく?
本当に、楽になるのか?
ほんの、どこかの誰かの振った骰子の出目一つで、潰えてしまう立場。
自分たちなど遙か天上の誰かからすれば、ただの勇者に喝采と感謝を送るだけの書き割りなのかもしれず。
あるいは、今日にでも、ただ悲劇を表すだけの舞台装置として潰えるかもしれない。
不安の中に光明をちらつかせれば、これまで通りいつすり切れるか分からない日々を固持できる者は少ない。
最低限の腕っ節ぐらいならあるものも、開拓村には幸いに多く居る。
冒険者の破産者など、地母神の神殿からすれば地母神の農場でのいい労働力だ。
地母神の神殿という看板があるから、そこまで過酷かつ劣悪な扱いはしない。
せいぜいが小作農より少し下、教義的に結婚や出産を禁止するわけもなく、むしろ祝いの品なり金なども送られる。
ある程度、返済も済んで完済の目処が立てば、神殿の口利きでどこかの開拓村の一員に、という線もある。
夢破れた者の末路としては天国だ。
だから、それなりに各開拓村の元破産者は親地母神派だ。
そもそも何も悪の道に陥れているわけでは無い。
ゴブリン退治の代金のために売り払われる女子供、子を飢え死にさせてしまう母親、薬が手に入らず迷信に縋って墓場を掘り返して遺体を、あるいは産まれた赤子を攫っては薬になる、とその体や内蔵を薬食する人々。
それらを見ながらも、止めて何ができるわけでも無く心を痛めることしかできない神官は、自分を始め多く居た。
地母神の声を聞くような者達だ、彼らに親しみと恩恵を受けた村人達だ、少しでも世の中をよくするのであれば、と良心と信心に従い協力してくれるようになった。
ゴブリンが絶滅したということは、世界が統一されたと言うことは、凄惨でどんづまりな辺境が無くなっていったという事でもある。
「いい村になると良いですね」
「……ああ」
見据えているものは違うが、それでもこの地に生きる人に幸いを願ったのは、確かに同じであった。