「今、時間はあるか?」
「はい?」
きょと、きょと、と後輩神官は当たりを見渡した。
目の前には新人だってしないような使い古された薄汚い装備の男。
ゴブリンスレイヤーである。
ちょい、ちょい、と自分の顔を指さす。
「私、先輩じゃないですよ」
「お前に用がある」
簡潔な返答。
――じゃあ、何でだろう
世話にはなっている相手で、知らない相手でもない。
だが、唐突な話である。
「ん……時間はあります、どういったご用でしょう?」
とりあえず、軽く乗ってみることにする。
まぁ無体はされまい、そう思いながらも無意識に剣の柄を一撫でする。
「話を、聞かせてほしい」
そう言って、ついてこい、と言わんばかりに無造作に歩き出す。
着いて行っても行かなくても、文句は言わないだろう。
でも、心細く、来て欲しそうに見えた。
それは、なんとなく分かった。
「それで、こんなとこで、何を聞きたいんですか?」
酒場の、個室、しかも冒険者ギルドとは別の酒場の奥も奥。
部屋には呼び鈴があって、それを鳴らさない事には給仕も来ないような一室。
無造作に使われている明かりだって魔法の物。
自分たちの一党ではそうそう来ることのできない
「好きに頼め」
おごり、らしい。
ちろり、と目を向ける。
散々飲み食いしたんだから嫌とは……なんて人ではない。
「……どうした?」
根っこがそもそもいい人なのだろう。内心頷きメニューを手に取る。
「んじゃ遠慮無く、ん、東の鉱人の国の酒と、これと、これと、あーこれも」
ばっ、と目についたメニューを思うがままに伝法に頼み、ちらりと対面の男を見ると「それと、エール」とだけ簡潔に呼びつけた給仕に伝える。
一通り、メニューが並ぶ。
鉱人の酒には豪華にごろりと丸い氷が浮かび、出される料理もおしゃれに並べられている。
きれいに並んだローストビーフにはとろりとした漆黒のソース、金の衣をまとったエビフライには雪化粧をした山のようなタルタルソースが添えられている。
「それで、何の話でしょうか」
そう言いつつも頭の中に浮かぶ顔は決まっている。というか他の人間の名前を出されても驚く。
「あ、先に行っておきますが先輩のについては教えられないことは教えられませんよ」
キンキンに冷えたお酒をくぴり、カッと熱くなる喉。
後輩神官の言葉にゴブリンスレイヤーは「それで構わない」と頷く。
「んじゃ、私が話していいかなー、ってラインでしたら、ある程度は」
助かる、と顎に手を当てるようにゴブリンスレイヤーは思索する。
出てきた質問は月並みな物だ。
「お前にとってあいつは、どういった先輩だ?」
「そうですねぇ、面倒見の良い、温和な人? ただまぁ冒険者になってか、なんか、こう、凄みというか、そういうのはありますね」
布のような薄く切られたローストビーフをもぐもぐと噛む、肉汁がソースと絡まって口の中で肉の華が咲く。
うまい。
「そもそも、私らはお互い孤児院以前の事は詮索しない不文律なんです、冒険者だってそうでしょ?」
そうだな、と頷く。
何かあって、孤児院にいるのだ、冒険者になるのだ。
自分のように、彼女たちのように。
わけて、そういった者達が集団生活している孤児院で自然と己の境遇を明かさない土壌ができあがる事に不思議はない。
「だからまぁ、最近の振る舞いで言えばゴブリン憎しってのは、あぁ、そういう事あったんだろうなぁ……ぐらいですか。孤児院でゴブリンゴブリン言うわけにも行かないでしょうし」
エビフライをざくり、衣の食感、エビの身のプリプリ感、タルタルソースの食感も一級品揃いだ。
「ただまぁ、そうですね神官の適正、ですかそういうのが高いのは……うーん」
これはまぁ、一概には言えないのですが。と前置きしつつ口の中を酒で洗い流す。
「私たちは祈りを、こう、天上の神様に捧げて、それでもって奇跡を起こします」
すっごい疲れるんですよ、と言うも、そうか、と実感はなさげだ。
とまれ純戦士に理解を求めるものでもない、と気にせず話を続ける。
「多くの奇跡を起こすことができる者、というのは、ごく定型的な言い方をすれば“才能がある”者となります。では、才能とは何でしょう」
ふむ、と腕を組んで考える。
剣や槍の才能で考える。
武具を振るう者で、優れている者、才能に恵まれている者、と言えば筋骨に優れ、またよい目を持っている者だったり、流派によっては技の組み立ての構築力といった思考速度なども挙げられるだろう。
「私たちは、多かれ少なかれ、経緯はともあれ切り捨てられた側なのです」
「だから等しく見ていてくれる天上への神への信仰心はひときわ強い、と?」
誰か、何かで切り捨てられたから、孤児院に至った。
経済的事情、政治的事情、色々あったのであろう。
自分から、孤児院へと逃げ込んでくるのでなければ、それは他者の意向によるものだ。
切り捨て“られた”のだ。
だから、そういった世俗的な事情で切り捨ててこない神へ心を寄せる、依存的といってもいい、強い信仰心がある。
なるほど、理に適っているように思う。
「厳密にはもっと、なんていうか味気ない話なんだと思います」
そう言いながら、ポンと腰の一刀をたたいてみせる。
「不遜不敬な表現ですが、道具に魅せられる、といったら良いでしょうか? 病み付きになるのです、差し出せばその分対価をくれる、というのは」
刃は振るえば、切り裂いてくれる。
それと同じように、祈れば、縋れば、それだけ神は奇跡を起こしてくれる。
祈ろうが、縋ろうが、為す術もなく独りになった者にとって、それは麻薬的な魅力だ。
「どうしようもなく、どうしようもなかった現実が、裏切られた経験が、才能を作ることがあったりします。先輩の才能の根源がそれである、とは断言しませんが」
六回、彼女は奇跡を使える。
尋常の領域では、もちろん無い。
スッ、とナイフでローストビーフを切り裂く、鋼は当然に肉を切り裂く。
それが、うれしい。
刃が切り裂いてくれると言うことは、刃が応えてくれるということだ。
彼女にとってそれは、神が祈りに応えてくれることに似ていた。
「私も、無くはないです。だから、独りでも立ち続ける人、というのは気になってしまいます」
神に祈りを捧げ、応えてもらう人間にとって、己の覚悟によって立ち上がり、独り歩み続ける者は眩しい。
荒野を独り行く、己の力に依って立つ頼もしさと荒涼とした決意に、目が離せなくなる。
「多かれ少なかれ、私達はそうなりたい、のかもしれません」
祈りによらず、力を積み上げ自分の足で自分で立つ。
令嬢剣士へ立て、と言い放つ、確信に満ちた彼女の瞳を思い出す。
あの少女が、
自分で立って、自分で殺せ。
そして、それを、他者にそうあれ、とすることに抵抗がない。
彼女の人生にとって、それは救いであり、憧れる、かくあれ、と二心無く言える生き様であるからだ。
だから、ああなった。
その言葉に、ゴブリンスレイヤーの胸中には静かな納得があった。
彼女の向けてくる好意に、自分の生き様への憧憬など一つも無かった、と言えば嘘になるだろう。
彼女には確信がある。
狂信と言った方が、良いのだろう。
自分の道の果てには、ゴブリンの居ない世界がある、と。
それは、ゴブリンスレイヤーであるからこそ信じがたいものであった。
ゴブリンの居ない世界。
それは、きっといい世界なのだ。
ゴブリンの居る世界より、ずっと、大分、マシな世界なのだろう。
そんな未来のために、一切の不信もなく人を駆り立てることのできる彼女が、ふと、危ういものに思えた。
それは、何にとってであろうか。
誰にとってだろうか。
彼女自身が危ういのか。
彼女を放置することが危ういのか。
ゴブリンスレイヤーはわからなかった。
「そう、か」
ゴブリンを狩り続け、老いて、どこかで冒険者を引退し。
若かりし頃は、復讐心にとらわれていた、と思い返す。
後進をみて、あの頃はゴブリン退治に明け暮れていた、と内心呟く。
そういった、時期ではない。
自分も、彼女も。
それは、わかっている。
その事実は、逃げることが出来ない、振り下ろされる棍棒のような物であった。
「別にそれで、完全に人間性が破綻するわけじゃないんです、それなりにどうにかこうにか、折り合いをつけて生きていけるものですし……破綻してしまうと、ひどいものですが」
そう言いながら、彼女は料理を平らげた。
皿の肉汁が、血の海のようであった。
「お役に立てたか分かりませんが……あ、言うまでも無いことですが、お互い他言無用で」
「ああ、助かった」
視線を切れば、もう無関係の間柄のように振り返りもせずに二人は別れた。
ただ、少女の歩みは食事の前と変わらず、男の歩みは重かった。