「妻の目が……最近私を見る目が雄の野獣の瞳になってきて……」
そういいながら顔を手で覆う男物の神官服を着た女性。
その豊かな胸元には銀等級の証が輝いていた。
なんと言えば良いのだ、と仲間に視線を送っても女神官をはじめ、ひきつった苦笑いしかない。
「まぁまぁ、私は私、あなたはあなた、それで、いいじゃない」
そう優しく肩に手を置くのは武骨なロングソードを佩いた銀等級の戦士の男性だ。
遠方からやって来た冒険者の遺跡探索の、人材応募にゴブリンスレイヤー達一党は手を上げた。
戦士と神官の男女のコンビ。
よく居る、と言えば、よく居る。
先日自分のプレゼント選びを手伝ってくれた2人だって、今の一党に所属する前はこういったコンビであった。
特徴と言えば、女性が男物の神官服を着ているのが珍しいと言えば、珍しい。
とはいえ、旅の道中、女性というだけで、狙われやすくなるということはある。
長旅をしてきた女神官が面倒ごとを嫌っての男装であったからといって、そこまで不思議に思うほどの事ではない。
しかし、実際に遺跡の前にまで来て、その事情を聴いて、なるほど、と頷かされた。
「ここの遺跡と同系統の遺跡に、以前潜ったんです」
遠い目をしてそう語る女神官の目は死んでいた。
戦士の方はふんふん、と朗らかに鼻歌を歌いながら料理をしている。
その手つきはこなれたものだ。
「まさか、まさか、戸棚の性別反転の水薬が私たち二人に掛かるなんて!!」
つまりは、そういう事である。
勝気な戦士の少女に連れられて村を飛び出してきた内気な神官の少年。
冒険の日々を駆け抜けるうちに、幼馴染という関係が、恋人になるのは、自然なものであった。
そして、「この遺跡探索を終えたら、結婚しよう」と臨んだ冒険で、喜劇は起こった。
何気ない探索の一コマである。
がさりと開けた隠し棚から、ゴトリと水薬が落ちた、それだけである。
しかしそれで夫は女となり、妻は男になった。
ともあれ、それで結婚はおあずけ、というわけにもいかない。
各種の準備をキャンセルするわけもいかず、夫はウエディングドレスを、妻はタキシードを身にまとい、参列する者が目を剥き、神父が頭痛を堪えながら聖句を唱える中、誓いのキスはなされた。
とりあえず、お互い元に戻るために手を尽くそう、ということになった。
なんとか情報を集め、どうやら同系統の遺跡が遥か西方にあるらしい、という情報をつかむまで、それなりの月日がたっていた。
そして、その月日は愛する妻が愛する夫を女としてみるには十分な時間であった。
「そんなに嫌? 私はあなたを愛しているし、貴方だって私の事、嫌いになった訳じゃないでしょ?」
「もちろんそうさ! 愛してる、それは神に誓ったっていい……でもね、なんていうか、それは、それ……な気がするんだよ、うん」
「それに、私が産むか、貴方が産むか、ただそれだけの話じゃない。愛する者同士にその証を神様が授けてくださる……ね? あなたの信仰する地母神様だって、なにも禁じていないじゃない」
ね? と笑顔で両手を合わせ小首をかしげる戦士。
「神様だって想定外の事態ってあるんだよ、多分!!」
そこで、多分、と言ってしまう押しの弱さが原因の一つなのだろう、と一党は思うが、あえて指摘はしない。
なるほど、とつぶやく女神官のつぶやきは、聞こえなかったことにした。
とまぁ、それはそれとして、元に戻る水薬を手に入れるのは異論はないという。
まぁ、今更そこを揉められても困るのがゴブリンスレイヤー達の立場だ。
「ともあれ、行くか」
「そうじゃの」
かくして、遺跡に冒険者たちは乗り込んでいく事になる。
はるか大陸の向こうからやって来ただけはあって、二人の腕前は確かなものであった。
襲い掛かる遺跡の守護者は先陣を切る勇猛な戦士(妻)はまさにばったばったと切り倒し、粛々と祈りをささげる女神官(夫)の奇跡は女神官をしても、ほう、と関心の声を漏らすほどのものである。
「敵自体は大したことないのよねぇ」
そういいながら、またそれなりの位階の悪魔を切り伏せた戦士はコキリと首を鳴らす。
「お、ちょいとタンマ」
そう鉱人道士が声をかけ、トントンと床を指でたたく。
ふっ、と息をかければわずかなスキマがあり、それを押し込むとガコリと広間の中央に更に地下へ至る階段が現れる。
さて、はて、何があるやら。
中は研究室のようであった。
「お二人は、ここで待っていてもらえますか? 下手にまた事故が起きたとき、お二人の体がどうなるか……予測がつきませんし」
一党に目配せをしてゴブリンスレイヤーと女神官、そして鉱人道士が入り、妖精弓手と蜥蜴僧侶が残される二人の相手をする。
神官の身で魔術に深い知見を示してみせるのを、避けたがるのが彼女であると、一党は十分に承諾しているのだ。
「分かるか?」
いくつか水薬は見つかったが、種類が様々だ。
「少し、調べる必要がありますね」
そういいながら虚空へ向けて小さくつぶやき、その中空から自前の器具を引き出して並べる。
「若返り、老化、美白に痩身……美容に並々ならぬ関心があったようですねぇ」
いくばくかの実験の後、何やら魔術のかかった眼鏡をくい、と中指で押してそう結論を下した。
「ちうと……今の所無い感じかの」
そう髭をいじりながら書籍の類を積んでいく。引き揚げるときに彼女が自分の倉庫にいくつか収めるからだ。
「資料や研究のメモ書き、成果物のレベルからしてみれば、性別転換の水薬は、あってもおかしくないのですが……こればかりは、ないことには、ないですので」
「そうか……」
そういいながらゴブリンスレイヤーは辺りを見回す。
探すときは、使う側、隠す側の気になってみるのが基本だ。
「隠し棚、と言っていたか」
「ふむ、あんまり大っぴらに使う薬じゃなかったんじゃろ……となると、そこいらへんかのっ、っと」
鉱人に容易く暴かれた隠し棚には、確かにこれまで見つかったものとは別の水薬があった。
「これか」
「………ええ、多分そうだと」
性別転換の水薬を持つゴブリンスレイヤーに、妙に間をあけて女神官は頷いた。
「ありがとう! 皆、本ッ当にありがとう! 神よ! 慈悲深き地母神よ! おそらくこれまでで一番深くっ、ふかぁぁくっ! 感謝しますっ!」
女神官(夫)の恥も外聞もない感謝の声が響いた。
念には念を、ということで、辺境の街にまでもどり、水薬を魔女の鑑定に掛けた。
結果として、それなりの本数の性別転換の水薬をはじめ、各種美容の水薬が手に入ることになった。
これだけで、一財産。彼らも遠い故郷へ帰途に就く分の儲けが出たぐらいである。
さあて、いよいよ水薬をひとあおり、というところで女神官(夫)の手元から水薬がひょい、と奪われた。
え、と視線を向ければ、愛する妻が居る。
「よく、考えたのよ」
水薬に栓をして、己の後ろへやる。
「な、何をかな……」
やや笑顔を引き攣らせて女神官(夫)が及び腰になる。
「こんなに薬も手に入った訳だし、あなたも孕んで、次に私も孕んで、かわりばんこでいいんじゃないかって」
救いを求めるような目で見られた、そして、爛々と目を光らせた歴戦の戦士(妻)を見る。
そして、目をそらす。
「ゴブリンではないな」
「夫婦の営みの事ですし」
「民事不介入ってやつじゃな」
「めでたしめでたしということで」
「拙僧たちはこれにてごめん」
そそくさと逃げ出した一党の後ろで悲鳴が上がる。
十人十色。
世界は広く。
誰もかれもが手に手を取って、悲喜こもごもの手探りでの旅路。
円満なれば、それでもう上出来。
こんな夫婦も、世界には居るのだ。